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管理人しげおの場合は?
平成07.08.21
夕方の18時過ぎ、当時システムエンジニアをしていた私は、外出先から本社に戻り交通費精算等の事務処理をしていた。すると左のこめかみ辺りに、長い針を刺した様な痛みがはしった。その痛みはしだいに眉間の方へ移動していった。とその時、突然手先、足先がしびれはじめ、動悸がし、ドキドキしてきた。いわゆる最初の「パニック発作」を起こしたのだ。自分のデスクの椅子から立ち上がる事も出来ず、普通の体調不良とは違う事を確信した。「どうしよう!どうしよう!どうにかなってしまうのか?」と焦っていると、同期入社の友人が「おう、かえってたのか。」と私の近くに来た。思いきって彼に言った。「調子が悪いんだ。寮まで連れて帰ってくれないか?」、友人:「ん?」
本社ビルから数分歩いた所に寮はあった。必死の思いで部屋までたどり着いた。敷きっぱなしの布団に横になったが、その頃には、動悸も、しびれもケタ違いに酷くなっていた。当時から6年前に父親が心筋梗塞を起こして、あわや・・・という過去を思い出した。実は祖父も心筋梗塞を患い、それが原因で亡くなっている。自分もか・・・「あぁ、人ってこうして死んでゆくんだな・・・」と「死」を覚悟した。話す事も不自由になっていたが、かろうじて同僚に救急車を呼んでもらい、近くの病院に入院した。血液検査、尿検査、心電図等一通りの検査では異常が無く、不規則な生活とストレスが原因の「自律神経失調症」と診断された。(もちろん原因不明なので便宜的にである)肩口に注射をし、意識がもうろうとしながらも病室のベッドで眠りにつく事が出来た。・・・そして症状は翌朝には殆ど消えていたのだ。薬(安定剤)を処方して頂き退院するも、外出すると、フラフラ感、頭重感、また熱っぽい感じがして会社を欠勤する事になってしまった。
平成07.09.07
そこで、自社の企業内病院に検査入院する事になる。この日、担当医から「パニック障害かもしれないね」と告げられた。「ん?一体なんの病気だ?」服用する薬も変わった。翌日から、一日1時間のリハビリ外出が義務づけられ、約40分の散歩コースを歩き、体調をモニターした。薬が私に合っていたのか、3日後には外出しても体調を殆ど崩さなくなった。結果、一週間の検査入院、二週間の自宅療養、さらに二週間のリハビリ出勤を経て、職場へ復帰したのだった。
平成07.11〜平成08.03
薬の服用さえしていれば問題なく生活を送る事が出来ていたが、薬を二週間に1錠減らすよう医師から指示を受け、三歩進んで二歩下がる状態で、薬を減らしてゆく事になった。かなり、そうとう辛い作業だった。(後にK大学病院の医師からは二週間に1錠の減薬は、スピードが早過ぎると指摘をうけた。)
平成08.04.15(なんとロンバケ本放送開始と同じ日)
仕事先で突然体調不良を感じる。熱っぽく、手先が震えだした、と同時に動悸が激しくなった。強いパニック発作だった。(何度目の発作だろう?数えきれない)
一日休養をとり出社するが、それでも不調が続いていた。その状態で出社(外出でも同じ)すると、熱が38℃くらいまであがって、脈が100を超えてしまう状況となり、仕事が手につかない。それを無理に我慢していると、体がフラフラしてくる感じがした。念のため昨年と同じ企業内病院に行くも、「ただの風邪だよ」と言われとりあってもらえない。体調は回復しないままである。
平成08.04.20
自分自身と企業内病院の主治医が異動となり、私の担当医が変更になった。名前は伏せるが、女医であった。体調不良を感じてから10日以上経過しても、いっこうに症状は回復せず、また企業内病院を訪れる。それは昨年と同様に検査入院から徐々にステップアップするためである。しかし、その女医は初対面にも関わらず「貴方は、ノイローゼなんですから、そう簡単に治る訳ないんですよ!」と一喝されてしまう。(ショックだった。「治らない・・治らない・・」どん底をもう一度見た気がした。)
結局、その女医とはゴールデンウィーク明けまでの状況を見て、入院の是非を検討する。という事で話しは落ち着いた。その年のゴールデンウィークは、休養をとる意味で宮城県にある実家に帰ってのんびりした。電車での移動時間が長いのが不安だったが何とか帰省できた。(電車に乗る事は克服していた筈なのに)が、実家での生活でも、4月15日以来の微熱と動悸が続いていた。
平成08.05.07
ゴールデンウィークの休み明けの出社、体調は依然変わらず帰宅する事に。結局、企業内病院を再び訪れ、入院する事になる。この入院生活の最中に、ドラマ「ロングバケーション」を何気なく見て好印象を受ける。「無理に走らない、焦らない、頑張らない」そゆこと。
平成08.06.22
入院から一ヶ月半経つも、女医との信頼関係、会社との信頼関係等に不具合があったせいか、私の症状がいっこうに回復しない。姉の勧めもあり、体調不完全ながら無理矢理退院し、K大学病院の精神・神経科の門を叩く。担当の医師は「パニック障害」に非常に理解のある先生であった。が、会社の方は、私が企業内病院を離れたせいか対応が著しく悪くなり、失望感を抱くようになった。
平成08.09.26〜
正式に会社から休職扱いをうける事になる。
平成09.10.01〜
1日4時間〜のリハビリアルバイトを始める(会社からはリハビリ出勤を認めてもらえなかった。)約1年かけて、週4日、1日8時間のアルバイトが出来るまでに回復していた。
平成10.03.25
正式に会社を退職する。
平成10.11.29
父と相談の上、宮城県にある実家に戻り、家業を手伝う事になる。通院する病院は、地元の精神科医師の紹介で、仙台のクリニックに変更した。元国立大学病院の神経科医師が担当医となった。
平成11.01.06〜
家業を継ぐべく修行の身に。処遇は自分の希望でアルバイト。1日4時間からリハビリ出勤を始めた。
平成11.06.01〜
なんとか8時間の就労が出来るようになった事で正式に社員とされた。順調とは言えないが薬もしだいに減り、半人前程度にはなってただろうか?。正直しんどかったが、汗をかきながらの木材加工業は中々やり甲斐のある仕事だった。が体調を崩す事も頻繁にあった。本家からの男息子が社員になった。「期待をするな」と言う方が無理な話し。プレッシャーと不安の中の生活?であった。
平成12.04.29
大事な事。私は、世の中で最も私を理解してくれる女性と結婚できたのである。事あるごとに共に一喜一憂してくれる妻がいる。私の居場所があると感じる。二人三脚でこの「パニック障害」とやらを克服してゆくつもりだ。
平成13.05〜
体調がおもわしくない。全身が強烈にダルイ。血液検査の結果「肝炎(肝機能障害)」だった。薬の量が初期の状態に戻り、新たに肝臓の薬、「タチオン100mg」(1回2錠、1日3回)が加わった。
平成13.08〜
いよいよ余裕が全く無くなって来た。父に相談し、会社はしばらく休む事にした。
平成13.10〜
またしても、傷病手当金に切替えて、生活を送る事になる。期間は1年6ケ月、その間に何か善後策を練らねば。
平成13.11〜
肝臓の検査結果がおもわしくない。「タチオン」の他にウルソサン(1回1錠、1日3回)が新たに加わる。
平成14.03.25〜
長い長〜いトンネルをぬけたのか?所属は前の会社のまま、妻と二人、小売販売のリハビリバイトを始めた。
平成15.08.01〜
1年半のリハビリバイトを経て所属を前の会社から今の会社へ変更。処遇は臨時社員になる。仕事内容はそのまま。
平成16.04.01〜
仙台在住の妻の妹が地元に戻る。仙台通院時、ゆっくり休ませてもらっていた妹のアパート(安全地帯)が無くなる。
平成16.08.06〜
血液検査の結果が出た。肝臓の薬、2種類(タチオン&ウルソサン)が無くなる。嬉しい〜!
平成16.09〜
処遇が変更、臨時社員から契約社員になる。仕事内容はとりあえずはそのまま。感謝である。
平成17.01〜
去年の8月からの体調不良が良くならず、検査結果から、タチオン100mg(1回1錠、1日3回)がまた新たに加わる。
平成17.08〜
体調低迷が続く中、セルベックス50mg、S・M散(1回1錠&1袋、1日3回)の胃薬が新たに加わる。
平成17.11〜
セルベックス、S・M散、タチオン、が無くなるも、ウルソ50mg(1回2錠、1日3回)が新たに加わる。
平成17.12〜
仙台への通院(電車で片道2時間)が困難になる。去年の4月頃(仙台での休憩場所が無くなった頃)からこの傾向はあった。工夫はしてみたものの、ホテルを予約し宿泊しても、休んでも、帰りの電車内で発作をおこしていた。この後、電話だけでの対応になる。
平成18.04.19
前月の3月半ばより、徐々に外出(出勤)も困難になってきた。その為、市内の精神科を受診する。パキシル30mgを処方される。転院も考えてはいたものの、とりあえず様子を見る事にした。体調が悪い時に大事な事は判断しない方が良いとの考えが我々にはあった。
平成18.04.26
先週同様市内の精神科を受診する。パキシルが20mg×2に、さらに朝と昼にアモキサン25mgを処方され様子見となった。
平成18.10.13
5月の半ば以降、わりと体調良く過ごせていた。そこで10ヶ月ぶりに仙台のクリニックに行ったのだ。ド緊張の車中であったが、結果オーライである。そこで、これまでの経緯と地元の病院への紹介状をお願いして来た。かなりハードであったが行って良かった。仙台へは通院でなくとも行く事もあるかもしれない。徐々に遠出に慣れていけば良いのだ。
平成18.11.13
先月クリニックへ挨拶した事で本格的に地元の病院に転院した。処方される薬も一部別会社の物になった。(同じ効用の薬でも、名前が変わるだけで体調に変化がある事も。)デパス1mg(朝昼夜)・セルシン2mg(朝昼夜)・ドグマチール100mg(朝昼夜)・ウルソ50mg×2(朝昼夜)・アモキサン25mg(朝昼)・パキシル20mg×2(就寝前)と6種類・19錠/日となった。
平成19.01.16〜
体調は良好なものの、肝機能の改善が見られない為、メバロチン5mg(朝)・グリチロン×2(朝昼夜)が追加になった。
平成19.05.07
春特有の気候に、多少の波はあったものの体調は良好と言えよう。だが血液検査の結果、内科で肝臓の検査をする事になった。
平成19.05.21
内科での肝臓検査の結果は脂肪肝であった。食事制限と運動って事。そろそろ散歩を始めよう。ダイエットだ。
平成19.07.02
肝臓の検査結果をうけて、慢性肝炎の薬、プロヘパール錠(朝昼夜)が加わった。
平成19.11.06
車で奥さんと2人遠出を敢行。何と高速道路を使って仙台迄往復で5時間のドライブ。考えられない行動力&行動範囲だ。発病当初は布団の中にしか居れなくて、徐々に自宅の中なら大丈夫になって、徐々に外出も出来る様になって、すると自宅の中では活動的になった。徐々に車に乗れるようになって、徐々に遠出が出来るようにって、すると市内で活動的になった。経験上、活動範囲を1度でも頑張って広げれば、その後、内での活動が活発になる傾向があった。この仙台への遠出の効果、期待できるかな?普段の生活が、より活動的&豊かになるかな?わりと期待。
平成20.05.27
血液検査の結果をうけて、メバロチン5mgが夜に1つ増えた。
平成20.06.24
ここ最近の体調の良さから減薬を主治医に相談してみた。その結果、就寝前の薬、パキシル20mg1錠の減薬に成功!これで、プロヘパール錠(朝昼夜)・デパス1mg(朝昼夜)・セルシン2mg(朝昼夜)・ドグマチール100mg(朝昼夜)・ウルソ50mg×2(朝昼夜)・グリチロン錠×2(朝昼夜)・アモキサン25mg(朝昼)・メバロチン5mg(朝夜)・パキシル20mg(就寝前)と9種類・29錠/日となった。
平成20.08.26
肝機能は悪いものの、ここ2ヶ月体調かわり無しと主治医に伝えると就寝前のパキシル20mgが10mgに減った!
平成20.12.09
ここしばらく、今迄にない元気で、非常に良いと主治医に伝えるとアモキサン25mg(昼)を減薬する事になった。これでプロヘパール錠(朝昼夜)・デパス1mg(朝昼夜)・セルシン2mg(朝昼夜)・ドグマチール100mg(朝昼夜)・ウルソ50mg×2(朝昼夜)・グリチロン錠×2(朝昼夜)・アモキサン25mg(朝)・メバロチン5mg(朝夜)・パキシル10mg(夜)と9種類・28錠/日となった。
平成21.01.13
主治医の勧めでパキシル10mg(夜)がより肝臓に負担の少ないルボックス25mg(夜)に変更となった。
平成21.02.01
所属はそのままであるが、仕事環境が変る。(自分で望んだ事である。)
平成21.07.01〜
毎朝、魚市場へ通うようになる。早起きして毎朝歩く。仕事には中々慣れないが、体調は順調と言えよう。緊張する場面もあるが、それも行動療法の1つ、と思える。どこまで何が出来るか、頑張ってみようと思う。
平成22.04.13
主治医との相談のもと、夜のデパス1mg1錠の減薬に成功!
平成22.07.13
主治医との相談のもと、昼のデパス1mg1錠の減薬に成功!またデパス1mgが朝だけになった事を考慮し、デパス0.5mg×2錠となった。
平成22.8〜10
主治医との相談のもと、朝のデパス0.5mg×2錠の減薬に挑戦したが、うまくいかず。朝のデパスはそのまま服用する事とした。
平成22.11.09
主治医との相談のもと、夜のドグマチール100mg1錠の減薬に成功!
平成23.01.25
主治医との相談のもと、昼のドグマチール100mg1錠の減薬に成功!
平成23.02.22
主治医との相談のもと、夕食後のルボックス25mgをやめ、サインバルタ20mgを1錠
朝食後に服用する事となった。このサインバルタは最近の薬で、元気・やる気をおこし、不安を和らげる作用がある。午前中で電池が切れるように動けなくなると話した所、その様になった。1日中元気でいれるようになれば今後もっと活動的になると期待する。
平成23.03.11
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
平成23.03.18
震災により通院していた病院が被災し、しばらくの間、通院不可能に。他の病院を探していってみる事にした。薬が不足しているため、セルシン2mg(夜)と、プロヘパール錠(朝昼夜)が処方されなかった。
平成23.03.25
震災後、2度目の通院。今回も他の病院である。薬不足が解消されつつあり、プロヘパール錠(朝昼夜)が処方される。体調に変化がみられないため、セルシン2mg(夜)はそのまま減薬となった。結果オーライ。
平成23.05.24
元々の病院が通院&診察可能になった。薬の変化はなく、2週間分処方されるようになった。
平成23.06.15
主治医との相談のもと、朝のサインバルタ20mgが、もう1錠追加となる。
平成23.06.28
内臓の薬のメバロチン5mg(朝夜)からリピトール10mg(夜)に変更する事となった。(処方される薬の量が全て戻った。)
平成23.07.15
この日より、仕事再開。毎日の暮らしにリズムが出てきた。体調も落ち着いてきたように思われる。
平成23.08.10
主治医との相談のもと、ドグマチール100mg(朝)とアモキサン25mg(朝)の2種類2錠を減薬する事となった。が、体調を崩す毎日が続いた。オーバーワークによると思われる久しぶりの発作も1度あった。
平成23.08.17
主治医に相談し、薬は前の状態に戻してもらう。その日のうちから、体調がもどった。減薬はもう少し様子をみて、季節の良い時に1錠ずつ減らしたい旨を伝え了承された。
平成23.09.21
主治医との相談のもと、昼のセルシン2mgを1錠減薬する事となった。
平成24.03.14
体調は横ばいのままだが、3時間前後の昼寝をはさまないと終日の活動が出来ない習慣がついているようだ。主治医との相談のもと、朝のセルシン2mgを1錠減薬も、昼のアモキサン25mgを1錠増やす事となった。これで、プロヘパール錠(朝昼夜)・ウルソ50mg×2(朝昼夜)・グリチロン錠×2(朝昼夜)・アモキサン25mg(朝昼)・ドグマチール100mg(朝)・サインバルタ20mg×2(朝)・デパス0.5mg×2(朝)・リピトール10mg(夜)と8種類・23錠/日となった。