新潟市サッカー協会

新潟フレンドリーカップ市民サッカー大会

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Varmos jogar futebol   !! en Niigata city 

 

☆コンテンツ

1.長方針・・・・・・・・・・2009.01.28 UPDATE

2.新潟市サッカー協会組織図・・・・・・・・・・2013.03.24 UPDATE

3.新潟市サッカー協会関連トピック・・・・・・・2016.02.24 UPDATE

4.リンク集・・・・・・・・・・・・・・・・2009.01.10 UPDATE

.関連募集、及び告知のPAGE(市民サッカー大会,他)・・・2016.07.05 UPDATE

6.Fifa world cup 2002 Niigata 10周年記念イベント

 

新潟サッカーの歴史

日本蹴球協会の設立は大正10年で

全国の蹴球部の誕生はそのころからはじまった。

新潟では昭和5年新潟医科大学に蹴球部が結成、

その後、新潟高校、長岡高専に部が誕生し、対抗戦が可能となった。

しかし、昭和18年頃より新潟は空襲、長岡は空爆とその灯は消えた。

戦後、昭和20年全朝鮮サッカーチームが来訪した。

新潟医大チームは4−0で快勝の記録が残っている。

昭和22年柏崎高校、翌23年に新潟高校で部が発足。

翌24年には新潟明訓高校、長岡工業高校に部が誕生し、

4高校によるリーグ戦が行われた。

昭和24年5月協会設立へ向け新潟医大が動き、

同年1949年6月21日高木健太郎が初代会長に就任し弊新潟市サッカー協会は設立された。

翌25年日本蹴球協会はFIFAに復帰する。

新潟市サッカー協会設立より遅れること10年

昭和34年に関東地区日本蹴球協会より分離、新潟県蹴球協会(現在の新潟県サッカー協会)発足。

39年の新潟国体は明訓サッカークラブが単独出場することになった。

この時の出場選手、その後の強化員だった教員が現在のサッカーの

普及活動の中心となっていく(木村哲夫氏、百瀬文夫氏、古川智久氏等)

平成3年より日韓ワールドカップが浮上し、平成8年12月に新潟市開催が決定した。

平成6年新潟イレブンをアルビレオ新潟の名称でJFLチームといて登録。

現在のアルビレックス新潟は新潟市をホームタウンとする。

 

 

 

 

 

 

 

 



                             

 

 

 

 

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