ちび神さまは反省しない

 
 ヤルダは7000歳と少しなので、神さまとしてはまだまだちびっ子だ。神さまらしい威厳を少しでも出すために金色の髪を高いところでくくって、上等なポンチョを羽織っているけれど、見た目は人間でいえば12歳くらいの女の子なので全然えらそうに見えない。
 ところでヤルダはこの「人間でいえば」という書き方を見るとたいそう怒る。
「あたしが自分に似せて人間をつくったんだから、人間でいえば、っておかしいよ! 人間の子供の見た目が神でいえば7000歳くらいなんでしょ!」
 叱られるのは、助手のアドニの役だった。アドニは真っ白な毛並みと真っ赤な眼を持つハツカネズミで、ネズミなのに神さま業務日誌を書く仕事をヤルダから押しつけられているので、毎日その小さな口に羽根ペンをくわえ、日誌のページの上をがんばって走り回って業務内容を記録する。この業務日誌はそのうち聖典だとか教典だとかいうものになって人間たちに読まれることになるので、ヤルダの人気が少しでも上がるようにと、アドニはなるべく人間の視線でわかりやすいように書いている。ヤルダの見た目が人間でいえば12歳――という表現もその努力の一環だ。でも、助手のそんな涙ぐましい努力も知らず、ヤルダはぷりぷり怒る。
 でも、ぼくなんていくら叱られてもいいんだ、とアドニは思う。
 アドニはヤルダの手で最初に創造された生き物だ。手のひらにすっぽり収まってしまうくらいの小さな白い毛玉ではあるが、処女作として丹念につくられているのでとても丈夫にできている。ヤルダは神さまのくせに泣き虫で、いったん泣き出すと洪水で島が二つ三つ沈むくらいひどいのだが、アドニはそんな泣き声を至近距離で聴いても平気である。
 ぼくは強くできてるからヤルダさまに泣かれても叱られても平気。それよりもヤルダさま、どうか人間たちや獣たちや鳥たちや草花にやさしくしてあげてください。彼らは大量生産品で弱っちいのですから。
 
       *
 
 21世紀に入ってだいぶたったある日のこと、ヤルダが天国にある自分の部屋で本とにらめっこをしていると、母親のソフィアがやってきた。ソフィアは母親といっても20000歳、神さまとしてはやはりまだまだ若い。娘と同じ金色の髪の、美しく聡明な女神で、ヤルダの将来のことばかり気に掛けている心配性の教育ママでもあった。
「ヤルダ。ヤルダ? なにをしているの?」とソフィアは部屋をのぞき込んだ。
「お母さま」とヤルダは顔を上げた。「通信教育で手話を勉強しようと思うのです!」
 ヤルダは自慢げにテキストをソフィアに突きつけた。ソフィアはあきれてため息をついた。
「手話なんて憶えてなにに使うつもりなのかしら」
「ちかごろ人類がだいぶ進化してきてようやく言葉を使うようになったみたいなのだけれど、あたしにはなにを言っているのかさっぱりわからないのです。そこで手話を」
「それは遠すぎて聞こえていないだけよ。この天国は地球から360億キロも離れているのだから」
「知らなかった!」
 ヤルダは愕然とし、手話のテキストが滑り落ちた。逃げ遅れたアドニは本に潰されかけた。
「ううう、もう十二ヶ月ぶんのテキストの料金を振り込んでしまいました……」
 深く深く落ち込むヤルダに、ソフィアは言った。
「しかたがないわね。少しは憶えた手話もあるのでしょう? わたしに見せてごらんなさい。うまくできたらほめてあげる」
「わかりました、お母さま」
 ヤルダは少し立ち直り、涙で腫れぼったいまぶたをごしごしこすり、母親の前に立った。それからVサインをつくってその二本の指先をずいと突き出す。
 ソフィアは首を傾げた。
「その手話はどういう意味なの?」
「『おまえの両眼を潰してやる!』という挨拶なのだそうです」
「ヤルダさま、これ手話のテキストじゃありません」
 アドニは本の下から言った。
「『できる! 殺れる! 実戦・格闘術』だそうです」
「気づかなかった!」
 
       *
 
「ところでヤルダ」
 ソフィアは気を取り直して言った。
「あと一年で、例の年を迎えるわ。人類にとっていちばん大切な年よ。大々的に祝ってもらう準備はできているのかしら?」
 ヤルダは首を傾げて目をぱちくりさせた。アドニはため息をついて、主人の身体をちょろちょろっと駈け上ると、耳元でこっそり言った。
「ほら、ヤルダさま、あれです、カウントダウン・イベントをやろうって相談していた」
「忘れてたーっ!」
 跳び上がるヤルダの肩からアドニは転げ落ちて床で三回もバウンドした。ソフィアは肩を落とした。
「そうじゃないかと思っていたわ……」
「どうしようどうしようあと一年! あと一年しかない! 世界中でお祝いしてもらわなくちゃいけないのに、まだなんの宣伝もしてない!」
「大丈夫よ、ヤルダ」ソフィアは娘の頭をなでた。「あなたは神さまでしょう? 落ち着いてわたしの教えたことを思い出すのよ。やらなければいけないことがあるのに、なんにも準備していない。時間もない。やる気もない。さあ、どうするの?」
 ヤルダはぽんと手を打った。
「思い出しましたお母さま。くじ引きで決めたかわいそうな一人に全部任せるんですよね」
「よくできました」
 アドニはとてもとても不安になった。
 
       *
 
 抽籤は厳正に行われた。
 まず、地球上に住んでいる七十億人それぞれの名札をつくる(アドニがやった)。次にその名札を一枚ずつつないで大きな大きな紙の環にする(やはりアドニがやった)。その環を宇宙空間にぽっかりと浮かべて、内側でジョギングして回転させる(アドニがやった。ちょうどペット用の回し車みたいに)。ヤルダが「はいストップ!」と声をかけて環をつかんで止める。ちょうどつかんだ場所の名札が当たり、というわけだ。
 この作業のせいでアドニは体重が六分の一になるくらい痩せてしまった。
 でも大丈夫、とアドニは思った。ぼくは強くできているからヤルダさまにいくらこき使われても平気。たくさん食べれば元に戻るし。それよりも選ばれてしまった人がかわいそう。
 
       *
 
 フミオは東京の隅っこの街に住んでいる13歳の男の子で、ゲームと漫画が大好きで、英語の成績が悪いのだけが心配事の、ごく普通の中学生だった。だからあと一年で特別な年がやってくることも、神さまがほんとうにいることも知らなかった。
 ある木曜日の夕方、学校を出たフミオが河原の道をひとりで家へと歩いていると、真っ白なハツカネズミを肩に載せた金髪の女の子がいきなり目の前に現れた。ヤルダだった。
「神さまですよ!」
「わっ」
「あたし神さまです! お母さまは『人間は神のことを又聞きだと信じるくせに目の前に現れても全然信じない』と言っていたので今からびしびしっと証明しますね! まずはこの凶悪な爆弾であなたを殺します、どっかあああああああん! 痛いのは一瞬だけ、即死だから安心してください、っていうかもう死んでるんだから言っても無駄ですよね、次に生き返らせます、はい! 身体も服も鞄も鞄の中のちょっと恥ずかしい点数のテスト答案も元通りです!」
 木っ端微塵だったフミオは一瞬で元に戻って、あまりのできごとに口をぱくぱくさせた。
「というわけであたし神さまです、わかってくれましたよね?」
「な、な、な、な、なんなのいきなりっ?」
 フミオは尻餅をついて、ヤルダから逃げようと後ずさる。それはそうだろうなとアドニは見ていて思う。もう少しましなやり方はないのだろうか。
「だから神さまです!」
「か……み……? って、本気で言ってんのかよ?」
「あれ。まだ信じてくれないんですか。じゃあもう一回やりますね」
 二つ目の爆弾を取り出したヤルダをフミオとアドニは必死に止めた。
「ごめんなさい、信じる! 信じるから!」「ヤルダさまいけません爆弾は一日一回!」
 二人と一匹は河川敷のコンクリートの地面に並んで座って話をした。
「それで、あのう、神さまがおれになんの用なの」
 フミオがげっそりした様子で訊ねた。
「お願いしたいことがあるんです」とヤルダは可愛らしく首を傾げて言った。「あなたにしか頼めないんです」
「なんで。おれ、神さまに頼みごとされるような特別な人間じゃないと思うけど」
「もう一度くじ引きするの面倒なんです! だからあなたにしか頼めないんです!」
「ヤルダさま、そういうのは正直に言わないでください」とアドニはか細い声で忠告した。
「くじ引きなのかよ……」
 案の定フミオはさらにげっそりした。
「フミオさんは今からあたしの預言者になってもらいます。ええとっ、来年は人類みんなにとってものすごく、ものすごく、ものすごおおおく特別な年なので、1月1日に大々的にお祝いをしたいんです。でも、あたし宣伝するの忘れてて、人類のみなさんはだれも知らないわけで、フミオさんに宣伝係をやってもらおうというわけです」
「はあ」
 フミオはなにがなんだかわからない顔をしている。
「あと一年で、世界中をお祝いムードにしてほしいんです。オリンピックとワールドカップと万国博覧会が一緒になったくらいでっかいカウントダウン・イベントが開かれるように!」
「あと一年で? 世界中? オリンピック? ワールドカップ? 無理、ぜったい無理だよ、おれ中学生なんだよ?」
 フミオは泣きそうな声で言った。
「大丈夫ですよ」とヤルダはフミオの背中を叩いた。「これまでにもあたし、何度も人任せにしてきました。預言者に選ばれた人たち、みんな最初は無理だ無理だって言うんですけど、なぜかけっきょく引き受けてくれましたから」
「それはヤルダさまが爆弾を持って頼むからです」とアドニはか細い声で指摘した。
「だいたい、その、特別な年? って、どう特別なの」
「ひみつです」
「どうして! 宣伝するんだろ、ひみつってどういうこと?」
「それはですね、どう特別なのか知られちゃうと、世の中にはひねくれ者がたくさんいますから、特別じゃなくされてしまうのです。そんなわけであなたにも教えてあげません。どう特別なのか知らずに宣伝してください!」
「意味わかんないよ……。そんなんじゃだれもおれの話なんて信じてくれないだろ。なんで自分でやんないの、神さまでしょ」
「だって面倒くさいじゃないですか」
「ヤルダさま、そういうのも正直に言わないでください」とアドニはか細い声で忠告した。
「神さまのくせになんで面倒くさいとか言うんだよお」
 フミオはほんとうに泣き出してしまった。
「神はものぐさな方がいいっていう調査結果が出てるんです。勤勉な神だと、宇宙が生まれてから0.00006秒くらいで人類が発生して進化しまくって物理法則を支配する超心霊集合体にまでたどり着いちゃって世界が完結しちゃってぜんぜん面白くないんですって」
「面白くなくていいよ! おれの人生をこんなふうに面白くしなくてもいいよ!」
「あ、でも、ただでやれとは言わないですよ」
 ヤルダはポケットから薬瓶を取り出した。
「ちゃんとフミオさんには神さまの力をひとつ授けますから、それを使ってがんばってイベントの宣伝をしてください。この薬を飲むとですね……」
 フミオは嘆息し、髪をもじゃもじゃ掻き回し、薬瓶をにらんだ。
「……おれにもさっきみたいなすごい奇蹟が起こせるようになるってこと? ううん、そうか。神さまの力か」
 先ほどよりもだいぶ目にやる気がある。フミオは身を乗り出して薬瓶に顔を近づけた。
「それならなんとかなるかなあ。で、どういう力なの。やっぱり生き返らせるの? それとも空飛べるとか? 未来がわかるとか病気が治せるとか人の心が読めるとか?」
「箪笥の角に足の小指をぶつけないようになります」
「それなんの役に立つのッ?」
 
       *
 
 薬を飲んだフミオには、たしかに神さまの力が宿った。どうやっても足の小指が箪笥の角にぶつからなくなったのだ。普通に歩いていてうっかりぶつける事故がなくなっただけではない。自分から箪笥の角を思いっきりキックしようとしても、不思議な力で足が弾かれてしまう。
「だからってこんな力でどうしろっていうんだよ……」
 フミオは自分の部屋の箪笥で効力をひとしきり確かめた後でベッドに腰掛けて深く深くうなだれた。
「がんばってくださいフミオさん! 気合いです! あと11ヶ月と20日くらいしかありませんけどフミオさんならできますよ」
 隣に座ったヤルダは明るく言った。
「応援なんていいから、もっとましなことできるようにしてよ!」
 フミオが怒ると、ヤルダはしょんぼりして言う。
「でもそうするには天国からべつのお薬を取ってこないといけないし、天国はすごおおおおく遠くて往復するのがすごおおおおくたいへんなんですよ。面倒です。フミオさんを応援する方がずっと楽です」
「おれだって面倒くさいよ。なんにもしないで寝てようかな」
「そうするとフミオさん地獄行きですよ」
「おれがなにしたんだよ……」
「なにもしてないからです!」
 ヤルダはせいいっぱいえらそうに言う。さすがにアドニはフミオがかわいそうになって、彼の肩に跳び移り、少し考えてから言った。
「フミオさま。箪笥の角が小指と反発するんですよ。これって小さいですけど奇蹟ですよね。うまく使えばきっとなにか注目を集めるきっかけになりますよ」
 フミオは腕組みしてしばらく考えてから答えた。
「ネズミが喋る方がよっぽど奇蹟じゃないかなあ」
「だめ! だめです、あたしのアドニを見世物にしようだなんて!」
 ヤルダはフミオの肩から真っ白な毛玉を引ったくって胸にぎゅうっと抱いた。アドニは窒息しかけて後脚と尻尾をばたつかせた。
 
       *
 
 アドニの提案は一理あったので、次の日からフミオは放課後すぐに家に帰ってきて練習をすることにした。
 街はずれの裏山に粗大ゴミが大量に捨てられているので、フミオはそこから箪笥を探し出して横倒しにして並べた。アドニも小さなハツカネズミの身で手伝ってくれた。
「これで箪笥の角ばかりが並んでいることになるので、フミオさまの足の小指と反発しますから、うまくバランスをとれば宙に浮かべるのではないでしょうか」とアドニは言った。
「さすがアドニです。そんなこと考えつくなんて頭いい!」とヤルダは言った。「フミオさん、がんばってください! あたしは神さまだから練習なんてしなくても空飛べますけどフミオさんは人間だから努力が必要なんですね」
「フミオさま、辛抱です」とアドニはフミオの身体によじ登り、握り固められて怒りにぷるぷる震えている拳をなだめた。「ヤルダさまに悪気はないんですから」
 フミオは肩を落とし、ヤルダに背を向けると、手の甲にのった白い毛玉に訊ねる。
「ネズミ、おまえさあ、あんな神さまといつも一緒にいて腹立たないの?」
「だってぼくをつくってくださったのはヤルダさまですから。生命をゼロからつくるためにはたいへんな手間が必要なんです。それくらいヤルダさまはぼくを愛してくださっているんですから、腹なんて立たないです」
「ふうん。おまえ、いいやつだなあ」
 アドニに免じてヤルダは放っておくことにして、フミオは練習を始めた。
 箪笥に跳び乗ろうとすると、ちょうど磁石のN極とN極を近づけたときのように、足の小指がぼよんと反発する。そのままならつんのめるかのけぞるかして頭から箪笥に落っこちる。フミオはもう何度も何度も頭をぶつけた。ヤルダの応援の声がたんこぶに響いて痛かった。
 けれど毎日練習しているうちにコツをつかんでくる。一週間目には箪笥の上1メートルくらいのところで直立姿勢のまま滞空できるようになり、一ヶ月目には宙をゆっくり歩き回れるようになった。
「フミオさま、さすがヤルダさまに選ばれただけあります」
 練習につきっきりだったアドニは、フミオの頭の上をちょろちょろ走り回って喜ぶ。ちなみにヤルダは飽きてフミオの部屋で寝ていた。
「でもこれで世界中の人が言うこと聞くようになったわけじゃないだろ。テレビくらいには出られるかもしれないけどさ」
「そこです、フミオさま。手っ取り早く世界的な人気者になるには、人助けです!」
 
       *
 
 一ヶ月後。
 都内の家具専門店のビルで大火災が起きた。たまたま近くで屋外生中継をしていたテレビカメラが、あっという間に炎に呑まれていくビルの様子を映した。黒い煙を吐き出す最上階の窓に、逃げ遅れた女性店員の姿があった。下の階は完全に火の手に包まれ、消防車のサイレンの音はまだまだ遠く、現場の野次馬も、テレビ画面で観ていた者も、だれもがあれは助からない、と思った。
 そのとき、窓にもう一つの人影が現れた。
 その人影は、窓から大きななにかを担ぎ出して階下に投げ落とした。箪笥だ。ビルの前の道路に激突する。もう一つ。さらに一つ。野次馬たちが騒ぎ出す。悲鳴がいくつもあがる。
 最上階の窓から、二人ぶんの人影が飛び出したからだ。
 奇蹟の一部始終は、テレビカメラが捉えていた。
 もみ合って落ちてくる二つの人影――若い女性店員と、それを抱きかかえる少年――が、地面に叩きつけられる寸前、まるで見えない巨大なゴムに阻まれたかのように空中でバウンドした。なにが起きたのか理解できる者は一人もいなかった。現場のだれもが唖然としてビルを見上げ、テレビの前の視聴者たちは画面を食い入るように見つめた。
 少年は女性を両腕に抱きすくめたまま、なにもない空中でぶよぶよと上下に揺れながら浮いていた。
 もちろんフミオである。
 
       *
 
 次の日からフミオはテレビ番組に引っ張りだことなった。なにしろ人命救助のヒーローである上に、テレビカメラの前で現代科学では説明のつかない奇蹟を見せてしまったのだ。
 出演前に、フミオはアドニと念入りに打ち合わせをした。
「いいですかフミオさま。いきなり預言者がどうの、と言い出してはいけません。みんなどん引きしてしまいます。最初はとにかく、神さまに祈って必死で飛び降りただけなんです、どうして助かったのか自分でもわかりません、と言うんですよ」
「そんなことよりさあ、なんでテレビが生放送してる前で都合良く家具屋で火事が起きて、しかもおれが都合良くその店にいたわけ? おまえ、なんかやっただろ?」
「偶然です。フミオさまが神さまに選ばれた人間だからですよ」
 そんなわけあるか、とフミオは思ったが、出演時間が近づいてきたのでそれ以上問い詰めるのをやめた。
 フミオに対する世間の反応は二通りだった。一つ目はミラクルボーイと祭り上げる風潮、もう一つは謎の浮遊現象を解明してやろうという動き。そのどちらにもフミオは根気強くつきあった。大勢の科学者を前にした実験で何度も何度もぼよんぼよんと空を歩いてみせたし、ニュース番組にも、ドキュメンタリーにも、果てはバラエティーやお笑いトーク番組にも出演して、救出劇について喋った。話の内容は一貫してアドニに教わった通りだった。
「……おれ、自分でもよくわからないんですけど、神さまにお祈りしながら飛び降りたら、助かったんです」
 外国のマスコミもすぐにフミオに興味を持ち、取材が殺到した。海外向けの談話はもう少し派手にしましょう、とアドニが言うので、フミオはこんなことも喋るようになった。
「落っこちていく間に、神さまの声が聞こえた気がします」
「宙に浮かんでいるとき、神さまの姿が見えた気がします」
 ついにはヨーロッパの大きな教会からフミオに連絡があった。あなたの起こしたのは本物の奇蹟ではないか、調査したい、とのことだった。その手紙を読んだアドニは、フミオの頭の上でぴこぴこ跳びはねて喜んだ。
「やりましたフミオさま、大きな一歩ですよ! これで教会に認められれば目標にぐっと近づきます」
「もうやだよ、こんなえらそうな坊さんまで出てきたら、そろそろばれちゃうよ。おれ、ただの子供なんだってば。もうやめたい」
 ここ一ヶ月のテレビ出ずっぱり生活でフミオはすっかりくたびれきっていた。
「大丈夫です、フミオさま」
 アドニは根気よく説得した。
「教会の人たちはきっと、神さまがどんな姿でどんな声でどんなことを言ったのか、と根掘り葉掘り訊いてくるはずです。正直に答えればいいだけです。教会もフミオさまを預言者だと認めざるを得ないでしょう。なぜってフミオさまは実際にほんものの神さまを間近で見ていてよくご存じなんですから」
「ほんものの神さまってあんなだけどっ?」
 フミオはベッドを指さした。ヤルダは「ふにゅ……お外出たくない……お仕事めんどくさいからずっと寝てたい……」とつぶやきながらいぎたなく惰眠を貪っていた。
「あんな様子を正直に話したらかえって信じてもらえないにきまってるだろ!」
 ところがアドニは自信満々に言う。
「いえ、あのヤルダさまの様子を正直に話してください。教会の昔の人たちが見た神さまというのも要するにヤルダさまのことですから、まさにあの様子が言い伝えられているはずなんです」
 そんな馬鹿な、とフミオは思ったが、アドニの言う通りだった。教会の大司教だという人たちに、「あなたが見聞きした神というのはいったいどんな様子だったか」と訊かれ、だらしないヤルダの生活ぶりを答えたら、大騒ぎになったのだ。
「まことだ」
「この少年が見た神はまことだ!」
「秘伝に書かれているのとまったく同じだ!」
「この方はまことの預言者、まことの神の子だ!」
 目をぱちくりさせるフミオのシャツのポケットの中で、アドニはほっと胸をなで下ろした。
 
       *
 
 その年の大晦日、フミオはようやくゆっくり休みをとることができた。
 場所は日本ではない。ニューヨークにある国連本部ビルの一室だった。時刻は明け方、紫色の靄に包まれた摩天楼群が窓から見える。
「いよいよですねっ、フミオさん」
 ガラス窓に張りついたヤルダが、マンハッタンの幻想的な黎明を眺めながら嬉しそうに言う。
「地獄行きにならなくてほっとしてるよ……」
 教会の仕立ててくれた珍妙な白い祭服を着たフミオは、ふかふかの絨毯の上にぐったり寝転がってくたびれきった声で言う。
 窓の外の暗い空を、ヘリコプターが飛び交っている。磨き上げられた自由の女神像を無数のサーチライトが浮かび上がらせている。オーケストラの演奏もどこからか聞こえる。部屋の隅の四列四段に並べられたテレビは、世界各国のイベント中継を映し出している。
 もうすぐカウントダウン・イベントだ。
 ニューヨークはまだ12月31日の早朝だけれど、地球上でいちばん日付が早く変わるキリバス共和国に、あと数分で新年が訪れるのだ。
 預言者であるフミオは、もちろんカウントダウン・イベントに出席してくれと頼まれたのだけれど、新年になる瞬間に神さまのお告げがあるから部屋でひとりきりにしてくれ、と嘘をついて引きこもっているのだ。ほんとうはただ疲れているだけ。
「フミオさまのおかげです。この一年の活躍、すばらしかったです」
 フミオの頭の上にちょんと座った白い毛玉――ハツカネズミのアドニが言う。
 奇蹟の子、神の子だという教会のお墨付きをもらったフミオは、世界中を引っぱり回されながらも、とても慎重に行動した。
「どうしておれが助かったのかはわかりません。でも、神さまに祈ったおかげだと思います」
「神さまの声が聞こえた気がします」
 子供らしい態度で、曖昧な言葉遣いを通したのが、かえって功を奏したのだ。まわりの大人たちが勝手に拡大解釈して大げさに喧伝してくれ、信憑性が失われずに済んだのである。おまけにフミオが箪笥の上限定とはいえ空を飛べるのは実験で繰り返し繰り返し実証されていた。フミオを信じる人々は世界中に増えていった。
 頃合いを見計らって――見計らったのはアドニなのだけれど――フミオは教会の人たちにこんな話をした。
「神さまが昨日、夢に現れて話してくれました」
「おれをあの火事のときに助けた理由についてです」
「来年は、神さまにとっても地球にとってもすごく特別な年なので、1月1日に、神さまが地上にやってくるそうです」
「おれは神さまの声が聞けるので、地上の人たちに神さまの来訪を告げるため、命を助けられたんだそうです」
 来年、神さまが地上に現れる!
 世界中が驚き、喜び、沸き立ち、そしてフミオの言葉に従って新年のお祝いの準備を始めたのである。
 そうして大晦日がやってきたわけだ。
 目の前の、ニューヨークでもいちばん大きな超高層ビルの壁面に、巨大な《10》という数字が表示される。カウントダウンが始まったのだ。歩道に集まった数十万人のニューヨーク市民の歓声がここまで聞こえてくる。
「フミオさんフミオさん! カウントダウン始まりましたよ、はい、これ」
 ヤルダが近寄ってきてフミオの隣にしゃがみ込み、大きな赤い押しボタンが一つだけついた黒いリモコンを手渡してくる。カウントダウンの数字が9、8、と減っていく。
「なにこれ」「なんですか、ヤルダさま」
 フミオとアドニは同時に言ってリモコンを見下ろす。
「あたしたちもカウントダウンですよ、お祝いの花火を用意したんです、新年になった瞬間にぽちっと押してください」
「ふうん」フミオはリモコンを受け取る。「ところで、神さま」
「はい?」
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないの」
「なにをですか?」
「特別な一年ってどう特別なの?」
「あ、それですか。もう教えてあげます」ヤルダは得意げに笑う。「もうすぐ来る年はですね、人類が生まれて以来、はじめて――世界が滅亡するっていう予言をだれもしなかった年なんですよ!」
 フミオは目をぱちくりさせる。ヤルダは嬉しそうに説明を続ける。
「ほら、1999年とか2012年とか2015年とか2020年とか、世界滅亡するっていうお話いっぱいあったでしょ? 人間て世界滅亡させるの大好きなんですよね、色んな人が色んな予言を好き勝手にしてて、もうだいたいどんな年も世界滅亡の年って言われちゃってるんですよ。でも、でも! 来年です、来年! 来年だけは、だれの滅亡予言にも出てこないんです! すごいでしょ? めでたいですよね?」
「ううん……」
 フミオは返答に困った。すごいといえばすごいような気もしなくもない。
「だからフミオさんにも教えられなかったんです。だって教えちゃったら、だれかひねくれ者にばれて、いやがらせで来年滅亡しますって予言しちゃうかもしれない。特別な一年が台無しですよね。それで黙ってたんです、ごめんなさい。フミオさん、ほんとうにありがとう。こんなあたしのために、事情も知らないのに一所懸命がんばってくれて」
「ああ、なるほどね……」
 フミオは深々と息をついた。
 これまでヤルダにさんざんわけのわからない理不尽な話をされてきたが、今のがはじめてまともに理解できる話だった気がする。それにヤルダのほんとうに嬉しそうな笑顔を見ていると、一年間さんざん苦労したけど、役には立てたみたいだし、べつにだれかに迷惑をかけるようなこともしていないし、おれも素直にお祝いしてもいいかな……という気分になってきた。
 窓の外の暗い空に花火が上がった。眼下でひときわ大きな歓声がわきあがった。目の前のビルの壁面には《A HAPPY NEW YEAR!》と表示されている。フミオは我に返った。地球に新しい年が、すばらしい特別な夜明けがやってきたのだ。
「フミオさん、ボタン! ボタン押してください!」
「あ、う、うん」
 ヤルダに突っつかれてフミオはリモコンのボタンを押した。その瞬間、地球全体が数万度の炎にぴっちり包まれ、世界は滅亡した。
 
       *
 
「どうしてこんなことしたんですかっ」
 どろどろの溶岩の塊になってしまった地球を上空から見下ろしながらアドニはヤルダの肩でぴょんぴょん跳びはねて怒鳴った。
「もう生き物なんてびたいち残ってませんよ、完全に滅んじゃったじゃないですか」
 アドニに叱られ、ヤルダはむくれて答える。
「だって、他の年に滅ぼしたら、神さまのあたしが人間の言う通りにしたことになっちゃうじゃない。そんなの神さまの股間にかかわるよ」
「股間じゃなくて沽券です!」
「まちがえちゃった」
「人間の言う通りにしたくないなら滅ぼさなければいいだけでしょう」
 ヤルダは目を丸くし、それからアドニの真っ白でつややかな毛並みをなでた。
「そうかあ。言われてみればそうだね。全然思いつかなかった。アドニ、頭いいね」
 アドニはもうため息すら出てこなくなって、主人の金色の髪の中にもぐりこんだ。いくら強くできているとはいえ、惑星が燃えているのを間近で見ていると熱くてしょうがない。
 それに、とアドニは思う。これがぼくのご主人さまなんだ。
「ま、いいか」とヤルダは言った。「また地球つくろっと。人類ができるまで7000年くらいかかっちゃうけど、まだ読んでない漫画いっぱいあるし、すぐだよね」
 どれだけちびっこい女の子であっても、神さまなのだ。
 神さまは反省しない。ただちょっと残念がるだけ。
 ヤルダは燃え続ける地球に背を向けて天国へと飛び始めた。そのうなじにしがみついて、アドニは祈る。どうか次の地球に生まれるものたちにはやさしくしてくれますように、と。