2011年12月31日(土)
今年最後の日記

 大晦日になりお墓参りをする。岩田墓地に行く途中の旧河内街道には墓参り客目当てに地元商店があちこちと出店をしていた。いつも買う供花の花屋さんは昔、村相撲の力士だった。郷土歴史にちなむ人たちが多く生活する街だ。
    墓前に実 赤き何天 ひとつ落ち

2011年12月30日(金)
美しい日本語

 寒い夜ふと入った喫茶店で店に置いてあった新聞に画家の安野光雅氏が美しい日本語として、戦後間もなくバス停で聞いた朝鮮人のおばぁさんがふと発した言葉を紹介されていた。“ヒトリノダマリミチ ナガイ、フタリノハナシミチ ミジカイ”このような美しい日本語はその後も聞いていないと。この言葉のおばぁさんも年齢からいうと黄泉の世界に旅立って既に地上にはおられないだろう。歳末は亡くなった人々を偲ばれるときでもあるようだ。

2011年12月29日(木)
下山の思想

 五木寛之の本が刊行されるとついつい購入してしまう。今回は「下山の思想」の本を読んだ。日頃から思っていたようなことが書かれていたので意を強くした。大方の日本人は先人の犠牲のうえに苦労して山を登り頂上に到着したのだ。山上からのいい景色を楽しみ、そしてゆっくりと下山をしていけばいいのだ。息せき切って登山をしてさらに登りつめていく山などないのだと思えばいい。欲を出して次から次に求めて常に文句を言っているのが政治でありマスコミの人間なのだ。踊らされずに自分で考えて行けばいいと思う。

2011年12月28日(水)
年末の掃除の2

 昨日に続き年末の掃除をする。部屋内の柱、梁、照明具の笠や玄関口を雑巾かけをした。建築年数のたった家なので掃除したのにめだってはきれいになってくれない。掃除を終えて夕食を食べに駅前に出る。食べながら拙いながら俳句が2句浮かんだので箸紙に書き置いた。
熱燗の臓腑にしみる歳の暮れ  蜆汁身小さくてとれぬまま

2011年12月27日(火)
年末の掃除

 今日は天気もいいので年末の家の掃除、第1部を終えた。とりあえず窓ガラスとトイレ、風呂場の掃除を済ませて少し年末の仕事をすすめた。若い頃は掃除は1日に済ませたが体力の衰えがありそうはいかない。掃除後は気持ち良くいつものように駅前まで散歩に出かける。

2011年12月26日(月)
吉野家

 吉野家の豚丼がよく売れているという。焼かれた豚肉がご飯に乗っており美味しいという評判だ。〆て390円なので経済的にlは現在の不況に向いているようだ。しぶとく生き残る企業は時代の需要をうまくとらえているようだ。

2011年12月25日(日)
カルビの食べ放題

 今日は招待を受けてカルビの食べ放題に参加した。明るくてきれいな店内で美味しいカルビや焼き肉をお腹いっぱいに味わった。韓国のお酒のマッコリは甕に入ったものをヒサゴですくってカップに入れて美味しくいただいた。隣国の食生活と文化が日本になじんでいるのがたのしい。

2011年12月25日(日)
心斎橋筋

 所用があって心斎橋筋の河内に画材を求めて訪ねた。クリスマスの影響のためか大勢の人で通りが人であふれて前に進まない状態だった。画材を扱っている河内は戦前から営業しているだけあって品ぞろいは十分だ。観ているだけでも楽しいほど画材が揃っており店員さんに相談しても親切に応対してくれるのがうれしい。

2011年12月24日(土)
歳末その2

 歳末の夕暮れはなぜか寒さが両肩に降りてくるような空気がただよう。大谷晃一著『大阪学』を読んでいると井原西鶴の一句「大晦日定めなき世のさだめ哉」が紹介されていた。江戸時代は一年の支払いは大晦日にするのが世のしきたりだった。のんびりした時代の厳しい節句を乗り切らないと正月が迎えられない。いつの時代であっても庶民の大変さは変わらないようだ。

2011年12月23日(金)
自転車散歩

 年賀状をポストに入れたので少しほっとする。そのご自転車で上本町から天王寺、通天閣、日本橋を自転車散歩をする。四天王寺は上町台地にあるので創建当時の周りの風景と言えば、西方を見れば難波津、東方を見れば生駒山を背景に河内平野とさぞかし雄大で美しい景色だったろう。日本橋は大勢の若者たちで街路がうまっていた。

2011年12月22日(木)
大塩平八郎とは

 大塩平八郎の乱が天保8年(1837)に大坂で起こり当時の徳川幕府、民衆を震撼させた。その頃の文書を読んでいると大坂城代や幕府の驚きとあわてぶりが浮かんでくる。明治維新に移っていく予兆がこの頃にすでに起こっているように思われる。日本史上に末永く記録されていく出来事だ。

2011年12月21日(水)
高校のグランド

 散歩していると近くの公立高校のグランドで女子野球クラブが熱心に練習に打ち興じていた。男子と変わらぬ力強い投球や打球に目がとまり立ち留まってしばらく眺めた。自分がこの高校を卒業し半世紀になるので男女間の差がほとんどなくなりスポーツの世界も男女平等が進んでいる。このような土壌があるから世界の“なでしこジャパン”が生まれたのだと感慨にふけった。

2011年12月20日(火)
ひとりの指導者の死

 70歳を前にして一人の指導者の不慮の死が世界を驚かせ大きく報道されている。これまでも体調が悪くて倒れており半身不随状態だった。そのような彼にも指導者として大きなストレスがいつも大きくのしかかっていた。命を的にした彼の業績は余り世界から認められていないのも冷徹な現実だろう。

2011年12月19日(月)
古文書講座の茶話会

大阪商業大学ミュージアムセミナー古文書講座が10回にわたり開講され参加し、今日は最終回を迎え茶話会が開かれた。分からないまま講座の末席に加わり何とか最後まで続けられたのでほっとした。江戸時代の終わりの大阪の状態が古文書を通じて少し味わえられた。常松先生の巧みな講座は分かりやすくて楽しかった。大学の関係者にもお礼を述べたい。

2011年12月18日(日)
決められない日本

 歳末に住みなれたまちを歩き買い物をして心が落ち着く時間を過ごす。このような平安が続いてほしいものと心の奥で思う。一方政治の方は問題が多いのに前に向けて決定できないし進めない。民主主義は時間がかかるのだろうが対立する者同士が真剣に考え討議していくなら解決できなくもないだろうにと思う。

2011年12月17日(土)
鍋料理

 寒い夜には鍋料理はひとをほこほこと温めてくれる。鍋をつついていると白菜や菊菜など野菜は美味しいし豊富にあり具としての魚や肉も鍋になじんでくれる。鍋の湯気は人の心まで温めてくれるようだ。

2011年12月16日(金)
何となく気ぜわしく

 歳末ともなると街中が何となく気ぜわしくなり車も人も動き回っているように見える。それだけに注意して通行しないと事故が起こるような気配まで感じられる。身の回りを見ても昔に比べて大掃除など簡略化しているのにそうであるのが少し不思議な気がするが何となく忙しい気持ちがする。

2011年12月14日(水)
韓流ドラマ

 韓国のドラマが日本で人気を得て長くなるのでいまさら目新しくもなくなって久しい。そのせいかハングルを自由に使える日本人が増えている。隣国間で民間交流が進むといい。韓国文化や言葉に対し40年近く前から関心を持った自分としては大きく隔世の感をもつ。そのスピードは思ったより早かった。

2011年12月13日(火)
今年も暮れゆく

 今年も残りわずかになり年賀状の準備が気になりだしている。久宝寺公園の横を通るとき落ち葉の道を自転車で過ぎる。郊外の公園は寂しい雰囲気が漂うている。

2011年12月12日(月)
地名と歴史

 この頃所用があって長吉いうところへよく行くがこの地名にいわれがあるのだろう。遺跡が発掘されているだけに古代から開かれたのにちがいない。時間があれば調べてみたいしこの辺りの神社など史蹟を訪ねてみたいと思う。

2011年12月11日(日)
歳末風景

 上本町からミナミをまわってみた。街は人であふれるほどで活気が感じられた。日本橋の電化街は若い人や外国人がよく目立った。1Tやソフトを買いに来ているのだろう。ここの中国専門店で中国人らしい若者が
だまって商品の人形をもっていき店の係員に注意され返却したのを目撃しおどろいた。

2011年12月10日(土)
自治会のこと

 日々の生活の場、近所にはお知り合いとなり親しく話せる人ひとがおられる。自治会の役を始めて数年になりむつかしい問題も起こってくる。役員同士が信頼して討議していくと解決できない問題はないといえるだろう。何ごとも信頼することが大事になってくる。

2011年12月9日(金)
鍋料理の季節

 寒くなってくると温まる鍋料理が好ましい。たっぷりと野菜を入れ具に魚もいいし肉系もいい。たれはぽん酢が好みだが胡麻だれもいい。ともかく周囲が海に囲まれている日本らしい料理で鍋の中へ入れる具には事欠かない国だと思う。美味しいのでただ食べ過ぎるのが気になる。

2011年12月8日(木)
日米開戦70年

 大きな悲劇をもたらした対英米戦争布告から70年の歳月が経た。この12月8日を忘れてはならない。当時のほとんどの日本人は興奮の渦に包まれ戦争への道にいったのだからこの国の人間は左右に振られやすいということであり、再び起こさないという保証はどこにもないのだろう。

2011年12月7日(水)
他へのヘルプ

 親戚のものがしている仕事がこの時期、忙しくなっているので臨時的に手伝っている。クリスマス前は人手が足りないという。不景気といわれるときも業種によっては需要があるとのことを聞くとやり方次第かなと思う。

2011年12月6日(火)
浅野詠子さん

 フリージャーナリスト浅野詠子さんの「奈良の平日」出版祝いが東成の神路商店街の三福で開かれた。ささやかな会であったが浅野さんを中心にして楽しい話で盛り上がった。さりげなく深い奈良が随所で浮かび上がって来た。

2011年12月5日(月)
古文書の世界

 大阪商業大学の常松先生から古文書について学んでいる。受講生はおよそ50人近くだが先生の語り口が面白くわかりやすくて楽しい。幕末の河内や大坂が古文書通じて少しずつながらわかって魅力的なり。

2011年12月4日(日)
合田牧師歩み出版記念会

 合田悟牧師の歩みを記録した「共生への思い」の出版記念パーティがシティプラザ大阪で開かれた。40年にわたる活動が記録され師を慕う人たちが集まり感慨を述べたりされた。共生をめざしたひとつの朝鮮半島の民謡が安聖民氏が見事な歌唱で披露されたときは会場は感動に包まれ言葉をうしなった。

2011年12月3日(土)
藤井先生

 東大阪埋蔵文化センターで伴林光平をはじめ郷土の文化人について藤井直正氏から御講演があった。先生は長年にわたり研究と資料収集されているので拝聴して学ぶこと多し。大東市の飯盛山城にも足を伸ばしてちょう上まで登り中井先生より城について現地でのご説明を受け関心がつのった。

2011年12月2日(金)
高校時代のミニ同窓会

 ミニ同窓会を数人が集まり開いた。高校卒業後すでに半世紀を過ぎると何か懐かしいやら記憶が遠くまでさかのぼるが大事な時間を共有して談笑する。かっての美少女、美少年も歳月の流れに身をまかして楽しからずや。

2011年12月1日(木)
適塾

 月一で会うモ-ニングサービスを楽しむ三人組の会はおしゃべりも楽しむ。今日は幕末の日米和親条約について話題になった。このとき幕府側には蘭語の日本人通訳は500人は養成されていた。学問好きの日本人が形成されていた。北浜の適塾に行けば「ズ―フ」室があり当時の欄語の辞書が展示されており塾生だった福沢諭吉とかの猛勉強ぶりがうかがわれて面白い。

2011年11月30日(水)
平野の町

 平野郷であった平野は中世の自治都市の面影を残すところだ。町の出入り口には守り神のように13の地蔵堂が建っている。その内のひとつ樋尻口地蔵堂前の説明板に大坂夏ノ陣の時、徳川家康の首が真田幸村の仕掛けた爆弾によって飛ばされてきたと書かれている。豊臣びいきの多い大阪ならではの話が残っているのでこの前を通るたびにニタッとする思いが起こってくる。

2011年11月29日(火)
久し振りの水のみ地蔵

 風邪をひいていたのと多忙だったので水呑み地蔵をお参りが出来なかった。大きな行事もおわり久し振りに自転車で十三街道を登ってみた。何とか水のみ地蔵にたどり着いた。気持はよかったが天候が曇っていたので大阪湾への見晴らしは良くなかった。しかし久方ぶりの達成感に満足なり。感謝、深謝なり。

2011年11月28日(月)
変えるということ

物事を変えて進歩することがある。変えて後退することもある。世の中や人が望んでいる方向をきちんととらえて変えねばならないだろう。changeを唱えたオバマ大統領も今となっては足踏み状態で人気が落ちているという。個人でも身近にある小さなことから変化を起こすことが大事だと思われる。

2011年11月27日(日)
サークルの集い終わる

2日にかけた第18回サークルの集いが終わった。伝えよう河内文化を子どもたちへのテーマで催されたが初めての試みであったのにもかかわらず多くの子供連れで来場をしていただいた。稔りの多いものであったのではないかと思っている。

2011年11月26日(土)
人との交差点

大阪商業大学で催した河内の郷土文化サークルセンター第18回サークルセンターでは様々な方の来場があり、“人の交差点”のようになり交流の場ともなった。素晴らしい演技のジィの馬の朗読・安江さん。音楽の寺田さん、古橋さんに大変お世話になった。有難うございました。

2011年11月26日(土)
サークルの集い

今日はサークルの集いがあり大阪商業大学ユニバースシティホールで四條畷の民話「ジィの馬」朗読と音楽の催しがあり聴いている者を魅了した。ロビ−では他トンボ作りや岡田三郎さんの工作が催され地場野菜の販売もあり人気があった。楽しくて有意義な企画と思われるだけに多くの参加が心から望まれた。

2011年11月25日(金)
楽しくも

 サークルセンターの催し準備のため一日中、大阪商業大学蒼天ホールに作業をしていた。新聞にはこの催しお知らせをしていただいた。河内文化を子どもたちに伝えたい思いとともに楽しいイベントにとも願っている。

2011年11月24日(木)
河内の郷土文化サークルセンター

 いよいよサークルセンターの第18回「サークルの集い」が26日、27日の土日に開催される。今回のテーマが“伝えよう河内文化を 子どもたちへ” 多くの子供をつれて来場してもらったらいいと心から願っている。音楽会とか民話の朗読そしておもちゃ作りなど盛りだくさんの企画が用意されている。

2011年11月23日(水)
四條畷

知人から電話があり四條畷で糸繰りのイベントをしているのでとあった。四條畷の商店街の「まいど」というところで河内木綿コットンクラブが綿繰りと糸紡ぎのパアフオーマンスがあり地元の人達と一緒にお手伝いをする。子どもや学生達も含め関心を持ち糸車を回して糸づくりを熱心にしてくれた。

2011年11月22日(火)
寒い日は

この前まで暑い暑いと言っていたのに今はこの寒さ。気温の違いに体がついていかないこの頃になる。寒い季節は大根を買って干して糠漬けすると美味しい。変化を楽しむといいのだろう。今日は11月22日、「良い夫婦」の日だそうだが糠漬けと同じでゆっくりと糠の中、美味しいものに仕上がっていくものだろう。

2011年11月21日(月)
秋は更けていく

 芭蕉の詠んだ「秋深し隣は何をする人ぞ」の名句が口に出る。今朝の新聞の歌欄では選句として「学ばせてくれた亡き父母文化の日」があった。頭を垂れて亡き両親に感謝す。

2011年11月20日(日)
戦争遺跡ー盾津飛行場

大東市の中央図書館の催しで太田理氏による講演「盾津飛行場」があった。笹川良一氏の肝いりで戦前に東大阪市盾津(当時の盾津村)に大阪陸軍飛行場が開設された。太田氏が詳細に調べられ本にしておられる。後世に残る大切な資料として残っていくだろう。

2011年11月19日(土)
小阪をぶらぶら

住み慣れた街・小阪は親しみがあっていい。今日は雨のため外出を控えていたが小振りになった夕方から小阪駅前から布施まで歩いた。途中の知り合いの店で食事をして気のおけない会話を交わす。気軽に訪れ歩ける街はありがたいものだ。

2011年11月18日(金)
TPP

TPPの協議に入るかが問題になっている。このなかに何処かの国は入るのを排除するとかになると戦前の“貿易の囲みこみ”というブロック化を想起させる。貿易問題は自国の経済に大きな影響を及ぼすので真剣にならざる得ない。いつか通って来た道にならないよう気をつけねばならないだろう。

2011年11月17日(木)
1%と99%

 アメリカでの1%の富裕層と99%の貧困層に問題があると言われデモが盛んになっている。いつの間にこのような格差が生まれてきたのか気付かなかったが大きな問題になっている。日本ではこんな格差社会ではないだろうが何ごとも極端になってはいけない。ブータンの国ではないが本当の富とは何かと銘々が考えねばならない時期だろう。

2011年11月16日(水)
拓本の会

花園の市民美術センターで中河内拓本クラブの展示会があった。味わいある作品がずらりと展示され見事に文字と絵などが採拓され作品ごとに足を止め見入った。20日(日)まで開催されている。このあと石切参道の東大阪物産観光まちづくりセンターへ行き河内木綿の作品などを購入した。

2011年11月15日(火)
コ―ヒーで話の花咲く

 一杯のコーヒーを挟んで故郷の話から学ぶことが多い。大阪では石川県出身関係者に風呂屋さんや豆腐屋さんがおおい。今日は同県関係の人から石川県でも能登地方の方が多いとかお聞きした。山と海に挟まれた地域は厳しい風土で生き抜かねばならない。他郷に出てからも御苦労が多いのだろう。

2011年11月14日(月)
古文書講座

常松先生の古文書講座を大阪商業大学商業史博物館のお世話で受けている。江戸末期の市内の御厨村加藤家の古文書なので学んでいて親近感が増してくる。古文という難解なものに踏み込んでしまったとは思いながら知ることの楽しい面がある。続けたいものだと思っている。

2011年11月13日(日)
中環の森秋祭り

 今日は「命の輝き共生の森計画推進協議会のお招きを受け市民会館でお話をした。中環の森に近い若江と八戸ノ里の歴史や風土などについて写真や絵を交えて拙い語り口ながら熱心に聴いてもらい感銘を受けた。代表されている安川さんは米糠から洗剤を作られ自然をうまく活用されているアイデアマン。

2011年11月12日(土)
河内の郷土文化サークルセンター役員会と英会話

 サークルセンター役員会に出席したのち英会話に参加するため市民会館へ歩いて行く。少し時間があったので途中の長瀬川のほとりのベンチで休憩する。バシャっと音がして目の前で大きな鯉が川中ではねていた。

2011年11月11日(金)
『奈良の平日』誰も知らない深いまち

奈良へは何度も訪れているが知らないところはあるし知らないことが多い。今回でた『奈良の平日』を買って読むとこういうことだったのか、また、こんなところもあるのかと奈良をよく知ることができる。著者は小阪や永和のことを書いてくれた浅野詠子さん。やさしく深い取材が随所に表れている。

2011年11月10日(木)
大阪市立歴史博物館

大坂城代について昨日に引き続いて調べに大阪歴史博物館を訪れた。どうしてもわからないことがあり専門家に相談したいと窓口に尋ねると今日は居られないとのこと。質問紙に記入して教えてほしいと申し出ておいた。返事をいただけるものと期待して館をあとにした。

2011年11月9日(水)
大阪歴史博物館と阪堺電車

調べたいものがあるので大阪歴史博物館を訪ねた。資料を探したが見つからなかった。もう少し時間をかけてみようと思う。そのご大阪駅前のビルで宇田正先生の『阪堺文化風景と電車軌道達』の講演をお聴きした。

2011年11月8日(火)
若江堤の話

 いま人気の大河ドラマ「お江」で大坂夏の陣の場面が放映されたが若江岩田駅近くでは「若江の戦い」が繰広げられ豊臣方の部将木村重成が討ち死にしたのが若江堤近くであった。今日は郷土史講座で写真や地図を交えて話をした。40人ぐらいの人達に熱心に聴いていただいたようでホッとした。

2011年11月7日(月)
門真を歩く

古文書を学ぶ者が常松先生の案内で門真の旧村を歩いた。大塩平八郎決起の際行動を共にした茨田軍士の旧跡や松下幸之助記念館を訪れた。常松高嗣先生の説明を聴きながら現地を廻ると大変有意義だった。

2011年11月6日(日)
大和で法事

 法事があり学園前の親戚にでかける。お参りして親戚同士が久し振りに顔を合わせて談笑する。年輩者が多くどうしても昔の話が多いが興味深いことが多くて吸い取るようにして耳を傾けていた。

2011年11月5日(土)
東成歴史文化まつり

『あしたづ』編集委員会を大阪商業大学ネットワーク室でして東成歴史文化まつりに参加した。昔からの商店街を中心に歴史文化を大事にしたイベントで大勢の人達が参加していた。ここで出展されていた自然にやさしいアドバンス商品の洗剤など購入する。楽しくて有意義な日を送る。

2011年11月4日(金)
じっくり考えねばならぬこと

 知事選や大阪市長選を前にして論戦が続いている。ここでじっくりと考えないといけないのは一時的な熱気に巻き込まれてはいけないことだ。それぞれの主張に耳を傾けて息の長い願いが込められているかを考えて本当に大阪の将来のためにどちらがなるかということだろう。

2011年11月3日(木)
第16回東大阪フェスタ

 「文化の日」の11月3日には三ノ瀬公園で東大阪国際交流フェスチバルが開かれる。ステージではアジアを中心に国際的な催しが繰広がれ楽しい。各屋台では国々の食べ物が売られておりグルメを味わう。友人たちにも会って満足して帰途についた。

2011年11月2日(水)
あしたづ

河内の郷土文化サークルセンターの文化誌『あしたづ』には郷土歴史など書かれている。知人が郷土の歴史を知るために読みたいとのことなので家にお届けした。後刻にお礼の電話があったが読んでいただくのは関係している一人としてうれしい。できるだけ多くの人の目に触れれば幸いだろう。

2011年11月1日(火)
モーニングサービスを楽しむ

月の始まりは喫茶店で3人がモーニングサービスを楽しむ。ひと月に一回会うので話題がつきないほど口に出てくる。しかし、店のことを考えると長いはできない。次回を楽しみにして店をあとにする。

2011年10月31日(月)
自転車は車道に

自転車を乗って困るのは車道を走っていると必ず車の不法駐車があるので危険で大変走りづらい。歩道を走ることが法では禁止されているが自転車は中途半端の立場に置かれている。原則は原則として弾力性が要るのが現実社会だろう。

2011年10月30日(日)
河内木綿の収穫

11月を前にして河内木綿の綿摘みも終え今日は根を引き抜いた。畑のすべて抜いた後、土をならして肥料をまき来年に備えた。これで今年も残りわずかな感をもつ。

2011年10月29日(土)
城からさぐる室町・戦国時代の河内

大東市内でシンポジュウムがあり聴講した。若江城、高屋城にかかる3人の講師が話された。資料を交えての研究発表で興味深いテーマだった。若江城跡はよく知っているが高屋城に入ったことがないので一度羽曳野市にある高屋城を訪ねてみたいものだ。

2011年10月28日(金)
盛んなるかな文化事業

 秋は文化関係の催しが多くなる。環境問題に取り組んでおられるグループ代表者と会って来月ある催しについて打ち合わせをする。午後になり家の植木の手入れをする。年々植木の背丈が伸びるので自力で刈るのはしんどくなっている。

2011年10月27日(木)
大塩平八郎

 江戸時代の天保期、大塩の乱は時の幕府をひっくり返すほどの事件だった。今日は幕府の古文書を読むことで事件のことを学んだ。かなり詳細に書かれた文書なので割合と生々しく伝わってくる。

2011年10月26日(水)
木枯らし一号吹く

 外出すると頬にあたる風が冷たくなっている。木枯らし一号が吹いたらしい。自転車で山を走っているとハンドル握る手に手袋が欲しい迄思ってしまう。何か暑い夏が懐かしくなりそうだ。

2011年10月24日(月)
季節の変わり目

 夏から秋へ、そして冬へ・・・しかし今年は季節が中々落ち着いてくれなくて、まだまだ蒸し暑いし急に冷えるし風邪が治まってくれない。物事の進展も変化するときは不安定な時期を繰り返しながら進むようなものに似ている。辛抱強く時期を待たねばならぬということかもしれない。

2011年10月24日(月)
和歌山へ向かう

 和歌山の友が水墨画の展示をするというので学生時代の友が揃って紀伊へ向かう。根来寺の近くなので周辺を散策をして和歌山市内で食事を共にする。愉快なる一日なるかな。

2011年10月22日(土)
暗越奈良街道はじめてのガイドブック

 街道クラブで暗越奈良街道ガイドブックづくりをしているが今日は中間発表的に集会をもった。出版元の読書館にパワーポイントにしてもらって参加者から色んなご意見や体験を発表してもらって勉強になった。今のうちにご高齢の人達から昔のこと聞いて何処かに記録しておかなくてはならない。

2011年10月21日(金)
大林組

 大阪城の天守閣は豊臣秀吉が建てた当時のものが昭和6年に市民の募金で復興できた。金額は40数億円が集まったらしいが絶大な権力をもっていた陸軍が半分以上使って師団本部(前市立博物館)など軍事施設を建設した。現在こういうことをすると非難ごう々間違いない。大阪城の復興工事は大林組が引き受ける。今日はその工事記念碑を大阪城まで行って確認して来た。

2011年10月20日(木)
小沢征爾の指揮

 クラシック界の指揮者、世界のオザワは癌を患い腰痛に苦しめられているが指揮棒を離そうとしない。明日はもっと素晴らしい音楽を、と芸術にかける執念は周辺の見る者に感動と勇気を与えている。芸術はまさしく偉大であり、それを追求する人間に尊厳があろう。

2011年10月19日(水)
大型ショッピングモール

 最近、近くに大型ショッピングモールがオープンした。今日はそこを訪れたが巨大といっていいほど売場面積が広くてかなり廉価で売っている。これまでの街の商店は打撃を受けるだろう。全国に同じような現象が起こっており地域の文化が崩壊している例も見られる。地元商店街や店が生き残る方法を考えねばならないようだ。

2011年10月18日(火)
秋深まる

 10月半ばになれば秋も深まるが街の中に居ればあんまり感じない。生駒山を少し登れば木々の葉が色づき赤とんぼも飛び交い吹く風は冷たさを運んでくる。今日はたびたび訪れる十三峠に自転車で向かったが体調が思わしくなかったので途中で引き返したのが残念だった。

2011年10月17日(月)
ワイン

 この頃夕食時にワインを飲むことが増えた。冷蔵庫に冷やした瓶を出してグラスに注ぎ舌に流し込むと美味しい。円高の関係か輸入が増えて種類も様々で値段も手ごろになっている。秋のいい季節になり楽しみが増えた気がする。

2011年10月16日(日)
同窓会

 小学校の同窓会に参加する。懐かしさもあるが様々なタイプの幼馴染がいるので楽しい雰囲気になる。第2次世界大戦の影響をもろに受けている同窓生が多いので苦労をしているといえる。学年担当の先生が2人がお亡くなりになった。学友も亡くなっているので会は黙とうから始まった。

2011年10月14日(金)
真弓監督解任か

 プロ野球の阪神球団の監督真弓がこのままでは解任されるという。私は余り野球には関心がないがこの前はいった通天閣近くの居酒屋でこの監督のやり方に知らないおっちゃんがものすごくぼやいていたことが忘れられない。このようなおっちゃんを怒らすと長続きしないのでは。政治でも同じだろうが庶民の心が離れると決していい結果は生まれない。

2011年10月13日(木)
院展

 院展の鑑賞のお誘いを大長老から受けて大丸百貨店まで一緒に出かけた。どの作品も高度に磨かれた日本画で気品にあふれていた。精神性がうかがわれた。鑑賞後にお茶を味わい談笑した。

2011年10月12日(水)
天王寺で絵画の鑑賞

 大阪市立美術館で知人が出展していたので鑑賞しに行った。秋日和の中天王寺付近は緑に包まれていた。鑑賞後は通天閣の下を通り心斎橋筋まで歩く。大勢の人で賑わっていた。

2011年10月11日(火)
米寿のスポーツウーマン

 88歳で短距離の選手のご婦人をテレビでみて素晴らしいと思った。朝から肉食を好んで食べておられる。健康法には定番がないのだろう。こんな高齢になってもスポーツを楽しめるということでは勇気をいただける。

2011年10月10日(月)
布施と荒本北

 昼過ぎに布施駅前の喫茶店でハングルの勉強会を大長老とする。一生懸命に学ぼうとする大長老の姿勢をこちらが学びに行っている。そのご河内木綿の水やりと綿摘みのため荒本北の中環の森へ出かけた。真っ白な綿を摘む時は喜びだが今年の出来はあまり良くないようだ。自然の恵みには感謝しなくてはならない。

2011年10月9日(日)
秋日和

 何とか文章にしなくてはならないのが『あしたづ』への執筆がある。今やはり書いておきたいものがあるので今月中に集中して完成したい。パソコンをカバンに入れ自転車で出かけ喫茶店のひと隅でぽつぽつと打ち始めた。とりあえず一歩は歩むことができた。

2011年10月8日(土)
天高く馬肥ゆる秋

 良い季節になって来た。栗や梨など自然の恵みが美味しい。野外での活動も活発になってくる。感謝しながら大いにこの季節を味わい楽しみたいものだ。

2011年10月7日(金)
岸和田

 NHKの朝ドラで岸和田が舞台になる「カーネーション」が放映されている。ダンジリですでに有名になっている岸和田がさらに文化、特産物や店など全国に広まるだろう。どこの町にも全国に誇る物産や文化があるので自信を持って街づくりに取り込んで全国発信していけばいいと思う。

2011年10月7日(金)
横野万葉会

 大阪市の巽の横野万葉会のご招待を受けて『河内のよもやま話』ということで語らせていただいた。何十人の前で語ることはいささか緊張するがご清聴してもらって感謝したい。もう少し語りたいと思ったが時間が足りないようだった。

2011年10月5日(水)
湘桂作戦

 湘桂作戦なるものが太平洋戦争において行われたことを最近に知った。戦前、中国で悲惨な戦いが展開されて父が戦死した。この無謀な作戦の本が刊行されていることを知り図書館で借りて読んだ。日本旧軍の官僚どもにより33万の将兵が戦場の露になりこの3倍ほどの中国の人達が巻きこまれた。このことをもう少し調べていきたいと思う。

2011年10月4日(火)
忙中閑

 自治会の書類作りや講師を引き受けての準備など目白押し的に多忙になって来た。その中、時間を作っては散歩を欠かさないようにしている。心身を平常に保つためにぶらっと出かけることが大事だと思う。腰痛もあるくことで少しましになったように思う。

2011年10月3日(月)
近世古文書講座

 大阪商業大学での近世古文書講座が今日から始まった。御厨の加藤家の古文書を教材にする勉強は身近なところなので楽しみにしている。今日は講師から全体の説明から進められ次回から具体的な古文書を学ぶことになる。すべてで10回になるので是非皆勤で出席したいものだと思う。

2011年10月2日(日)
図書館

 大阪府立中央図書館へ行き調べ物をする。ここまで来るとほとんどの資料が揃っていると言ってもいい。図書館を出て従兄弟らと会って食事をする。久方振りにあったので積り話があり楽しい時間を過ごした。

2011年10月1日(土)
平野のまち

 午前中は河内の郷土文化サークルセンターの役員会に出席し『サークルの集い』について討議する。終わって喫茶店で談笑し帰宅する。夕方から自転車で大念仏本山のある平野郷を散策する。堺同様の自治都市は街のあちこちに歴史が宿り情緒あり。大分以前に立ち寄った串かつ屋さんに入り味わう。経営する夫婦もいいが客も味ある人が多いようだ。

2011年9月30日(金)
すし職人

 布施で老舗の寿司屋がある。先代の頃から店に通っているが最近になって見慣れた顔の番頭格の職人の顔を見ないのでどうしたのか尋ねてみた。45年務めたので退職したとのこと。中学校を出てすぐこの店に務め先代に仕込まれてきたので彼が握るすしには定評がありフアンも多かった。もう一度カウンター内で立つ彼の姿を見たいように思う。

2011年9月29日(木)
美女堂氏遺愛石碑

 若江公民館前に建ってある美女堂氏遺愛石碑は180年の歳月を経て傷んできている。若江の歴史を今に伝えている石碑を後世にできるだけ長く残していきたくて近所の人の協力を得て修復に出かけた。防水材等塗りながら江戸時代の建立者の願いが伝わってくるようだった。

2011年9月28日(水)
阪神とBGM

 通天閣近くの居酒屋に入っていると見知らぬ人がよく阪神球団のことをぼやいている。ふがいない戦いぶりに持っていく場がないのかついつい店のBGM
のようにぼやきが続く。阪神が勝ってくれるのが生きがいのようだ。タイガースが頑張ればおっちゃん達が元気になるようだ。

2011年9月27日(火)
快晴の日

 久し振りの快晴の日、ぶらりと当てなく出かけたくなる。こんな時は自転車を引っ張り出して山に向かう。少し涼しくなった分、汗の出が少なくなり疲労度がましになったようだ。水呑み地蔵から見る難波津は美しかったのでしばらく見とれていた。

2011年9月26日(月)
日帰りバスツアー

 河内の郷土文化サークルセンターのバスツアー、播磨方面への実施は多くの参加者もあり盛況のうち無事に終えた。天候にも恵まれ締めくくりの浄土寺での落日を拝みながら見る阿弥陀仏は荘厳の中見上げることができた。陽が光背のごとく差し込んできた瞬間思わず拍手が起こった。無事に終着点の大阪商業大学に到着して関係者にお礼を述べてすぐに親戚の葬儀会場に向かった。

2011年9月25日(日)
本の編集委員会

 本づくりのための編集委員会があり多忙なり。その後親戚に不幸があったので奈良までお悔やみに出かけた。卒寿の長寿を全うされたのでやすらかな眠りにつかれたものと思いたい。

2011年9月23日(金)
忠霊塔 お墓

 台風が過ぎ秋の彼岸を迎えた。忠霊塔にお参りし遺族会の人達に挨拶を交す。その後お墓参りを済ます。久し振りの快晴となり参拝者多し。近くのファミリーレストランでは空き席を待つ列ができていた。家に帰り休憩してから自転車で十三街道の水呑み地蔵まで行く。そこから見る大阪湾は西日に光り絶景なり。

2011年9月22日(木)
美術センター、大商大、居酒屋

 今日は知人の絵画展示を市民美術センターで鑑賞し、その後まじかに控えるバスツアーの資料作りを準備をする。何とか夕方までに終えて夜になりっ友人と駅前で落ち合って旧交を温めた。彼とは長年にわたる付き合いなので積もる話が多し。心和む楽しい時間を過ごす。

2011年9月21日(水)
台風の襲来

 大雨が伴う台風15号によりあちこちで被害が出ている。太平洋上に発生した湿気が次から次へと日本列島にひどい雨を運んでいる。6月以来の梅雨が続いているように気象の異常を感じる。一向に気分がすぐれない日々が多いようだ。

2011年9月20日(火)
お参り

 親戚の人がなくなり仏前にお参りに伺った。久し振りにお家に行ったので途中で道に迷い雨の中、時間がかかってしまった。お参りを終えお話をして辞去する。住吉大社の近くのところを訪れ歴史など調べる。終日雨なので動くのに不便を感じることの多い一日だったがお参りをして心がなごむ日なり。

2011年9月19日(月)
飯盛山

 四條畷と大東には歴史的な貴重な城の飯盛山城がある。標高300メートル強の飯盛山にある、この城から京都や河内、摂津まで見渡せることから拠点として戦国時代から武将の取り合いになっていた。今日はこの城について会議があり大東まで出向いた。河内には大事な歴史、文化的な個所が多い。

2011年9月17日(土)
味覚の融合

 自転車で散策していると途中で雨が降ったりやんだりで困った。帰途にコリアタウンに差し掛かったので夕食のためお好み焼き屋さんに入った。ここでは関東煮の具までお好み焼きに入れてくれるので子どものころを思い出して平てんを入れる。焼き上がると定番の青海苔や鰹以外に唐辛子も置いてあった。土地柄だけにこれをお好み焼きにふりかけると結構いける。 味の融合も面白い。

2011年9月16日(金)
中曽根さん

 昨夜、テレビのインタビューに登場した中曽根康弘氏を見た。93歳という高齢にもかかわらず背筋を始終ぴんと伸ばした氏の発言は大変心に届いた。政治家を初め人は死ぬまで修養が大事だと。国家の目標は大戦で周辺の国々に被害を与えたので平和国家を目指せと。まことに重みのある人なり。

2011年9月15日(木)
残暑厳しき折

 沖縄の方にまた台風が接近している。大阪は暑くて35度にまで上がる。午後のピークには避難するように喫茶店に入り過ごす。出て上本町の古書店まで散歩がてらに行く。もう一つ買いたい本見当たらない。

2011年9月14日(水)
お見舞い

 ご近所にお住いの先輩が足を痛められ入院されている。ご高齢にもかかわらず日頃は元気な方だけに入院生活はつらいだろうが治療に頑張っておられた。見舞いのあと小阪駅前の喫茶店で人と会ってお話を伺った。夏が戻ったような暑さなり。

2011年9月13日(火)
中之島図書館

 調べ物をしたくて自転車で中之島図書館へ走る。途中の天満南では昔の街並みが残り天満市場跡のにおいが漂う。歴史のある街は走っていてもいい。図書館では探している資料があり必要なところはコピーして帰る。

2011年9月12日(月)
綿の初摘み

 河内木綿畑に行き今年の綿摘みを初めてする。お初は縁起がよさそうである。綿花も雨に打たれると品質が落ちるらしい。下に落ち地面にふれると汚れてこれも品質が大幅に落ちる。何ごとも時期があるということだろう。今日は中秋の名月の日。月見団子を抹茶でいただく。

2011年9月11日(日)
赤とんぼ

生駒山に行くと赤とんぼが飛んでいた。とんぼは秋津とも書くが秋の到来を感じる。しかし、まだまだ蒸し暑い日が続くようだ。

2011年9月9日(金)
オバマ大統領の演説

 今日は重陽の節句の9月9日。松尾芭蕉がくらがり峠を越えたとき“菊の香 くらがり越える 節句かな”と俳句を詠んでいる。朝にオバマ大統領の演説がテレビで放送されていた。さすがに民主主義の本家は人を動かすスピーチには迫力がある。

2011年9月8日(木)
午後の語らい

 珈琲を飲みながら丸亀、周参見や都城出身の者がそれぞれの故郷や食べ物について語り合った。そこでは若者の人口流出があったり逆に増えているところもあるらしい。おばぁさんが作った、さんま寿司やめばり寿司が一番美味しかったと懐かしがっていた。

2011年9月7日(水)
生駒の裾野

 所要があり生駒西麓を自転車で走った。用事を済ませて八尾市楽音寺から十三街道の水呑地蔵までのぼる。苦労して登った甲斐があり上から見る難波津は西日が照り返し見事なものなり。

2011年9月6日(火)
多忙な秋

 9月に入り行事が多くなった。本づくりやイベントなど気の抜けないことが増えている。仕上げが近づくと山登りと同じで頂上近くなると登り道の勾配がきつくなり胸突き八丁といわれる。山登りで学ぶことが多いようだ。

2011年9月5日(月)
豪雨の恐ろしさ

 降り続ける雨が人々を苦しめている。近畿を中心に貴重な命や財産を奪っている。異常気象が次から次と起こっているが、自然が鎮まらないと人の安心が起こって来ない。

2011年9月3日(土)
じりじり台風

 のろのろと歩む台風に被害が出ている。今日はそのため家から外出が思うようにできない。外出はあきらめて家で読書で過ごす。

2011年9月2日(金)
新内閣発足

 今日から野田内閣が出発する。大震災の復興を始めとして経済の立て直しなど国難がまったなしに迫っている。観覧席から批判やヤジが飛んでくるが構わずに進んでいくしかないだろう。このような中、台風が四国、関西や中国を襲うような状況だ。

2011年9月1日(木)
台風が接近

 今年は蒸し暑い日が多いようだ。今日も湿舌状態の天候で少し動くと額から汗が滴り落ちる。朝には退職3人組のモーニングサービスの会がありコ―ヒーを前にして話がはずむ。3人の少人数でも話が対立するのだから面白い。何ごとも丸く収まらないのが当り前だろうから。

2011年8月31日(水)
難波の海が・・・

 昨日の風景が脳裏に残る。十三街道の水のみ地蔵から眺めた大阪湾に西日がきらきら光っていた。その中、数隻の船影がくっきりと黄金色の海にあらわれていた。万葉歌の「直越えのこの道にして押し照るの難波の海となずけらしかも」を自然と口ずさんでいた。

2011年8月30日(火)
自転車にメ―タ付けて

 琵琶湖一周する前にサイクリング車に時速計など一連のメータを取り付けた。これを使って水のみ地蔵まで自転車で行く。福万寺の昔の道標には十三峠まで50丁の標しがあり、キロに直すと5.5km。しかし自動車道を走っていくと約6Kあった。道標では水のみ地蔵まで4.5Kだから1.5K
が自動車道では長くなっている。旧道は急坂だが距離は短くなる。

2011年8月29日(月)
晩夏

 暑い暑いといっていても季節は秋に進んでいる。吹く風にも秋を感じるし朝夕はしのぎやすくなってきている。万物は移ろいでいき変わらぬものはなし。諸行無常なり。

2011年8月27日(土)
近所の人が突然

 この夏にまた御近所の知り合いの方の訃報が突然に入り驚く。人の世のはかなさはよく知っているつもりだが、こうも続くと今年はどうなっているかのと思う。日頃からお世話になっている人なので御近所の人達とお悔やみに駆けつけた。路上で出会ってもいつも笑顔で温厚な人だったので余計にその死が惜しまれる。

2011年8月26日(金)
地蔵盆を終えて

 子どもの頃から地蔵盆が終わると夏が終わる感じをもっていた。秋を前にして行事が待っていて忙しくなる。今から準備や用意がいる。今日もあちこちと連絡をとり河内の郷土文化サークルセンターのバスツアー参加のお願いをする。

2011年8月25日(木)
河内木綿の花開く

 河内木綿の花が次から次と開き出す。周辺の雑草を鎌で刈り取る。夏の時期はどうしても草がはびこってくるので時をおかずに刈り取らないと河内木綿が雑草に埋まってしまう。

2011年8月24日(水)
美しい国土

 日本は地方に行けばいくほど自然が残り美しいところが多いように思う。住む人の心も温かく感じるのは私だけだろうか。そこでは美味しい水が豊富で米や野菜が豊かに栽培されている。琵琶湖を一周して誇らしい国を感じるようになった。

2011年8月24日(水)
琵琶湖一周

 前々から願っていたサイクリングで琵琶湖一周をしてきた。願いがかなって嬉しいが多くの助けがありその時が来たのだろう。周りの人に感謝したい。自転車は大津から出発し大津に戻り走った完走距離は220キロにはなろう。初日は天候に恵まれたが次の日は雨が降ったりやんだり。この2日間は睡眠時間を除きサドルの上でほとんど過ごしたのでお尻が痛くなる。ホームページに一周記録を掲載していきたいと思う。

2011年8月21日(日)
空腹力革命という本

 中国語を勉強しょうと思って日本橋の上海新天地で中国語で書かれた『空腹力革命』という本を買った。後で知ったのだが著者の石原結実博士は石原新太郎の親戚の人。本の内容は健康についてで読みやすい。読んでいるうちに中国語に親しみ健康力が高まるようなので楽しみながら読み進めている。

2011年8月20日(土)
雨上がり

 8月中とは思われないような戸外では涼しい風が吹いている。これも昨日に激しい雨が降ったからだろう。体にまとわりつくような湿気はもっと消えてほしい。今年の夏は昨年に比べて暑さはましのようだが湿度が高いのがつらい。

2011年8月19日(金)
地域史への関心

 生まれ育った土地の歴史に関心を持ち調べて少しでも記録しておきたい。今日もそのような目的であるお家を訪問しお話を伺い写真など拝見する。地縁という縁で結ばれた有難さと不思議さを感じいりお家を後にした。

2011年8月18日(木)
旧知の出会い

 ハングルの会のY先輩からのお声がかりで旧知の人と何十年振りに会うことになった。共通の話題は韓国語であり隣国の文化。楽しい時間が流れ再会を約束して先輩に感謝して別れた。

2011年8月17日(水)
炎熱の中で

炎熱を感じさせる今日この頃。それでも吹いている風は秋の気配を感じる。真っ只中に次の変化が起こっているのだ。これが万物の事象に見られるように思う。今日は炎熱を避けるようにして喫茶店へ行きカウンターの上に活けられた鶏頭の花をスケッチしてみた。

2011年8月17日(水)
お盆にて

 お盆になり世の中は静かになりにけり。夕方に知人達と待ち合わせしているがそれまで時間があったので自転車で水のみ地蔵まで出かけた。昨夜から今日までw村の戦没者を克明に調べていると若くして戦場で亡くなった人たちのおん霊が取りつくように身体によみがえってくる。振り払うようにして山坂を駆け上った。みずのみから見る難波の海は西日に輝いていた。

2011年8月15日(月)
忠霊塔に参拝

 若江の忠霊塔に行き終戦の日の参拝をする。日本人だけでも310万人が戦没したという“昭和大戦”第二次世界大戦。しかし正確な数字がわからないというのが実態だろう。アジアでの巻き込まれた犠牲者は数知れない。戦没した父を今一度心から偲ぶ1日になった。

2011年8月14日(日)
日々徒然

 葬儀に参列する。暑い日だったが故人の人徳を偲んで大勢の参列者が集まった。式場のある津守は昔の難波津の重要な守りをするところだった。火葬場へ行く途中の臨海岸の工場群は力強い感じもあるが休業とかで荒廃していたところもある。日々見る物により考えも変化するかな。

2011年8月13日(土)
世間のうわさはあてにならない

 あるスーパーは怖い筋だとかの巷の噂を何回か聞かされたので自分もそうかと思っていた。ところがスーパーの創立者を当初から良く知っている知人に出会って聞くと全然違うらしい。まじめにごく小さな店から務め上げて大型スーパーに育てたのだった。噂は怖いという一つの例になるだろう。

2011年8月12日(金)
天空に

 親戚のおじさんで兄さんと呼んでいた人が亡くなった。どんな時でも優しい人で仏像鑑賞が趣味だった。お元気なうちに一番好きな仏像なんかを聴いておきたかった。この暑さは病人にとっては大変辛いことだ。この世から天空に飛んでいったのだろうか。

2011年8月11日(木)
世界は混迷か

 株価の低落は止まらないようだ。今回の世界の株価の低下は前回同様にアメリカ独自の事情から発生した。日本は未曾有の大震災発生後にもかかわらず円貨は以前より強くなっている。世界はまだ日本をましな国と思っているが、ほとんどの国民はどのように感じているのだろうかと思う。

2011年8月10日(水)
OB会

久し振りに職場の同期会を持った。知りあってお互い50年になろうとしているので半世紀といってもいい。良い時も悪い時もあったがここまでやって来た。小阪でいいひとときを6人で過ごすことができたので感謝をしながら帰途に就いた。

2011年8月10日(水)
0B
2011年8月9日(火)
東大阪柏原高校

 高校野球全国大会で大阪代表の東大阪柏原子高校が至学館を破った。東大阪柏原高校が東大阪市に本部を置く村上学園系で至学館も同様に東大阪市内の谷岡学園系となる。両方とも縁のある同志となり不思議なものを感じる。

2011年8月8日(月)
汗にまみれて

 河内木綿の畑に行き水やりや木の枝切りをして汗まみれになった。疲労困憊状態になったが木綿の成長にはよい環境になった。見た目もよくなり気持ち良し。

2011年8月7日(日)
景気

 景気が良くないとの報道があちこちからされ、会う人ごとからも聞かされるようになっている。景気という字を分解しても“気のおもむき”だから気分が大きく左右するのだろう。お互いが落ち込まないように景気を盛り上げないといけないと思う。

2011年8月5日(金)
cat&dog

夕方近くになりrains cat&dog(猫と犬が騒ぎ回る)ような夕立が降った。幸いに喫茶店で花をスケッチしていたので雨の被害から免れた。雨も上がったので上町台地へいき古本屋に寄り本を買って帰る。

2011年8月4日(木)
疑念が解ける日

 ある著名人について事実を知りたいと思っていた疑念が最近になっておぼろげながら解けてきた。デリケートな内容を含んでいるので簡単には調べにくかったが歳月が解決してくれたようだ。何ごとも辛抱がいるようだが解けてきたときには何ごとにも替えがたい心中の喜びがある。

2011年8月3日(水)
まちを廻る

 本づくりのためカメラを持ち自転車に乗り街を廻った。暑い日だったが今まで行ったことのある地域でも見落としていた歴史的なところが次から次と出てきて興味深い。それらを写真に撮り残しておこう。いつの時か役にたつに違いない。

2011年8月2日(火)
あちこちぶらぶら

 大阪商業大学へ行き河内の郷土文化サークルセンターの用事を済ます。大学では耐震工事のため事務局の一部は仮移転している。あとは本づくりのため数か所を写真撮りに出かけ十三街道の水のみ地蔵に登る。難波の海が西日に光ってきらきらしていた。

2011年8月1日(月)
八朔

今日は8月1日で旧暦でいう八朔の日になる自然の花が咲いて実をつけるめでたい日となる。京都では舞妓さんが料亭を廻り挨拶に行く。朔は咲くに通じる。

2011年7月31日(日)
多忙な日

 自治会のラジオ体操の最終日になるので参加する。100人ほどの人が子供を交えて参加。自治会としてもラジオ体操は大きな行事。その後、河内木綿の手入れのため中環の森へ行く。木綿は背丈が伸びて花をつけている木もある。午後に学生時代の友人達を会い談笑する。知りあって50年はなるのでお互いに歳を重ねたと脳裏に感慨起こる。

2011年7月30日(土)
“日本一長い商店街”

 東成の神路商店街と布施ブランドリー商店街をつないでスタンプラリーをして日本一の商店街にするイベントに参加した。沖縄の獅子舞や河内木綿コットンクラブの実演コーナーもあり盛りあがった。楽しき良き一日かな。

2011年7月29日(金)
水のみ地蔵

 八尾の水のみ地蔵まで自転車で登る。何とかお地蔵さんにお参りして大阪方面を眺めると難波の海が西日に照っていたので美しいと思った。登って来た夫婦連れが明石大橋がぼんやりと見えていると教えてくれた。夫婦で毎日のように歩いて登っているとのこと。ここまで来ると空気がひんやりとしてウグイスが鳴いている。

2011年7月28日(木)
古文書

 定例の古文書を学ぶ会に出席する。江戸時代の天明期に起こった震災や飢饉で当時の世相が大変不安定になった様が古文書を読んで知ることができる。食糧不足による混乱は今の時代から想像できないほど深刻だ。文字を通じて時空を超えてその時代に入っていけるように思う。

2011年7月27日(水)
桔梗を描く

 喫茶店に入るとカウンターに桔梗を活けてあった。この花の姿と色彩に心を動かされ絵筆をバッグから取り出し描く。このため次に行こうとしていた今日の目的が果たせなくなった。その日その日を気ままに送っているのだから、さほど気にならなくて周辺を自転車で想うまま動いて帰宅する。

2011年7月26日(火)
石切界隈

 昨夜は寝苦しく今日は睡眠不足で体が重く感じられる。自転車で少し山の上になる枚岡駅から石切駅の近くの辻子谷の水車まで登ろうとした。車の往来が多く体のキレも悪いので中途でギブアップ。近いうちにまたチャレンジしようかと思う。石切辺りから大阪を眺めると雄大な景色が広がり涼風が体にあたり気持ち良し。

2011年7月25日(月)
反響呼ぶ『ニッポン猪飼野ものがたり』

 今月23日付毎日新聞の文化文芸欄に大きく“在日コリアンの熱意伝える”『ニッポン猪飼野ものがたり』が取り上げられ“ごった煮の歴史 脈々”と本の内容を詳細にわたって評論している。発刊まで1年間編集委員会の一員として加わり執筆者の一人と本に登場している者にとって嬉しい記事だ。書店に並んでいるので多くの人に読まれると本当に幸いと思う。

2011年7月24日(日)
自転車で大和を散歩

 自宅を出て自転車で十三峠を越え大和側の東山から田原へ行き清滝峠を越えて帰宅する。東山では音の花温泉に入り汗を流して食事をする。何と言っても途中の温泉は気持ちがいい。東山の手前でかっこいいサイクリングに乗っていた若者から空気入れないですかと声をかけられ、もっていたポンプで空気を入れる。堺から来たとのことで自転車はイタリヤ製の超高級品。少し持ち上げさせてもらったらさすがに軽く我が自転車とは月とスッポンのすぐれ品なり。

2011年7月23日(土)
米国と借金財政

 日本政府の赤字財政はすでに大きな問題になっているが、今日の韓国の朝鮮日報によるとアメリカのワシントンの地下鉄に新しいエスカレータがついたことがワシントンポストに掲載されたと報じた。中身を詳しく読むとアメリカの公共施設のエスカレータは予算不足で止まっているのが多いらしい。だから新しくエスカレータが付くとニュースになるという。道路も傷んだままのところが目立つらしい。アメリカの負債はここまで深刻になっている。

2011年7月22日(金)
大阪を“旅”する

 自転車で古堤街道を西に行き大阪駅そして御堂筋を通り日本橋に回り帰途に着く。天満では天満宮の夏祭りを前にして提灯を掲げ、境内には御神輿が控えている。大阪駅周辺は駅ビルがすっかり変り威容を見せていた。一度ゆっくりと訪れたいものだ。

2011年7月21日(木)
ラジオ体操始まる

 夜型人間で朝早起きは苦手なのに町内会のラジオ体操の世話で5時半起きを挙行。ラジオ体操の担当になっている日は月末まで続く。大勢の子ども達も体操に参加するので務めを忠実に果たそうと思う。

2011年7月20日(水)
国会

 英国では新聞社の盗聴問題からキャメロン内閣が議会で追及を受けている状況をCNNで見たが議場では日本の国会のような罵詈雑言ヤジの様子は皆無といっていいほどない。さすがに議会政治の先進国のことはあるようだ。残念ながら日本の国会模様は野蛮な様子を見せられているようだ。議員は与野党を問わず頭を冷やして他の国の議会を見学したらいいだろう。なでしこジャパンも反則をほとんど見せずにワールドカップで優勝したではないか。

2011年7月19日(火)
図書館

 大阪府立中央図書館から借りた本2冊が返却期限ぎりぎりになったので大急ぎで返しに行ったら今日は振り替え休館日。仕方がないので玄関前の返却箱に投函する。そのあと読みたい2日前の新聞があるので東大阪市立永和図書館へ赴く。幸いに雨が小ぶりになっていたので自転車で何とか回れた。暗越奈良街道の特集記事が掲載されていたのでコピーをした。

2011年7月18日(月)
四條畷を歩く

 四條畷の街をまちづくり関係者と歩いた。台風の影響で雨が降っていたが4キロほど案内人のもと歩きながら、説明を聴いて新たに学べてよかった。地元の人がひたすら郷土歴史を勉強されていている姿に敬意を表したい。

2011年7月17日(日)
編集委員会

 秋に発刊する本の編集委員会が開かれた。今日の会でほぼ本の内容などが煮詰まってきた感じがする。みんなと知恵を出し合って良い本の完成を目指したいものだ。

2011年7月16日(土)
会議と講座

 朝の内は大阪商業大学で河内の郷土文化サークルセンター役員会に出席。秋からの行事に付いて打ち合わせをする。午後から瓢箪山で郷土史講座を進めた。炎暑にもかかわらず大勢の方に聴講していただいて恐縮する思いがいした。もっともっと勉強をしていかなければと反省する。暑さと関係なく汗がでるほど内省する。

2011年7月15日(金)
すだれ

 玄関前の西日が厳しくドアーを焼き付けるように熱くする。今年は何年振りかですだれを一枚、前に吊り下げた。家の中が少し涼しくなったようだ。南側の軒下には風鈴をつりさげできるだけ涼しさを感じるようにしている。ちりんちりんとなる音色に耳を傾けるのはやはり夏のひとつの風物詩だろう。それに打ち水はかかせないようだ。

2011年7月14日(木)
韓国の新聞社説を読む会

 庭の姥目樫の枝が空を突くように乱雑に伸びたので炎天下を顧みず高枝挟みで刈り取ってみた。汗まみれになったが仕上げを見ると気持ち良し。電話があり大長老と布施駅前の喫茶店で2人と“韓国紙社説を原語で読む会”を開く。こちらが韓国語で読み訳していき大長老が記事のコピーに細かく几帳面に書き込んでいかれる。90歳の人が酷暑の中で一所懸命韓国語を学んでおられるのでこちらもその姿にひかれて一生懸命になる。

2011年7月13日(水)
相次ぐ訃報

 自治会の知人が続けて亡くなれた。この暑さが影響しているのだろう。 哀悼の意を表したい。久し振りにコリアタウンのヒロゲストハウスに寄ると東京から国際キリスト大学の学生達がコリアタウンの形成などについて調査のため逗留していた。『ニッポン猪飼野ものがたり』の著者の一人としてインタビューを受けた。こちらが聞かれる方だったが対話して勉強にもなった。郷土史家の足代健二郎氏も参加してくれたのでよかった。

2011年7月12日(火)
クスノキカレッジ

 若江岩田駅前のクスノキカレッジに参加し「花屋敷遺跡の調査」を学んだ。花園駅前の遺跡から弥生時代や中世の遺跡が出て、その発掘の過程や出土品の銭や井戸羽釜等興味深い説明があった。なぜ花屋敷と呼ばれるのかもっと知りたいことが湧いてきた。

2011年7月11日(月)
河内木綿

 今日は当番の日なので河内木綿畑に行き水やりと草刈りをする。少し雨が降ったが少量だったので井戸水をたっぷりと畑に注ぐ。夏草は成長が早く刈り取ったあとからすぐ伸びてくる。草刈りのあとの冷たい飲料水が喉を気持ちよく通って行く。

2011年7月10日(日)
十三峠を越えて

 前から思っていた自転車で十三峠を越えることに挑戦した。。酷暑の中であったが八尾の楽音寺からよっちらよっちらと舗装道を登る。飲料水を持ってくるのを忘れたので熱中症にならないかと心配した。峠の手前で弘法の水が湧いていたので保健所の警告を無視して喉を潤した。後で心配するより水を飲まないと暑さのため体がダウンすることを恐れた。何回も休憩したが十三峠に到着し眺めた大阪の風景は素晴らしかった。法隆寺の前を通り大和郡山の老舗の銭湯、大門湯につかって汗を流した。郡山駅から自転車を輪行袋に入れて帰宅する。

2011年7月9日(土)
英会話サークル

 市民会館へ30分ほどかけて炎天下を歩き英会話サークルに出席する。会場に到着すると冷たいお茶が用意されているので助かる。運動になり勉強ができるので大変助かっている。頭の回転と記憶力が落ちている今ではざるで水をすくっているように少ししか学べていないが、それでも学んでいるという充実感があるのでそれでいいと思っている。

2011年7月8日(金)
資料作りも終えて

 課題になっていた資料作りも終えたのでほっとして自転車で街中を走った。少し世の中も平穏になって落ち着いてきたような感じがするが水面下で何かが進んでいる。大阪市など自治体の担当者は一生懸命に頑張っているようだがいずれ表に出てくるように思うが決して悪い方向ではないだろう。しかし財政的な負担は大きい。

2011年7月7日(木)
大阪府立図書館

 講座を前にして当日の資料作成のため府立中央図書館へ行く。雨の中しずかな図書館は落ち着いて考え資料作りに適した雰囲気がある。今日は思うように進んだように思う。

2011年7月6日(水)
六万寺の火の見櫓

 近郷の火の見櫓が“昭和の風景”のひとつとして情緒を残す。しかし、この風景も段々に消えていっている。今日は生駒山裾の六万寺を自転車で走っていると溜め池の堤の上に火の見櫓が建っていて水面にその姿を映していた。のどかな風景を醸していた。

2011年7月5日(火)
お粗末な大臣

 故滝住光二先生の葬儀に参列する。先生とたまたまお茶を共にした折、満州に出兵された時の辛苦多い話などお聴きした。今でも感銘を持って接した思いがよみがえる。 ニュースは常識では考えららない復興大臣が生まれ辞職していったことを伝えた。一人の人間としても理解できない人が世の中にいるもんだとも思った。

2011年7月4日(月)
訃報

 郷土の歴史や文化を研究し広められた滝住先生が亡くなられた。市会議員としても地域の発展に尽力された。訃報が入ったので取り急ぎお悔やみに駆け付けた。式場に赴くときに生前の先生のお姿やお話が脳裏に浮かんできた。

2011年7月3日(日)
平野郷

午前中は河内木綿の畑の掃除や草取りがあった。曇っていたが蒸し暑く一時間少しの動きだけで汗びっしょりとなり疲労がドッとつのった。夕方になり自転車に乗って平野郷まで散歩に出かけた。杭全神社の祭りが近づいており町内ごとに提灯が掲げられ情緒あり。以前一回は入った居酒屋さんを訪ねたが先客で満員だ。入れなかったのが残念だが常連さんに愛好されている店なり。

2011年7月2日(土)
IMF前専務理事が釈放

 世界を驚かせたセクハラ嫌疑のカーンIMF専務理事は軟禁状態から釈放となった。前月の韓国の新聞にすでに報道されていたが、セクハラを受けたという被害者の言動など、大いに疑問を抱かせるものがあった。日本の新聞やマスコミは報道していないようだったが情報は日本には正確に伝わっていなかったようだ。カーン氏は裁判でも無罪になるように思うがフランス大統領選挙に絡む謀略としたら恐ろしいことだ。

2011年7月1日(金)
寝屋川の亀

 梅雨の切れ目に傘を手に散歩し近所の寝屋川の橋の下を見ると一匹の亀がゆっくりと泳いでいた。水量の多い中で気持ちよさそうな亀の独り舞台。寝屋川を渡るときや近くを行く時ははいつものように川面を覗くこむ癖があるようだ。

2011年6月30日(木)
じりじりと6月ゆく

 6月にしてこの暑さは、これからどうなるかと不安になる程だ。夕方になるのを待つようにして植木に水をやり玄関前の道路に散水して少しでも涼をとりたい。この住みにくい環境でも気分よく過ごせるように人と人は仲良くして工夫をしていきたいものだ。

2011年6月29日(水)
暑さに耐える

 朝のうちから温度が上がり家に居っても暑い。あえて自転車に乗って大阪市内へ出かけた。長瀬川に沿って京橋に出て天神橋を経て中崎町を訪ねた。ここで知人が喫茶店を開いているので入ってみると元気に頑張っていた。北野病院の近くで若くて経験がないのに必死に店を守っている感じがした。途中の蒲生では大坂冬の陣蹟などがあり、神社では 茅の輪を作っておられた。

2011年6月28日(火)
韓国では与野党協力

 韓国では社会問題になっている大学の授業料値下げや失業問題解消に向けて与党のハンナラ党と野党の民主党党首会談が進んでいる。国民が望んでいる政治には党はあまり関係ない。国難に力を合わせようとする国とごちゃごちゃ理屈を述べている国では、その将来は大きく変わろうとしているだろう。

2011年6月27日(月)
河内木綿と水

 河内木綿の水やりのため“中環の森”へでかけた。今年から井戸水から水を汲み上げてタンクに溜められている。ポンプアップは太陽熱源で行われている。冷たい井戸水、自然エネルギーそして河内木綿と連動するような心地よさを感じる。

2011年6月26日(日)
瓢箪山まちなみツアーに参加

 大阪商業大学酒井ゼミの学生達が取り組んでいるまちなみツアーに参加した。東高野街道にある商店街を歩き近辺の瓢箪山稲荷など歴史あるスポットを廻った。昼食は育児支援センターで郷土食が提供された。中々盛りだくさんの内容で参加者同士の交流も行われ興味深いものだった。

2011年6月25日(土)
城東サロン

 大阪商業大学であった河内の郷土文化サークルセンターの第33回城東サロンが「河内の郷土文化サークルセンターの田原と大和の田原〜年中行事・農事暦」のテーマで開かれた。講師は「わかくす文芸サロン」の太田 理氏。よく調べて記録されていたのでいい勉強の場となった。

2011年6月24日(金)
長瀬川みず少のうて鯉あえぎ

 長瀬川沿いを走っているとバシャッと音がしたので目を川面に向けると大きな鯉が体の上半分を大気にさらけて泳ぎ喘いでいた。水が少なくて腹を川底に擦って困っている。冒頭のような句が浮かんだ。

2011年6月23日(木)
ガス風呂

 長年使用しているガス風呂の調子が悪く雨降りの日では点火しなくなった。仕方がないのでそんな日は銭湯に行っていた。ガス器具会社に問い合わせすると東日本大震災の影響で部品など不足しているとのことだったが最近は入手できるようになったとのこと。早速修理してもらうことにした。

2011年6月22日(水)
蒸し暑さ

 梅雨時期の晴れ間の日の今日、とても蒸し暑かった。自転車で走っているときは体全体に風が当たっていて涼しいが留まると額から汗がドッとでる感じだ。一時間近く自転車で走り家に帰ると体が汗まみれになり下着も替えた。気分は爽快なり。

2011年6月21日(火)
原発は

 原発を抱えているところは安全性で不安を抱いている。それ以外の土地は安全なところで電力は供給してほしいと願っている。米軍基地を抱える沖縄もある意味では同じような問題がある。太陽熱や風力など自然エネルギーをもっと取り入れていかねばならないだろう。原発は必要と主張するなら、あなたの近くに原発を移したらどうかとの筋合いになるだろう。

2011年6月20日(月)
店色々

 自転車を買ってひと月ほどになるので点検も兼ねて販売店のある桃谷を訪ねた。アフターケアの良い店なのでブレーキや空気などを見てもらった。またいつでも寄ってくださいと愛想がいいので助かる。帰宅の途中に雨が降って来た。

2011年6月19日(日)
風に吹かれて

 風に吹かれるように自転車で日本橋から大坂城そして天満と廻った。ペダルを踏んでいると自力で移動しているという心地よさを感じる。幸い雨も大して降らずに済んだのがよかった。

2011年6月18日(土)
久し振りに自転車で

雨続きの中自転車で日本橋までは行けなかったが今日は行ってみた。天気予報は雨マークだったので雨合羽をカバンに入れていった。いつものカフェでくつろいでいると案の定雨が降って来た。合羽を体の上下に着こんで帰宅することにした。途中の布施で知り合いとの寄り合いがあったので“途中下車”とした。

2011年6月17日(金)
トップを変えろ病

 最近のニュースを見るのが嫌になる程一国の首相の足の引っ張り競争が繰広がれている。たとえすぐにトップが変わっても私には断言できる。新しい首相に誰がなろうとも、すぐ止めろとの声が巷に起こるに違いない。そうすれば日本は再び世界の笑いものになるだろう。トップを支えることについて学び努力していかなければならない時期がきている。

2011年6月16日(木)
続・東洋陶磁美術館

 中之島にある大阪市立東洋陶磁美術館には旧安宅商社のオーナー安宅コレクションが多く展示されている。さすがに名品が多いがその中、重要文化財に指定されている茶碗は薄く美的にできている。このような技術は昔は大変難しいものだった。私達が使っている食器や道具を見渡すと当時の王様であっても所有できないような技術で出来上がっている物が多いようだ。

2011年6月15日(水)
東洋陶磁美術館

 戦前に朝鮮文化の素晴らしさを発見して広めた浅川伯教、巧兄弟の特別展を観覧した。朝鮮民芸の白磁は素朴な美しさが魅力的だ。小ぶりだがどっしりした白磁に魅かれガラス越しにスケッチをした。ここで7月24日まで開催される.。館を出ると目の前に中之島公会堂が建っている。いつ眺めても素晴らしい。スケッチして帰った。

2011年6月14日(火)
徐々に増える外国人観光客

 自転車でミナミまで走ると外国人観光客の乗せた大型バスが以前のように堺筋線に2台停車していた。大震災で遠のいていた観光客が徐々に心斎橋筋に戻ってきているようだ。アジアからの客を商店では購買力を頼りにしているところが多いので安心していきたいだろう。

2011年6月13日(月)
清滝峠を越えて

 サイクリングで東高野街道を北上して四條畷から清滝峠を越えて北田原に向かった。生駒山系を越えて奈良県側にあるのに北田原は四條畷市。南田原は生駒市になる。生駒山系の東に位置する北田原が大阪府四条畷市に入っていることに何か不思議さと新鮮さを感じている。今日は時間がなくて歴史と自然が豊かな北田原をゆっくりと観察できなかったのが残念。

2011年6月12日(日)
自治会の掃除行事

 近くの公園での自治会の掃除をする。午前中は雨がさほど降らないので掃除は予定通り終わってよかった。掃除後は喫茶店へいき歓談する。近所の付き合いの楽しきひとときかな。

2011年6月11日(土)
玉ねぎをもらう

 友人が畑を借りて野菜作りをしている。玉ねぎをいただいたので玉ねぎの姿煮をしてもらった。柔らくて煮汁も美味しいオニオンスープに仕上がっている。当分玉ねぎを味わっていこうと思う。

2011年6月10日(金)
小学生達と河内木綿を植える

 今日は楠根東小学校の生徒達が河内木綿を植えるのを手伝ってくれた。毎年手伝ってくれるので綿は順調に育ってくれる。

2011年6月9日(木)
失われ行く昭和の風景

 身近の風景のそのひとつになぜか火の見櫓の存在がある。火の見櫓立つ風景は昭和の風景といえる。火の見櫓のある集落はひとつの共同体だ。この風景は火の見櫓が段々と撤去されている社会で確実に失われていくので今のうちにスケッチをあちこちでして残していけたらいいと思っている。

2011年6月8日(水)
居酒屋で

 居酒屋で飲んていて盛り上がった。盛り上がると言うことは余り考えてなくていない。そのまま載せていくのはよくない。いまだに頭の中はまとまらない。

2011年6月8日(水)
いさか矢d34江
2011年6月7日(火)
方向音痴

 自転車で日本橋から東大阪に向けて走っていて途中で方向を間違い加美へ行ってしまった。そのうちに夜になり道路は暗くなるしで困った。家に着いた時にはいつもより3倍ほど時間をかけた到着なり。

2011年6月6日(月)
そら豆

 自転車で野崎駅前を走っていると昔懐かしい八百屋さんが店前に大きく品物を並べて置いて売っていた。自転車を止めてよく見ると鳥取砂丘の泥つきラッキョやそら豆などをざるで売っていた。先日にラッキョを買って今、酢漬けしているのでそら豆だけを買って家に向かった。帰宅してそら豆の皮を剥くと薄緑の大きな豆が出てきて舌つつみを打った。

2011年6月5日(日)
消えていく街道風景

 東高野街道を四條畷に向かって自転車で善根寺辺りを走っているとアレッと思った。以前通った時にあった火の見櫓がなくなっている。いずれなくなるとは思っていたのでスケッチしておいてよかった。しかし、こんなに早く消えていくとは寂しい気がすると同時にあの時にスケッチしておいてよかったと胸をなでおろす思いがする。

2011年6月4日(土)
統国寺の学習会

 福島第一原発事故を観る として学習会が開かれた。今日の講師は崔智光師であり若い僧侶だがよく調べておられた。お聴きして勉強になった。意見を述べたが兄弟が罹災されている方もおり、多彩な意見交流があった。

2011年6月3日(金)
政治家の嫉妬か?

 日本の首相がすぐに替わるので世界から馬鹿にされたり不思議がられている。安部、福田、麻生、そして鳩山各氏と一年前後で辞職。これらは皆政治を家業とするボンボンだ。この国難の時に苦しい時に引き続いてやらせてくれという首相を与野党あげて引きずり降ろそうと熱心な議員が目立つが国民の目から見ると到底理解できない。理解できない国民に対して野党のある議員はそんな国民はバカだと発言しているが、私もバカの一人になるのだろう。

2011年6月2日(木)
国民からかい離

 政治をする者が国民の気持ちから離れ、権力の取り合いになっているようだ。本当に国のため国民のための政治をやれば日本はまだまだ良くなるだろう。争うエネルギーと知恵を使えばもっといい政治ができる。中立であるべき国会の議長が政治に介入するのは逸脱しているし、国会として罹災者のための法律の成立を図り職務を尽くすべきだろう。

2011年6月1日(水)
ひととき

 友人たちと月一回に珈琲を前にして談笑する。話題は政治から世間のことからどこまで広がるかわからないが結構、話に熱が入る。現在は首相の不信任案の是非とか大震災のことが話にのぼる。時間のたつのも速くて楽しいひとときなり。この時期に不信任案は出すべきでなく震災の復興に力を入れるべきだろう。

2011年5月31日(火)
経済は一流、政治は

 日本はだいぶ前から世界でも経済は一流、政治は二流と言われてきた。しかし、この頃はこの大震災を見舞われているのに首相を替えようとして政治は三流以下に落ちたのは確かなようだ。罹災民の復興をまず第一に優先しなければならない政治家が永田町で権力闘争に明け暮れている。国民はこの醜態を見せられて呆れてげんなりな思いに明け暮れている状態だ。

2011年5月30日(月)
本づくりで外出

 秋に予定している本づくりでカメラをバッグに入れて取材のため外出する。長らく続いた雨も止み玉造など廻ってみた。自転車で行くと思わぬ発見もある。風が少し強かったが天気も良くなり快適なり。

2011年5月29日(日)
ジョージ・フリードマン教授

 昨夜のチョッソン日報を読んでいるとハーバード大学の有名学者のジョージ・フリードマン氏とのインタビューが載っている。米国と中国、日本、韓国の将来の関係を中心に中国の格差社会、混乱への方向。日本人の震災に見る忍耐力や教育程度の高さ、朝鮮半島の今後の統一問題を語っている。要約すると教授は日本の将来性を高く評価している。問題は含んでいるにしても日本では悲観論が多いようだが現状分析に政治家やマスコミのコメンテータに問題あり。同教授の発言を参考にされたいと思う。

2011年5月28日(土)
会議が続く

 朝から会議があり最終終わったのは夕方近くになっていた。今日は大阪商業大学で河内の郷土文化サークルセンターの会報や文化誌『あしたづ』の編集会あり。

2011年5月27日(金)
永和図書館

 ときたま永和図書館へ行く。自分が高校時代の50年前から利用している。今日も時間があったので行ってみたが手狭になっているがいつも大勢の利用者が居て読書をしている。近くにあり気軽に利用できるので便利。建物が古くなってもなくなってしまっては困る人が多いだろう。

2011年5月26日(木)
十三街道を案内する

 あることろから依頼があったので布施から十三街道を案内した。1615年には若江の戦いに出陣した木村重成が4700の軍勢を引き連れ十三街道を通り若江の戦場で討ち死にした。伊能忠敬も1808年にここを通り大和の竜田まで測量し地図を作製している。いろんな歴史を想い数人を案内し途中に喫茶「美術館」でコーヒーを味わう。

2011年5月25日(水)
国際関係

 東日本大震災後は特に近隣諸国から温かい援助があり日本には本当にありがたい。しかし国際関係はそんなに単純でもない。今朝の朝刊、朝鮮日報の社説を読むと日本の災害は簡単にいえば仕事を日本から奪うチャンスだとのようなことを書いている。戦後の朝鮮戦争では経済力のなかった日本がいい“特需”として産業を驚異的に伸ばしたのだからこれをしっかり学んで行こうと。外交とは右手で握手して左手は油断なく戦う用意をしてるともいえよう。

2011年5月24日(火)
街角で風に吹かれて

 誰も知らない街角でぼや―と座ってお茶を飲んでいると気持ち良い風が頬を撫でていく。ただ通り行き交う人たちを眺めているだけで時間が過ぎてゆく。

2011年5月23日(月)
雨の日には

 昨日に続き雨降っている。梅雨入りのような天候のなか、家にこもっていても仕方がないので傘をさして散歩をする。近くの喫茶店でパソコンを持ち込んで秋に暗越奈良街道グループで刊行の予定の本の原稿書きを進めた。しかし、亀のあゆみのように遅いがカタツムリのように歩みを止めないで確実にのろのろと進んでいきたいものだ。
ホームページに我が家に伝わる石碑『美女堂氏遺愛碣』について小文を掲載した

2011年5月22日(日)
文化見学会で大阪狭山へ

 河内の郷土文化サークルセンターの文化見学会で大阪狭山市を訪ねた。雨の天候にもかかわらず20数人の参加者が熱心に狭山池や博物館など見学された。地元の人や大阪府教育委員会の方から説明を受けて勉強になった。心から感謝を申し上げたいと思う。

2011年5月21日(土)
ハングルの勉強

今年卒寿になられるハングル勉強に熱心なNさんから電話があり布施駅前の喫茶店でお会いする。教材はいつものネット朝鮮日報の記事をコピーしていく。東大教授姜尚中のインタビュー内容が書かれている。彼のお母さんは亡くなったが文字の読み書きができなくて在日として苦労の一生だった。親孝行の彼は著作でも著述している。今日は学ぶことで充実感がふつふつと身体に持ち上がってくる。

2011年5月20日(金)
生野のおとな塾

 生野の知る人は知る“キョンチャル・アパート”が壊される。戦前から100年の歴史もつ建物が消えるので、御幸森小学校内で勉強があり参加する。巷で言われていたことと違う点もあり合っている点もありで勉強になった。

2011年5月19日(木)
ジュエラルド・カ―チス教授

 米国のプリストン大学のカ―チス教授は日本政治を長年にわたって研究されている。この教授が朝日新聞に語っているのは日本の社会はしっかりしている。それで日本の政治家は甘えてしまっている。そして軽薄な言動を繰り返している。日本の方向を誤らないのは国民がしっかりして社会を守っているからなのだ。まったく教授の発言に同意する。

2011年5月18日(水)
食事が大事

 毎日とる食事が大事なのは言うまでもないが、これが健康に大いに影響を与える。食べ過ぎてもいけないし少なすぎるのも良くないがコントロールが大変難しい。最近太り過ぎで節制が難しいと言ってばかりおられないようになっている。節制をしないといけない状態なのでするだけである。寂しい思いはしている最近が続いている。

2011年5月17日(火)
日本をけなさないでほめよう。

 私達が生活している大事な国を非難したりけなすことがどこでも盛んで熱心なようだ。批判は大事だがそれでは日本が可哀相だとも思う。私たちの祖先や親たちが営々と努力して築いてきたのだろうからそんなに悪いはずがない。戦後の廃墟から立ち上り、経済力をつけ、人類の夢だった長寿社会を世界に先駆けて実現した。治安の良さは外国では類をみないほどよい国だ。他にも数えられないほど優れた点がある。

2011年5月16日(月)
自転車は快適

 自転車で日本橋や大阪城を廻ってみた。ペダルを漕ぎ五月の気持ちよい風が頬をかすめていく。自分の足であちこち行けるのはうれしいことだ。まあ身体が動ける間は安全に気をつけながら自由に廻ってみたいと思う。

2011年5月15日(日)
JR環状線

 JR環状線の寺田駅から鶴橋駅を歩く。買い物に出かけたが店は定休日だったので用を足せずにがっかりしたが仕方なく辺りを散策し鶴橋駅にたどり着く。途中で喫茶店に入って休憩したがガード下の古書店を覗いたり結構楽しめた。鶴橋駅前の本屋にも寄り本を購入する。

2011年5月14日(土)
風薫るころ

 陽がきらきらと輝き心地よい風が頬にあたる。街中に風香り新緑が美しい。今日はそのような好い日だった。このような気候はわずかな期間で終わるのだろうか。一日でも長く続いてほしいものだ。

2011年5月13日(金)
丹波、京都を訪ねる

 新緑の丹波や亀岡、京都を廻ってみた。新緑の気候のよい頃だったが黄沙のせいか山が霞むように見えた。しかし食事もおいしく永沢寺の牡丹や美山の茅葺集落をスケッチして帰った。

2011年5月12日(木)
街の文化

 身近にある文化を大事にし守っていきたいものだ。人の心をなごます歴史や事物を学び広めていくのが基本になる。寺社仏閣の仏像が盗まれている。人の心が荒れてきているように感じるこの頃、見捨てられない状況になっているのを嘆いてばかりおられない。

2011年5月11日(水)
雑感

 関わった本が好評で書店でよく売れている。中心になる人がおり、その周りには多くの協力者がおり、それで一冊の本が世の中で認められていく。本が売れることにより著者の考えが広まり世の中に少しづつでも影響を与えればいいのだろう。雨の降り続ける今日ぼんやりと考えた。

2011年5月10日(火)
史跡見学会バスツアーの下見

 河内の郷土文化サークルセンターの恒例事業の史跡見学会バスツアーの下見のため播磨方面へでかけた。あいにく雨の中だったが龍野から鶴林寺、浄土寺など歴史的に素晴らしいところだと確認できた。さらに研究していいバスツアーにしていきたいので役員会で考えていきたい。

2011年5月9日(月)
くらがり峠

 少し暑い日だったが体を動かそうと思って暗峠に上げってみた。これにはほかの理由があって“くらがりでドッキング”の催しで大阪側と奈良側から150人が峠で出会った折に、お世話になった茶店にお礼を言いに顔を出しに行く目的もあった。新緑がきれいでウグイスの鳴き声が心地よかった。山中で珍しく法螺貝を吹く人に出会う。山伏の修業で法螺貝の吹き方を練習中だとのことなり。これを吹くと山中に大きくい響くのでおどろく。

2011年5月8日(日)
第34回ふれあい祭り

 近畿大学留学生たちと大学事務局を交えて第34回東大阪市民ふれあい祭りへ「留学生の屋台」を出す。天気も良くて大勢の人たちが屋台に来てもらった。留学生たちも楽しげにチジミや小龍包など作り売っていた。どの屋台も売り切れてよかった。

2011年5月7日(土)
退職者の会

 退職者の会の総会があったので参加した。懐かしい顔にお目にかかりお互いに挨拶を交す。総会のあとは食事をしながら親睦会が催され談笑する。お元気な人や退院をされて間もない人もおり様々な様子なり。先輩などは傘寿を越えた方もおられ楽しそうに親睦会に参加されている姿に励まされる。

2011年5月6日(金)
図書館をはしご

 朝は“喫茶店でモーニングサービス3人組”を終えて永和図書館へ行き調べ物をする。町の何気ない歴史を調べると大変興味深いことがわかってくる。必要な個所をコピーする。ここを出て駅前で昼食をとり中之島図書館へ向かう。昭和30年代初期の新聞を調べる。探している記事が出てこない。4日間も通いながら出てこないので諦めることにした。しかし、当時の世相や社会、政治等がよみがえって来たので収穫はあったようだ。

2011年5月5日(木)
生垣の手入れ

 新緑の候となれば生垣の枝葉もどんどん伸びてまとまりが悪くなってきた。小さな庭へ伸びる生垣のため陽が入りにくくなり害虫がはびこる。昼前から植木ばさみを手にしてチョキチョキとする。汗をかきながら一時間ほどするとさっぱりとした生垣を眺めると気持ちがいい。体を動かせると理屈抜きに気分が爽快になるものがあるようだ。

2011年5月4日(水)
綿実油

 東大阪や八尾などは昔、河内の国と呼ばれ河内木綿の栽培が盛んでここから綿実油も採れた。夕食に綿実油で揚げた天婦羅を食べた。からっとした仕上がりで適当な甘みを含み美味しい。歴史や伝統から学ぶことが多いのではないのだろうか。

2011年5月3日(火)
天王寺美術館

 友人の絵画作品も展示されている天王寺美術館を訪れた。途中の天王寺駅近くQ’S MALLが今日オープンなので寄って行った。美術館の付近は新緑の木々に覆われるように建っていた。素晴らしい作品を鑑賞した後、通天閣を通りぬけ心斎橋に向かった。ここでは東日本震災を元気づけるように大勢の人たちの笑顔が押し寄せるよう、溢れるよう往来していた。

2011年5月2日(月)
黄沙の日

 中国からの黄沙のため生駒山がぼんやりしか見えない。昨年に北京を旅行した時は日中でも夕方のように黄沙のため薄暗く包まれていた。日本からは原発汚染の影響も与えているだろう。近隣諸国はよきに付けあしきに付け影響を受け合いしている。

2011年5月1日(日)
小阪城主

 小阪駅前の“小阪城”前を通るとき城主とたまに立話をする。この城造りのようにユニークな発想と実行力に日頃から敬意を抱いている。今日は大震災のことで会話をしていてさすがだなと思った。日本の危機の時に政治家がひとつになって対処できないのではあれば太平洋戦争後のようにもう一度米軍に来てもらってまとめてもらうようにしないとの皮肉が飛び出た。さすがにエスプリの利いた人だ。

2011年5月1日(日)
春の宵

 春の宵は値千金と言われている。この季節の宵はまさしく香しく佳き時なり。多いに味わい楽しむべきなり。そういうことで今里の友人の家で数人と集まりがあり楽しみ帰宅する。

2011年4月29日(金)
季節の旬

 春は春のもの、夏は夏のもの・・・いわゆる旬を食べたい。今日は竹の子を口にした。美味しいし体に良いように思う。昨年にはそのためといっても良いように山椒の木を買って木の芽を育てておいた。
   木の芽採り 手に残りし 薫りかな

2011年4月28日(木)
古い新聞

 昭和31年の新聞を調べる必要があり、中之島図書館へ行った。肝心の記事は見つからなかったがあれやこれやわかったことがある。そのひとつは原発の候補地に大阪高槻市が上がっていたことがある。人口の密集地で今回の原発事故が起こったなら予想できないほど大きな被害が起こっているだろう。当時は真剣に討議して最悪の事態を避けてきたのだろう。

2011年4月27日(水)
フリーカフェ

 中之島図書館へ行こうと思い御堂筋を歩いていたら珈琲を飲みたくなりカフェに入った。ここは何と無料でコーヒーと場所を提供している。豊岡のおかき屋のはりまやさんの心意気だ。座っている位置からガラス越しに御堂筋のイチョウ並木が新緑を見せている。一地方から一等地に於いてこのような挑戦をしているのがうれしい。

2011年4月26日(火)
心斎橋を歩けば

 買い物で日本橋から心斎橋と歩いてきた。大型バスで乗り付けていた中国人観光客はすっかり見られなくなった。地震とかの災害でミナミへの外国人観光客が激減していたが今日は心斎橋を歩いていると個人観光客がちらほらと見えた。元に戻るにはもっと日数がかかるだろうが風評が世界に広がっているのが怖い。

2011年4月25日(月)
JR八尾駅前で

 所用があって八尾市楽音寺からJR八尾駅前方面へ自転車で出かけた。楽音寺まで来ると高安山が近く山裾に入り古い集落が続く。JR八尾駅舎は時代を感じさせるものだが、かなり小ぶりな造りで懐かしい風景を醸し出している。宅配がない昔は全国から送られてくる小荷物はこの駅止めとなって各自がここまで取りに来なければ仕方がなかった。そのため現在も大日本倉庫会社という老舗の会社が駅前に伝統的社屋を構えで歴史を醸成していた。その後、植松新田会所を訪れ見学したが家屋も立派だが展示内容を観覧して大変参考になった。

2011年4月24日(日)
牡丹の花

 喫茶店に入るとカウンターの上に大輪のひとつの牡丹が活けられていた。丁度水彩セットをウエストバッグに入れていたので描いてみた。画帳に花の線を描き色を塗り進めるときが一番楽しい。この美しい牡丹の花も今日を盛りとして色褪せていくだろう。

2011年4月23日(土)
河内の郷土文化サークルセンター理事会

 かわちの郷土文化サークルセンター理事会に出席する。平成23年度事業計画を立て予算をつくり承認を得た。しっかりした財政基盤を作り地域文化の振興に努めていきたいと思う。あまりかたぐるしく考えずに文化を楽しみながらしていく方がいいだろう。

2011年4月22日(金)
四條畷の戦いツアー

 以前に歩いた楠木正行が戦った四條畷戦跡をまち・むら文化研究会で歩いた様子をマップとともにホームページに掲載した。なかなか納得できる内容にはならないが写真など文章で記録しておくのは一定の整理ができる。不完全なところは後で直していこうと思う。

2011年4月21日(木)
ふれあい祭り

 第34回ふれあい祭りのリーフレットが手に入ったので「留学生の屋台」を一緒に出す近畿大学に届けた。ふれあい通りの95の場所で昨年と同様。樟蔭女子学園の北側になる。5月8日(日)が本番なので沢山の人に来てほしいものだ。

2011年4月20日(水)
若江遺族会

 若江遺族会の総会に出席した。戦争未亡人の生存者はきわめて少なくなり戦争遺児も減り、遺児の配偶者の出席が増えている。これも戦後66年経ての変化だろう。この会に参加すると日本の戦後の歴史がよりわかってくるように思う。

2011年4月19日(火)
目から鱗(うろこ)

 本棚にポンと置いて長く読んでいない本が、前に座っている私に「いつ読んでくれるのと呼びかけている気がしたのでふとっ手にして開けてみた。読み進めていくうちに「目から鱗がおちる」思いをさせる個所が何回も登場する。そのたびに本を伏せて頭の中で作者の考えを反すうする。司馬遼太郎氏の『昭和という国家』はおもしろくて奥が深い本だと思う。

2011年4月18日(月)
ニッポン猪飼野ものがたり

 本作りに関わった『ニッポン猪飼野ものがたり』が読売新聞の書評欄に大きく掲載された。全国的に高く評価されたみたいなので記憶に残るような嬉しさを感じる。この本は猪飼野を幅広くしかも奥深く取らまえている数少ない本と考える。

2011年4月17日(日)
暗峠でドッキング

 奈良県レクリエーション協会と大阪府レクリエーション協会による歩育の会の催しが開かれ暗峠で150名がドッキングして交流会が開かれた。私達、街道クラブも支援として参加した。天気にも恵まれ大変有意義な時間を過ごすことができた。

2011年4月16日(土)
本当の英雄は?

 東北大震災で本当に感銘を受けた人達は、大勢の罹災者の方からだ。罹災者の多くはごく平凡な市民であり町、村人で市井の人達に勇気があり忍耐力ある本当の“英雄”の姿を見る。これらの人々が日本を必死に支えている。

2011年4月15日(金)
風邪をひく

 天候不順が続き薄着したりしたため喉が痛くて体がだるい。昨夜は思い切って風呂に入ったのがさらに体調を悪化してしまったようだ。

2011年4月14日(木)
 政治家の足の引っ張り合い

 政治家の得意技は足の引っ張り合いかと思うほどご熱心だ。あきれる国民を前にして、この国難でも繰り広げている。関東大震災の時も与野党が泥試合をして数年後には昭和大恐慌を招いたひとつの要因をつくった歴史から学んでいないのだろうか。

2011年4月13日(水)
後輩の定年退職祝賀会

 元の職場、後輩の定年退職の祝賀会があり出席をした。20年ほど前に同じくした職場だが苦労が多かった時期だけに思い出せば様々なことがあった。最後の後輩が定年になったことに歳月の流れの早さに改めて振り返える。元気なうちだけにこういう席に顔を出せるのだから出席できるときはいいとしよう。

2011年4月12日(火)
美女堂氏遺愛石碑

若江公民分館前に美女堂氏遺愛石碑が建っている。江戸時代末期の天保に大坂城代重臣の美女堂勝喜氏が石碑建立され180年を迎えたので所縁の若江薬師寺の住職をお迎えして供養をしてもらった。先祖の美女丸を偲ぶと悠に1000年超える昔にさかのぼる。今日はそんな歴史を考え思いを馳せる日となった。

2011年4月11日(月)
ペンキ塗り

 自宅の外柵の塗料がはげてきたので、ペンキ塗りをして補強した。前々から気になっていたが冬季は寒くてしにくかったし、何かと多忙のこともあり、ついつい延びていた。昼食後に3時間ほどかけて一気にすると綺麗になり今後、外柵は長持ちしてくれそうで気持ちよし。

2011年4月10日(日)
日常について

 今日もいつものように過ぎようとしている。しかし同じ毎日ではないだろう。仏教でいう無常であって万物は一瞬であっても変わらざるものなし。何ごともなければ良き日なのだろう。今日もそういう日だった。散歩した長瀬川には満開の桜が咲き誇っていた。

2011年4月9日(土)
同窓会

 市民会館で定期的な英語の勉強会をしてから学生時代の友人たちと上本町で会合を持った。久し振りに顔を合わすとお互いに元気そうなのでほっとしながら話が弾む。しかしお酒のほうは弱くなっているものが多いように思う。体をいたわり合いながら末永く付き合っていきたいと思う。

2011年4月8日(金)
知人がライブ

 よく行く喫茶店の常連の一人がチャリティ・ジャズのライブをするというので聴きに行った。昼間は喫茶店,,夜になりジャズライブの舞台になった。売り上げの一部を大震災罹災者に寄付をするということもあり店がお客で一杯になっていた。雨は降っていたが春宵のよきひとときなり。

2011年4月7日(木)
昼食をともにする

 長瀬川沿いには桜並木がある。川沿いにレストランもある。このレストランで友人たちと昨年同様に昼食をとることになった。陽気も良く部屋から桜の花を眺めながら会話も弾む。話題の中心はやはり東日本大震災になりがちになった。

2011年4月6日(水)
留学生と打合せ

 ふれあい祭りを来月に控えて近畿大学留学生たちと大学国際室を交えて打合せをした。韓国、中国、台湾、マレーシアなどからの学生の代表が集まり「留学生の屋台」の料理について相談をした。留学生たちが熱心に取り組んでくれるのでいい催しになるだろう。

2011年4月5日(火)
テレビの評論家

 テレビの番組を見ていると常連の評論家が原発事故について批判している。社会をよくしようと評論している者が事前にこの原発の危険性を述べずに起こってから批判ばかりしているのは一種の責任逃れだろう。それだけテレビに出演するという重さを感じなくなっているようではマンネリ化していると思うがどうだろうか。

2011年4月4日(月)
ゆっくりと歩む

 原子力発電の効率性に私達は日常の生活や産業は頼っていた。しかし今回の震災により安全だという信頼はできなくなった。これからはエネルギーについて自分自身の問題として考えていかねばならない。何処かの地域や人々を犠牲にしてということにはならないだろうから電力使用を抑えねばならない。

2011年4月3日(日)
市民講座

 大東・四條畷の歴史を考える市民講座が大東市内で開催され河内や郷土について話をした。自分が前もって考えたようにはうまく話せなかったのが反省点として胸に上がって来た。講座後の交流会で参加者から色々な話がうかがえたので勉強になった。

2011年4月2日(土)
河内木綿コットンクラブ総会

 コットンクラブは生まれて6年になる。今日は総会がかって大大阪と言われたシンボルの大阪綿業会館で開かれたので参加した。会員の皆さんと歴史ある部屋で食事をして総会を終えた。行き帰りに通った心斎橋は買い物客などでいっぱいだったが外国人観光客はまばらのようだった。

2011年4月1日(金)
選挙への違和感

 東北関東と地震で大打撃を受けている中、地方選挙で候補者は意気揚々として選挙カーをくりだしてて街中を派手に走りまわっている。これだけのエネルギーと経費を使うなら政治家としてしっかりと罹災者の救済に動きべきだと思い何か違和感を感じる。さほど社会に貢献できていない政治家ほどもっと社会貢献について今は真摯に考えて行動すべき時だろう。

2011年3月31日(木)
出会い

 生駒で開かれていた絵画展を鑑賞したのち奈良市のお寺を訪問した。どちらもよき出会いに感謝をする。漢国町は全く知らない地名だったが歴史ある土地で住職からお話を伺い勉強をさせていただいた。突然の訪問にもかかわらず心温まる応対に感謝。
 大地震(おおない)に泣くがごとくに山笑う

2011年3月31日(木)
市民美術センター

 市民美術センターで開催中のZEAL写真展と美術協会による絵画展を鑑賞してきた。友人や知人が出品しているので何かと身近に感じる作品が多いが、高度な作品が多いと感じ大変に参考になった。展示会としても来場者数が多くて盛大なり。

2011年3月29日(火)
八大龍王神感寺を訪ねて

 平安時代初期に創立された神感寺をくらがり峠を南に入り30分ほど歩いて訪ねた。日本全国の八大龍王総本社にあたり広い境内を有している。ここには貴重な民具が保管されていた。有数の山岳寺院で南北朝時代には南朝の城にも利用されたので今も城塁が残っている。疲れたが初めて訪れて学ぶこと多き一日なり。

2011年3月28日(月)
自治会の総会を控えて

 町内会の総会が近づいてきた。日頃はさほどには関心を持たない人でも一旦災害など生じると自治会に無関心だとは言っておられないだろう。自治会の存在価値は大震災においても一層発揮している。新年度を前にして総会の書類作りなど準備に忙しくなる。

2011年3月27日(日)
韓国語を学ぶ

 Nさんから久し振りにお電話があった。今年卒寿を迎えたこの人は体調が悪くて入院されていて退院されたとのことで元気になったので韓国語の勉強を再開したい旨だった。早速に布施駅前の喫茶店でお会いして朝鮮日報の韓国語社説を読み和訳することになった。いつもNさんの学習欲に敬意を表している。90歳になった今もHONKの外国人に日本語を教えるボランティア活動をされている。

2011年3月26日(土)
みんなで手を差し伸べよう。

 この大震災は戦後最大の不幸な出来事で日本全体で取り組まないと中々復興はできないだろう。財源の問題や人とのつながりについては大事な要素になるが何よりも全力を結集しようという意志力だろう。政治の上に立つものは大胆に国民に向かって呼びかけ皆がそれに真摯に耳を傾けなければならない。小さな考えの何党何党とかにこだわる者に注意を傾ける余裕はないはずだ。

2011年3月25日(金)
防災放送

 この大震災で多くの公務員が殉職している。立派で痛ましい死の中、新婚間もない女性職員が町の住民を一人でも多く避難させるためマイクの前で呼び掛け自分は逃げ遅れ津波に流され波の中沈んでしまった。助かった町民には大変喜ばれているが女性の母親は助かって欲しかったと涙を流している。公けと個人の思いにはいつの時代も相違がある。

2011年3月24日(木)
歴史を学ぶ

 定期的な江戸時代の商家のことを学ぶ会に出席した。当時の記録を読むと300年前の天明期に火山爆発したり大変な異常気象が起こって不作になり不安な時期があった。いわゆる天明の大飢饉が起こり多数の餓死者がでる。今年と同じウサギ年だったのが気味が悪い。

2011年3月23日(水)
困った時こそ、まとまろう。

 原発電の汚染問題で右往左往している場面がメディアを中心にして目につく。野菜や飲料水などで不安が広がる心理はわかるが、このような時こそ政府や専門機関を信じて混乱を少なくして最小の問題発生に収める努力が一人一人に求められている。必ず落ち着く時が来るのだから。

2011年3月22日(火)
お彼岸の墓参り

 昨日は雨だったのでお彼岸の墓参りは今日になった。お墓の前に行くとすでに誰かがお参りしたのかきれいな供花があった。天気もおだやかでお参り済まして心も落ち着いた感じになる。しかし東北地方が大変なのに大阪のほうは平穏なのは何だか悪いように思われ心底は中々落ち着いてくれないようだ。

2011年3月21日(月)
暗越奈良街道の活用を!

 今回の大震災は電化などによる便利な生活について深く考えさせられた。原子力発電や電車や車の通行は根本的にストップする事態が懸念される。このようなとき大阪、奈良間の往来は古代から利用されている暗越奈良街道を緊急時に活用できるよう意識していかなければならないだろう。文明の利器はすべて頼られないときをどうするかを想定する必要があるだろう。

2011年3月20日(日)
鴨長明

 大震災は表現できないほどの犠牲者を生みだした。中世の鴨長明が方丈記において「ゆく川の水は、絶えずして同じ水ならず・・・」と世の中の無常を書き記している。平穏に日常生活を送っているときは無常を強くは感じることが少ないが、自然災害が起こるといや応がなしに身にしみてくる。鴨長明と言えば永和駅前の鴨高田神社に関係する。両方とも古代有力部族の鴨族に属する。

2011年3月19日(土)
みどりの風の道

 大阪府が街の温暖化に対して“みどりの風の道”を国道308号線に設けるという運動を起こしている。河内木綿コットンクラブも府から協力を呼びかけられたので会場の高井田中学校へ行った。橋本知事が参加する予定だったが東北関東大震災の関係で急遽取りやめになった。

2011年3月18日(金)
ぺ・ヨンジュさんの寄付

 “韓流”俳優のスターのぺ・ヨンジュさんが東北関東大震災の罹災者に7500万円の義捐金を出された。他の韓国のスターも続々と高額の寄付を申し出て実行している。日本のフアンに長い間応援してもらったことへの感謝していると述べている。韓国政府からは救援隊の派遣、油の支援など様々の援助が届いているという。中国からも力強い支援が届いている。一衣帯水の隣国なので互いに支え合いを求められている。

2011年3月17日(木)
予備自衛官

 東北関東大震災で被災している退役自衛官にも出動命令が出た。受け取った青年は壊れた家を片付けるのを中断してこの命令に義務として応じていくという。このような大変な時には政治家は大同団結しなければならないのは当然のことで蝸牛角上の争いから目を覚まして国民のために頑張って欲しい。

2011年3月16日(水)
原子力発電

 福島原子力発電所事故が大きな問題を起こしている。私達や世界はその状況の移り変わりに深い関心を寄せている。ただただ関係者の皆様の必死の努力に祈るような気持ちで推移を見守るしかない。このような困難な時期でも人口の大半が死者や行方不明者の南三陸町にも赤ちゃんという新しい命が生まれている。日本は一生懸命に頑張っている。

2011年3月15日(火)
河内木綿はたおり工房

 草香のはたおり工房へ行きクラブの会計監査を済ます。郷土の歴史文化をもつ伝統織物、河内木綿を育て機織りをしているクラブは発足して数年になる。糸繰りや染色も学び立派な製品づくりに励んでいる。会員皆さんが熱心なので将来が楽しみになっている。

2011年3月14日(月)
被災者への応援

 東北関東大震災の状況をテレビで見ていると凄まじい場面に言葉が出ない。外に出たときに郵便局に行きささやかな募金をさせてもらった。管首相が第2次大戦敗戦後の最大の危機だと述べていた。あの時は国土の多くが焦土化して何百万の人命を失った。私は乳飲み子だったが地獄を味わった母親の背中のぬくもりの中ねんねこに包まれていた。親の世代の苦労にはとても及ばないが私達世代は温かい背中を通じて苦難に打ち勝つDNAが生きていると信じたい。

2011年3月13日(日)
想像を超える災害

 東北関東大震災は激震と大津波により、未曾有の被害が出て段々とその実情が現れてきた。CNNも特別番組で放送し韓国のネット新聞もトップで報道し、福島原子力発電の状況に対して慎重に注意を払っている。日本だけではなく世界に大きな影響を与えていることがわかる。我々は冷静に被災者に対して手助けできることを考えていきたいものだ。

2011年3月12日(土)
地震列島

 自然の恐れを忘れがちになっていた。東北大地震の被害はさらに広がるような状況を前にして何とかおさまって欲しいと心から願っている。今夜の10時過ぎに仙台を中心にして大きな揺れを生じている。津波の襲来もとても心配だ。

2011年3月11日(金)
大地震

 世の中は一瞬先は何が起こるかわからない。市民会館で市民ふれあい祭りの説明を受けて帰宅途中に買い物に寄ると店の人に大きな地震がありましたねと言われてびっくりした。市民会館の集会室にいるときは地震の揺れがわからなかった。日本列島を揺るがす地震と津波の発生に本当に心配している。被害がこれ以上に広がらないことを祈るだけだ。

2011年3月10日(木)
三寒四温

 春を前にして厳しい寒さや温かさが交互にやってくる。いわゆる三寒四温を感じさせるこの頃。服装もこれといって決めにくい、むつかしい気候が続く。決まった四季に移る端境期が不安定なように世の中も定まらないまま不安定な状況が連日起こっている。

2011年3月9日(水)
大阪レクリエーション協会

 「歩育の会」で暗越奈良街道を歩くとの計画がある。今日は奈良県の歩育の会の人と大阪レクリエーション協会を訪問した。大阪府立体育館内にあるが何十年振りにそこへ行ったことになる。この機会に暗越奈良街道が多くの人に知ってもらって歩いてもらえばとの願いでお手伝いをしていきたいと思っている。

2011年3月8日(火)
文化見学会の下見

 河内の郷土文化サークルセンターの行事、文化見学会の下見で役員とともに大阪商業大学の事務局を交えて大阪狭山市へ出向いた。7世紀に完成した狭山池や北条氏の陣屋跡、博物館など市役所職員の方の案内で見て回った。ここは世界に誇る文化や歴史が根付いている。きっと参加者の皆様にも喜んでいただけるのではと思う。

2011年3月7日(月)
くらがり峠

 久し振りにくらがり峠に登り生駒駅に到着する。奈良街道沿いに流れる豊浦川は、昨日からの雨を受けて水量が多くて水流の音が耳元に大きく届き、ところどころに滝をつくっていた。ウグイスの鳴き声は山中では、まだ聴くことができなかったが生駒よりやっと聴こえてきた。程よい疲れが心地よし。

2011年3月6日(日)
菜の花とまち歩き

 菜の花咲くなか小阪の街を歩き、大勢の人に歴史など説明した。観光協会主催の東大阪の街歩きは好評で今回で6回目になるのだろうか。今日は80人を超える参加者が2班に分かれウオーキングと歴史を学び司馬遼太郎記念館に向かった。身近な街が面白く歴史を学べることに誇りを持ちたい。

2011年3月5日(土)
埋蔵文化財センター講演会

 午前は大和郡山での会議に出席し、午後には瓢箪山に戻り藤井直正先生の「河内源氏の時代ー若江と美女堂氏ー」の講演を拝聴した。江戸時代末、若江に建てられた美女堂氏遺愛石碑が日本の歴史に大きく関連することを研究され熱心に説いておられた。会場は聴講者であふれんばかりになっていた。学ぶいい機会になり感謝の念が湧きおこる。

2011年3月4日(金)
まち歩き

 身近なまちを歩こうという人がとても増えている。明後日の6日に企画されている東大阪観光協会の小阪・八戸ノ里の里・司馬遼太郎記念館のコースには100人以上の応募があったそうだ。この時期には菜の花忌の菜の花が満開になっていい芳香を放っている。まち歩きをすることで地元の歴史を知り健康にも大変効果が期待できるだろう。この時、歴史の説明をする一端を担っている。

2011年3月3日(木)
春と芹

 昔、子どもの頃に春先になると近所の水田のあぜや堤にセリなど野草を摘みに来る朝鮮半島から来て居住していたおばさんたちを見かけた。春の七草のセリはおひたしなどすると何ともいえないいい香りがして美味しい。今日は用事があり瓢箪山へ出かけたが市場で新鮮なセリが店頭に出ていたので昔を思い出して買った。あのおばさんたちは野に咲くセリの美味しさを知っており私達にその素晴らしさを教えてくれていたのだったが当時は気づかなかっただけだった。

2011年3月2日(水)
小阪城

 近鉄奈良線の河内小阪駅前に小阪城がそびえている。歴史に関心ある人はすぐにそれはないやろ!と否定すると思うが現にある。磯野理容所の屋上にありここの城主は、いつもニコニコと愛想よく応対してくれる。この人がコツコツと手づくりで見事に作り上げた。今夕の朝日新聞の“関西遺産”に写真入りで大きく報道された。大阪人が得意とするイチビリ精神があると報道してくれている。私達近所の者も応援していきたいものだ。

2011年3月1日(火)
小阪駅前の栗林書房

 司馬遼太郎さんが近所のことで栗林書房について親しみをもって記述されていた。戦前から小阪で書店を開かれた先代のことなど味わい深い文体で綴られた。いまも小阪駅前では書房の3店がしっかりと活字文化を守っておられて私達もお世話になっている。この書房に刊行の『ニッポン猪飼野ものがたり』が好評の中、書棚に置かれているのを誇らしく思う。

2011年2月28日(月)
入試と携帯電話

 京大、同志社、早稲田大など有名大学の入試で携帯電話による不正行為があったと伝えられている。韓国でこの方法での不正問題になったのは7年ほど前だった。この間、携帯の技術はさらに進んでいるのに防止の対策を日本で採られてなかったのだろうか。そうだとしたらあまりに関係者が能天気だったと言われても仕方ないだろう。不正行為する受験者に一番問題があるのは指摘するまでもないが、ネット社会への対応は必ず取らなければいけない現状を表している問題だ。

2011年2月27日(日)
奈良・明日香での法事

 親戚の法事が明日香の寺で行われた。故人を偲び縁ある者がささやかではあるが集まる。法事を催した寺も所縁ある寺で感慨深く昔のことが故人とともに思い起こされた。天の香具山をちょうど前にした厳かな地域で心静かに日中を送る。

2011年2月26日(土)
文化講演会

 河内の郷土文化サークルセンターの理事会を開催した後、第30回文化講演会「摂津と河内の二つの百済」と「ポストコロニアルと在日文学」が盛大のうちに終わることができた。寒い中でも会場に来ていただいた人に感謝を申し述べたい。今回、刊行された『ニッポン猪飼野ものがたり』も会場でよく売れていた。

2011年2月25日(金)
街歩き

 来月にある菜の花咲く小阪の街歩きの下見へ行く。市政だよりに掲載したら参加希望者が100人を越えたという。住んでいる街を歩いて歴史など知りたいと言う人は多い。歩くことで健康にもいいので一石二鳥といえる。他市からも東大阪に来て楽しんでもらうともっといいだろう。

2011年2月24日(木)
春の夜の菜の花

 市民会館で鴻池の勉強会サークルに参加して家に帰る途中、布施高校の南側に差しかかった。春の夜に菜の花ロードからかすかな匂いが漂ってくる。道の両方に菜の花が美しく浮かび上がったように咲いている。心豊かになる瞬間だ。
  春の夜に 菜の花匂う 小阪かな

2011年2月23日(水)
先輩と会う

 朝に歳の離れた先輩と会い話し込、午後には少し上の先輩と会って長時間にわたり談笑する。どちらも愉快な時間を持つことになった。人は誰もが先のことはわからない、不安定の中、日々を送っているので時刻、時刻をまさしく刻むように時を送っている。その間に新聞社から講演会の件で電話取材あり。遠いニュージランドでは激震により多くの犠牲者が出ているのは痛ましいことだ。

2011年2月22日(火)
春陽を浴びて

 寒い日が続くと思っていたら今日は春陽を感じさせる候となった。日が暮れかかる頃、西に向けて歩いていると春めいた夕陽が目にまぶしかった。額には汗がにじんできたが気持ち良し。

2011年2月21日(月)
暗峠(くらがり)の俳句

 「河内より暗峠(くらがり)越えて恋の猫」 今朝の新聞に掲載されていた朝日俳壇の入選句。撰者は金子兜太氏。くらがりは全国でもよく知られている古代からの峠だがここでは人間の足で一歩踏む込めば昔でいう国境を越え河内の国から大和の国へ入ることになる。従って逆にすれば大和から河内の国に入ることになる。このことを句作した森田幸夫氏が見事に表現した。ほほえましい情景を容易に想像できる俳句になっている。

2011年2月20日(日)
大坂城の梅見

 天気もいいし大阪城公園の梅林に出かけた。紅梅や白梅など梅の花の見どころ時期だった。写真を撮ったりスケッチしたり食事を楽しんでいる人が多く見かけた。外国の方も多く梅の花を通して春の訪れを謳歌しているように思われた。帰途に上本町に新しくオープンした新歌舞伎座の姿を見物に寄った。上本町の新名所になって欲しいものと期待している。

2011年2月19日(土)
『ニッポン猪飼野ものがたり』

 今夕に『ニッポン猪飼野ものがたり』の本を手にした。猪飼野と言う地名は消えてしまったが朝鮮l半島から来た在日の人たちと御幸森商店街とは「共生」してコリアタウンとして全国で有名になっている。この本一冊で共生の街が理解してもらえると思わないが、世にこの本が私たちが関係し出てきたかと思うと素朴に喜びたい。

2011年2月18日(金)
第34回ふれあい祭り

 東大阪市民ふれあい祭りに留学生たちとアジアの屋台店を出して20数年になる。今年も5月8日(日)を迎え34回目ふれあい祭りになる。これと言って人に誇れるもののない自分だがよく続けてこられたものだと振り返ってみて思う。その間、欧米のほうを重視していた日本は、貿易による利益の大半はアジアに頼るようになり、将来はアジアの繁栄なくては成り立たないと政治家も経済人も強調するが足元の大阪府、東大阪市はアジアとの交流を高めていってもらいたい。

2011年2月17日(木)
上海新天地

 日本橋の電化街の近くに上海新天地というビルがあり、中国の書物や食品など販売している。中国人観光客も買い物に来るが日本人が訪れても色んな食品が置いてあるので異文化に接して結構面白い。中国人の胃袋のタフさに驚かさせられるほど日本人にとって珍しい食品が並び食指が動く。ここに寄るのが最近では楽しみになっている。

2011年2月16日(水)
書籍『ニッポン猪飼野ものがたり』

 かつて鶴橋から今里にかけて猪飼野(いかいの)という地名があった。しかし現在は消えてしまったが長い歴史を物語る貴重な地名だ。日本で有名な“コリアタウン”があり古代史に登場する御幸森神社の門前町と栄えた。今月に猪飼野に関する本が河内の郷土文化サークルセンター加盟の関係サークルから全国に刊行される。小生の小文やスケッチも記載されているので多くの人に読まれると幸いと心底に願っている。

2011年2月15日(火)
ラーメン

 日本で人気あるラーメンは昔に中国から伝わって来た。近年ラーメンを研究した日本では元祖の中国の味をしのいで中国人観光客にも好まれている。最近ではツケメンが客を広く呼び日本での工夫がさらにすすでいるので東アジアでのこのような切磋琢磨は良い方向に向かっているといえよう。昔のように日中韓の親密な発展につながらねばならないだろう。

2011年2月14日(月)
雪降る日

 少し雨まじりの雪がしんしんと降った。降り続ける雪を見ていると頭の中のモヤモヤがすーと消えていく気がした。ここは大阪だからこれで済むのだろうが、豪雪の北国ではこれでは済まない迷惑な雪になっている。こんな日だが習慣になっている散歩に出て足元の雪に滑って転ばないようにして帰宅する。

2011年2月13日(日)
ムバラクの欲心

 エジプト大統領のムバラクは民衆の支持を得られなく退陣するという。新聞報道によるとスイスなど外国に預金したり隠したりしている資産の合計はこの国の国家予算5兆円を超えるという。当然これら資産は凍結されるらしい。それにしても権力者の持つパワーと欲心の大きさに驚かされる。一生使いきれない財宝を背負い、その重さに大統領は押しつぶされたのだろう。

2011年2月12日(土)
英会話サークルの新年会

 今日は定例の英会話サークルの例会を持ち、その後この新年会をコリアタウンのゲストハウスの「ヒロ」で開いた。ここに来ると外国人が訪れ国際的な出会いがある。コリアンショップで好きな食べ物を買ってヒロで楽しく飲食できるのがいい。

2011年2月11日(金)
暗越奈良街道の本づくり

 朝起きて庭を見ると植木の上に雪が積もり銀色社会になっていた。午後には市民会館で暗越奈良街道に関する本づくりのため会議が開かれる。出版社から本の目的や企画をお聞きし、私たちの街道クラブと同じ思いが重なるようになっているので和やかな雰囲気で話が進んだ。

2011年2月10日(木)
『河内文化のおもちゃ箱』の増刷

 河内の郷土文化サークルセンター創立25周年を記念して発刊した本『河内文化のおもちゃ箱』が好評のため出版社のほうで増刷になる。今月末には再び大々的に書店の書棚に並ぶことになる。読者が増えることは嬉しいことだし、郷土の歴史が広まることはいいことだろう。他にも関係している書籍『ニッポン猪飼野物語』も今月末に発刊になるので多くの人に読んでいただくと誠に有難いと心の底から思っている。

2011年2月9日(水)
足元を旅する

 昨日は行き先の枚岡で自転車の鍵を失い、仕方なく自転車を置いて電車で帰宅する羽目になった。今日は自転車の控えの鍵を持って枚岡へ行く。自転車で帰る時、昨日同様に松原宿場址を通り家々の写真を撮る。旧本陣を確認し写真を撮る。当時の宿場の大通りを想像すると歴史を旅する感慨に浸る。想像力があれば土地の歴史を楽しめることを実感して満足なり。

2011年2月8日(火)
河内一之宮、枚岡神社

 春の「歩育の会」の取り組みの関係で枚岡神社に依頼するため、訪れるのに自転車で松原宿場址を通って行った。ここで江戸時代の元御典医家の写真を撮っていると地元の人から何かと説明を受けた。御親切に案内までしていただいた。枚岡神社の禰宜さんにお会いし用件をお話をして承諾をいただいた。突然の訪問にも関わらずスムースに事が運び、ご厚意に感謝して帰宅した。

2011年2月7日(月)
文化講演会の広報

 今月の26日にある河内の郷土文化サークルセンターの文化講演会の広報活動で東大阪市を訪れた。この文化講演会に一人でも多くのご来場を願って何とかメディアでも取り上げてもらうと大変に助かる。市庁舎の階段で何気なく下ろした足に激痛が走った。一瞬アキレス腱が切れたかと心配したが何とか歩いて帰宅した。

2011年2月6日(日)
近隣の街

 昨日歩いた四条畷の街が頭によみがえる。近くにありながら今まであまり足を踏み入れなかったので私にとって未知の世界だった。買い物客に賑わう細い道の両側に小さな店が並ぶが商店街ともいえない。上にはアーケイドがない。4世紀につくられた古墳の上につくられた古い墓地、元は屯所と呼ばれたポリスボックスなど歴史があり新鮮な興味あるところが多い。これには適切な案内があれば楽しむことができるだろう。

2011年2月5日(土)
四条畷の戦い

 南朝と北朝で戦われた四条畷の戦いの戦跡のたどって六万寺往生院から四条畷神社、忍岡神社まで歩いた。東高野街道を忍岡神社
迄15qほど歩く。この戦いを歩き体感することにより太平記の世界に少しは近づいた感じを持った。

2011年2月4日(金)
風光明美な日本

 日本では景色のよい地域が多い。特に地方に行くと山、川、海などの素晴らしさにうっとりすることが多い。そして、訪問者に対するもてなしの心も世界に誇れるものがある。

2011年2月2日(水)
菜の花忌近づく

 司馬遼太郎さんの命日が近づいてきた。菜の花忌として催されるが司馬遼太郎記念館の近所では菜の花の植木鉢が並べられている。八戸ノ里・小阪付近を散歩されていた生前の氏をよく見かけた。顔色がよくはにかんだような親しみあるお顔を未だに浮かんでくる。執を含んだ

2011年2月1日(火)
春隣

 厳しい寒さが続いていると思っていると片一方では新春が近いなと感じる。これを俳句では春隣りというらしい。しかし今日、街を歩いていると高架の下で鳩3羽が首をすくめて並んで寒そうにしていた。まだまだ鳥も寒がる厳寒にある。
bitter winter, bird stand without neck.

2011年1月31日(月)
生駒山

 今日は寒い日だったが天気は晴れ渡たる好い日だった。東方向に眼をやれば生駒山が我々を抱くように存在している。この山のお陰で方向がはっきりとするし馬の背のような稜線がなだらかでやさしい。そして頂上から南方の少し低くなったところが暗峠だ。その標高は山頂の3分の2にあたる。今日もその姿を確かめるようにして生駒山に感謝しながら散歩から帰宅した。

2011年1月30日(日)
大和郡山での会議

 暗越奈良街道を歩く会議だということで誘われて大和郡山での会議に出席した。大阪から生駒山を越えての会議の機会はめったにないが、真夜中までアジアカップ戦をテレビ観戦したので寝不足のままの状態だった。会議は昼ごろに終わったので食堂でもらったマップを片手に城下町を歩く。、まず仇打ちで有名な荒木又右衛門旧宅を訪問。豊臣秀長墓地そして岡町、柳町大門跡など散策し老舗銭湯の大門湯をスケッチし、冷えた体を銭湯につかることにして露天風呂も楽しんだ。愉快な一日となり心も温まり大阪に向け近鉄電車に乗る。

2011年1月29日(土)
会話について

 本を読むと学ぶことが多い。しかし、街の中なりで人と何気なくする会話にも学ぶことが多いようだ。今日も散歩していたら急にお腹の調子がおかしくなり飛び込むようにして、なじみのない喫茶店に入りトイレを借りた。あとコーヒーを飲みながら壁に掛かっていた絵について女主人と会話が弾んだ。一枚の小さな絵から女主人の出身地の村のことから店の周辺のことやらで含蓄のある話を聞けたように思い、心が満たされたようだ。本から得られないような年老いた主人の温かさを感じて店を後にした。

2011年1月28日(金)
映画「ソーシャルネットワーク」

 インターネット「face book」の会員数が世界で5億人になったという。アメリカのハーバード大学生が立ち上げた実話に基づいた映画「ソーシャルネットワーク」を観た。オタク的な学生がみるみるうちに世界のネットワークを構成し、ビジネス化していく過程がドラマチックだが、それを育てるアメリカ社会の懐の深さに感銘を受けた。既成概念にかたまっていては新しい事業やスケールの大きい企業は生まれないだろう。。

2011年1月27日(木)
近世の勉強会

 鴻池新田関係の勉強会に参加した。豪商の鴻池の近世の記録を読んでいくとたいへん興味深いが、古文書の字は理解するのに難解な時が多い。それでも学ぶことはおもしろいことも確かに多いので続けられるものだ。

2011年1月26日(水)
山茶花

 昨夜は夜中までアジアカップの対韓国戦をテレビで見ていた。ゲームを胸をドキドキしながら最後まで見た。日本チームの向上は素晴らしいが韓国チームもいいものだった。散歩して入った喫茶店でもこれを話題にして盛り上がっていた。話も一通り終わりカウンターをみると小さな花瓶に山茶花が挿していた。花瓶と花のバランスがよく、魅かれてスケッチをしてみた。

2011年1月25日(火)
大寒

 寒いので風呂に入るのが楽しみになるこの頃だ。こう寒くなると動物が冬こもりするように外での行動力が落ちてくる。家にこもるようにして読書になることが多い。金子兜太著『酒止めようかどの本能と遊ぼうか』の俳句を中心にした本が面白い。
 
大寒の風呂なるなかの欠伸かな

2011年1月24日(月)
騒々しいマスコミ

 マスコミにはいつも批判が必要だが、テレビを付けると批判、新聞を広げると批判。国民も何だか飽きっぽくなっている。そろそろじっくりと何事も腰を据えて、育てることが大事になっていると思う。ころころと政権を替え首相を替えていくだけでは日本はよくならないと思うがどうだろうか。戦前も首相が日替わりのように替わり、諸外国から信頼されなくなり外交が行き詰まり戦争に突き進んだ例もある。

2011年1月23日(日)
平野郷の庄屋屋敷

 自治会の関係で平野郷の旧庄屋屋敷で会合があった。建物は江戸時代の豪壮な建物で回遊式の庭園も立派なものだ。今はガンコ寿司の経営で料亭になっており大勢の客で賑わっていた。送迎バスが利用できるので便利にできている。

2011年1月22日(土)
郷土の文化

 河内の郷土文化サークルセンターの文化誌「あしたづ」の編集委員会があり出席する。執筆者の原稿の校正を終えて最後の編集委員会となった。順調にいけば来月末の発刊となる。いよいよ第13号の発刊を迎えたかとの心境になる。午後に同じ会場で城東サロンが開かれた。談話テーマは“古文書の世界を語る”−川中家文書よりーだった。古文書はすらすら読もうとすると長い間勉強しないといけない。今日は全くそのさわりだったが読めたらいいなぁと思う。郷土の歴史や文化の理解がもっと進み楽しめるのだがと考える。

2011年1月21日(金)
人生の応援歌

 “若江堤”について教えてほしいとの要請が知人を通じてあり、駅前の喫茶店でお会いして資料を前にして説明をする。郷土の歴史について多くの人に知ってもらって現地を歩いてもらうと望外の喜びとなる。その後、A図書館に取り寄せのリクエストした本が長らく連絡ないので図書館に行く。連絡がなかったのですがと言うと今届いたところだと言う。詳しく調べると数日前に届いている。このええ加減な説明に首をかしげた。本を受け取り散歩がてら30分ほど歩き角の立ち飲み屋に入る。向かいのカウンターから赤い顔した、70歳を遠ーに越したおっちゃんが隣の人に“若い時に一生懸命に働いてきたから、このように飲めるんや”と説教調でもなく話しているのを耳にして、この言葉を今日の私の人生の応援歌とした。

2011年1月20日(木)
告別式に参列して

 故中谷作次氏の告別式に参列した。お通夜に引き続き大勢の参列者が別れを惜しむ。式は滞りなく進み出棺を見送った。そのご帰途に河内の郷土文化サークルセンターのメンバーと食事を取りあった。この中に92歳の長老の方もおられたが健啖家なのに感心した。会話も明朗であり人生を楽しんでおられる。人生の達人と言えよう。

2011年1月19日(水)
続・中谷作次先生

 故中谷作次氏のお通夜に参列した。故人の遺徳を偲んで広い会場に入りきれない弔問客であふれた。高い山の裾野のように故人の業績や人徳の影響が大きく広がり哀悼の意を表すためにこのように多数の人が集まって来られた。本当に惜しい人を亡くしたものだとしみじみ感じる。

2011年1月18日(火)
新聞文化資料館長の死

 今日の朝、新聞資料館長の中谷氏の訃報が入った。享年96歳だったが貴重な新聞の収集と整理そして河内の郷土文化サークルセンターの初代会長としても地域文化の振興に大きな貢献をされた。篤実な御性格で多くの人に親しまれて来られた。ご冥福を心からお祈りしたい。

2011年1月17日(月)
阪神大震災16年

 今朝の5時46分の時刻、16年前に大震災が発生した。神戸から遠く離れた自宅でも大変なことが起こった。床の間に置いていた鋳物製の置物が地震の衝撃で寝ている頭の近くまで飛んできた。わずかな差で助かったのだから思いだすと今でも背筋に冷たいものが走る。人は風のように生かされているのだと思う。亡くなった人や遺族の方の無念さはここに書きつくされないほど大きい。

2011年1月16日(日)
zunzo の新年会

 宮本順三記念館の街人講座の新年会を日本橋の寿さんで開かれた。歌声喫茶の広まった時代の懐かしの唄を宇田先生のタクトの基に歌い楽しんだ。昔の歌の歌詞は情緒があり唄っているうちにうっとりとした。楽しかりひとときを過ごした。

2011年1月15日(土)
早瀬昇氏講演会

 コミュニティ・エンパワーメントによる「新しい公共」と市民活動広場を求めて と題した早瀬昇氏の講演会が希来里で開催された。題目から硬い内容の講演会かなと思っていたが講師の語り口はユーモアに包まれてわかりやすかった。講演会後に同席したK氏と時間があったので若江を散策した。かなり歩きまわったので汗ばむほどに体が温もった。

2011年1月14日(金)
先輩の死

 だいぶ以前の職場の先輩が亡くなれたので仏前にお参りをした。現役の頃の先輩を知っているだけに急な死に驚いた。誰もが死を迎えるわけだがやはり身近な方の訃報には寂しさがつのる。帰途に以前、社会保険庁関係が建てたぺアーレのそばを通り過ぎたが元の東大阪市役所だったところがこのようにカルチャー教室が集まる建物に替わってしまっているのが不思議で納得が中々いかない。

2011年1月13日(木)
カナダ・モントリオール

カナダ・モントリオールに住んでいる知人と会い、話を聴く機会を持った。多種にわたる人種が生活し社会保障制度も日本と大いに異なるようだ。消費税も食料品を除き17%になるという。税金も相当負担になるようだ。日本は社会保障制度の維持に努めるなら負担の方も覚悟がいるのではないだろうか。

2011年1月12日(水)
大阪府立中央図書館

 自宅から歩いて中央図書館に出かけると良い運動になるし良い時間を過ごせる。往復で一時間ほどかかるが楽しい。館内に入ると小さい子供から高齢者まで、それぞれに本に熱中したり勉強をしている。私もその仲間に入り2時間ほど本に没頭して帰宅した。今日の夕刊に田辺聖子さんが好きな万葉歌「ながらへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞいまは恋しき」(藤原清輔朝臣作) をあげておられた。

2011年1月11日(火)
暗越奈良街道

 古代からの街道の暗越奈良街道を広めたりウォーキングをして街道サミットを開いてきて4年目になる。この街道に関して本を出版する話が起こってきている。暗越奈良街道の歴史的風景が失われていく中、保全していくため頑張っていく時期ではなかろうかと思う。

2011年1月10日(月)
布施えべっさん

 今日は本恵比寿。地元の布施恵比寿神社のお参りした。大変な人出で賑わい普段に見られない活気にあふれた。人々の信仰の強さをこの賑わいの中で見つけたようだ。商店街では若者のイベントがクレオホールでも行われ唄や踊りで華やかで面白かった。

2011年1月9日(日)
くらがり峠

 友人たちとくらがり峠を登った。この峠は奈良街道の難所だが大昔から大阪から奈良へ行く最短距離なので多くの人に利用されてきた。きつい勾配を黙々と汗をかきながら歩を進めていくと峠に到着する。しんどいのを乗り越えて峠に到着すると何とも嬉しい。峠でいつものおっちゃんの畑で野菜を購入する。峠では寒さが下界より厳しいが、おっちゃんは畑で動いている方が体が温もるという。茶店の末広で休憩して生駒駅に向かう。

2011年1月8日(土)
事始め

年初めのひとつとして午前中は英会話の学習に参加する。正月の間はお雑煮と酒で頭の中が少しふやけてしまった。フリートーキングと英字新聞を読んでいるうちにちょっとは勉強できただろう。昼食をとってから大阪商業大学へ行き河内の郷土文化サークルセンターの年初めの役員会議に出席。来月に控えている理事会と講演会など論議する。いつもながら熱心な役員が多いので部屋に熱気がこもる感じあり。

2011年1月7日(金)
七草がゆ

今日は行事としてなでしこ、尾花、葛など入った七草がゆをいただいた。今は新暦でしているが旧暦は実際より一か月さきの時期だったので春の訪れのしるしとして七草を食事に取りこんで季節感を生活に取り入れ自然を愛でたのだろう。今日は春先と言うよりも寒さが厳しく大寒を前にして本格的な冬に入るといっていい。動物は冬ごもりするのだが人間はできないが少し動きがにぶくなるように思う。それも自然のならわしかもしれない

2011年1月6日(木)
web日記で11年目

ホームページに日記を書き続けて今日で11年目になった。書き始めたのが2001年1月6日だったが振り返れば長いような短いような期間。この間色んな事があり体調が悪かったりパソコンの故障と書きつくせないだろう。これからどうなるかわからないが可能な限り続けたいと考える。所詮誰もが風に吹かれて生きているところがあるのでどうなるかはわからない。こうして今日も日記をかけるのは幸せと思っている。

2011年1月5日(水)
年明け

2011年になり今日5日となれば何処も彼処も仕事が始まっているところが多い。新年になり気持ちも新たになったように思う。この人類の聡明な仕組みに感心する。このような思いを抱きながら散歩して行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながら新聞を読む。ついでに常連たちと気の置けない会話を楽しみ、ついでにカウンター上の花をスケッチする。帰途にスーパーに寄り、七草がゆの七草を買って帰る。

2011年1月4日(火)
興法寺

私は、よく自分なりの挑戦をする。今日はひとつとして辻子谷の上にある興法寺にお参りを試みた。少し大層な表現になってしまったが、以前はそこへ登ることをが出来なかった。こう配がきつくて途中で心臓がパクパクした。今回は気温が低くて体への負担はさほどでもなかった。お寺に行く道沿いには野仏が建ち優しく見守っていただいていた。谷川には昔は何基もの水車が回っていた.今も段々畑が残り立派な石垣は先人達が食糧作りに携わった苦労がうかがわれた。

2011年1月3日(月)
初詣

例年のように氏神の神社に初詣する。若江の鏡神社は創建されて1200年以上になるので厳かな雰囲気がある。家から1時間ほど歩き最寄りの駅までたどり着く。
その後、心斎橋まで出ると正月らしく多くの人出に出会う。ニュースになった“大だこ”でたこ焼きを買って食べる。ここではニュースが結果的に宣伝になったようで大勢の客が列に並んでいた。

2011年1月2日(日)
正月に思うこと

今年から日記の形式を少し変えてみた。うまくいけるかどうかは分からないが試してみようと思う。国内の経済が不振で頭打ち状態だというが若者たちが何事にも挑戦して試されるよう機会を設けていければいいと思う。私も今年は何に挑戦しようかと思案する。

2011年1月1日(土)
元旦

今朝はゆっくりと起床したので、朝食は遅く取った。1年の始まりなのでたいへん新鮮な気分なり。お雑煮の中にお餅を多めに入れて食べたので体が重たく感じる。
奈良の“音の花温泉”に行き運動をして身体を湯船に沈めると気分は最高なり。