批評 Criticism
雑誌「音楽の友」2009年月7号191ページ(2009年5月15日 東京文化会館―日本ショパン協会第247回例会)
原明美氏評
東京芸術大学とポーランド国立ワルシャワショパン音楽院を卒業した伊藤めぐみは、パデレフスキ国際コンクール4位、フンメル国際コンクール3位などの入賞歴を持ち、国内のほかヨーロッパ各地でも演奏活動を行っている。当夜は、ショパンの主要な「ポロネーズ」8曲でまとめたプログラム。最初の「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」については、流れがもたつき気味なところがあったが、その後「ポロネーズ第1番」から、伊藤は本来の勢いを取り戻し、さらに2番、3番、≪軍隊≫、4番、5番、6番≪英雄≫、7番≪幻想≫まで、聴き応えある充実した演奏が続いた。よく弾き込んであり、ドラマティックな構成でしっかりとまとめられている。各曲の聴かせどころを心得た伊藤は、どの曲の演奏にも情熱を感じさせたが、とりわけ≪幻想ポロネーズ≫での、晩年のショパン像を意識した清らかなトーンと、深みのある表現は、強く印象に残った。
雑誌「ムジカノーヴァ」2009年月8号84-85ページ(2009年5月15日 東京文化会館―日本ショパン協会第247回例会)
壱岐邦雄氏評氏評
日本ショパン協会の第247回例会で、今回のプログラムは伊藤めぐみ(東京藝大およびワルシャワショパン音楽院卒)によるポロネーズ集(アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ、ポロネーズ第1番〜第7番)。
伊藤めぐみはフンメル国際コンクールのほかの入賞歴をもち、内外で活発に演奏活動中の実力派。
とあってまずは明確なタッチからの粒の揃った美音と明瞭なソノリティをもってショパンを明快率直に響かせた。くわえて彼女のピアノはどちらかというと横より縦、つまりフレーズよりも和音やリズムのほうにウエイトをおく傾向がある。結果、ポロネーズがロマンティックよりヒロイックな様相を強めるなど、いかにも「ポーランドのショパン」を感じさせて響いた。
「アンダンテ」はスピアナートな流れのなかにアルペジオやトリルが転がり煌めいてスピントな気配が混じる。続く「華麗なる大ポロネーズ」はダイナミクスの幅が大きくメリハリがきいて、加齢というよりもむしろ強美に響いた。
以下のポロネーズのなかではやはり「幻想」のような叙情性より「軍隊」や「英雄」などのアクティブなシーンに彼女のピアニズムや音楽性がより似合って輝いた。なかでも「英雄ポロネーズ」がダイナミックで鮮烈な快演。第4番は仄暗いハ短調の炎が今にも迸り出そうなスリリングなシーンもあってユニーク。
雑誌「音楽現代」2007年11月号(2007年7月21日 JTアートホールアフィニス)
木村貴紀氏評
「ショパンと舞曲」と題されたオール・ショパン・プログラム。冒頭の4曲のワルツ(第1,4,6,7,13番)は、細く軽めの音が品位を醸し出し、楽曲のイメージに相応しい。第13番では、その率直な解釈が若書きのもつ弱さを露呈してもいたが、演出臭とは無縁の証左でもある。この日は曲間にトークを挟んで進行されたが、それが援用的というか、その内容が自ずと演奏に反映される。その好例が「ボレロ」で、奏者の言葉を裏打ちするような、ポロネーズよりの解釈。だが、前半最後の「タランテラ」にも言えることだが、ラテン発症の舞曲の持つ温度が、多少希薄に感じる。しかし後半の7曲のマズルカ、「英雄」「幻想」の2曲のポロネーズと聴き進めていくにつれて、ショパンに縁の深いプロフィールを持ちながらも、過度の妄信にも心酔にも偏らないこの奏者の音楽性が、これらの舞曲を剥き出しにすることなく、普遍の域にまで昇華させたショパンのスタンスと重なり合い、頷かせるものが会った。
雑誌「ムジカ ノーヴァ」2006年3月号(2005年11月25日 トッパンホール)
雨宮さくら女史評
前半は、ショパンの死後正式出版されたので遺作扱いになっているという、作品番号のない4曲:作曲者7歳のときの2曲と11〜19歳の頃に作られたものがまず弾かれた。続いて24歳、28歳頃の作品、そして休憩。後半は30〜36歳の晩年の3曲。
年代を追ってショパンのこことの変化を探ってゆくという試みは、成功していたと思う。地道な努力のあとが窺える演奏。完成度の高い技術と高度な分析能力を用いた彼女の演奏は、ショパンという人間の長所短所を冷静に見据えながら、その片面をことさら強調するのは避けているふうに、私には思えた。
作品に真摯に対峙し、現在できるベストを尽くそうという心意気が伝わってきて、好感度の高い演奏だった。彼女自身、今、舞台での自己表現が面白くなっているのではないだろうか。前に聴いた時より磨かれ、余裕が加わってきたように思う。今後とも、過度な装飾的な演奏にならないよう、彼女本来の知的でノーブルなアプローチを、失わないでほしいと思う。
雑誌「ショパン」2006年3月号(2005年11月25日 トッパンホール)
平野浩氏評
今回の曲目はポロネーズ。ポロネーズはマズルカとともにポーランドの代表的な民族舞曲だが、舞踏会などで、国王の入場に際して演奏されたとことから、ポーランドの過去の栄光を象徴するとされ、騒乱の祖国を逃れ、その後の生涯を外国で過ごしたショパンにとっては、祖国への熱い思いの象徴だった。彼女の演奏には、その想いがよく表現されていた。ショパンが7歳のときに書いた2曲は日ごろめったに聴く機会がないが、素朴な雛形として、興味深く聴けた。彼女はこの幼児の習作にも全力て対応しており、好感が持てた。
プログラムは年代順に並べられ、後半は「英雄」「幻想」を含む名曲揃い。最後の「幻想ポロネーズ」が最も充実した好演奏だった。ショパンの作品の外観だけでなく、心と深く向き合おうとする演奏者の真摯な姿勢が感じられた。
雑誌「音楽現代」2006年2月号(2005年11月25日 トッパンホール)
上田弘子女史評
当日は、ショパンのポロネーズでのプログラミング。11曲のポロネーズを作品年代順に配列。演奏会で、全曲演奏や連続演奏という構成は多くある。しかし作品の内容も技巧もよほど練られていないと、単なる羅列になってしまう場合がある。よく知られたショパンでは、尚のこと怖い。しかし伊藤の演奏は、飽きさせないどころか、曲が進むごとに耳がグイグイ惹きこまれていく。これはつまり、伊藤が熟考に熟考を重ね、ショパンのポロネーズをすっかり消化しているからこその、説得力なのである。初期の作品(遺作の4曲)は、技巧的には超級ではないが、後の作品の面影がある。そして、中期後期と、画家の作風の変化を観るよう。卓越の一夜だった。
雑誌「音楽の友」2006年2月号(2005年11月25日 トッパンホール)
真嶋雄大氏評
まずはショパンの処女作となった「ト短調」から始められたが、少々テンポが速く、中間のトリオとの対比が浮き立たない。次の「変ロ長調」も先を急ぐ趣があったが、「変ロ短調」からは堂々たる歩みを見せ、じっくりとした味わいを感じさせた。全体に短調に対する表現が突出してすばらしく、長調作品においては情感がやや立体感にかける場面も垣間見えたが、限りない哀切を表出し、節度と気品に彩られた「嬰ハ短調」、燃えるようなパッションを注いだ「変ホ短調」、深い共感と構築感をまとった「ハ短調」、溌剌として清新な抒情に彩られた《英雄》や《幻想》など、いずれもポロネーズの様式を正統的に踏襲し、真正面から取り組んだ真摯な姿勢に心が躍った。
雑誌「MUSICA NOVA」2005年4月号(2004年12月25日 東京文化会館 小ホール)壱岐邦雄氏評
バッハといっても編曲ものとあって伊藤めぐみ、原曲にさしてこだわることなくピアニスティックに響かせた。中でも繊細優美なソット・ヴォーチェで歌う《シチリアーノ》が好演。後半はショパン。左手よりも右手にウェイトを傾けての美音で旋律を歌うという彼女のピアニズムはショパンによく似合う。とくに《別れの曲》や《ノクターン》ではピアニッシモの美が際立ち、繊細な叙情を薫らせて、いちだんと魅せた。
雑誌「ショパン」2005年3月号(2004年12月25日 東京文化会館 小ホール)
道下京子氏評
「まじめで純粋な演奏」
(前略)前半のバッハ作品では、客観性にすぐれた演奏を披露した。特にバッハ=ブゾーニのオルガン用プレリュードとフーガは虚飾を排除した演奏で好感が持てた。淡々と、そしてテンポの流れも実に良い。後半は、オール・ショパン作品。全体的に流麗で、温かみのある演奏であった。スケルツォ第1番やエチュード「別れの曲における速いパッセージでの技巧の冴えは見事だ。ポロネーズ「英雄」では、回想部分を抒情的に歌い上げ、ポロネーズの勇敢なイメージよりも、作品の背景にあるショパンの心情をよく汲み取っており、作品に対する伊藤の深い解釈が伺えた。その他、バッハ=ケンプ「主よ、人の望みの喜びよ」、ショパンのノクターン嬰ハ短調(遺作)など、真面目で純粋な演奏、そして楽譜に対して頑ななまでに忠実な伊藤めぐみの今後の活躍に期待したい。
雑誌「音楽の友」2005年3月号(2004年12月25日 東京文化会館 小ホール)
百瀬喬氏評
「(前略)なかなかに感性豊かで、また作品の良い解釈を示し、<主よ、人の望みの喜びよ>、ショパンの遺作の「ノクターン」(嬰ハ短調)など、特に小品が魅力的」
雑誌「ショパン」2004年9月号掲載記事(2004年6月19日 サントリーホール)
家永勝氏評
「細心の音楽づくり 伊藤めぐみ ピアノリサイタル」
(前略)今回はショパンのマズルカ12曲とバラード全4曲が演奏された。前半の「4つのマズルカ」は作品24,33,41の各4曲づつ。伊藤はこの日のプログラムの文中に「ショパンが母国語であるポーランド語を最も直訳に近い形で音符にすることができたのが、マズルカであったのではあるまいか・・・」と記していたが、彼女は聴衆にたいして自己の信念とマズルカの本質といったものを伝えようとしていたのではないかと推察した。たしかに12の曲には十分な安定感があり、丹念に弾かれ、そのリズムにも配慮が十分があった。後半は全4曲のバラード。第1番は第1主題、第2主題共に歌心たっぷりでパッセージも見事な表情、音楽の流れも悪くない。第2番ではドラマティックな表情もうまく、この人の表す音楽と曲想が、ここではうまく合致していた。第3番では子守唄のような出だしの旋律もきれいであったし、途中に展開される部分の音楽も面白かった。(中略)最後の第4番は音楽的にも高度な曲だが、詩情もよく歌えていたし、旋律にも品のよさを感じた。2つの主題の展開もうまかった。ショパンをこのように深く追求する姿勢には、すっかり感心してしまった。
雑誌「音楽の友」2004年1月号掲載記事2003年11月8日スタジオ・ルンデ)
渡辺康氏評
ピアノの伊藤めぐみは東京藝術大学を卒業し、ポーランド国立ワルシャワ・ショパン音楽院に留学。活発な演奏活動を展開、近年はショパン演奏に集中している。今回は、「序奏とロンド」作品16に続いて、前半に「5つのマズルカ」作品7と「3つのマズルカ」作品59が採り上げられ、後半には24の前奏曲」作品28が演奏された。マズルカのリズムの表出に研究の成果が現れており、高い技術で安定し、焦点が定まった演奏だったが、若干硬さがあって広がりの要素が制限された印象を持った。それに比べると後半の「プレリュード」の24曲では、小ホールの空間を巧みに生かした幅の広い表現と自由さとを獲得しており、それぞれの音楽の特質を十分に捉えた。ショパンの焦燥感、幸福感、孤独、希望、絶望といった心象をいと濃く描き、訴える力のある演奏となった。
中京音楽界2001年9月号(2001年7月7日 スタジオ・ルンデ)
伊藤めぐみは東京芸大を出て、ポーランドに留学、国立ワルシャワ・ショパン音楽院に学んだ。彼女は10年前(1991年)の同じ日、このホールでデビューと同時に留学壮行会ともいうべきリサイタルを開いている。その日はバッハ「パルティータ」にベートーヴェン「悲愴」、そしてショパンの「第三ソナタ」と「幻想ポロネーズ」を弾き、自筆の「あいさつ」には『一生かけて勉強していきたい……ショパン云々』とあった。
そして今回、前半はバッハ三曲、後半はショパンの「四つのバラード」という思い切ったもの。
最初の曲「トッカータ」では、前日に聴いた軽妙洒脱ともいうべき高橋悠治のバッハとはあまりにも異なる覇気に満ちたもので、その違いの甚だしさに思わず苦笑させられたが、続くヴィルトゥオーゾ風のラフマニノフ編「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」やブゾーニ編「オルガン・プレリュード BWV.532」への取り組みを聴けばむべなるかなと納得。そして自ら「最も熱い」という後半のショパンも一層の力演に終始した。
(中略)
演奏者が自らの意図をはっきり語っている点が大変良いと思う。往々にして目にする、奏者とは一面識も無い(作曲者とも!)第三者の『曲目解説』なるものは殆ど無意味に近い。「演奏家は語らず」と粋がるのも実が伴わなければ無意味。大いに語って聴衆と共にトコトン楽しむのがコンサートの本筋であろう。
クウェートタイムズ 1994年10月8日(第3回クウェート室内音楽祭 1994年)新聞評
(第3回クウェート室内音楽祭の幕開けとして)めぐみは最も尊敬するショパンの曲をはじめとするバッハ、ブゾーニ、ワーグナー、リストを選曲した。「ショパンは私の十八番です。彼はとても斬新で、心を映し出す音楽を創っています」とめぐみはポーランド語で言う。彼女はワルシャワのショパン音楽院で学んだのだ。実際彼女がポーランドで学んだことが、彼女がクウェートで演奏するきっかけになった。以前ここで演奏したカジミエシュ ギェルジョート教授は「注目に値する日本の生徒がいる」と伝えてきた。このため彼女を招待して今期の音楽祭の幕開けをする運びとなった。
彼女はクラシックピアノの全ての面を魅せてくれた。はじめはたゆたうように始まり、徐々に聴衆と共鳴してゆき、最後には一体となって熱狂に至る。今回の演奏会で彼女は子供の頃から賞賛を勝ち得てきた才能を遺憾なく発揮した。
「真珠の如きまろやかな演奏」 ― ショパンコンク−ル入賞者コンサート ―Michal Schafer氏評
ゲッティンゲンの皆様は周知のように、この愛らしい日本人女性伊藤めぐみは1995年3月ゲッティンゲンで行われたショパンコンクールにおいて3位を獲得している。土曜日の夕方、彼女は再び同所において高度な演奏を披露した。これをもって彼女は彼女自身の音楽の多彩さと、高度なピアにズムの能力を証明することができたといえる。
最初のモーツァルトB-Durは、程よく施されたペダル操作と真珠の如きまろやかな音色で繊細かつ優雅に始まった。すでにここにおいて驚嘆に値するピアにズムが彼女の高度に洗練されたタッチによって紡ぎだされていた。これは次の二つのエチュードにおいて更なる高まりを見せる。「森のささやき(Waldestraushen)」と「小人の踊り(Gnomenreigen)」はほとんどテクニックの極限を要求している作品である。また昨今よく取り上げられるプログラムであり興味をそそられた。リスト編曲の「紡ぎ歌(Spinnerliedes)」はワーグナーの「さまよえるオランダ人(Fliegenden
Hollander)」からであり、いまひとつはブゾーニによるバッハの「シャコンヌD-moll-violin」からの編曲である。
ここに伊藤めぐみはその演奏の力を重ねて実証して見せた。素人目にはこの演奏が楽々行われたようにしか聞こえないだろうが、何たる音の世界、何たる芸術表現を彼女は有していることであろうか。
後半に演奏されたショパンは打って変わって変化に富んだダイナミックなもので、非常に効果的な高まりと色とりどりの音色を駆使して彼女の音楽を印象付けた。
珠玉の如く流れるスケルツォ ― ピアノの夜 日本の伊藤めぐみとともに―新聞評
日本人ピアニスト 伊藤めぐみはバド ローテンブルグの文化活動の一環であるHaus
des Gastes(招待者の館)に招かれ演奏を披露した。プログラムはモーツァルト、リスト、ショパンと、それだけでなくバッハとワーグナーの作品のピアノ編曲版という大変興味深いもので構成されていた。
この女流芸術家は優雅さと愛嬌に満ちた音楽を提供してくれた。中盤に奏でられたモーツァルト「ピアノソナタ
B-Dur KV.333」は新鮮かつ技巧に満ちたものでなおかつ軽妙さが伴っていた。次の二つのエチュードでも彼女は高い集中力を発揮してみせた。この2曲はほとんどアクロバットともいえる技巧を要する曲として位置づけられている。次のワーグナーの「紡ぎ歌」も同じように彼女の完全なテクニックを強調した。バッハの「シャコンヌ」は前の曲とは全く違う性格を有する曲であるが、生き生きとしたテンポでかつ威厳を持って奏でられ、彼女は印象的なシャコンヌを弾いてのけた。
真珠のようなきらめきをもって怒涛のように奏でられたショパンのスケルツォは、途中息も付かせぬ速いテンポで演奏されたが、これは全体を構成する上での必要性から生じたもので、彼女は日本での練習段階でその必要性を見出していたものと思われる。最後を締めくくった2曲、ショパンの「ノクターンOp.55-2」と「ソナタOp.58」も、彼女の音楽をすることの喜びが伝わってくる演奏であり、聴衆を感動させるものであった。