狼と狐のゲーム

       ・来訪者

 彼らがやってきたのは日曜日の昼過ぎだった。
 わたしは十一時に目を覚ましたばかりで、二日酔いをシャワーで洗い流した後、下着姿でベッドに腰掛けてぼうっとクラシックのCDを聴いていた。新入社員 歓迎会で浴びるほど飲まされたのだ。まだ頭痛が抜けない。
 チャイムが鳴った。
 わたしはあわててジーンズをはきサマーセーターを着ると、足音を忍ばせて玄関に行った。
 魚眼レンズからのぞくと、ドアの向こうに黒いスーツ姿が二つ見えた。二人ともサングラスをかけている。
 サングラス?
 ドアがどんどんと叩かれた。
「宇野さん? 宇野さんいらっしゃるんでしょう?」
 低く太いだみ声だった。
 わたしは身体をこわばらせながら、そっとドアから離れた。廊下にうずくまる。
 だれだろうあの二人は?
 どう見てもまともな人間じゃない。やくざ?
 どうして? 人違い? でもわたしの名前を呼んでいる。
 だめだ、出てはだめだ。気づかれないように息を殺して――
 どん。どんどん。
「宇野さん、宇野真樹さん、いらっしゃるのはわかっていますよ音楽が聞こえてますからねえ! ラフマニノフのピアノコンチェルトですかご趣味がよろしいよ うで! 私もドア叩くの疲れるんですよ開けてください!」
 わたしははっとしてCDプレイヤを見た。どうしよう、気づかれた。
 ドアを叩く音が大きく、間隔が短くなる。
「宇野さん早く出てきてくださいよ、お金に関わることですからねえ! 時は金なりですよ! 手早く済ませた方があなたにも私どもにも都合がよいですよ!」
 お金。
 わたしは――借金なんてした憶えもない。ましてや、あんなその筋の人間と関わるようなことは……
「ねえ宇野さんこの春にS商事に就職なさったばかりでしょう、私どもも会社にまで押しかけるのはためらわれるんですよねえ!」
「ま、待って」
 思わず、声が出ていた。ドアの外が一瞬、沈黙する。
 外で、サングラスの男が笑ったのが見えたような気がした。
「開けてくださいよ」
 わたしは立ち上がり、玄関のノブに手をかけた。何度回しても開かない。しばらくして、自分が鍵をかけていたことを思い出す。動転している。落ち着け、落 ち着け。
 錠を外してドアを開けた。できたドアの隙間に、黒い影がずいと押し入ってきた。
「はじめまして、宇野真樹さん、ですね」
 男はにやにや笑いながらサングラスをはずす。
「私こういう者です」
 鼻先に突きつけられた名刺を受け取った。

【尾上ファイナンス 浜町五郎】

 名刺と、男の顔を見比べる。サングラスの下から現れた目は異常に細く、垂れ目がちなのがかえっていやらしく不気味だった。
「えっと、あの」
「宇野真樹さん、ご本人で間違いないですね」
「……そう、ですけれど、わたしに」
 男はずい、と玄関の中に入ってきた。わたしは後ずさり、靴箱に背中をぶつけた。
 男の手がスーツの胸ポケットに差し入れられ、四つ折りにされた一枚の紙をつかみだした。
 わたしの目の前で、紙が広げられる。

『借用書』

 紙のいちばん上に大書きされたその三文字がまず目に飛び込んでくる。まさか。だって。
「わ、わたし、借金なんて、した憶えは、あ、」
「落ち着いて。よく読んでください」
 男の指が紙の真ん中を指さす。
『――と中本仁美(以下乙という)の間に次の通り金銭消費貸借契約を締結した。第一条 甲は乙に対し、下記条項の約定で金三拾萬円を貸し渡し、乙はこれを 借り受け、受け取った――』
 中本、仁美。
「あなたの大学生時代の御同輩でしたね」
「――仁美が……?」
「あなたの名前は、ここ、です」
 男の指が紙の上を滑り、右下にたどり着く。
『氏名(連帯保証人) 宇野真樹』
 そしてわたしの印。
 思い出した。二年生の夏だったか――仁美に頼まれたのだ。

『――大丈夫、真樹には絶対迷惑かけないから。ちょっと借りるだけだし、バイトの給料入ったらすぐ返せるの。ね? ちょっとだけ名前貸して。お願い』

「ま、待ってください」
 わたしは部屋に引っ込むと、携帯電話をひっつかみ、久しくかけていなかった仁美の番号をコールした。三度の呼び出し音の後、冷たい合成音声が告げる。
『お客様がおかけになった電話番号は現在使われて……』
「無駄ですよ」
 背後でいきなり声がして、わたしは携帯電話を投げ出して振り向いた。
 男がいつの間にか部屋の中にあがりこんで、わたしのすぐ後ろに正座していた。もう一人の若い男は無言でその脇に立っている。
「か、勝手にッ、入らないでくださいッ」
「中本仁美さんの行方はね、私どもでも血眼になって探しましたが見つかりません。電話一本で見つかるようならあなたのところには来ませんよ」
「わたしがッ、返済、しろって、言うんですか」
「もちろんそうですよ。あなたのサインにあなたの印鑑だ」
 首から下がさあっと冷たくなる。
「……三十万円なんて、そんな、すぐに……」
 唐突に男が笑い出した。
 額を手でおさえ、ほとんどのけぞりそうになりながら、低い声に似合わない不気味な高い笑い声をたてる。
「おい、聞いたか? 三十万円だと」
 隣の若い男に言う。若い方は黙ってうなずくばかりで、それがまた気味の悪い笑い声を助長する。わたしはむっとなった。なにがおかしいのだろう?
 ぴたりと笑い声がやんだ。
 男はわたしにぐいと顔を近づけてきた。
「あのね宇野さん利息って知ってますよね」
 わたしは後ろに手をついて男から顔を遠ざけながら、首を縦に振った。
「ここに書いてあるでしょう、第二条、月一割の複利ってね。三十万円で済むわけないでしょうが」
「いくら、なんですか……?」
「五百二十三万円です」
「ご……」
 わたしは一瞬、言葉を失った。意識さえ失いかけた。
「そんな、なんで三十万が五百万になるんですかッ」
 男は蛇のように笑う。
「複利っていうのはね、いわゆる雪だるま式ってやつですよ。三十ヶ月転がせばそれだけの金額になる」
 五百二十三万円。
 わたしの空っぽの意識の中で、その言葉だけが反響する。
 五百二十三万円。
「そんなわけでね、今日は返済計画のご相談にうかがったわけなんですよ。安心してください、あなたはまだ若いしお綺麗だ。若い女性なら五百万ぽっち、一年 経たずに完済できますよ」
「い、いやですッ」
 男がなにを言っているのか、わたしにもすぐにわかった。
「そんな、そんな金額返せません」
「残念ながら連帯保証人には無限責任がありましてね、そういうわがままは通らないんですよ」
「そ、そんな金利、違法じゃないんですかッ」
 わたしは精一杯の抵抗をした。高すぎる利率は法規制されていたはずだ。向こうがルールを持ち出すのなら、こっちだって――
 男の目がすうっと細く、ほとんど線になった。
 剃刀のような視線がわたしの頬を切り裂く。
「宇野さん」
 男は身を乗り出し、鼻と鼻がくっつきそうなくらいに顔を寄せてきた。わたしは仰向けに倒れそうになる。
「あのね、私どもは日本の法律によく似た別のルールで動いているんですよ。違法も合法もありません。紙に書いてある通りの金額を、きっちり取り立てます。 どんな手段を使ってでもね」
「きょ、脅迫ですか」
「そんなつもりはありませんよ」
 わたしの顔にヤニ臭い息がかかる。
「実はね。私どもも、あなたに協力したいんですよ、宇野さん」
「……協力……?」
「ええ。――たった一日、です。ある会合に参加していただく。なにも危険なことはありません。きつい労働をするわけでもないし、それで借金がきれいにな る。そういう話があったとして、宇野さん、どうします?」
「そんな――」
 そんなうまい話が、あるはずない。
「――それだけじゃ、ないんでしょう」
 男は急に優しい顔になり、身体を離した。
 わたしは男からずっと離れたベッド際に座り直した。
「なかなか鋭いですね。それだけ鋭いあなたなら――勝ち残れる可能性は高い」
「勝ち残る……? どういう、ことですか」
 男は実に楽しそうな笑顔になった。
「その会合というのはね――」
 それはどこか、好きなテレビ番組が始まるのを待ちこがれる子供の表情に似ていた。
「ゲームなんですよ」





       ・ルール説明

「着きましたよ」
 車が停まった。
 助手席に座っていたあの浜町という男が、後部座席のわたしに顔を向けた。
「暗いから気をつけてください」
 運転手の若い男が先に降りてドアを開いてくれた。
 広い地下駐車場だった。車は、わたしの乗ってきたものの他には一台も見えない。ひどくほこりっぽい空気が鼻の奥にからんで不快だった。
 灯りは天井にぽつんぽつんと設えられた蛍光灯だけ。地上の灯りは見えない。ひどい寒気を感じた。
「行きましょう。あなたが最後ですからね、みなさんお待ちです」
 男がわたしの背中をぽんと叩いた。
 駐車場の端にエレベーターがあった。若い男は駐車場に残り、わたしと浜町という男だけが個室に閉じこめられる。
 ドアが閉まった瞬間、激しい後悔が襲ってきた。
 どうして――こんなうさんくさい話に乗ってしまったのだろう。相手はやくざなのだ。「危険はない」? 「ただのゲーム」? 口だけならなんとでも言える ではないか。
 そんなわたしの思いも、エレベーターの上昇が胃の中へ押し込んでしまう。
 階数表示が7で止まった。
 ドアが開く。
 広い廊下が左右に続いていた。正面には両開きの金属扉があり、手術室の入り口を思わせた。
「どうぞ」
 浜町は扉を開き、わたしを中に招き入れた。
 一歩部屋に入ると、大勢の視線がわたしに集中した。
 広い部屋だった。十メートル四方くらいはあるだろうか。天井も高く照明が明るいので余計に広く見えるのかもしれない。
 床は毛足の短い絨毯敷きで、背もたれのない丸い形のソファがいくつも、大きな円形に並べられていた。年齢も服装もばらばらの男女が、十五人くらいだろう か、ソファに腰を下ろしている。みんなわたしに無遠慮な、そしてとても友好的とは言えない視線を向けている。
 視線に耐えられず目をそむけ、そこでわたしは妙な点に気づく。
 部屋の壁だ。
 ドアがびっしりと並んでいる。
 わたしが入ってきた両開きの扉のある面こそ、その入り口ひとつきりだけれど、あとの三面の壁は隙間なくドアで埋め尽くされていた。無意識に数えてしま う。一面の壁に――五枚のドア。十五枚。つまりこの部屋には十六の扉があるわけだ。
「宇野さん。かけてください」
 浜町がわたしの耳元でささやいた。わたしはびくりと肩を震わせた。背中を押され、ただ一つ開いていたソファに腰を下ろす。
 右隣の、化粧のきつい中年の女性は、わたしの顔を近くで見るなり、ふんとそっぽを向いてしまった。
 左隣はまだ若い男の子だった。ヨットパーカーにジーンズという格好で、大学生、いや、高校生でも通じるのではないだろうか。小柄で、どこか中性的な雰囲 気を漂わせていた。わたしと視線が合うと、おずおずと会釈してきた。わたしも礼を返す。彼が隣だということに少しほっとしていた。
 もう一度ドアが開く音がした。
 振り向くと、ダークグレイのスーツを着た初老の男が入ってくるところだった。後ろにはあの浜町が付き従っている。
 全員の視線がその初老の男に集中した。
 浜町がドアを閉めると、初老の男は口を開いた。
「本日は、お忙しいところをご足労いただきまことにありがとうございます。私、本日の進行及び審判役を務めさせていただきます、権堂と申します」
 上品な声で流れるように言った。
「ここにお集まりの方々は――それぞれご自分ではご存じの通り――我が社の特殊な顧客リストにお名前のある方々ばかりです」
 わたしはそっと他の面々を見回した。何人かと目があった。頬がこけて目が血走った眼鏡の青年。肥満でシャツのボタンがとびそうな四十がらみの男。ひどく 顔色の悪いのを濃い化粧でごまかした年齢不詳の女性。
 特殊な――顧客リスト。
「今回のイベントは、皆様の返済計画の一助となるよう企画されました。これよりその説明をいたします」
 権堂は言葉を切り、一同をぐるりと見渡す。
「すでにお聞き及びかもしれませんが、今日、ここでみなさんにあるゲームをしていただきます。歯に衣着せぬ言い方をするならばギャンブルです。勝者の方の 負債は消え、敗者の方がそれを肩代わりいたします。皆様すべてにとってチャンスは公平です。負債が消えるか、倍になるか――です。しかし」
 咳払い、そして権堂は両手を広げ、かすかに困った表情を作る。
「当然のことながら皆様の負債額は一定ではありません。プライヴァシに触れるため詳しくは申せませんが、最低の方と最高の方の開きは二十倍ほどもありま す。通常のギャンブルではこれはいささか不公平です。チャンスが平等なのに見込める成果が個々人によって違うというのは好ましくありません。加えて――た とえばポーカー、ルーレット、麻雀といったいわゆるメジャーなギャンブルゲームでは、得手な方と不得手な方の経験差というものがある。かといってダイスの ようなまったくの偶然のみという種目も、これは面白くない。我々も悩みました」
 なにをもったいつけているのだろう、とわたしは思う。
「皆様には知力と胆力のみにて戦っていただきたい。そこで――我々はこれを選択しました」
 権堂が胸ポケットからなにかを取り出した。
 手のひらに収まるくらいの小さな箱だ。トランプ?
 箱の表に、なにか濃い絵柄が描かれている。あれは――
 満月に向かって牙をむき、涎を滴らせて吠え叫ぶ灰色の獣――
 狼だ。

「『汝は人狼なりや?』というゲームです」

「ご存じの方はおそらくいないでしょう。テーブルゲームのマニアには広く知られている、ロシアの古典的な推理ゲームですが、日本の一般家庭で遊ばれること はほとんどありません。ルールは至って単純なのですが――内容が、あまりに酷烈なので」
 権堂はにやりと笑り、カードの箱を手の中でくるくる回した。
「このゲームはチーム戦です。皆様には三つのチームに分かれて競っていただく。一つ目は『村人』チーム。二つ目は『人狼』チーム。人狼、狼男ですな。最後 が『妖狐』チームです。妖狐とは、変身して人を化かす狐のことです。さて」
 権堂はゆっくりとこちらへ歩いてきた。わたしとヨットパーカーの少年の間を抜け、ソファの円の中央に入る。
「皆様は十五名、しかしこれが五人ずつのチームに分かれるわけではありません。『狼』チームはわずか三人、そして『狐』チームはたったの一人です。残りの 十一名、大多数は『村人』チームに所属することになります。この人数不均衡こそ、我々がこのゲームを選んだ理由です。意味は――おわかりになると思います が」
 権堂はゆっくりとまわりを粘っこい目で見る。
 人数不均衡が、選んだ理由?
「説明に戻りましょう。このゲームは『村人』と『人狼』の殺し合いのゲームです。勝利条件は至って簡単、『人狼』チーム三名が全滅すれば『村人』の勝利。 逆に、『人狼』が生き残りながら殺戮を続け、『村人』チームの人数を自分たちと同じかそれ以下にまで減らすことができれば、『人狼』の勝利です。結果もま た単純明快、勝利したチームのメンバー全員の負債はゼロとなり、敗北チームがその負債を分担して負うことになります」
「ちょっと待て、その、キツネの勝利条件はなんなんだ」
 だれかが口をはさんだ。わたしのちょうど真向かいのソファに座っている、浅黒い肌の男だった。
「質問は途中ではさまれると困るのですが……まあいいでしょう」
 権堂は男の方に向き直った。
「『妖狐』の勝利条件も、もちろんあります。しかしこの『妖狐』、いわば漁夫の利を狙うしかできない立場にあります。すなわち、『村人』か『人狼』いずれ かの勝利条件が成り立ったとき、もし『妖狐』が生き残っていれば――『妖狐』の勝利となります」
 生き残っていれば。
 しかし、狐のチームはたった一人だという。あまりに勝利へ遠いのではないだろうか。
「つまり、キツネが生き残ってる限り、他のチームは勝てないってことね?」
 そう言ったのはわたしの隣の中年女性だった。
 権堂がくるりと振り向く。
「さようです。察しがいい。ただし、『妖狐』が勝利した場合、やや負債額の分配が特殊になります。『妖狐』の勝利条件は先ほど言ったように、『村人』か 『人狼』の勝利です。『妖狐』の勝利に貢献してしまった陣営、形式上ながらも勝利したチームは、いわば準優勝と申しますか、負債は減りませんが、増えもし ません」
 よくわからない説明だった。
「……もし狐が勝つにしろ、村人は狼を殲滅した方が、被害がなくて済む。狼もまたしかり――とこういうことかな」
 白髪の老人が、わかりやすく言ってくれた。
「その通りです。さて、実際のゲームの進行についての説明に移りましょう。このゲームは、夜のパートと昼のパートにわかれています。夜のパートというのは ――『人狼』の、狼としての活動時間です」
 権堂の目が細められる。
 背筋がぞくりとした。
「夜のパートにおいて、『人狼』チームの生き残りメンバーは協議を行い、自分たち以外の一名を選んで殺害します。もちろんこの殺害というのはゲーム上の用 語でしてな、つまりゲームから脱落させるということです」
「そ、そんなに簡単に、負けてしまうのかね、その選ばれた人間てのは」
 頭の薄い中年が、口から泡を飛ばしながら訊いた。権堂はあきれたような顔をして首を振る。
「お聞きになっていませんでしたか? このゲームはチーム戦です。自分のチームが勝てば、自分が脱落していても勝利です。参加できなくなることが即敗北で はありませんよ」
「は、はあ」
「よく憶えておいてください。自分が生き残ることが目的ではないのです。チームの勝利が目的です。もっとも――『妖狐』は、自分の生存こそが勝利への唯一 の道です。ですから『妖狐』には特権が与えられています。『妖狐』は『人狼』チームの目標に選ばれてもゲームから脱落しません。『人狼』チームが『妖狐』 を選んでしまった場合は、だれも死ぬことなしに夜パートが終わります」
「それじゃ絶対に狐が勝つじゃないの」
 わたしの隣の化粧の濃い中年女性が言った。
「先走らないでいただきたい」
 権堂はこちらを向くと、おだやかな表情で手を振った。眼光だけが鋭いままで、余計不気味に見えた。
「ゲームから脱落させる手段は他にもあります。『妖狐』はたった一人、これだけのハンディキャップをつけてもなお絶対不利なチームなのですよ」
 わたしは、そのとき――自分が絶対にキツネチームにならないように祈った。
 だって、あまりに孤独すぎる。
 希望を託せる仲間も、話し合える仲間もいないなんて。
 権堂が言葉を続けた。
「さて、狼たちが一人を殺すと夜パートが終わります。昼パートでは、村人チームも狼チームも狐チームも一堂に会して、全員での話し合いの場が設けられま す」
「話し合い? なにを話し合うんだ」
 さっきの浅黒い男がふんと鼻を鳴らした。
 権堂はわたしに背中を向けていたが、彼があの酷薄な笑みを浮かべたのがわかった。

「だれを処刑するのか、を話し合うのです」

「――処刑……?」
 だれともなく数人の口から、その不吉な単語がこぼれる。
「さよう、処刑です。昼のパートの終わりに、全員が投票を行い、最多票を獲得した方は処刑されてゲームから脱落します」
 投票して――処刑。
 これはゲームだ。そう何度も言い聞かせる。
「狼は夜の間に村人を喰い殺すという手段があります。しかし、村人の方には、この処刑しか攻撃手段がありません。くわえて――このゲームでは、だれがどの チームに所属しているのか、わかりません」
「わからない、だと?」
 色黒の男が声を高くする。
「そうです。後ろの壁をご覧になっていただきたい。ドアが合計で十五ありますな。そこが、皆様それぞれの個室です。本来ならカードを配って所属チームを決 めるのですが、今回は進行を円滑にするためにこのような設備を用意いたしました。個室には本人しか入れません。中にモニタがあり、そこに、それぞれ自分が どのチームに所属しているのかが表示されています。これを他人が見ることはできません」
「じゃあ――」
 かなり肥満した若い女性が口を開いた。
「その、処刑……する人を、どうやって決めればいいの? 間違って仲間を、その、選んじゃうことだってあるんでしょう」
「だから――話し合うんですな」
 権堂の声が重たく響いた。
「他人のぼろを探すのです。疑いに疑いを重ね、推論から推論を導き、ときにはあざむき、その欺瞞をまた見抜き、洞察力と話術のすべてを駆使して――話し 合ってください。だれを処刑するのかを」
 わたしは思い出す。
 権堂は最初にこう言った。『あまりに内容が酷烈なので、日本の一般家庭で遊ばれることはほとんどない』と。
 今ならその理由がわかる気がした。
 狼や狐は圧倒的マイノリティだ。正体がばれれば即、死につながる。だから村人の振りをする。さらには、自分たちから目をそむけさせるため、自分たちの勝 利を引き寄せるため、罪のない村人を陥れて処刑させるように暗躍するだろう。村人達は疑心暗鬼の中で、手探りで狼と戦わなければならないのだ。
 なんて恐ろしい――ゲーム。
「とはいえ」
 権堂が再び口を開く。
「これだけではゲームになりません。なんの手がかりもないのでは、あまりにも村人が無力です。手探りで狼たちと戦ってもほとんど勝ち目がない。そこで ――」
 権堂はカードの箱を開き、中から数枚の札を取りだして広げた。
「村人たちの中にも、三人、特殊な能力を持つ役職があります」
 権堂はカードの中から一枚を抜き出して、わたしたちにぐるりと見せた。札に描かれているのは、紫色のヴェイルで顔を覆った陰鬱な雰囲気の女性だった。両 手で大きなガラス玉を持っている。
「最初は、最も重要な役職――『占い師』です。『占い師』は、夜パートの間に、参加者の中から一人を選んで占う能力を持っています。占った相手が『人狼』 であった場合は、『人狼である』とモニタに表示されます」
 参加者たちの間から、あからさまな安堵のため息が聞こえた。わたしも、もしかしたらほっと息をついていたかもしれない。そんな便利な能力があるのなら、 村人の勝利は堅いのではないだろうか。
「さらに、占った相手が『妖狐』であった場合、『妖狐』は即座にゲームから脱落して負けとなります。文字通り、化けの皮がはがれる、ということですな」
「至れり尽くせりだな。それじゃ逆に狼チームが不利すぎないか?」
 わたしの向かい側の席の、髪をオールバックにした若い男が言った。上等そうなスーツに端正な顔つきはいかにもやり手の青年実業家といった風体で、とても こんな泥沼に落ちてくるような人間には見えない。
「とんでもない」
 権堂は芝居がかった仕草で肩をすくめてみせた。
「このゲームの大前提を思い出してください――だれがなんの役割を持っているのか、確かなことは本人以外だれも知らないのです。だれかが『私は占い師だ』 と名乗り出たとしましょう。しかしその人が、狼チームの騙る偽物ではないという確証は、村人たちにとってはなにもないのです」
 その日何度目だろう、わたしは鳥肌立った二の腕を無意識に手のひらでこすっていた。
 占い師と名乗る人間は偽物かもしれない。裏を返せば、本物であっても偽物の烙印を捺されて処刑されてしまうかもしれない、ということだ。
「とはいえ、この『占い師』こそが村人にとって最も心強い能力者であり、同時に人狼たちにとっては真っ先に始末するべき敵でもあることは確かです」
 権堂はそうしめくくると、次のカードを束から抜き出して掲げて見せた。二番目の札には、つるはしを担いだ猫背の老人が描かれていた。背景にはいくつもの 石の十字架が描き込まれている。
「次の能力者は、『墓守』です。『墓守』の能力は、その前の日に処刑された人間が『人狼』であったか否かを知ることです」
「ふうん」
 先ほど口を挟んだ青年実業家がまた身を乗り出す。
「つまり『占い師』が本物かどうか証明できるわけだな」
「左様ですな。理解が早い。もっとも」
 権堂は『占い師』のカードを再び取りだし、『墓守』のカードと重ねてU字に曲げてみせた。
「両方偽物、という可能性も否定できんわけです」
 全員がざわつく。確かな情報はなにもないことを、権堂は再三強調している。
「付け加えると、『墓守』が処刑された人間の情報を得ることができるのは夜パートの間です。『墓守』担当の方の個室のモニタに表示されるわけですな。しか しその夜パートに『人狼』によって殺されてしまう場合もあるわけです。その場合、情報はすべて闇の中――と、こうなります。これは『占い師』も同じです が。強力な情報収集能力も、無事に殺されずに朝を迎えない限りは村人チームの役に立てることはできないわけです」
 権堂は三番目のカードを提示する。札には、毛皮を着込み弓矢を構えた屈強なひげ面の男が描かれている。
「そこで三番目の能力者、『狩人』の役割です。『狩人』は夜パートの間に自分以外のだれか一人を指定し、『人狼』の手から守ることができます。『狩人』が 指定した方と『人狼』チームが食い殺そうとした方が一致した場合、だれもゲームから脱落せずに夜パートが終わるわけです」
 そこで言葉を切って、権堂はわたしたちをぐるりと見渡す。
「ふむ。単純明快ですからな、ご質問はないようですな。では、最後に」
 いっそう険しく低くなった権堂の声が、わたしの頭に突き刺さる。
 権堂の手に握られているのは、よだれを垂らしながらにやにやと笑う禿頭の男のカードだ。狼の絵よりもよほど恐ろしい。
 おかしい、とわたしは思った。権堂はさっき、特殊能力を持つ役職は三人、と言っていなかっただろうか。
「これは『狂人』です。厳密に言えばこの『狂人』は能力者ではありません。先ほど、『人狼』チームの人数が三人、と申しましたが、訂正しましょう。正確に はこの『狂人』を含めて四人です。そしてこのカードこそがこのゲームの魅力を最も体現したものと言えるでしょうな」
 含み笑いが背後から聞こえた。
 浜町だ。
 ゲームの魅力? どういうことだろう。
「『狂人』にはなんの能力もありません。だれが『人狼』なのかを見抜くこともできません。まったく他の一般村人と同じです。占い師が占っても、村人である という結果しか出ません。勝敗を決する際にも、村人として数えます。ただ、この『狂人』は『人狼』チームの一員なのです。『人狼』チームを勝たせなければ 負債が減らない、生まれながらの裏切り者――それがこの『狂人』です」





       ・前夜

 黒服のスタッフに促されて、わたしは無数に並んだ扉の一つに入った。ごく短い通路がまっすぐに伸び、その先はすぐにもうひとつのドアに突き当たってい た。通路というより二重扉だ。
 中は息苦しいくらいに狭い部屋だった。わたしの家のバスルームの方がまだくつろげる。おまけに照明が薄暗い。ドアとほぼ同じ幅の正方形の空間に、パイプ 椅子が一つ。正面の壁には、『汝の隣人を信じるなかれ』と朱書きされた半紙がはってある。なにかの冗談のつもりなのだろうか。
 左手の壁には液晶モニタが埋め込まれている。モニタの脇からは金属の蛇腹が突き出て、先端にマイクロフォンが取り付けられている。天井にはカメラとス ピーカ。それだけだ。部屋と呼ぶのもおこがましい。
「では」
 背後で黒服の一人がそう言って、ドアを閉じた。ロックの下りる音がする。
 わたしは嫌な予感に駆られて振り向き、ノブを何度もひねった。開かない。閉じこめられた。
『――これより夜パートを開始します。各自、自分に割り振られた職業をご確認ください』
 スピーカーから権堂の声が振ってくる。
 わたしははっとして、モニタに目をやった。

【あなたは 村人 です。特殊能力はありません】

 画面にはそう表示されていた。
 落胆。
 安堵。
 どちらともつかない感情が肩を重くしたので、わたしは椅子に腰を下ろす。なにしろ狭い部屋なので、膝が壁につっかえてしまう。
 モニタに表示された文の下には、名前を振られた小さな顔写真がずらりと並んでいる。一、二、三……全部で十四人。わたし以外の参加者全員の画像だ。
 スピーカーがまた語り出す。
『「人狼」の方は夜パート中、他の「人狼」と通話することができます。「人狼」以外の方のマイクは緊急連絡専用です。気分が悪くなったときなどにのみお使 いください。通常であれば「人狼」の方々はだれを喰い殺すのか決めていただくのですが、最初の夜に限ってはこれがありません。「人狼」チームは今後の方針 などを話し合うのもよいでしょう』
 喰い殺す、という言葉が耳に残る。
 しかし、今回はだれも脱落しないのか。わたしは少しほっとした。たしかに、まったく発言できないままに殺されてしまうのはちょっとひどい。
『「占い師」の方は、だれを占うのか。画面のタッチパネルで決定してください。それでは』
 スピーカは沈黙した。
 タッチパネル?
 わたしは、画面の顔画像に指で触れてみた。触れた画像が反転して、同時に右下に『決定』のアイコンが現れる。
 なるほど、だれを占ったり守ったり(――殺したり)するかはこれで決めるわけだ。
 目を閉じ、耳を澄ませる。
 今頃、十五人のうち選ばれた三人が回線を通じてひそひそと話し合い、これから村を壊滅させる算段を立てているのだ。
 ほんの少し、うらやましくなった。
 相談できる相手がいる。
 だれが敵で、だれが味方かわかっている――。
 タッチパネルに並ぶ小さな顔写真の画像をひとつひとつ眺めた。青森 いずみ。わたしと同い年くらいのきれいな娘。どこに座っていたのか思い出せない。榎 田 修。髪がメッシュの入った金髪で、耳にワンポイントのピアス。桜坂 良子。眼鏡をかけたショートボブの女性。老けた感じだけど肌は健康そうで、年齢不 詳だ。相馬 元雄。丸顔の中年男だ。発言していなかったので、こんな人いたっけ? という感じ。高橋 義郎。男なのに肩までぼさぼさの髪を伸ばし、眼鏡を かけている。あまりお近づきにはなりたくない。外山 礼。あのスーツを着た青年実業家風の男だ。土岐 稔。こちらは隣の席に座っていたヨットパーカーの若 い男の子。
 これは五十音順か。わたしは顔写真と名前を指でたどる。そうしていないと不安で潰されそうだった。こんなゲームをやった経験ももちろんない。だから、わ たしが知っている中で、この状況で役立ちそうなただひとつの金言を実行することにしたのだ。
 人の顔と名前を憶えろ。

 青森 いずみ。
 榎田 修。
 桜坂 良子。
 相馬 元雄。
 高橋 義郎。
 外山 礼。
 土岐 稔。
 野島 優香。
 巻島 みどり。
 丸尾 裕仁。
 光山 浩介。
 六木 俊雄。
 柳 小春。
 良月 二朗。
 そしてわたし、宇野 真樹。

 ブザーが狭い部屋にけたたましく反響した。わたしははっとして天井隅のスピーカーを見上げる。すさまじい大音響だ。頭が痛くなってくる。
 耳障りな電子音が絶えると同時に、審判役の権堂の声が流れ出す。
『夜のパートの処理が終了いたしました。それでは、一日目の昼のパートを開始いたします。昼のパートには制限時間があります。時間内で、話し合っていただ きましょう。だれを処刑するのかを――』
 そして、ぎちゃり、という金属音。
 ドアのロックが外れた音だ。
 これから、始まる。
 だれを処刑するのかを決める、猜疑のなすりつけ合い、推論の重ね合いが。
 この部屋に閉じこもって耳をふさいでいればいいのじゃないだろうか。そんな考えがふとわたしの頭をよぎる。
 けれど、気づけばわたしはパイプ椅子から立ち上がり、ノブを握りしめていた。そんなことをしても無駄だ。黒服がやってきて引っぱり出される。この、気が 重くなるような時間がさらに引き伸ばされて嫌なものになるだけだろう。
 大丈夫、わたし達は十一人もいるのだから。相手はわずか四人だ。狼が三人。狐はたったの一人。四人、脱落させればいいのだ。
 ノブを回した。中央ホールの明るい光が、ドアの隙間から射し込んできた。





       ・一日目 (生存者15)

「なにも手がかりがないのに、どうやって処刑する奴を決めればいいのだね」
 頭髪の薄い中年の男が、いらだたしそうに言った。たしか、六木という男だ。
 中央ホールに集まり、先ほどのソファに腰掛けてむっつりと押し黙ったわたし達十五人の中で、最初に口を開いたのが彼だった。しかし、全員の胸中を代弁し ていたとも言えるだろう。
 いや。全員、ではないか。『人狼』チームは、処刑する人間を決めるにあたっての明確な基準がある。自分たちに当たることを避け、なるべく敵を減らす。
「でも、でも。こうやって話し合い時間の間ずっと黙っていたら、不利になるばっかりでしょう」
 わざわざ立ち上がって、大仰な手振りで発言したのは、肥った女性だ。三十手前くらいだろうか、目鼻も大作りで脂ぎった顔つきをしている。巻島みどりだっ たか。
「この中に、いるんでしょ、なんて言ったか、狼チームを探し出せる人が。さっき部屋に入ってる間に、一人占ったんでしょ? それを聞かせてもらおうじゃな い。そうすれば、ほら、的中ならそいつにみんなで投票すればいいし、そうじゃなくても」
 なるほど、とわたしは納得しかけた。しかし、
「待てよ」と、色黒の精悍な青年が口をはさんだ。「こんな早い段階で、いちばん重要な人間がほいほい名乗り出てどうすんだ。そりゃあ、もし占いで狼がだれ かわかったなら、さっさと公開してほしいもんだが、そうじゃないならまだ黙っておくべきだろ」
 たしかこの男は良月二朗だ。事前のルール説明でもよく喋っていたから、その声はよく憶えている。
「どうして」と巻島は頬をふくらます。年齢にそぐわない女子高生みたいに幼稚な仕草だ。
「真っ先に狙われるだろうが。それに証明する手だてもねえんだぞ。それくらいわかれよ」
「そうだな。最低一人、狼チームを見つけるまでは、黙っていた方がいい。なるべく目立たないようにして」
 外山礼が同調する。いかにもやり手の二枚目、という外見の彼が言うと、なんとなくわたしもうなずいてしまいそうで、あらためて自主性のなさにため息が出 る。
 ぼんやりしていてはいけない。
「じゃあ、えーと、あの、死んだ人がどっちのチームかわかる人。そっちが名乗り出てもいいでしょ。そうしないと、護衛役の人がだれを護ればいいのかわから ないじゃない」
 巻島は強弁する。死んだ人がどっちのチームかわかる――墓守、だったか。それから、狩人もいたのだった。それほど複雑なルールではないけれど、混乱して しまいそうだ。
「おいおい。墓守が今名乗り出る意味なんてまったくないだろ。あんた……なんでそんなに、重要な役職を名乗らせたがってんだ」
 良月が言った。空気がそのとき凍った気がした。
「巻島さん、でしたね。俺はこのままなら、あなたに投票します」
 ぽつり、とだれかが言った。わたしの左手の――ヨットパーカーの彼のさらに隣、長髪に眼鏡の高橋義郎だ。外見からは想像もつかない、よく通るきれいな声 だった。きれいというだけではなく、威圧感がある。
 多くの視線が集まったのを感じたのか、高橋が立ち上がった。猫背をすっと伸ばすとかなり背が高いのがわかる。黙っているときとは別人みたいだ。
「いや、みなさんが思っていることはよくわかりますよ。占い師とか墓守、そういう狼チームにとって厄介な人間を必死にあぶりだそうとしている巻島さん は……狼かもしれない」
「違うわよ、なに言ってんの! 決めつけないで! あたしは村人よ、あたしを処刑したって」
「静かにしてください。感情的にならないで。このゲームじゃ、みんな村人チームを装うんです、自分が村人だと主張してもなんの意味もないばかりか疑われる だけですよ。ええ、かなりの人が、巻島さん、今あなたを疑ってます。ただね、僕はたぶんあなたは狼チームではないと思う」
「根拠は」
 良月がすぐに合いの手を入れる。
「根拠なんてありませんがね。このゲームに根拠のあることなんてなにひとつないでしょう。ただね、狼チームの身になって考えてみてください。なにも判断材 料がない最初に、投票で吊されてしまうのは――目立って不穏当な発言をした人じゃないですか? ちょうど、その巻島さんみたいに」
「しかし、その考え方をさらに逆手にとって、敢えて狼チームが偽装のために目立ったことを言う、なんてのも考えられるぜ、高橋くん」と外山。喋る人間と聞 く人間が固定されてきている。でも、わたしだってこの状況には口を挟めそうにない。
「だから、僕は巻島さんに投票しますよ。狼だったらもうけもの、よしんばそうじゃなくとも、占い師や墓守じゃないことは確実でしょう。自分が重要な役職を 持っていたら、こんな目立つことはしません」
 まるで巻島が目の前にいないかのような口振りで高橋は言う。
「おー。おー。わかったわかった。じゃあ俺もその姉ちゃんに入れる」
 そう声があがったのは、右手から。わたしの右隣に座る化粧の濃い和服の女――柳小春といったか――のさらに右隣。染めた髪を派手にセットし、耳にはピア ス。榎田修だ。さっきはそこに座っていたのか。どうりで顔が見えなかったわけだ。
「要するにそいつが脱落しても俺らにはなんにも悪いことがないってことだろ?」と榎田。
 高橋は黙ってうなずいた。喋るべきところと口をつぐむべきところを心得ている、という風だった。巻島は顔を真っ赤にしている。ゆでたトマトみたいだ。し かしなにも言わない。しばらくの沈黙が、部屋の空気を巻島処刑へと押し流すのが感じられた。わたしもそう決めかけていた。
「あのう」
 ぽそり、と小さな声がした。
 わたしの向かいに座っている、小柄な女性だった。一瞬、なんで女子中学生がこんなうさんくさい借金押しつけ合いの場にいるのか、と驚いてしまいそうなほ どの童顔だったが、手や首筋の肌の感じからして二十代後半、あるいは三十代までいっているかもしれない、と気づく。
 野島優香、だ。
「高橋さん、でしたっけ? 違ってたらごめんなさい……」
「高橋です」と、ようやく高橋はソファに腰を下ろす。
「え、ええ、すみません、高橋さん。高橋さんのおっしゃったことは、みんな正しいし筋道が通っていると思います、でも、わたし、そのお話を聞くまでそんな こと考えもしませんでした。そのう、正直、緊張してて」
「だから、なんだい」
 彼女の隣の席だった良月が、話の続きを促した。ますます萎縮した野島優香は、もそもそとなにか口ごもってから、咳払いをして、話を継いだ。
「あのう、ですから、巻島さんも、そういう、セオリーっていうんですか、そういうのわかってなくて、ついああいう発言しちゃったのかもって」
「そ、そうよ、そうです。そんな、そんなことまで頭回らないわよ」
 ゆでトマトの巻島がここぞとばかりに口を開いた。
「でもなあ。ええとごめん名前忘れちゃったよ。あんたの言うとおりだとしても、この巻島さんを処刑したってべつに構わないだろ。間違って、役職持ちを処刑 しちまうよりはずっといい」
 良月の言葉に野島はますます小さくなってしまう。
「いえ、その、ですから、巻島さんが……ええと、狩人、でしたっけ? 護衛できる役職で、だれを護衛していいのかわからなくて、ああいうこと言っちゃった のかも、と思って」
「……そういう可能性もあるかもしれないね。しかし、そうは思えないが」
 外山が、冷たい横目を巻島に走らせた。
「あの、ですから。わたし、村人なんです。なんの役職も持ってない。だから、わたしに投票してください。そうすれば万が一の間違いもないです」
 ほとんど消え入りそうな声で野島は言った。
「あの、あの、ほんと言うと、もうわたし、お腹が痛くて、もうこんなゲーム続けられそうにないんです。早く脱落したいんです。残りのみなさんに任せますか ら、お願いしま」
 野島の声を、突然のけたたましいブザーがかき消した。数人が驚いて腰を浮かせるほどの大音響。先ほど、昼のパートが始まったときと同じ音だ。
 壁のドアが、一斉に開いた。ブザーはまだ止まない。
 部屋の隅に立っていた黒服二人が、ソファーで囲まれた円座の真ん中に入ってくると、手振りで各自の個室に戻るように指示した。一日目の昼のパートが終 わったのだ。
 このブザーは、話し合う時間を強制的に断ち切るためのものか、と気づく。とにかくじっとしていると頭が痛くなってくるので、わたしは立ち上がってドアに 向かった。入る直前にホールを振り返ると、ドアに入っていくいくつもの背中や、閉じるドアが見えた。
 短い通路を抜けて個室に戻り、二枚目のドアを閉じた瞬間、ブザーはまったく聞こえなくなった。かわりに、ロックが下りる音がする。
 わたしはパイプ椅子にぐったりと腰を下ろした。けっきょくなにも発言できなかった。わたしにもひとつ、気づけたことがあったのに。
 あの巻島という肥った女の人は、『狩人』という役職の名前を憶えていなかった。
 光る液晶モニタに目をやる。
【あなたは 村人 です。特殊能力はありません】
 そう表示されている。おそらく、狩人のモニタには【あなたは 狩人 です】と表示されていることだろう。であれば、役職名を失念するのは考えづらい。
 巻島みどりは、狩人ではない。
 天井からノイズが振ってきた。そして、権堂の声。
『一日目の夜パートを開始します。まず、処刑する人を投票で決定してください』
 わたしは、ためらいなく、巻島みどりの肥った顔をタッチし、右下に現れた『決定』のアイコンに触れた。すべての顔写真画像が網がけで暗くなり、その下に 『巻島 みどりに投票しました』というメッセージが表示される。
 なにも起きない。
 そうか、全員が投票するまでは処理は止まったままか、とわたしは思い至る。
 十四人の顔画像の真ん中、野島優香の幼い顔をじっと見る。彼女の最後の言葉が、わたしには痛いほど理解できた。わたしだって、できればさっさと脱落して しまいたかった。役職なしなのだから、責任も軽い。わたしより頭の良さそうな――あの外山さん、高橋さん、良月さんみたいな人達が頑張ってくれれば。
 でも。彼らもまた、味方である保証はどこにもないのだ。それを思うと、心臓がかかとまで沈んでしまったように感じられる。やっぱり、こんなところ来なけ ればよかった。
 ピピッ。液晶画面から電子音が聞こえた。画面が切り替わり、リストが現れる。

 投票者      投票先
 青森 いずみ → 野島 優香
 宇野 真樹  → 巻島 みどり
 榎田 修   → 巻島 みどり
 桜坂 良子  → 野島 優香
 相馬 元雄  → 野島 優香
 高橋 義郎  → 巻島 みどり
 外山 礼   → 野島 優香
 土岐 稔   → 巻島 みどり
 野島 優香  → 外山 礼
 巻島 みどり → 高橋 義郎
 丸尾 裕仁  → 巻島 みどり
 光山 浩介  → 野島 優香
 六木 俊雄  → 外山 礼
 柳 小春   → 野島 優香
 良月 二朗  → 巻島 みどり
 再投票を行います。

 投票先がいちいち表示されるのか、とわたしはぎょっとする。野島優香も、巻島みどりも、この画面を見て肝が冷えたことだろう。
 ……再投票?
 スピーカーから権堂の声。
『得票数一位が同数で二人いましたので、再投票を行います。投票先を変えても変えなくてもかまいません。二回連続でまったく同じ再投票となった場合には、 臨時に昼のパートを延長しましてみなさまにもう一度話し合っていただくことになっております』
 なるほど、数えてみれば野島優香と巻島みどりの得票は六対六で同数だ。それと、外山に入っている二票が気になる。巻島みどりが高橋に入れているのは、理 路整然とやりこめられて自分が脱落させられそうになったことへの恨みから、だろうか。
 と、画面が切り替わり、再び顔写真のアイコンが十四人分表示された。
 わたしは少し考えたが、巻島の顔をタッチして決定を押した。他人のことを言えた身分ではないが、あの女は感情的すぎるし、どうも気にくわない。たとえわ たしと同じ『村人』チームだとしても、生き残ったらこの先めちゃくちゃなことばかりやりそうだ。
 そんなことを考えて、ゲーム上とはいえ『処刑』する相手を選んでいる自分が、少し怖くなった。わたしもだんだんと雰囲気に呑まれつつあるみたいだ。
 画面が再び切り替わる。ひどく暗いので、それだけで部屋の中が明るくなる。

 投票者      投票先
 青森 いずみ → 巻島 みどり
 宇野 真樹  → 巻島 みどり
 榎田 修   → 巻島 みどり
 桜坂 良子  → 野島 優香
 相馬 元雄  → 巻島 みどり
 高橋 義郎  → 巻島 みどり
 外山 礼   → 野島 優香
 土岐 稔   → 巻島 みどり
 野島 優香  → 外山 礼
 巻島 みどり → 野島 優香
 丸尾 裕仁  → 巻島 みどり
 光山 浩介  → 野島 優香
 六木 俊雄  → 巻島 みどり
 柳 小春   → 野島 優香
 良月 二朗  → 巻島 みどり
 巻島 みどりは処刑されました。

 処刑されました。その一文が、ぎらついて見える。背筋がぞくりとした。ゲームだ。ゲームなのに。
『投票が終了しました。引き続き、役職を持つ方はそれぞれの対象指定を。また、「人狼」チームの方々は、話し合いの上、喰い殺す対象を決めてください』
 喰い殺す。
 権堂はわざと不穏当な言葉をルール用語として使っているのだろうか。浜町も、わたし達がおたおたするのを楽しんで高みの見物を決め込んでいる風だった。 たしかにいい見世物だろう、借金を巡って、大のおとなが十五人も顔をつきあわせてゲームに必死になる姿は。
 ここで狼に喰われてしまえば、楽になる。
 自分が選ばれることをわたしははっきりと望んだ。もう、借金もどうでもよくなってきた。ここから、この部屋から、このふざけたゲームから、早く抜け出し たかった。
 しかし、甲高い電子音とともにみたび切り替わった画面を見て、わたしは落胆する。
 そこには、十二人の顔写真が並べて表示してあった。巻島みどりの画像は、墓石の絵に置き換えられている。死亡、つまりゲーム脱落、の意味だろう。墓石は もう一つあった。右端、青森いずみの顔が消えていた。
 つまり、喰い殺されたのはわたしではない。
 画面が変わってからも、しばらくスピーカーは沈黙していた。ブザーも鳴らない。ノブを試しに回してみたが、ドアも開かない。わたしは不意にぞっとする。 主催者側の手違いかなにかで、閉じこめられたらどうしよう――こんな暗くて狭い部屋に。
 膨れ上がった不安を抑えきれず、わたしはノブを何度も回し、押し引きし、ついにはドアを拳で叩き始めた。そのとき、ブザーが鳴る。ロックが外れる感触。
 背後で、二日目の開始を告げる権堂の声が聞こえた。わたしはかまわずドアを押し開いて部屋を出た。ホールにつながる二枚目のドアが開かない。震える手で ノブを右に左に右にと回してから、一枚目を閉じないと開かないのではないかと思い至った。後ろのドアを蹴飛ばして閉めると、ロックの音は二つ、前後から聞 こえた。下りる音と上がる音だ。
 わたしは溺れた人間が空気を求めて水面を目指すような思いで、ドアを押し開いた。





       ・二日目 (生存者13)

 わたしが最初ではなかった。すぐ左隣のドアが開いていて、そこからホールに駆け出してきた人影の背中が見えた。水色のヨットパーカーのフードが目に付 く。土岐稔くんだ。
 彼は振り向いて、わたしに気づくと、顔を赤くして視線を伏せた。それでわたしは、ふと彼の考えていることがわかった。
「……閉じこめられたかと思っちゃって」と、彼が言った。わたしたちは顔を見合わせた。彼は少し笑った。わたしもぎこちない笑みを返せたかもしれない。
 部屋の隅に立つ進行役の黒服二人の視線に気づき――もっとも、サングラスをしていたから視線はわからないのだが――わたしと土岐くんはまるで示し合わせ たみたいに咳払いしてソファに向かった。クッションに深く腰を沈めたとき、ドアがばらばらと開いて、参加者達がホールに出てきた。わたしは少しリラックス している自分を発見した。出てくる人の顔をうかがう余裕さえある。向かいのソファにどかりと腰を下ろした、頭の薄い六木という男は、あからさまに不機嫌そ うだ。長髪眼鏡の高橋さんは大股でソファの円の真ん中を通って、土岐くんの隣に座った。良月さんはドアから出てすぐのところで首を巡らせて部屋中を見回し ている。色黒で筋肉質の彼がそうしていると、魚の群れを探している漁師みたいだ。外山さんはさっと腰を下ろして髪をかきあげ、脚を組むと、先に席に着いて いたわたし、その隣の土岐くん、それからたぶん高橋さんにも、油断なく視線を浴びせた。
 全員が着席しても、空いているソファが二つあった。
 巻島みどり。青森いずみ。
「……まさか脱落したらずっと個室に閉じこめられるんじゃなかろうな」
 そう言ったのは、この部屋でもおそらく最年長と思われる、ほとんど総白髪の老人だった。たしか、一日目にはなにも発言していない。丸尾裕仁、だったか。
「おい。どうなんだ」
 丸尾老人は、黒服を振り向いて質す。
「脱落した方は、すでに退室していただいております」と黒服の一人が答えた。複数人がほっと息をつくのが聞こえた気がした。
「あーあーあー、それでさっき、だいぶ間が空いたのかあ」
 榎田がピアスをした耳たぶをいじりながら、間延びした声で言う。なるほど、と思った。
「それより、おい、あんたら!」
 六木が、頭髪の薄い額に青筋を立てて声を荒げた。わたし達参加者ではなく、部屋の隅の黒服に向かって言っている。
「投票結果があんなに詳しく出るなんて聞いてないぞ!」
 そういえば。だれがだれに入れたのかがはっきり出てしまうとは、わたしも思っていなかった。六木の怒りには、スピーカーが応えた。
『申し訳ございません、当方の説明不足でした。投票の結果は先ほどご覧になったような形で毎回発表されます』
「主催者さん。せっかくだから確認したいことがある。質問はかまわないよな?」
 外山さんが、前を――わたしと土岐くんの間あたり――を見たまま言った。
『ゲームのルールに関することならお答えします』と権堂。
「投票が二回連続でかち合ったら、また話し合いの時間を設けると言ったな。しかし、どんどん脱落していって人数が少なくなったら、投票結果が同じ均衡状態 でえんえん繰り返されるような事態にもなるんじゃないのか? そういうときにはどうするんだ」
『あり得ることですな。千日手になりそうだと当方が判断した場合は、次の投票で同数未決であればゲーム強制終了、との宣言をこちらから出します。そして最 後の投票を行い、そこでも同数未決であった場合はゲームは強制終了し、生き残りがどうなっているかに関わらず、「人狼」チームの勝利といたします。ただ し、ゲームの上では引き分けですからな。こうなった場合は、完全勝利ではないと判断し、勝利した「人狼」チームの負債も、半分しか減らない、とします』
「へえ? どうして」と、変わらぬ調子で訊く外山さんの言葉にかぶせて、「ちょっと、それひどいじゃないの、一方的に狼チームだけ有利だなんて」とわたし のすぐそばでヒステリックな声があがる。柳小春だ。
『勝敗を確実に決するためのやむを得ない措置とご了承ください』
 権堂の声はいきなり冷たくなる。
「まーまーいいんじゃねえの。そんなに有利じゃねえだろ。どう見ても狼不利だよこのゲーム。気にするなって」と、榎田さんが言う。隣でそんなことを言われ てかんに障ったのか、柳小春が腰を浮かせる勢いで食ってかかった。
「あんたよくそんなのんびりしたこと言えるね。だれが狼なのかもわからないのに、もう二人も減っちゃったじゃない、どこが狼不利なのよっ。あ、あんたが、 まさか、狼側だから、自分が得すると思ってそんな」
「おーいおいおいおい落ち着けよおばさん。俺なにもそんなつもりで言ってねえって」
 榎田さんが手を振って否定するが、まだその態度にはふざけたにおいが残っている。
「やめろよ」と良月さんがたしなめた。「えーと、あんた、柳さんだっけ、あんたも取り乱すな」
「ふンッ。ずいぶん杜撰なゲームね。こんな、始まってから聞いてもいないルールがぽろぽろ出てくるなんてさ」
 柳は、どすんと音を立ててソファに座った。
 気まずい沈黙の中、榎田さんだけがにやにや笑っている。
 この人が、狼チームの一員? そうかもしれない、とわたしは思う。なんでもない言葉の端々に出てしまうものだ。逆に、この柳というおばさんは大丈夫かも しれない。いや、こういう感情に負う部分で判断するのは危険なことだろうか?
「今のとも少し関係あるんだけど」
 沈黙を破ったのは、わたしの右手の方に座っていた、文学少女といった趣の小柄な女性だった。髪はこざっぱりと短く、度の強そうな眼鏡をかけ、若いのか年 を食っているのかよくわからない顔をしている。桜坂良子だ。
「私、狼チームがだれなのか見つける方法思いつきました」
 一同、呆気にとられている。それはそうだ。わたしもにわかには信じられない。見つけだす方法?
「ほんとに?」と、ようやく外山さんが受けた。
「ええ。確実ではないけど。ゲームの、いわば外の要素で判断できるんです」
「へえ。それは面白い。聞きたいな」
 外の要素? と疑問に思うが、わたしも身を乗り出すだけで、口をはさまない。なりゆきで、桜坂さんが外山さんに向かって説明する、という形になりつつ あった。
 桜坂さんは眼鏡を一度はずしてから息をつき、かけなおすと、外山さんをまっすぐに見て話し始めた。
「そもそも、最初に主催者が言いましたよね。各チーム間の人数の不均衡が、このゲームを選んだ理由だって。その意味が、さっき個室にいるときにわかった気 がしたんです。その前に主催者が、参加者の間で負債額の格差がかなりあるって言ってたから」
 あっ、と声をあげたのは、良月さんだった。外山さんの表情も一変している。今の説明でわかったらしい。わたしにはさっぱりわからなかったので、思わず 「どういう……ことですか?」と口を挟んでしまった。
「リスクとリターンを同じにしてあるってことだよ。わからないか? このゲームを紹介されたときの説明は、借金がゼロになるか倍になるかのフィフティ・ フィフティ、だった。勝ったチームの借金総額を負けた人間がかぶる、そういうゲームだ。言い換えれば、人数の少ないチームに所属している人間は原理的にリ スクが非常に大きくなっているってことだ。かぶる金額を分担する頭数が少ないんだからな。これを逆に考えてみればいい。つまり」
 外山さんの言葉を、その隣の六木が引き取った。
「狼は借金が多い連中の集まりっちゅうことか」
 ようやくわたしにもわかった。発端となった桜坂さんがいくぶん意気込んで言う。
「そうなんです。だから、負債額によって所属チームがわかると思うんです。わたしは村人で、四百万円」
「ちょっと待って桜坂さん!」
 外山さんがほとんど立ち上がりかけて、制止しようと伸ばした手を、やがて力なくがっくりとひざに落とした。部屋中の視線が外山さんに集まる。
「どう……したんですか?」と桜坂さんが青い顔で訊ねる。
「……いや。もう遅いな。負債額を、言っちゃだめだったのに。もう全員が聞いちゃっただろう? 手遅れだよ。狼チームの人間も、桜坂さんのその金額に合わ せて嘘をつけばいいだけだ。俺も五百万くらいだけど、ほら、もうなんの判断材料にもならないだろう?」
「あ、ああ……」桜坂さんは呆然と肩を落とす。
「それぞれ紙に書いて一斉に見せる、とかすれば、いい手だったのに」
 外山さんもまた落胆の色を見せる。
 わたしは正直、ついていけなかった。頭の回転が違いすぎる。言っていることはいちいち筋が通っているのだけれど、どうしてこんな状況であんなことを次々 思いつけるのだろう。外山さんも、桜坂さんも。
「私も五百二十万ですよ」
 ぽつり、と言ったのは、今までずっと口を閉ざしていた光山という目立たない男だった。市役所の受付の奥で一日中咳をしていそうな、不健康な顔色をした四 十歳くらいの男だ。
「四百五十万。おい、やめようぜ。外山の言うとおりだ、なんの役にも立たないんだろ、これは」と良月さんが言う。「主催者さん。今この桜坂って人が言って たのは、あたってるのか?」
 良月に訊ねられ、進行役の黒服の二人は顔を見合わせた。両方とも答えられず、かわってスピーカーから権堂の声が降ってくる。
『ゲームのルールに関すること以外のご質問にはお答えかねますな』
「だとさ」と良月さん。
 でも、わたしは内心、ほっとしていた。桜坂さんの推測が当たっていれば、少なくとも桜坂さんはわたしと同じ村人チーム、味方だ。疑わなくて済む。それ に、あの推測は筋が通っている。たとえ主催者からのお墨付きがもらえなくとも、かなり信頼できる指針になるのではないだろうか?
 しかし、わたしのそんな甘い考えはすぐに冷水を浴びせられた。
「あなた、よくそんなこと考えつきましたね?」
 よく通るくっきりした声は、高橋さんのものだ。みんなが振り向く。
「ああ、いえ、特になにか意見があるわけじゃないのですよ」注視されたことに少し戸惑ったのか、高橋さんは首を振り、ぼさぼさの長髪をかきあげて、眼鏡を ずり上げた。
「これはあくまで仮定の話です。このゲームでは仮定の話しかできません、そこをまずみなさんわかってください。つまりね、桜坂さんの言った四百万と同じく らいの借金額でほっとしている村人チームの方々、その安堵はいつか自分の首を絞めるかもしれませんよ、ということです」
 どきり、とした。見透かされたみたいだ。
「なにが言いたいんですか?」と桜坂さんがきつい口調で訊いた。わたしにも、高橋さんの言っていることがよくわからなかった。
「あなたが狼チームの人間で、さっき言った仮説は狼チーム全員で話し合った上の奸計かもしれない、ってことですよ。うっかり自分の借金がいくらか漏らして しまって、けっきょくこの案が使えなくなった――ように見えましたけれど、実はうっかりではなくわざとかもしれない。少ない金額で申告してね」
「そんな、そんなことしません。私」
「僕も、そんなことをあなたがしたとは言ってません。すべては推測です。そういう仮説も成り立つ、だから、なにかを盲信してはいけない、とみなさんに呼び かけているだけです」
「まあ、事実として」
 光山さんが、ぽつりと言う。そちらを向くと、目をつむって腕組みしていた。
「桜坂さんの発言によって、借金額で狼をあぶり出す、という手は使えなくなったわけですな。それも実は意図的だったかもしれない、わからない、うむ。他の だれかがいずれ考えつくかもしれない方法を、先手を打って潰しておいた……わからないなあ、うむ。私も実は、桜坂さんだけはどうやら村人確定か、と思って 安心してしまったクチだが、高橋さんの言うとおりですな。うむ。反省しますよ」
「そんなに私を狼に仕立て上げたいんですか?」と、桜坂さんは怒りをあらわにする。最初は冷静な人だと思っていたが、なんだか一日目に投票で殺されてし まった巻島みどりを思い起こさせる。
 じゃあ、逆に言えばこの人は村人確定だろうか? とも思うが、口に出せなかった。なんとなく場の雰囲気が、桜坂さんに嫌疑をかける流れで動き出しつつ あった。擁護めいたことを言ったらわたしも疑われそうだ。
「じゃあ、じゃあ、占い師の人、次の夜のパートで私を占ってください。それで証明できます」と桜坂さんは早口で言うが、すぐに良月さんに突っ込まれた。
「狂人、っていう役職があっただろう。あんたがそれなら占いには引っかからない。なんの証明にもならねえよ。それに、あんたが狼だなんてだれも言ってね え」
「そんなことはわかってます!」
 桜坂さんの耳に刺さるような高い声に、何人かがそろって顔をしかめた。たぶん、わたしも。
「でも占い師さんは名乗り出るべきだと思います、そうして、処刑する人と占う人を毎回二人ずつだれにするかきっちり話し合って、なるべく怪しい人から狼候 補を潰していかないと、負けますよ」
「それはもっともだけど」と、外山さん。「桜坂さんの言うことは、べつに占い師が名乗り出なくてもできるよな」
「あ……」
 桜坂さんの顔色は一気に蒼白になった。わたしは心中、顔を覆いたくなった。なんだかもう支離滅裂だ。やっぱりこの人は、占い師をあぶり出そう とあせって自爆した狼?
「桜坂、桜坂さんだったね、わ、私はあんたに投票するよ、前回と同じ理屈だ、そうだろ?」
 バーコード頭の六木が、桜坂さんを指した指をぶるぶる震わせて言った。
「そうね。決まりかしら」
 わたしの右隣で、柳小春がだみ声で言う。
「いや、待って。結論を急いじゃいけない」と外山さん。この人は取り乱すということがないのだろうか。「桜坂さん、あなたの言ってることはもっともだ。占 い師と処刑で二人ずつ狼候補が減っていくんだから、怪しい人間を優先的に挙げていくというのは有効だよ。桜坂さんの意見を聞きたい、だれから占うべきだと 思う? 感情的にならず、自分を占え、なんて益のないことも言わないで」
「こいつの意見なんて今さらどうでもいいんじゃねの? 外山さん」
 榎田さんが言う。脚を投げ出しただらしない格好をして、ピアスをした耳をぽりぽり掻いている。
「あれ。でもこいつが狼チームだとしたら、仲間から目をそらすようなことを言うのかな。それを逆手にとって……それもさらに逆手に……あー、混乱してき た」
「なんでもいい、桜坂さんが意見を言えるうちに聞いておきたいってだけだよ。情報はあればあっただけ役に立つ」と外山さんは答える。
 意見を言えるうちに。
 それは言外に、次の夜パートで桜坂さんが処刑されるであろうことを言っているのだろう。
「しかしな、この人が『狂人』ってやつなら」良月さんが隣の桜坂さんを親指で示しながら言う。「場を混乱させるだけの、役に立たない意見を言うかもしれね えぞ」
 それから良月さんは、ついと振り向いて後ろの黒服に言った。
「おい、確認しときたいんだがな、『狂人』てのは狼チームがだれだかわからないんだよな?」
 黒服の一人は無表情にうなずいて答えた。
「勝利条件が狼チームの勝利であるという他は一切、普通の村人と同じです。『人狼』チームがだれかを知ることはできません」
「逆もか。狼も、だれが狂人かわからない」
「はい」
「だとさ。なら、正真正銘の戯れ言吹いて掻き回すだけかもしんねえ」良月さんは外山さんに向き直る。
「それでもなにかの参考にはなりますよ。桜坂さん。だれを疑うべきだと思う?」
 外山さんに再び水を向けられた桜坂さんは、目を伏せ、逡巡し、顔を上げた。
 彼女の細い手がゆっくり持ち上がり、外山さんを指さす。
「まず、あなたです」
「なるほど」
 外山さんは無表情にうなずいた。
「ねえ、なんなのよそれどういうこと? あんた、この外山さんにやりこめられたからって逆恨みしてるわけ」と柳小春がいやらしい口調でからみだす。
「そうじゃありません。ただ、場の話し合いが外山さん中心に回ってます。もし外山さんが狼チームだった場合、いいように意見を統制されてあっという間に負 けます、それだけは防がなきゃいけない。みなさんは、ちょっと場の雰囲気に流され過ぎです。もっと自分の頭でよく考えてみてください。昨日の巻島さんの処 刑は、私は愚行に思えました。野島さんが言うように、ゲームに慣れていなくて先走ってしまった、なんらかの役職持ちだったかもしれないのに、村人だと自ら 宣言している野島さんより先に処刑するなんてあり得ません。でも、外山さんを占わずに処刑するのは反対です、やっぱり頼りになりそうだから。だから、だか ら、まず外山さんを占うべきだと思います」
「俺もそう思うね」
 当の外山さんが最初に同意するのだから、この人の肝の据わり方は半端ではない。
「そんな顔するなよみんな。俺がもし狼だったりしたらえらいことだ。もともと喋るのが商売だからこうやってついしゃしゃり出てしまうけど、その気になれ ば、桜坂さんのこういう意見だけ恣意的に封じ込めて世論操作みたいなことができるんだ。信頼してもいいけど信用しちゃだめだよ、このゲームじゃ」
「なら、俺も占ってくれねえかな」
 そう言ったのは良月さん。たしかに、この二人が飛び抜けて発言が多い。
 でも、とわたしは思う。
「ほんとうの狼チームなら、外山さんみたいにべらべら喋らず、目立たないように潜伏してるんじゃないかな……」
 ふと、静かになってしまったのに気づき、わたしははっと顔を上げた。外山さんと視線が合った。外山さんだけではない。みんなこっちを見てる。どうやら 思っていたことをつい口に出してしまったらしい。
「……たとえば、あなたみたいに? 宇野さんだっけ」
 外山さんが言う。
「え、ええ、ええ」
 わたしはいっぱいいっぱいになって、口ごもりながら顔の前で手のひらを振った。
「そういう裏の裏の裏の……と言い出したら、きりがないんじゃないかな」
 と、これは今まで黙っていた丸顔の肥ったおじさん。相馬元雄さんだ。わたしの意見に多少うなずけろところがあって、なにか一言喋っておこうと口を挟んだ のかもしれない。
「その通りだがな。さしあたって投票はどうするよ。俺はやっぱりこの眼鏡の姉さんに入れるよ」と、良月さんは桜坂さんをまた親指でつつく。「狼は潜伏す るっつうけどさ、役職持ってる人間だってやっぱり潜伏するだろ。目立たないようにさ。とくに狩人なんて絶対名乗り出ない役だぜ。目立たないやつから処刑、 なんてしてたら危険すぎる」
「私もそれでいいです。もう、言うべき事はみんな言いました」
 青ざめた顔で、桜坂さん当人が言った。
「ただの村人だから大きな被害はありません。無理に処刑で狼まぐれ当たりを狙うより、占い師の確実な」
 ブザーが鳴り響いた。押し潰されるような音の下で、桜坂さんが口だけをぱくぱく動かす。黒服が二人、円座に割って入ってきた。
 二日目の昼が終わった。
 一日目よりもはるかに話し合った内容は多かったけれど、その実、なにも進展していない……そんな不安を抱えながら、わたしは個室に戻った。
 だれに投票するべきだろう。
 モニタの光を顔に浴びながら、ぼんやり考える。なんとなく、桜坂さんは気にくわなかった。たしかにわたしは愚かかもしれないけれど、ああいう自分だけは 頭が良くて、まわりの人間は導いてやらなきゃいけない、みたいな考え方の女の人は好きではない。
 気づくとわたしは、桜坂さんの顔色の悪い画像アイコンを押していた。右下に現れる決定アイコン。いいのだろうか、こんな感情的な理由で選んで。
 思い直した。気にくわない人であっても、言っていることは正しい。すでにゲームに参加する意識を失っている――わたしも半ばそうだが――野島さんが先に 脱落するべきだろう。
 野島優香さんを選択して、決定をタッチした。すぐに画面が切り替わった。どうやらわたしが最後だったらしい。

 投票者      投票先
 宇野 真樹  → 野島 優香
 榎田 修   → 桜坂 良子
 桜坂 良子  → 野島 優香
 相馬 元雄  → 外山 礼
 高橋 義郎  → 外山 礼
 外山 礼   → 野島 優香
 土岐 稔   → 桜坂 良子
 野島 優香  → 桜坂 良子
 丸尾 裕仁  → 桜坂 良子
 光山 浩介  → 野島 優香
 六木 俊雄  → 桜坂 良子
 柳 小春   → 桜坂 良子
 良月 二朗  → 六木 俊雄
 桜坂 良子は処刑されました。

 処刑されました――のメッセージを、わたしはじっと見つめる。気持ち悪い。やはりこのゲームは気持ち悪い。
 権堂の声がスピーカーから流れ、狼チームと能力者へ決定を促す。
 わたしは画面の投票結果を指でたどった。外山さんにも二票入っている。やはり、桜坂さんの最後の言葉に動かされたのだろうか。それから、おや、と思った のは、良月さんの投票先だった。六木俊雄に入れている。六木はなにか目立ったことをしていただろうか? 頭髪の薄い癇癪持ちだったのは憶えているが……
 投票先は、実はものすごく重要な情報ではないだろうか、とわたしは気づく。なぜなら、投票先では嘘がつけないからだ。人数が多い序盤はまだいい、しかし ゲームが進み一票の重みが増していけば、口ではなんと言葉を弄そうとも、投票先にはその人の真の意思が表れる。
 高橋さん、相馬さん、それから良月さん。
 わたしはこの三人の名前を記憶した。投票先が目立っている。野島さんと桜坂さんに入れた人までは憶えきれないし、憶えなくてもいいだろう。
 と、画面が切り替わった。
「あれ?」
 わたしは思わず口に出していた。
 顔写真アイコンが横一列に並ぶ。そのうち、墓石の絵に入れ替わっているものは、三つ。青森さん、巻島さん、桜坂さん。
 三人?
 狼チームが喰い殺す人は?
 なにかの不具合だろうか、と画面をなでたり叩いたりしてみるが、タッチパネルは正常にわたしの指を認識している。
 そういえば。狼チームによる殺しが妨害されることもあるんだっけ、と思い出した。狩人、だったか。あとまだなにかあったような……
 ロックの外れる音がした。
 立ち上がる。なんにしろ、味方が減っていくのが抑えられたのはいいことだ。正直、今の村人の状況はかなり絶望的なのではないかという気がする。なんの手 がかりもない。
 桜坂さんは、たしかに言うべきことを言って処刑されてくれた。
 一人一人が、もっと考えて、行動しなければ――
 わたしはドアを開いた。





       ・三日目 (生存者12)

 まだ全員がそろっていないうちから、青黒い顔をした痩せぎすの中年男が進行役の黒服に向かって言った。
「その、訊きたいことが色々あるんですが」
 そう、光山さんだ。自分からあまり発言しない人は忘れそうになる。
「今、だれも喰い殺されなかったですよな。で、たしか狐を狼が殺そうとしたときも失敗するんでしたな。狩人の護衛が成功してだれも死ななかったのと、狐を 狙ってだれも死ななかったのと、なにか区別できる方法はあるんですかな」
 黒服は首を横に振った。
「単純にだれも死なずに昼のパートになるだけです。区別できる表示はなされません」
「狼チームにもわからない?」
「判別できません」
「処刑されたのが狐だった場合、墓守にはそれがわかるのですかね」
「墓守は、処刑された人が『人狼』チームであったか否か、しかわかりません」
「もうひとつ。占い師が狐を占うと即座に脱落、とのことですが。これはどんな処理になるんですかな」
「『人狼』チームに喰い殺された方と同じように、ただリストから名前が消えて、昼パートに参加することなく脱落します」
「なるほど。しかし、一回の夜パートで喰い殺される人間が二人出たら、その片方は確実に狐、ということになりますわな」
 黒服はしばらく考えていたが、やがてうなずいた。答えていい質問かどうか迷っていたのだろう。
「どちらが『妖狐』かはわかりませんが、いずれかはそうであることが確実です」
「わかりました、いやいやわざわざありがとう」
 光山さんは振り向いてソファに戻ろうとし、そこで自分に集まっている視線に気づいてぎょっとした。
 照れ笑いをしながら腰を下ろす。
「は、は、いや、気になったものでしてね、まとめて質問してみました。どうやら、まるでなにもわからない、ということらしい」
「いや、俺もドアが開く前に気になって気になってしょうがなかったんだ。ありがとうよ光山さん」と、良月さんが言う。「狩人の護衛が成功したのか、狐を間 違って喰おうとしたのか、どっちかってことだな」
「狐じゃないかしらね。護衛した人にぴったり当たる確率なんてすごく低いでしょ」と柳小春が言う。何人かがうなずいた。
「まあ、予断は禁物ですよ。それに、正直今は狐を気にしているときじゃない」
 高橋さんが、両手を組み合わせてぐっと身を乗り出した。
「僕は、もう占い師は名乗り出るべきだと思う。狼を見つけている、見つけていないに関わらずね」
「あんた、たしか一日目に、占い師名乗り出ろって言ったやつを狼かもしれないってつるし上げてなかったか」
 眉をひそめて良月さんが言った。
「一日目と状況がちがう。もう三人減ってます。僕が恐れてるのはですね、すでに占い師が占ってしまって安全確実な人を処刑してしまうという非効率な事態で す」
「占い師がもう食べられちゃってるのがもっと怖いな……」
 ぼそっと隣で声がした。土岐くんだった。ひときわ幼い声なので訊くとなんだか不思議な気持になる。視線が集中しているのに気づいたのか。顔を赤くした。
「あ、ごめん、なさい。言ってみただけです」
「それは俺も怖いな」と外山さんがうなずく。「まあ、処刑された野島、桜坂、このお二人はまず違うだろう。初日に喰われてしまった青森さんが占い師だった 場合は最悪だが……高橋さんの危惧ももっともだけど、それは占い師が名乗り出なくてもなんとかなることだよな。前回も言ったが。処刑する人と占う人の予定 を立てておけばいい」
「ま、そういうことですが」と高橋さん。
 そこでいったん沈黙がおりる。
 なにを基準にすればいい? なにをとっかかりに疑えばいいのか。
 そこでわたしは、ふと、あのことを訊いてみることにした。
「あの、良月さん」
「ん?」
「さっき、投票で六木さんに入れてましたよね。あれはなにか理由があるんですか」
「ああ、あれな」
 良月さんは険しい顔になった。わたしはちょっと引いてしまう。何気なく訊いただけだったのに、まずいところを踏んづけてしまったのだろうか?
「えーと宇野さん、だっけ。あんた投票先チェックしてるんだな。みんなもなるべく憶えておいた方がいい。俺が六木を疑ったのは、一日目の投票先が理由だ」
「な、なんだね」と、六木が膝の上でもじもじ両手をすりあわせる。
「あんた、再投票の前に外山さんに入れてたよな。憶えてるよ。そして再投票で巻島に入れ直した」
「だから、なんだというんだ。それに外山さんに入れたのは私だけじゃないぞ、たしかもう一人」
「野島さんな。その話はあとでしよう。俺があんたを本格的に疑ったのは、そのあとホールに出てからだよ。ずいぶんな態度で、『投票先が表示されるのか』っ て主催者側に食ってかかってたよな。なにをそんなに焦ってた?」
「それは。それは、事前説明が不十分だったからだよ。私が外山さんに入れたのは、なんとなく全員の意見を操作しているような気がして鼻についたからで、特 に意味はない。おい、こんなどうでもいいことで疑われるのは心外だ」
「まあ、なんとでも言えるわな」
 良月さんは、六木俊雄の反論を遮ってわたしに向き直った。
「投票先は重要な情報だってことを言いたかったから、敢えて六木に入れたってことだ」
「野島さん、あなたはなんで一日目に俺に入れたの?」
 唐突に、外山さんが野島さんに話を振った。縮こまっていた野島さんは跳び上がらんばかりに驚いたみたいだった。
「えっ、あっ、あのっ、あれ、あれは。投票放棄のつもりだったんです。外山さんなら、その、たぶん他にだれも入れないだろうから、間違いが起きないだろ うって思って」
「なるほどね」外山さんはにっこり笑った。「じゃあ、高橋さんと、えーとそれから相馬さんにも、理由を訊きたいな。二日目、俺に入れた理由」
「なんだ、あんたも憶えてたのか」と良月さんが言う。なんだか口調が少し嬉しそうだ。
「憶えてますよ。前回、俺と宇野さんと光山さんが、桜坂さんじゃなくて野島さんに入れたのも憶えてます。そういうのは得意なんだ。えーと、高橋さん?」
「僕ですか。僕は、なんとなくあなたが気にくわないから入れました、ではだめですかね? 桜坂さんが最後に言ったことが引っかかっていたのもありますが」
 わたしは土岐くんの肩越しに高橋さんの顔をうかがった。なぜか眼鏡を外している。ぼさぼさの髪に右手を突っ込んで掻き回している。
「たしかに外山さん、あなたは喋りすぎです。もちろん、あなたがいなければなんにも話が進まずにゲームがなんとなく狼の勝ちで終わってしまうのかもしれま せんけれどね」
「否定はしないよ。じゃあ相馬さんは?」
「いやあ。私もね、あのお嬢さんになんだか発破をかけられてね。外山さん、おたくを中心に話が進んでるようだけど、その、反対勢力っていうかね。話し合い にはほら、対立意見が必要だと思ってね。特におたくを疑う理由があった、というわけじゃないんだ」
 相変わらず相馬さんは丸顔をにこにこさせながら答える。
 外山さんは、うん、うんとうなずいた。
「たしかにね。俺は実はもう今日の投票先を決めた。占い師が名乗り出てくれば話は別だが……出てこないとなると、まだ潜っていると判断したのかな。まあそ れはいいけど、でも、俺が投票先をここで口にするのも情報操作くさいしさ」
「なによ今さら。言いなさいよ」と柳小春が口を尖らせる。
「六木だろ」
 そう指摘したのは良月さんだった。六木が茹で蛸のような顔をして立ち上がった。
「おい、ふざけるなよ。あんた、良月、あんたが狼だな。それで外山はサポートしてる狂人か。チーム全員生き残ってるってんで、意見を誘導してさっさと終わ らせようってのか。外山、あんたに投票してるひまはなくなった。俺は良月に入れる」
「なんで俺なんだ。おい、六木、あんたが疑わしいのにはちゃんと理由があるんだよ。切れてねえで座れ」と良月さんが言った。
「じゃあ俺も言っちゃうけど六木さん、あなたに入れるつもりだったよ。良月さんの言うとおりだ」外山さんもそれに続く。「疑わしいと思ったのはね。あなた が自分のゲーム脱落を恐れているのが見えたからなんだ。他に理由は一切ない。このゲームでは、ただの村人は自分が死ぬのを恐れる理由がないんだ」
「なに言ってんだ。狼が全員生き残ってるんだから、もう三対八だぞ。ぐずぐずしてられるか、チームの人数が減るのを恐れるのは当たり前だろが。意見が食い 違ったらどっちかが狼ってことだ、おまえらは狼側だ、俺は良月に入れる、次も生き残ってたら外山おまえだ」
「待って! 待ってください」
 甲高い声が、口喧嘩を断ち切った。
 ソファから立ち上がり、一歩前に出たのは野島優香さんだった。
「……自分の脱落を恐れてる、って、狼もそうかもしれないけど、でも、でも、狩人とか占い師もそうですよね。死ぬのを嫌がっているのを根拠に狼って決めつ けるのは」
「そうなん? 六木のおっさん」のんびりした口調で悲愴な空気を汚したのは榎田さんだ。
「答えるわけないでしょそんなことは……」光山さんが小さい声で言った。「それもそうか」榎田さんの声もつられて小さくなる。六木俊雄はいくぶん落ち着い たようだが、黙って良月さんをにらみ、まだ立ったままでいる。
「あの、で、ですから」
 野島さんが遠慮がちに言葉を続けた。
「わたしに入れてください。もう、わたし、限界です。早く出たいんです。ただの村人なんです」
「いや」
「ちょっと待てよ」
「でも」
 複数人が腰を浮かせてなにか言いかけたとき、けたたましくブザーが鳴ってホールの空気を牛耳った。わたしは思わず耳をふさいだ。
 野島さんの目には涙があった。彼女の気持ちがわかった。わたしも次にみんなに投票してもらってさっさと脱落してしまおうか、とまで思った。良月さんがな にか言いながら大げさな身振りをしていたが、黒服がやってきて扉の中に押し込んでしまった。
 わたしはふらついた足取りで自分の扉を目指した。
 二枚目の扉を閉め、ようやく訪れた静寂の中でパイプ椅子にしがみつき、しゃがみ込んだ。頭痛はまだひかなかった。なんてひどいゲームだろう。さっさと終 わってほしかった。
『三日目の夜パートを開始します。処刑する人を投票で決定してください』
 権堂の声。うるさい黙れ、とスピーカーに向かってなにかを投げつけてやりたかった。でも、そんなことをしても無駄だ。わたしは椅子の上に身体を引っ張り 上げる。
 五百万の借金があるのだ。
 忘れちゃだめだ。
 わたしの指はタッチパネルの上を長い間さまよった。野島さんを楽にしてあげたい気持は強かったけれど、それはなにも進展しない手だ。わたしの考えを、わ たしの意思を。
 決定を押したわたしは、変化のない液晶画面をじっと見つめて、発表を待った。

 投票者      投票先
 宇野 真樹  → 高橋 義郎
 榎田 修   → 野島 優香
 相馬 元雄  → 野島 優香
 高橋 義郎  → 六木 俊雄
 外山 礼   → 六木 俊雄
 土岐 稔   → 野島 優香
 野島 優香  → 外山 礼
 丸尾 裕仁  → 野島 優香
 光山 浩介  → 野島 優香
 六木 俊雄  → 良月 二朗
 柳 小春   → 外山 礼
 良月 二朗  → 六木 俊雄
 野島 優香は処刑されました。

 激しい脱力感が襲ってきた。
 けっきょく、野島さんは望み通り、部屋を出られたわけだ。脱落――いや、逃げ、か。六木にも三票入っている。次に吊られるのはやはり六木だろうか。
 ひどく長い間があった。喉が乾いてきた。画面は切り替わらない。狼たちが、じっくりと話し合っているということだろう。ずるい、とわたしは思う。一人で もいい、わたしの味方だということが確定している人を捜し出して、不安を分かち合いたかった。
 他の全員が、狼、あるいは狂人に思えてくる。
 ぎちゃっ。ロックが外れる音が、不吉に響いた。わたしはいつの間にか、腰を折って膝頭に顔を埋めていた。起き上がって画面に目をやる。
 五つの墓石。消えた顔は……野島さん、それからその左隣。丸尾さんだ。
 あまり発言をしない人から消えていっている。狼たちも、潜伏している狩人や占い師を喰ってしまいたいだろうから、当然かもしれない。気づけば、わたしと 同年代の女性は一人もいなくなっている。柳小春は――どうにも気が合いそうにない。
 いや、そういう好みを考えてはだめだ。
 冷徹に、ゲームの思考をしなければ。
 わたしは苦労して尻を椅子から引きはがすと、ドアノブを回した。





       ・四日目 (生存者10)

「あたしが墓守よ」
 柳小春のその言葉で四日目の昼パートが始まった。隣に座っていたわたしは、ぎょっとして彼女の白い横顔を見上げた。あまりのことに、最初に言おうと思っ ていた自分の意見がすっかり頭から消えてしまっていた。
「もう限界だから、言っちゃうわよ。ねえ、わかるでしょ? あたし達、圧倒的に不利よ」
「……柳さん。なんで名乗り出るんだ?」と、外山さんが口を開く。
「決まってるでしょ! もう占い師は死んでるのよ! たぶん、最初に殺された青森って人が占い師だったの、だっておかしいじゃない、前の喰い殺しが失敗し た時点で、狼チームは狐がだれかも見当をつけたのよ、もうあと一押しで勝てる状況まで来てるのに、それでも占い師が名乗り出ないなんてあり得ないわ。この 六木って人だって、たぶんただの村人よ、そんなの処刑してるひまはないわよ!」
「そりゃそうだがよ、墓守が名乗り出る必要はねえだろ――」
 そう言いかけた良月さんの言葉を遮って、光山さんが立ち上がって強い口調で喋りだした。
「そうですよ。おかしい。なんで今、墓守が名乗り出るんですか? そしてなんで六木さんの名前をいきなり持ちだしてかばうんですか。示し合わせて守ろうと したようにしか見えませんよ。柳さん。私にだけは、はっきりとわかる。あなたは狼だ」
 わたしはかなり驚いていた。事態の急転もそうだし、突然雄弁に語りだした光山さんの豹変にも、だ。
「なぜわかるのかって? 簡単です、私が墓守だからです」
 光山さんの言葉に、息を呑む音がいくつか続いた。
「たしかにね、私は言葉も足りてなかったし、後から言い出したら怪しいのも否定できないですよ。でも、今、たった今、私の中でだけは、確信ができた。柳さ ん、あなたが狼か狂人かはわからないけれど、ともかくあなたは敵だ」
「びっくり」
 柳小春は、目を大きく開いて光山さんの視線を真っ向から受けた。
「まさか、後から騙られるとは思ってなかったわ。でも、これではっきりしたわね。あたしか、光山さん、あんたか、どっちかは狼チームってこと」
「そういうことだね……」
 深いため息とともに、外山さんがそう吐き出す。
「光山さん。あなたも墓守だと主張するなら、今までの処刑された人、三人の調査結果を言ってもらえないかな」
「それは言いません」と光山さんは即答した。
「おーいおいおい光山さん自分から疑われるようなことしてどうすんだよ」と、榎田さんが素っ頓狂な声をあげた。「隠す理由ねえだろよう」
「ありますよ」
 光山さんはソファに腰を下ろした。顔色は輪をかけて悪くなっている。
「柳さんの言ってることはほとんど嘘だが、それでも、占い師がもう死んでいる、というのにはうなずける部分がある。なら墓守の情報が数少ない武器だ。私が 先に言ったら、柳さんがそれに追従するでしょう」
「それはあなたにも同じことが言えるんじゃないかな、光山さん」
 外山さんがきわめて冷静な声で言う。
「そうよ。馬鹿馬鹿しい。巻島、桜坂、野島、三人とも狼じゃなかったわ」あっさりと柳小春が言った。「で、あんたはあたしの言ったのと同じです、と言うわ けね。頭悪いわね。たとえあたしが狼でも、墓守がわかることは狼にはわかるのよ」
 それもそうだ、とわたしは思いかけたが、光山さんがすぐに言い返す。
「あなたが狂人だって可能性もありましたからね。まあ、三人とも狼ではなかった。それは私の情報でも一緒です。当たり前ですよ、三人とも自分からわざわざ 出しゃばって処刑された人達ばかりだ、墓守を騙った狂人だとしても、三人とも狼じゃないのなんて見当はつく」
「おまえさんが狂人かもしれない、とも言えるよな」良月さんが言う。「狼自身はそんなリスクの高いことはしねえような気がするから、偽物の方は狂人かもな あ」
「私がむしろ気になるのは柳さんが出てきた理由ですよ、六木さんのことを口にしてましたな。煙幕じゃないんですか?」光山さんは言って、それからせき込ん だ。
「俺がどう関係するってんだよ!」と、六木が声を張り上げた。
「これはあくまで僕の推測ですけれどね」
 高橋さんだった。場を一発でそちらに引き寄せる力が、その声にはある。
「光山さんの言いたいことはわかりますよ。柳さんが狂人だっていう観点に立ちましょう、六木さんは昨日の時点で処刑されていてもおかしくなかった。狼っぽ さが濃厚でね。さらに怖かったのは、六木さんが処刑された次の昼パートで、墓守が登場して六木さん狼説を証明してしまうことでしょう。そうすると、六木さ んの今までの言動がすべて狼としてのもの、という見方から、狼チームの残りが洗い出されてしまう――それだけは避けたかった。そこで偽の墓守作戦というわ けです。みんなの目を自分にもってきて六木さんの処刑を避ける、同時に、本物の墓守である光山さんをあぶり出せる」
「でもそれは……」
 わたしはそう言いかけて、高橋さんの眼鏡を外した鋭い眼光に射すくめられて口ごもってしまった。
「なんですか? 昨日、僕に投票した宇野さん」
「……い、いえ」
「言ってください。意見はどんなものでも参考になりますよ」
 投票したことを憶えていたのだ、とわたしは暗い気持になる。たじろぐな。ちゃんと喋るんだ。自分に言い聞かせる。高橋さんに投票したのは、わたしのはじ めての意志なのだから。
「柳さんが、偽物だっていう……仮定の上に仮定を重ねて、そこまで、言い切ってしまうのは、その……」
「情報操作っぽい、ですか?」高橋さんは視線を外さない。
 わたしは、糸の切れた操り人形みたいに、首をがくがく縦に振るしかなかった。
 ふん、と高橋さんは鼻で笑う。
「情報操作かもしれませんね。僕もね、もう占い師はとっくに脱落しているという推測は支持します。なら、仮説に仮説を積み上げるしかないでしょう? とも かく僕は六木さんに入れますよ、他に選択肢はない」
「情報操作じゃねえか! よく喋る野郎だ」
 六木の言葉はどんどん汚くなっている。これは疑われてもしかたがないな、と思うが、それよりも高橋さんへの疑念もまた消えない。どうしてこれほど冷静に いられるのだろう? それは、圧倒的優勢を、情報の多い側から眺められるという狼チームの余裕ではないのか?
「なあ高橋さんよ。あんたのその仮説が正しいとしてよ、どうして柳が先じゃねえんだ」と、良月さんが言った。「俺はこの頭に血が上りやすいやつが狼とはど うも思えねえ。それに、役職を名乗るやつが二人出てきたんだ。これは動かせねえ事実だろ。どっちかは偽物なんだ。柳が狼の確率のが高いだろがよ」
「狂人は狼をかばうかもしれませんが、逆はないでしょう」と高橋さんはすぐさま切り返した。
「狂人には狼がだれだかわかってないんだよ高橋さん」外山さんが至極もっともなことを言うが、高橋さんの余裕の態度は変わらなかった。
「知ってますよ。柳さんをここで処刑しないもう一つの理由は、本物かもしれないってことです。六木さんを処刑して、その判定結果を、二人の自称墓守に出し てもらいたいんですよ」
「なるほどね」
「あたしもべつに、そのはげのおっさんをかばったわけじゃないわよ」と柳小春がしれっとした顔で言う。「言葉尻を捉えられたみたいで嫌だわ。目立つような ことしてるから狼じゃなさそう、そんなのを処刑している場合じゃない、って言ったのに。狼に加えて、たぶん狐も生き残ってるのよ。目立たないようにしてる やつよ」
 そこで柳は、まずわたし、それから隣の土岐くん、そして反対側に座っていた相馬さんの丸々とした巨体に、順繰りに目をやった。
「いやあ。正直、みなさんの舌戦がすごすぎてな、入り込めませんでな」
 相馬さんが、さすがに笑顔を消して口を挟んだ。
「あ、ぼくもです。全然頭が回らなくて……」と、これはわたしの隣の土岐くん。
「でもなあ」相馬さんが再び口を開いた。「考えすぎても勝てるわけでもなさそうだし。私は六木さんに入れるよ」
「勝手にしろよ。おまえら全員狼に見えてきたぞ」
「六木、おまえさんもふてくされてねえで真面目に意見を言ったらどうなんだ」
 良月さんがたしなめたが、六木は後ろを向いてしまった。
「墓守二人を試すというのは悪くないだろう。ようやく動く方針が見えてきた気がするな、遅すぎたような気もするけど」
 外山さんの言葉に、全員が黙り込んだ。
 そうだ。遅すぎた気がする。もう五人減ってしまった。次の日には八人になる。わたし達が間違え続けていたとすれば、狼側の勝利はあと一手のところまで 行ってしまうのだ。ほんとうにいいのだろうか、このまま六木を試金石として使い捨てて。やっぱり村人ではないのか。
 長い沈黙に、やがてブザーの音がおりた。話し合い時間を使い切らずに夜のパートになったのははじめてのことだった。行き詰まりつつあるのをわたしは感じ た。
 部屋に戻ったわたしは、すぐに柳小春のアイコンを押して決定した。
 良月さんの言うとおりだと思った。どちらかは狼側なのだ。そして、わたしは、どちらが偽物であるにせよ、狂人ではなく狼そのものだと半ば確信していた。 狼が墓守を騙るのであれば、絶対にぼろが出ないからだ。
 結果が、やがて表示される。

 投票者      投票先
 宇野 真樹  → 柳 小春
 榎田 修   → 柳 小春
 相馬 元雄  → 六木 俊雄
 高橋 義郎  → 六木 俊雄
 外山 礼   → 六木 俊雄
 土岐 稔   → 六木 俊雄
 光山 浩介  → 六木 俊雄
 六木 俊雄  → 柳 小春
 柳 小春   → 光山 浩介
 良月 二朗  → 光山 浩介
 六木 俊雄は処刑されました。

 わたしはうなだれて、パイプ椅子に崩れ落ちた。
 流されている、みんな流されている。六木はただの村人だったはずだ。その根拠を、今ならわたしは説明できる気がした。でも、もう遅い。
 狼が三人残っている。わたしはほとんどそう確信していた。計算してみる。次の処刑で狼を的中させなければ、村人の勝ちが消える。狼と狐のゲームを、指を くわえて観戦するだけになる。
 ブザーが鳴ったのにも、権堂が五日目の開始を告げたのにも気づかなかった。ふと顔を上げると画面は再び顔写真画像の羅列に切り替わっていた。すでに半分 が墓石の絵に入れ替わっている。だれが喰い殺されたのか、とっさにはわからなかった。六木の顔は消えている。それは当たり前だ。もう一人――左端だ。
 良月さんだ。
 目の前が暗くなった。良月さんは、ただ一人、六木を放置して、どちらかが偽物である墓守を洗うようにと主張していた人だった。それが殺された。
 ふらついた足取りでわたしは部屋を出た。





       ・五日目 (生存者8)

「六木さんはやっぱり狼じゃなかったと思うんです」
 中央ホールに出るなり、わたしは言った。わたしが最後で、他の七人はもうソファに座っていた。櫛の歯が欠けたように、今や空席の方が目立つ。
「だれかが、六木さんを疑う理由について言ってましたよね。投票先の結果が表示されることでひどく焦っていたから、って」
「それは良月さんだったな、たしか」
 外山さんが、寂しそうな目で、二つ隣のもうだれもいないソファを見つめる。戦友、のように思っていたのだろうか。「とにかく宇野さん、座れよ。人数も半 分だし喋る時間はたっぷりあるはずだ」
「俺もあいつはただのアホだと思ったけどなー。宇野さんなんか根拠あんの?」
 榎田さんが言う。わたしは土岐くんの隣の席に腰を下ろし、しばらく下唇を噛んで考えをまとめてから、また口を開いた。
「あります」
「へぇ」
「六木さんが怒ってあれを言い出したのって、二日目始まってすぐですよね」わたしの言葉に、外山さんが首肯した。「投票が終わってから、投票先が表示され たのに怒って、部屋を出たとたんに主催者に文句をつけたように見えますけど、でも狼の一員だとすると、それはおかしいと思うんです」
「なんで……あ」
 榎田さんは気づいたようだった。
「だって狼の三人は、投票の後、話し合えるんでしょう? だれを喰い殺すかについて。そのときに、投票先が表示されたことについても話すと思うんです。こ れからは気をつけようとか、他の人の投票先をチェックしようとか。そういうのが間にあったとしたら、六木さんが怒っていたのはなんだか腑に落ちません」
「なるほどね」と外山さん。「だいぶ感情論だけど、納得はできるな」
「そうね。それに、たしかに六木は狼じゃなかったわよ。あんたはどうなの光山さん? 昨日のあんたのお話からすると、六木は狼でしたって言い張るんじゃな いの?」
 柳小春が挑発的に言うと、光山さんは青ざめた顔をちらと上げて、首を振った。
「狼じゃなかったですよ。――狂人かもしれないが」
「は。どっちにしろね、ここまで来て狼は一人も死んでないのは確実。この八人のうち、狼が三人、それからたぶん、狐が一人。生き残ってるわね」
 わたし達は無意識に、お互いの顔を見合わせた。柳の言うとおりだった。どちらの墓守が本物にしろ、これまで狼は一人も処刑されていないという点では一致 している。狐が生き残っているかどうかはわからないけれど――かなりの確率で生き残っているだろう――もう、時間がない。
「ねえ、ちょっと」柳が黒服を振り返った。「狐ってのは村人としては数えないのよね?」
 質問の意味を計りかねたようで、黒服は二人とも首を傾げた。
「つまりね。仮定の話よ、この八人のうち三人が狼で四人が村人で一人が狐だったとするわね。次の処刑で村人が死んだ場合は、村人と狼が三対三になってゲー ム終了、でしょう? 狐の分は数えないのよね?」
 黒服は得心したようにうなずいた。
「その通りです。その仮定ですと、ゲーム終了で『妖狐』の勝利です」
「聞いた?」柳は忌々しそうな顔で円座一同に向き直った。「時間がないの。狼をここで的中させないとね。それに狐のことも考えないといけない。あたしが目 星をつけた狐はね、あんた」 柳はいきなり左手でわたしを指さした。わたしは跳び上がりそうになる。
「ああ、あんたじゃないわ、あんたも第二候補くらいだけど、そっちの坊や」
「ぼく……ですか」
 土岐くんが消え入りそうな声で言う。
「ええ。あたしも考えたのよ。これまで喰い殺されたのを思い出してちょうだい。最初の二人は、目立たない連中だったでしょう? 青森、丸尾。それがここに きて、よく喋ってたあの良月がやられた。おかしいと思わない? あたしね、狼の立場になって考えてみたの。最初はおとなしい振りをしてそうなやつからやる だろうって。占い師か狩人をやれればがぜん有利になるわね。だからたぶん、二日目に狙われたのも目立たないやつだったのよ」
「それで、ぼく、なんですか」
「ええ。宇野さんも臭いけどね。あたしの考えはこう。良月がやられたってことは、もう狙うべき『目立たないやつ』がいなくなったってサインよ。つまりね、 今生き残っている『目立たないやつ』は、狐か、あるいは狼の仲間ってこと。宇野さん。その隣の坊や。それから相馬さん、それと偽物の光山さん、ってとこ ね」
「ずいぶん踏み込んだものですね」外山さんが言う。笑っていない。今のを真に受けているのだろうか? わたしは、わたし自身だけは、わたしが狼ではないこ とを知っている。だからそれは違う。でも、自分のことを外して考えたとき、柳の話はかなりの信憑性を持っていた。良月さんがやられたのは、いよいよ狼が仕 上げに入ったから?
「とにかく狐は後回し。今狐を処刑したら狼が手を叩いて喜んでもう一人喰い殺しておしまい、よ。光山さん、あんたに入れるわ」
「あなたが墓守を騙っているという点はさておき」光山さんは言って、むせ込み、胸を押さえて切れ切れの声で続けた。「他の点では賛成だ。筋が通ってます。 だから、あなたとまったく同じ理屈であなたに投票しますよ、柳さん」
 わたしは、すがるような目で外山さんを見た。彼は、両手の指先を触れあわせて顔の前に置き、じっと虚空をにらんで考えに沈んでいる。良月さんがいなく なったことで、意見を交わす相手がいなくなり、停滞してしまったのだろうか。
 いけない。
 この期に及んでわたしは他人を頼ろうとしている。他人の意見にすがろうとしている。外山さんだって仲間だという保証はなにもないのに。
「あの」
 そのとき、土岐くんが身を乗り出した。外山さんが顔を上げる。天井を仰いでいた榎田さんがむっくり起き上がる。相馬さんが顔を引き締める。わたしも彼の 幼い横顔を見た。
「なんか、喋らないと疑われちゃうみたいなんで、ぼくの考え言ってもいいですか。今、考えてたんです」
「……許可なんて取らないでいいんですよ、言ってください」高橋さんがそう言って、土岐くんの背中をぽんと叩いた。
「え、はい。あの。ぼく、柳さんが偽物だと思うんです」
 右隣で柳が盛大に鼻を鳴らした。土岐くんは縮み上がって、さらに声が細くなった。
「ご、ごめんなさい、ちょっと違うんです、つまりその、光山さんは本物じゃないかな、と思ったんです」
「どうして? 根拠はある?」外山さんが優しく言う。
「あの、二人の言ってたことは関係ないんです。単純に、光山さんが、後から自分は墓守だって言い出しましたよね。それで、よく考えたら、それが本物の証拠 じゃないかって」
「もっと詳しく言ってくれよう」榎田さんが声をあげる。
「そのう。狼の立場になって考えてみたんです。三人とも生き残ってますよね。そこで、墓守ですって名乗る人が現れたとして、後から偽物として名乗り出ます か? あんまり意味ないし、疑われるだけだと思うんです。占い師なら、わかるんだけど、墓守の偽物に後から名乗り出るのは、変です。だから」
「私は、本物、と」
 光山さん当人が、土岐くんのか細い声の最後を引き取った。
 笑い声があがった。わたしはぎょっとして振り向いた。柳小春が、きつい色のルージュを引いた大きな口をさらに大きく開けて、ほとんどのけぞるようにして 笑っていた。
「まー、いっぱい喋ったね坊や。あたしに疑われたとたん。面白いくらい引っかかってくれて嬉しいわよ」
 引っかかって?
 なにを言っているのだろう、とわたしは思う。
「あのね坊や。あんたに一つだけ訊きたいことがあるの。たしかに名推理だったわ。でもね、どうしてそれを今まで黙ってたの? どうして昨日、あたしと光山 さんが名乗り出たところで言わなかったの。もっと言うわよ、どうして六木を処刑するのを見過ごしたの?」
 なじられた土岐くんがなにか言うのにかぶせて、さらに柳が声を高くした。
「いいわよ言い訳は。わかってるから。光山さんをかばいたかったのね? でも、自分から推理を口にして目立ちたくなかった。六木が処刑されそうな流れだっ たから、とりあえず黙っていたんでしょう。見え透いてるわね。坊やを狐って言ったのは引っかけよ。ようやく確信できた、坊やが狼ね。はは。光山さんは狂人 の可能性があるわね、坊やのその論理で行くと。見事に引っかかってくれたことだし、もうあたしはためらいなく坊やに入れるわ」
「さっき考えついたから、ってだけなんですけれど……」
 土岐くんの、蚊の羽音みたいな声を、一体何人が聞き取ったのかはわからない。
「柳さん、あんたちょっと暴走しすぎじゃないかね」
 相馬さんが眉をひそめて言った。
「あら、狼候補に挙げられてご不満? べつにいいわよ、どんどんぼろを出してちょうだい」
「感情的な争いはよそうよ」と、外山さんが言った。「たしかなのは、もう狐だの狂人だのにかまってる余裕がないってことだよ。いいかい、狼二人、狐、狼、 この順番で処刑しなければ俺達の勝利はない。そして、土岐くんの言ったことは納得できた。柳さん、客観的に見て、あんたがいちばん狼の可能性が高い。俺は 素直にあんたに入れる。もう情報操作だのなんだの言ってられない、一手間違えば負けるんだから」
「ふん。勝手にしなさい」
 柳小春のその言葉を聞いたとき、わたしは不意に、激しい違和感に襲われた。
 原因はわからない。なにかがおかしい。なにかを見落としている。
 だれかとだれかが言い合うのが聞こえた。わたしはほとんど聞いていなかった。違和感の招待を探り当てようと、記憶を必死で探った。なんだろう。なにを忘 れているのだろう。
 ブザーが、鳴った。わたしは部屋に駆け戻った。静かな、ひとりきりの場所で考えたかった。モニタの光さえも邪魔だった。
 投票先は、柳小春しかないだろう。
 彼女のアイコンを押すのに、ためらいはなかった。しかし、決定アイコンに触れようとしたわたしの指は、震えた。いいのだろうか。わからない。この違和感 はどこから来ているのだろう。柳の、「勝手にしなさい」というあの言葉――
 そうか。
 柳は、あきらめがよすぎた。
 それはおかしい。もし柳がほんとうに村人であるとしたら、つまり本物の墓守であるとしたら、自分の処刑は村人チームの敗北だと確信できる。あきらめるな んてあり得ない。だとしたら……あの、自分を処刑してくれと言わんばかりの態度は……
 わたしの指は決定アイコンに触れていた。

 投票者      投票先
 宇野 真樹  → 柳 小春
 榎田 修   → 柳 小春
 相馬 元雄  → 土岐 稔
 高橋 義郎  → 土岐 稔
 外山 礼   → 柳 小春
 土岐 稔   → 柳 小春
 光山 浩介  → 柳 小春
 柳 小春   → 土岐 稔
 柳 小春は処刑されました。

 権堂のアナウンスが降ってくる。
『投票が終了しました。役職を持つ方はそれぞれの対象指定を、「人狼」チームの方々は、話し合いの上、喰い殺す対象を決めてください』
 わたしは、内臓丸ごと気化して抜けてしまいそうなほどの長い長いため息をついた。
 ゲームは終わらなかった。柳は――やっぱり狼だったのだ。
 そして、もう一人、嘘をついていた人がいる。
 わたしは投票先のリストをじっと眺めた。泣き出したい気分だった。もう、おしまいなのに。でも、なにかしないわけにはいかなかった。言葉をぶつけてやろ う。なじってやろう。正体を暴いてやろう。これは、ただの意地だ。
 やがて、画面がふつりと切り替わった。
 光山さんの顔が、柳とともに消えていた。





       ・六日目 (生存者6)

「柳さんは狼だった。そういうことですね」
 わたしは言った。一人離れたところに座っている外山さんは、黙ってうなずいた。
「一応、確認しておきたいんですけど、狼が狼を喰い殺すことってできませんよね?」
 黒服に訊ねてみる。「できません」と、答えが返ってくる。では、光山さんは本物だったということだ。狂人――である可能性も、少しは残されているけれ ど、まずないだろう。
 それよりも。
「……外山さん。昨日、嘘をつきましたよね」
「俺が?」
「ええ。狼、狼、狐、狼の順に処刑しないと勝てない、って」
「……言ったけど」
「あー、あー。それは嘘だな。俺もさっき気が付いたんだ」榎田さんが、わたしの倍くらい大きな声で割り込んできた。間に座っていた柳小春がもういないの で、その頓狂な姿がよく見える。
「ここに今、村人三人と狼二人と狐一人がいるとするよなあ。次の処刑で狼を当てたとすると、村人三、狼一、狐一。次の日になって二、一、一。ここで狼か村 人を処刑したら狐の勝ち。狐を処刑したら、その夜に狼が村人の片っぽを喰って狼の勝ちだ。あっはっは、俺達、もう負けてるよ外山さん。とっくのとうに。残 り八人のときに、もう勝ち目なかったんだなー」
 榎田さんの言うとおりだった。
 わたしたちには、もう勝つ手段がない。
「たしかに……それは見落としていたな」
 外山さんの言葉に、わたしはすぐに追い討ちをかけた。
「外山さんがそれを見落とすなんて、信じられません」
 あまりに強い言葉の調子に、隣の土岐くんも、向かいの相馬さんも、びくりと肩を引きつらせた。わたしは今、怒っている。自覚はあった。勝ち目がない、せ めてだまされた仕返しはしてやりたい……そんな無意味な情動だ。でも、止められなかった。
「外山さんは、たぶんこの中でいちばん頭がいい人です。こんな、ちょっと考えればわかることを見落としていたなんてあり得ないです。外山さんの目的は、狐 を処刑することだったんでしょう。残念でしたね。わたし達だって、そこまで馬鹿じゃありません」
「おい、おい、落ち着けよ」
 外山さんは、すでにセットが崩れて額に二、三本落ちかかった髪を掻き上げた。
「買いかぶらないでくれ。俺だって見落とすことくらいある。たしかに、村人三人、狼二人、狐一人なら、俺達の勝ち目はない。なら、俺達にできることは一つ だろ。狐が生き残っている証拠はないんだ、もう脱落していることに賭けて、狼を吊すことだけだ。もし狐がいるとしても、狼を全滅させれば負債は増えずに済 むんだ、聞いてたろ? 最初の説明」
 大した人だ、とわたしは思う。
「……その通りですね。だから、わたしはもう迷いません。外山さん、あなたに入れます。勝つことはもうあきらめました。あなただけは、赦せない」
「そんなことしたら俺達の負けだろ」
「待ってください。狼が二人という証拠だってないでしょう」高橋さんが、意気込んで口を挟んでくる。「一人ということもあり得る、それなら狐が生き残って いても」
「一人はあり得ないです」
 土岐くんが静かな口調で言った。でも、その声は昨日よりもずっとたしかで、高橋さんを黙らせるにじゅうぶんな強さを持っていた。
「忘れたんですか。光山さんの調査結果で、今まで処刑された五人の中に狼はいなかったんです。その後、柳さんが処刑されて、光山さんも。今、狼が一人だけ であるとしたら」
「両方とも偽物だった――ちゅうことになるわな」
 相馬さんが、土岐くんの言葉を引き継いだ。
「光山さんは狂人で柳さんは狼、さらには、んんん、巻島、桜坂、野島、それから六木、このどれかが狼ってことにならんといかん。さすがにありえんと思うが なあ。二人とも偽物だったというのがまず考えられん」
「可能性がないわけじゃないでしょう」
 反駁する高橋さんの声はいくぶん上擦っている。
「そんなに狐を処刑したいんかい、高橋さん」
 榎田さんすら、声にふざけた調子がなくなっている。高橋さんは黙り込んだ。
「私はね、狼だった柳さんの、最後の投票がね、気になったね」
 相馬さんが、じっとこちらを――わたしではない、その隣の土岐くんを――見つめながら再び口を開いた。
「柳さんは、もうね、ほとんど自分が処刑されることがわかっていたと思う。言うべきことも言ってしまった、最後にできるのは投票だけ。そのとき……狼な ら、どうするかね。私はね、仲間に投票するんじゃないかと思うよ。つまりね、かばうためにね」
「仲間だと思われないように、ということですか」
 外山さんが言い、相馬さんはうなずく。
 それは――なにかおかしい。そもそも、土岐くんを怪しい、といきなり話を持ち出したのは柳小春ではなかったか。かばうというのなら、最初からあんなこと を言わなければいいのだ。なのに、なぜ相馬さんはそんな詭弁を……?
 わたしは、それを指摘しないことにした。相馬さんは、がぜん狼くさくなってきた。であれば、相馬さんのこの意見に乗る人を見極めて、もう一人を釣り出さ なければ。
「それはだいぶ苦しい推測じゃないかな」
 外山さんが言う。でも、わたしはもうこの人を信じないことに決めた。
「あのおばさんは、最初っから、そこの土岐くんを吊そう吊そうって言い張ってたぜ」と榎田さん。
 高橋さんは黙ってうつむいている。
 土岐くんは、やっぱりなにも言わない。
 粘液状になった息苦しい時間が、しばらく流れた。
 それに最初に押し潰されたのは、わたしだ。
「とにかく、わたしは外山さんに入れます。あと一人がだれかはわかりません。でも、外山さんが巧く情報を操ってここまで村人を減らしてきた。早い段階で処 刑しておくべきだったんです。もう遅いかもしれないけど」
「待てよ、宇野さん。そんな女の勘、みたいなことでゲームをぶち壊さないでくれ。なんで俺を吊りたがる? ひょっとして、村人ならだれでもいいんじゃない のか。宇野さんが――狐だとしたらさ。とにかくだれかに票を集めたい、ってことか?」
 わたしは、かっとなって立ち上がった。
「だれかに票を集めたがってるのは外山さんじゃないですか! これまでもそうだった、もっと人数がいっぱいいたはじめの頃からそうでした。それに、前はい くつか外山さんに票を入れていた人がいたんです、気がついたらその人たちはきれいさっぱりいなくなっていた! 巧くやったものですね!」
「おい、おーい、落ち着けよ」
 榎田さんが立ち上がってわたしの隣まで来て肩に触れた。わたしはその手を振り払おうとしたが、強く押さえつけられ、ソファに座らされる。
「でも俺もあんたに入れるよ外山さん」と、わたしのすぐそばで榎田さんが言った。「ここまで来たら女の勘だろ」
「説得する材料は、もう俺にはないけどね」
 外山さんはあくまでクールに、両手を広げて肩をすくめて見せた。
「意見が分かれている二人のどちらかが狼、なんて考え方はやめてくださいよ、榎田さん」高橋さんが言った。「両方とも見当違いなことを言っている村人、っ てこともあり得る」
「んなこたわかってら。おーい、もういいだろ、話し合いなんて。さっさと投票させろ」
 榎田さんは立ち上がり、黒服に言った。
「みんなもいいだろ? 入れてみりゃ、はっきりするさ」
 異論はなかった。だれの返答すらもなかった。
 それでも、黒服達は首を横に振った。彼らはあくまで頑なにルールを守る。
 窒息しそうな沈黙の時間が過ぎ、ブザーがようやく鳴った。太い金属棒を頭に突き刺すような大音響も、そのときだけは安堵の呼び水だった。
 部屋に戻り、外山さんのアイコンを押して決定した。
 結果は、すぐに出た。

 投票者      投票先
 宇野 真樹  → 外山 礼
 榎田 修   → 外山 礼
 相馬 元雄  → 土岐 稔
 高橋 義郎  → 土岐 稔
 外山 礼   → 土岐 稔
 土岐 稔   → 外山 礼
 再投票を行います。

 再投票。
 きれいに二つに分かれた投票結果を、わたしはひどく冷め切った気持で眺めていた。残り六人。構図はひどくわかりやすい。外山、高橋、相馬。この三人のう ちの二人は、狼だ。土岐くんは狐、ということになる。村人の一人が、外山さんの口車に乗せられて土岐くんに入れてしまったわけだ。忌々しかった。たとえ、 自分の勝ち目がないにしろ。なんて馬鹿な人だろう、狼の舌先三寸に丸め込まれて――
 もう一度、外山さんの顔をタッチし、決定アイコンに触れようとしたとき、ふと、わたしはそれに気づいた。背筋をぞくり、と悪寒が走る。
 二人の狼にだまされ、狼と同じ投票先に入れた、馬鹿な村人。
 それは。
 わたしのことではないのか。
 外山さんが、狐だとしたら。わたしの考えている構図とまったく同じものが、逆側から成立する。二人の狼――榎田さん、土岐くん。
 客観的に怪しい狼の土岐くんに投票し続ける三人と、だまされて乗せられている一人の裏切り者。わたし。
 そんな。そうだとしたら。わたしは。わたしは――
 目をつむり、画面を強く親指で押した。

 ピピッ。

 目を開く。

 投票者      投票先
 宇野 真樹  → 外山 礼
 榎田 修   → 外山 礼
 相馬 元雄  → 土岐 稔
 高橋 義郎  → 土岐 稔
 外山 礼   → 土岐 稔
 土岐 稔   → 外山 礼
 討論時間を延長します。

 全身の骨が溶けてしまいそうな感触を味わった。
 二度連続の、まったく同じ再投票。権堂が一日目に言ったとおり、昼のパートが延長される。また、口汚く言い合え、というのか。もう嫌だった。もうあの ホールに出ていきたくなかった。投票すら放棄したかった。わたしが放棄すれば、もう再投票もなくなるだろう。帰りたい。家に帰りたい……。
 ドアが、開く音がした。
 わたしは気づけば床にしゃがみ込み、パイプ椅子に突っ伏していた。顔を上げると、黒い人影がそこにある。
「宇野さん。討論時間の延長です。みなさんお待ちですよ」
 黒服だった。わたしが動かないでいると、手首をつかまれ、強引に立たされた。
 廊下に押し出され、後ろでドアが閉じ、ロックが下りた。黒服に背中を押され、二枚目のドアを開くと、そこにあるのは幼い少年の顔。
「あ……あの。大丈夫、でしたか?」
 土岐くんが、ドアのすぐ外に立っていた。
「顔色、悪かったみたいだし」
 わたしは顔を伏せた。涙が出てきそうだった。
「土岐さん、他人の個室に近づかないで。席に戻ってください」
 黒服の険しい声が背中でして、わたしはホールに押し出された。





       ・六日目 (生存者6)

「このままほっとけば、狼の勝ちか」
 榎田さんが言う。千日手のことを言っているのだろう。
「でも勝ち分が減るのだってね。そら、最初にだれかが言ってただろう、狼チームは負債額が多い人間の集まりじゃないか、って。引き分けで勝ってもかなり借 金が残るだろうから、狼も必死なんじゃないかね」と相馬さんが言った。
「ずいぶん狼の心理にお詳しいですね。わざわざ負債額のことまで言ってくれるなんてね」
 高橋さんが皮肉な口調で言った。
「なにを。こんなのただの推測だよ。あんた私を疑っとるのか。私と同じく土岐くんに入れたくせに」
「だから、今ので相馬さんが狼じゃないかと思い始めてるとこですよ」
「あんた、冷静そうにしてたが、最初からだれかしらに難癖をつけて処刑してきたな。むしろ私はあんたに投票先を変えようかと」
「へえ、僕を処刑している余裕はないんじゃないですか、狼の相馬さん? 狐である土岐くんを処刑しなきゃいけないんでしょう」
「高橋さん、やめろよ」と外山さんが言った。
「ははは。あなたもいつもクールですねえ。さっきの二回の投票で自分が狐だってことがばれて、内心はもう必死なんじゃないですか?」
 わたしはどきりとした。そうだ。あの構図に、他の人だって気づかないはずがないのだ。
「俺が狐だって? おい、高橋さん、いい加減にしろよ。言ってることがめちゃくちゃじゃないか。土岐くんが狐だと言ったその口で」
「それは相馬さんが狼だと仮定した話ですよ。僕はやっぱりね、外山さん、あなたが狐だと思う。だからここは協力してあげますよ。土岐くん、宇野さん、榎田 さん、このうちの二人が狼なんだ。まずは土岐くんを吊したいんでしょう? ははは、見え見えですよ」
「おい高橋さん、それ、同じことが俺だって言えるぜ」榎田さんが立ち上がった。「まあべらべらとわかりやすく喋ってくれてありがとさん。あんたと外山さん と相馬さんのうちの二人が狼だっていうのもあり得るだろ。なんで土岐を吊りたがる? 俺もピンときちゃったよ。三人のうちだれかは村人ってことだから、 迷っていたけどね。高橋さんあんたは確実に狼だろう」
「根拠がありませんよ」
「あんたがこれまでにやってきたことを思い出してみろよ。だいたいあんたはよ、いちいち芝居がかってんだよ。うぜえよぶっちゃけ」
「根拠を出せなくなって感情論に走るんですか? 僕も土岐くんともう一人がだれかわかりませんでしたが、これで決まりかな」
「なんだと」
「おい榎田さん……」
「待ってください」
 凛とした、少年の声が響いた。
 一瞬にして、ホールに静寂が引き戻される。
 わたしは、隣で立ち上がった土岐くんの顔を見上げる。なんだか、ひどくまぶしい。
「もう話し合う必要はありません。ゲームは終わってます」
「なに……?」
 ゲームが――終わってる?
 なにを言っているのだろう、土岐くんは。わたしはその白いあごを、細い首筋を、ただ呆然と眺める。
 土岐くんが、言った。
「ぼくの目から、全部わかってるからです。榎田さんの言っていることが正解です。外山さん、相馬さん、高橋さん。あなた達のうちの二人が狼で、もう一人が 村人です。なぜなら、

 ぼくが、狐だからです」

 しばらく、だれもなにも言わなかった。言えなかった。一瞬にして真っ白になったわたしの頭の中を、ラフマニノフのピアノ協奏曲第一番のメロディが、この ばかげた一日の始まりとなった旋律が、ぐるぐると回っていた。
 狐?
 狐が――正体を知られることが即、敗北に直結する、ただ一人のチームである狐が――なぜ。どうして。自分から名乗り出る? そんな、そんな馬鹿なことが ――
 椿の花弁のような土岐くんの小さな唇が、動いた。言葉がそこから紡ぎ出される。
「もう、説明の必要はないと思います。ぼくに投票し続けている人は、二日目の夜にぼくを狙って喰い殺そうとし、失敗した狼なんです。でも、三人のうち、だ れが狼で、だれが村人なのか、ぼくにはわかりません。みんな怪しく見えますし、みんな村人にも見えます。だから、これから、あぶり出しを開始します。村人 さんもよく聞いてください。
 宇野さん、榎田さんは村人確定です。このお二人は外山さんへの投票で意見が一致しているようですから、ぼくも引き続き外山さんに入れます。相馬さんか高 橋さん、どちらかが村人だった場合、外山さんに入れてください。狼ですから、これで狼を一人減らせます。
 外山さんがもし村人だった場合は、外山さんは『ぼくに入れてください』。狼のお二人はぼくから投票を動かせないはずですから、前回とまったく同じ再投票 になるはずです。これをもって、『外山さんの村人証明』とします。この場合、相馬さん高橋さんの狼もまた確定しますので、ぼくを含めて四人で、相馬さんに 再投票します。これで、穴はありません。チェックメイトです。
 ぼくも、あきらめません。だから」
 土岐くんはそこで言葉を切って、わたしの方を向いた。
 視線が、合う。
「――宇野さんも、あきらめないで」
 わたしは、息を呑んだ。
 あきらめないで。
 その、言葉――
「……いや、そ、それ……」
 外山さんが、なにか言いかけた。土岐くんがぴしゃりとそれを遮った。
「反論するとしたら、それはもう自分が狼チームであることの証明です。どのみち詰みですけれど――それでも、というのなら、なにか喋ってもいいですよ。ぼ くの提案は、純粋な、方法論ですから」
 それ以上、声はあがらなかった。
 圧倒されていた、というのもあるだろう。狐が名乗り出たこと、その衝撃に。
 そして、狼のあぶり出し。
 チェックメイト――たしかに、その通りだ。一つ、たった一つの穴をのぞいて。
 でもそれは、たとえだれかが気づけたとしても、土岐くんの最後の言葉によって封じられてしまった。それに、わたしには、それが穴でないことがわかった。
『ぼくも、あきらめません』
 その言葉の意味。
 榎田さんは。そして、残りの三人のうちの一人である、だれかもわからない村人は。土岐くんの真意に、気づいただろうか?
 わたしにはもう、祈ることしかできなかった。
 やがてブザーが優しく、わたしたちの沈黙を断ち切った。

 投票者      投票先
 宇野 真樹  → 外山 礼
 榎田 修   → 外山 礼
 相馬 元雄  → 土岐 稔
 高橋 義郎  → 土岐 稔
 外山 礼   → 土岐 稔
 土岐 稔   → 外山 礼
 再投票を行います。

 暗い部屋のパイプ椅子の上で、わたしはその三度目の投票結果を、万感の思いで眺めていた。土岐くんの言ったとおりになった。外山さんが――村人であるこ とが、これで証明されたのだ。なんて長い戦いだったのだろう。一日、二日、と区切られたその区分は、ゲームの上での用語ではあったけれど、ほんとうに六日 間をこの息苦しい中で過ごした気がする。
 スピーカーがノイズを吐き出し、それから権堂の声がする。
『三度連続でまったく同じ投票結果となりました。千日手と判断し、次を最終投票とします。次も再投票となった場合は、引き分け、狼チームの勝利とします が、先に言った通り、負債額は半減のみとなります』
 最終投票。
 もう、狼二人にできることはなにもない。
 一人は殺せるけれど――そしてそれは、わたしかもしれないけれど――できれば、このグロテスクなゲームの結末を、最後まで見ていたかった。
 わたしは相馬さんのアイコンを押し、決定をタッチした。

 投票者      投票先
 宇野 真樹  → 相馬 元雄
 榎田 修   → 相馬 元雄
 相馬 元雄  → 土岐 稔
 高橋 義郎  → 土岐 稔
 外山 礼   → 相馬 元雄
 土岐 稔   → 相馬 元雄
 相馬 元雄は処刑されました。





       ・七日目 (生存者4)

「土岐くんには、ほんとうに驚かされたよ」
 外山さんは、中央ホールの真ん中に立って、両腕を広げて笑う。
 六日目の夜、狼に殺されるなら彼だと思っていたわたしは、少し意外だった。
「あれしか、なかったんです」
 わたしの隣のソファで、土岐くんはうつむいて、ぽつりと言う。
 最後の一人――高橋さんは、壁際、自分の個室のドアにもたれ、じっと爪先を見つめてなにも言わない。
 もう、戦いは終わったのだから。
 榎田さんがここにいないのは少し残念だけれど。あの人ならきっと、わたしには考えもつかない仕草で勝利を喜んでくれただろう。
 そう、村人の、勝利を。
「狐というのは、嘘、なんでしょう?」
 わたしは言った。
 土岐くんは、はにかんでうなずいた。
 そうだ。嘘なんだ。単純なことだ、狐が自分から名乗り出るわけがない。
「高橋さん。種明かし――聞きたいですか?」
 土岐くんは振り向く。高橋さんは、垂れた長髪の奥で、かすかに笑った気がした。
「勝者の特権ってやつでしょう。どうぞ、喋ってください」
 土岐くんは恥ずかしそうに、手を組み合わせたり放したりしてから、最初の頃のたどたどしい口調に戻って、語りだした。
「まず、二日目のことを憶えていると思います。狼の喰い殺しが失敗したとき、ですね。このとき、狼は、狐を見つけた、と確信した。村人さんたちも、そう勘 づいたはずです。喰い殺しが失敗したのだから、狐を狙ってしまったに違いない。発端は、ここでした。
 ゲームは進んで、ええ、と、四日目、だったかな。柳さんが墓守だと言い出しました。ぼくには、これの意味がわかりませんでした。さらに光山さんが後から 自分が墓守だと言い出したので、ますます混乱しました。だって、どう考えても柳さんの偽物はすぐばれます。おまけに、占い師じゃなくて墓守というのは、偽 物に成り代わってもほとんどメリットがないんです。案の定、柳さんは疑われました。
 その次の日に、ようやくぼくは柳さんの、狼チームの意図に気づきました。ぼくが狐じゃないかと名指して言ってきたからです。狼が三人生き残っているとい う、すごく有利な状況下で、狼チームは早々に狐を敵として狙い始めたわけです。柳さんは、たぶん捨て石だったのだと思います。狐らしき人物――つまり、ぼ く――と心中するために、出てきたってことです。
 もう一つ、あそこまであからさまに怪しまれるようなことをした理由も、今ならわかります。五日目の段階で、八人中狼が三人。つまり、村人を処刑してしま うと、狐が勝ってしまう。そう考えた狼の、自殺だった――わけです」
「その通りですよ。すごいね、きみは」と、高橋さんは忍び笑いを漏らす。
「ええ。あの時点で、ぼくも、それから村人さんのうちの何人かも、柳さんが狼だってことを確信したはずです。だって、あの状況で最初に狐を名指しする人な んて、狼以外ありえません。むしろ気づいてくれ、と言いたいみたいな態度だった。
 そして柳さんが処刑され、六人になりました。二度の再投票です。相馬さん、外山さん、そして高橋さん。この三人のうち、二人が狼だということはわかって いました。でも、だれなのかがわからない。行き詰まりを抜けるために、ぼくは最後の手段に出ました。
 狐だと名乗り出たわけです。
 三人のうち二人、絶対に投票先を動かせない人がいる。であれば、残りの人に呼びかけて、投票先をそろえて動かせばいい。外山さんは、ぼくの意図を理解し てくれました。高橋さんと相馬さんの二人が狼だということが、あぶり出されたわけです。
 ところで、ねえ、高橋さん。ちょっと考えてみてください。どうしてぼくが狐だと名乗り出たのか、わかりますか?
 実はそんなことをする必要はなかったんですよ。狼である二人をあぶり出せなくても、三人のうちに混じっている一人の村人さんに、ぼくと榎田さんと宇野さ んが『狼ではない』ことを証明できればよかった。つまり、外山さん以外の人にそろって投票して、『投票先を動かせる、つまり外山さんを狐だと判断して殺そ うとしている狼ではない』とアピールすればよかった。
 でも、それはできなかったんです。
 どうしてかわかりますか? それはね、狼の人の、とっさの機転を防ぐためです。ぼくがひょっとして狐ではないのではないか、そう狼さんに勘づかれてし まったら、狼さんもまた投票先を変えてしまい、結果としてあぶり出しが失敗するでしょう。だからね、ぼくは自分が狐である、とはっきり宣言したんです。狼 チームの票を、絶対に自分から動かせないようにするためです。
 そうです。ぼくは狐じゃありません。
 じゃあ、ぼくはなんなのか?
 たしか、三日目だったかな、柳さんが言ってたのだと思います。狩人の護衛が成功する確率はすごく低いから、きっと二日目の喰い殺し失敗は狐を狙ってし まったんだろう、って。みなさんうなずいてましたよね。でもね、これ、嘘なんです。護衛が成功する確率と、狐を狙ってしまう確率っていうのは、同じなんで すよ。サイコロを一個振って特定の目が出る確率と、サイコロを二個振って、なんでもいいからゾロ目が出る確率です。同じなんです。
 そうです。ぼくは、二日目の夜にたまたま護衛してもらって生き残った、ただの村人です。
 でも、これは狼チームには絶対に気づかれてはいけなかった。さっきの投票前に、ほんのかすかな望みにかけて、サインを送りました。『ぼくもあきらめませ ん』、だから」
 土岐くんが、わたしを見る。
「あきらめないで、って」
 そうだ。
 わたしはそのサインを、受け取った。榎田さんも。それからたぶん、外山さんも。
 高橋さんが、突然笑い出した。ぼさぼさの長髪が踊る。はじめは天井を仰いで、それから身を二つに折って。気が狂ってしまったのだろうか、と思えるほど の、けたたましく耳障りな笑い声だった。
 やがて、笑い声は止まり、高橋さんは片手を口に当てて、上半身を起こした。
 前髪の下から、恨みがましい眼光が、土岐くんに向けられている。
「……そうか。狐は、いなかったんですね」
「そうです。どこかで、とっくに処刑されていたんです。狼の人達の――疑心暗鬼です。ただ喰い殺していくだけで、勝てたのに」
 土岐くんが静かに言う。その言葉で、また高橋さんは肩を揺らせて笑う。
「見事ですよ。そうです。僕と相馬さんと柳さんが、狼でした。柳さんのあれはね――僕は反対したんですよ。あまりにリスキーだからね。しかしやってしまっ た以上は、気づかれないようにサポートするしかなかった。どうせやるなら、もっと早い段階できみを処刑しておくべきでしたね、土岐くん。狐ではなかったに しろ――きみこそが、最大の敵だったなんてね」
 悪寒がした。戦いの終わり、気色悪い負け惜しみ。わたしは立ち上がる。
「もう、終わらせましょう。三人で高橋さんに投票して、それでおしまい。でしょ?」
「そうだな」
 外山さんも、自分の個室に向かって歩き出す。
「もういいだろ、主催者さん。制限時間とか、野暮なこと言わないでくれよ」
『……残り四名ですから、全員賛成であればロックを解除して夜パートに移行しますが』
 権堂の声が言った。
「頼むよ」
「お願いします。これ以上勝ち誇られるのはごめんだ」
「終わりにしてください」
「ぼくも賛成です」
 ロックの外れる音がした。
 外山さんはいちはやく扉の奥に消えた。高橋さんも寄りかかっていた扉を開いて、中に入ろうとした。その背中に、土岐くんが声をかけた。
「高橋さん」
 長髪の頭が、振り向く。
「――ぼくとあなたは、なんだか考え方が似ていましたね」
「……そうかもしれませんね」
 わたしが自分の扉を開こうとしたとき、視線に気づいた。
 土岐くんがノブを握ったまま、じっとこちらを見ていた。視線が合う。彼は微笑んで、うなずいた。高橋さんと土岐くんの部屋の扉は、同時に閉じた。ロック の音が虚ろに響く。
 わたしは、しばらく呆然としていた。
 黒服に促され、個室に押しやられる。
 なんだろう。まだ、なにか、違和感がある。土岐くんが――最後に、なにかを伝えたがっていた。
 このまま、わたしと外山さんと土岐くんの三人で高橋さんに入れて……それでおしまい、じゃないのか。どうして? わたしの指は、高橋さんのアイコンの上 を何度も行ったり来たりした。予感。ひどく悪い予感。なにかを忘れている。わたしは、なにかを――
 土岐くんと、高橋さんの、最後の会話。
『ぼくとあなたは、なんだか考え方が似ていましたね』
 土岐くんと、考え方が似ている――?
 なにか、意味がある。
 そうだ、高橋さんも、最後、あきらめがよかった。狼だと自ら告白した。普通ならばあり得ない、狼の告白。でも、土岐くんだってやったのだ。あり得ないは ずの、狐の告白を。
 わたしは口を押さえて立ち上がった。声をあげてしまいそうだった。
 もし、高橋さんが偽物の狼だったとしたら。
 偽物の、狼?
 そんな。そんなことをする意味は――
 ある。あるのだ。
 狂人だ。
 今、ここに四人いる。
 狼が一人と、村人が三人。村人が処刑されてしまえば、次の夜パートで狼が村人を喰い殺し、一対一となって勝利する。その道筋が……ある。存在する。村人 の一人が狂人であり、自分が狼だと言い張って、票を集めれば……
 狼を騙る意味。
 だとすれば、狼は――
 外山さんだ。
 つねに村の中心に立って、意見をとりまとめ、中庸につとめ、最後には土岐くんの捨て身の作戦を嗅ぎ取って、村人に転じた。高橋さんが狂人であると、どこ かで勘づいていれば、このとっさの機転が可能だ。高橋さんが狂人。それは――土岐くんへの投票だ。そうだ。もし外山さんが狼だとすれば、狼ではないはずの 高橋さんの、土岐くんに入れ続けた一連の投票は奇異に映ったに違いない。それから、悟る。柳さんの捨て身の行動で狐だと認知された土岐くんを、執拗に処刑 したがる村人。それは狂人以外にあり得ない。
 わからなかった。すべては、わたしが勝手に作り出した妄想かもしれなかった。仮説に仮説を積み重ねて。
 わたしは。わたしは――
 外山さんのアイコンを、押した。
 自分の判断を、信じること。
 決定アイコンに触れた。
 画面は一瞬で切り替わった。

 投票者      投票先
 宇野 真樹  → 外山 礼
 高橋 義郎  → 土岐 稔
 外山 礼   → 高橋 義郎
 土岐 稔   → 外山 礼
 外山 礼は処刑されました。
 『人狼』チームが全滅しました。ゲームを終了します。

 ゲームを終了します。
 そのメッセージが、涙で歪んでいく。
 勝った。勝ったのだ。わたしは正しかった。すさまじい騙し合いの果てに、わたしは土岐くんの沈黙のメッセージを読みとれた。パイプ椅子の上に崩れ落ち る。涙がこぼれないように、天井を仰ぐ。全身から、力が抜けていく。ブザーの音すら、ぬるいシャワーのように心地よい。
 やがて、スピーカーから流れ出した権堂の声が、なにかを言った。ドアのロックが外れる音が、どこか遠い森の奥のように聞こえた。
 喜び、達成感、安堵――そんなものよりも今はただ、すさまじい疲労がわたしの身体を支配していた。お疲れさま。もう、戦わなくていいんだよ。そうだれか に言ってほしかった。わたしもそれをだれかに言ってあげたかった。
 土岐くん。
 彼の幼い顔が、思い浮かぶ。
 そうだ。いちばんに、彼に言いたい。お疲れさま。ありがとう、と。
 萎えてしまった脚を手のひらで叩き、わたしは立ち上がった。液晶画面はいつのまにか暗転していた。気づくと、スピーカーからは弦楽の『螢の光』が流れ出 している。
 ドアを開き、短い廊下を走って二枚目を押し開いた。中央ホールの明かりが目に突き刺さる。多くの人影がソファの円座に群れている。参加者達だ。ある人は 絨毯にしゃがみ込み、ある人は立ちつくして天井を仰ぎ、ある人はソファを抱いてクッションに顔を埋めている。わたしは土岐くんの姿を探した。おかしい。い ない。ヨットパーカーの水色が、部屋のどこにも見当たらない。
 榎田さんが、最初にわたしに気づいた。彼は、両開きの出口の脇に寄りかかってうなだれていたけれど、わたしに笑いかけてくれた。ひどく疲れ切った笑み だった。
「あ、あの、土岐くんは?」
 わたしは訊いてみた。榎田さんは視線をそらし、口の中でもごもごと舌を動かし、それからぼそりと言った。
「先に帰ったよ」
「え。え。ど、どうして」
「あいつだけは――勝者だからな」
 重たいハンマーで後頭部を殴られたようだった。
 呆然と立ちつくすわたしの視界の端で、両開きの戸が開いた。書類かばんを手にした浜町と、それから権堂が、部屋に入ってきた。





       ・外へ

 あれから――あの狂ったゲームから、半年が経った。
 わたしはけっきょく会社を辞めた。体力的に、夜の仕事との両立が無理だったからだ。
 新宿歌舞伎町、『ダウンタウンレディ』という店が、今のわたしの職場だ。幅の狭い雑居ビルの三階。ピンク色のネオン看板に描かれた、ちょっと時代遅れな 女子高生の絵が目印。
 生ゴミの匂いのするエレベーター。磨りガラスのドア。踊り場に山と積まれた、おしぼり用の黄色いタオル。
「おはようございます」
 ドアを開け狭い通路を通って事務所に入る。
「レイナちゃん、すぐ指名入ってる、よろしく」とカウンターの向こうから店長が言う。レイナというのは店でのわたしの名前だ。
「あ、はい」
「あーそれからさーシフトなんだけど、来週、金土日って出られるかな、足りないんだ新店にヘルプ回すから。レイナちゃん出られるだけ出るって言ってたよ ね」
 レオタードに着替えながら、「大丈夫ですよ」とわたしはカーテン越しに生返事する。
 慣れたものだ。
 入店したときは、絶対に一ヶ月も続かないだろう、なんて思っていたのに。
 最近では、尾上ファイナンスから毎月届く返済状況明細を見るのが、楽しみですらある。人間は――強くできている。笑ってしまう。
 薬剤でうがいを済ませ、ローションとおしぼりを入れたかごを持って、暗い廊下を通って08番の個室のドアを開いた。精一杯の笑顔を作り、頭のてっぺんか ら無理やり声を出す。
「お待たせしましたぁ。ご指名ありがとうござ……」
 簡易ベッドに腰掛けていた、その客の顔を見て、わたしの声は凍りついた。
「久しぶり、です」
 にこやかに、童顔が微笑む。
 服装まで、あのときの水色のヨットパーカーのままだ。
「……土岐、くん」
 がしゃ、と音がした。わたしの手から滑り落ちたかごが床にぶつかった音だ。
 閉じた個室の戸に背中を預けて、わたしは呆然と、土岐くんの顔を見下ろしていた。
「ど、どうして」
 かろうじて絞り出せた言葉は、それだけだった。
 どうして。どうして土岐くんがここに。どうやって。
「調べたんですよ。半年もかかっちゃった」
 土岐くんは、立ち上がって、後ろのポケットから折りたたんだ一枚の紙を取り出した。それを、わたしの目の前に差し出す。
「はい、これ」
「……なに、これ?」
「宇野さんには、見る権利があると思ったんです。教えてくれなかったでしょ、主催者も。他の参加者も」
「あ、あなた、わたしを」
 だましていた。
 いや、そうじゃない。あれはゲームだったのだから。
 でも。わたしは――なにか、通じたと、信じてしまったのに。
 そうして、わたしは、半年間抱えていた疑問を、口にしていた。
「あのとき。外山さんが、あなたは狐じゃないと信じた時点で、あなたはどっちにしろ勝ってた。ねえ、なのに、どうして、わたしにサインを送ったの? あの まま、高橋さんを処刑しても勝ちだったじゃない」
 それだけが、わからなかった。
 なぜ、村人が狼を殲滅するという結末をわざわざ選んだのか。
 ひとつ。たったひとつ、その行為に意味があるとするなら。村人たちの――わたしの――負債が、増えずに済んだ。負け分を、村人ではなく狼に押しつけるこ とになった。それを、彼は選んだのだ。なぜ。どうして。
 わたしは彼の顔を見つめ、答えを待つ。
 言ってほしかった。わたしのためだと、言ってほしかった。わたしがしたことは無駄じゃなかったと、あのとき通じ合ったのは嘘じゃなかった、と。
 でも、土岐くんは言う。
「意味は、ないです。なんとなく。あの頭の良さそうな二人に、徹底的に負けさせてやりたかった。ただ、それだけです」
 無邪気な、酷薄な、微笑み。
 怒りすら、湧いてこない。なにを言えばいいのかもわからない。だからわたしは黙って、その紙を受け取った。
「じゃあ。元気で」
 土岐くんは、わたしの肩をつかんでどかせると、ドアを開いた。廊下に出ていく彼を、呼び止めようと思った。でも、身体は動かなかったし、声も出なかっ た。ドアの閉まる音で、わたしは個室の冷たい床にくずおれた。
 涙が出てきた。
 自分が負けたことを知ってからも、あらためてわたし名義に書き直された五百二十三万円の借用書を受け取ってからも、この店で働き始めてからも、一度も、 ただの一度も出てこなかった涙が。
 負けたのだ。わたしは。
 ようやく、それが、染み込んでいく。
 震える指で、土岐くんが残した紙を開いた。そこに並んだ十五人の名前は、にじんでほとんど読めなかった。ぽたり、と滴が落ちたのは、ちょうどわたしの名 前の上だった。

 青森 いずみ 占い師
 宇野 真樹  村人
 榎田 修   村人
 桜坂 良子  村人
 相馬 元雄  人狼
 高橋 義郎  狂人
 外山 礼   人狼
 土岐 稔   妖狐
 野島 優香  村人
 巻島 みどり 村人
 丸尾 裕仁  狩人
 光山 浩介  墓守
 六木 俊雄  村人
 柳 小春   人狼
 良月 二朗  村人



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