プログラムノート Program Notes
「ショパンのソナタとの出会い」
於 2001.11 新国立劇場オペラシティ
初めてこれらの曲を聴いたのはいつだったか、たぶん小学生の頃だったろう。ショパンコンクールの番組を見ていた時に突然背中がぞくっとして全身が熱くなるような衝撃を覚えた曲、これがソナタ第2番であった。第1楽章で荒れ狂う情熱が燃え尽きてしまった後は2楽章、3楽章、4楽章と進むうちにどんどん闇の中に連れ去られていき、光も希望も見出だせない世界で喘いでいるような恐怖感。こんな冷酷な物語を今だかつて聴いたことがなかった私は、この時に子供心ながら自分の中で抱いていたショパン観が大きく変わったのを覚えている。
あまりに衝撃的だった2番の後に聴いた3番はどの楽章も何か「光」を放っていたように思えた。闇に連れ去られるような恐ろしさはなく、常に微妙に変化する光に誘導されるように進み、4楽章の最後でロ長調に変わったときに光がひときわ強くなってまぶしいほどの金色に輝いて終わる。この神秘的な物語に惹きつけられた私は当時勉強していたハイドンやモーツァルトに魅力を感じなくなってしまい、練習そっちのけでくる日もくる日もショパンの曲を聴いてばかりいたものだった。はやく憧れのソナタを弾けるようになりたいと願いながら。ワルシャワの下宿で枯れた音のする古いピアノで練習していて、ふとソナタの3番を通して弾きたくなった。乾いた空気が自分の出す音によってさらさらと動くような不思議な感覚が楽しかった。最後まで弾き切ったとき突然「ブラボー、メグミ!」と声がしたので、びっくりして振り向くと大家のおじいちゃんが涙をためて立っていた。
「クリスティーナ!(奥さんの名前)ここへきてごらん!このジェツコ(ポーランド語で{子供}彼はいつも私を子供扱いした)がこんな年寄りを泣かせるなんて、かわいそうだとおもわないか?」「かわいそうですって?あなたは泣くのが好きなくせに!テレビを見ているときだっていつも泣いてるじゃないの。」「へん。いつもじゃないだろ!」
おじいちゃんは私の弾くソナタを上の部屋で聴いているうちに自分の人生のドラマを思い出したと言ってたくさんの昔話をしてくれた。少々もったいぶって言葉を繰り返しながら雄弁に、表情豊かに。なるほどこれがショパンの音楽にも通じるポーランド人気質かと妙に納得しながら長い長い昔話を聞いたものだった。「メグミは私の葬式でショパンの葬送行進曲を弾くことに決まっているんだからね。すべての人が泣いてくれるように今からしっかり練習するんだよ。」いつも冗談のように言っていたおじいちゃんは本当に天に召されてしまった。今日はそんな彼のために、また私が直接教えを受けた、今は亡き偉大な芸術家達に心からショパンのソナタを捧げたい。
「ピアニストの使命」
於 2003.05.18 音楽の友ホール
今年の2月、話題の映画「戦場のピアニスト」を見に行った。前評判が高かったこともあり、映画館は非常に混んでいた。ようやく取れた最前列の席で、視界に入りきらないほどに迫ってくる映像をまばたきも忘れて見つめ続けた。
主人公シュピルマンは戦火の中を逃げまどいながら、再びピアノを弾く日があることを信じて生き延び、そして生かされた。彼のように才能ある優れた音楽家が強制収容所送りを逃れた話しは他にもあるそうだ。ヨーロッパ諸国で芸術を尊び、芸術家を保護するという意識が高いのは「才能は神が与えしもの」と考えられているからだろうか。ドイツ人将校がシュピルマンにむかって「神に感謝したまえ」と言うシーンが私の胸に焼きついた。
そして私はショパンを思う―神は彼に並外れた才能を与えたが、同時に過酷な試練も与えた。最大の試練は病魔との闘いであった。自分の命があまり長くはないことを悟りながら、残された力を振り絞るようにして生み出された彼の最後の大作、「幻想ポロネーズ」はその一音一音が私の心に強く訴えかけてくる。
波乱に満ちた短い生涯の中で彼が残した素晴らしい芸術は優れた音楽家の手によって受け継がれ、150年余り経った今も多くの人を感動させる。これを引継ぎ後世に伝えていくという重大な使命を全うするまでは私も「生かされる」だろうか。運命にしたがっていつかはやってくるであろう自分の人生最後のリサイタルは、ショパンの魂と共鳴するような「幻想ポロネーズ」で締めくくりたい。