12月31日(金)
 
いよいよ今年の大晦日を迎え、紅白歌合戦も始まっている。色々あった1年も終わろうとしているが何とか1年を送らせてもらったことに心から感謝している。今日、墓参りを済ませ帰途に買い物をして雪交じりの中、家に戻ってきた。

12月30日(木) 
  
毎年のように午後に門口に〆縄をかけた。これをするといよいよ正月が近づいた感じがする。散歩を兼ねて駅前に出ると日頃より行き交う人がすくなっている。年末年始の休みに入っているので街に出る人も減っているのだろう。

12月29日(水)
 
韓国の新聞を読んでいると社説に中国の覇権主義のことを書いていた。中国は経済が大きくなっているが今のままでは世界に力を確立できないだろうと。理由としていくつか挙げていたがエネルギーを輸入しなければならないし、森林資源がすくないことがある。国土のわずか8%に比較して日本は70%が森林に覆われている。今の日本がこれを活かしていないといえる。

12月28日(火)
 
昨日に続いて暗越奈良街道沿いの変化について書くと、豊浦の椋根橋の四ツ角の地蔵が少し西側の枚岡公園地内に移転された。これまで3年内に“失くした風景”に気づいただけでも菱江にあった舟板塀が消え、街道供養塔が消失した。暗越奈良街道の風致を守るという大きな動きがない中、加速度的に消えていくのは何とも寂しいではないか。

12月27日(月)
 
街を歩いていてもハッとするほど歴史を感じさせる建物がある。しかし、その建物は豪壮な物ばかりでなくひっそりとしてむしろ慎ましやかである。そのひとつは暗越奈良街道の旧宿場町松原の街道沿いに唯一あった茅葦屋根の「サイトウ」という元宿屋。街によく雰囲気のあっていたが知らぬ間になくなり駐車場になってしまった。

12月26日(日)
 
今朝は寒さが少し緩む。午後から大東市の野崎に向けて行く。ここでは四条畷・大東の書籍を制作するというので編集委員会があった。野崎駅前の八百屋さんでは新鮮な野菜が店頭に並んでいたので思わず買ってしまう。

12月25日(土)
 
今朝から底冷えする寒さになった。歳末の掃除で体を動かせていると寒さも忘れてしまう。買い物のため小阪駅前に行き昔からある荒物屋に寄り急須の取っ手を買う。このような細かな物まで店頭に置いている店は助かる。

12月24日(金)
 
朝起床していつものようにパソコンに電源を入れると画面が出てこない。パソコンに沢山の資料を入れているのでパソコンが使えないとなると困る。メーカーの相談窓口に電話して何とか使用可能になった。機器に頼る便利な生活に慣れてくると弊害も出てくる。正午に友人たちと会うため菱屋西まで出かけて昼食を共にして談笑する。

12月23日(木)
 
庭木の剪定をする。一部の木の背丈が大きくなっているので、てっ辺を揃えるのが大変だが剪定を終わって眺めるときれいになっているので疲れがとれる。午後になり「小阪歩こう会」に参加して八尾から安堂まで長瀬川沿いを歩いた。今年は行事が重なったりしてこの会には2回ほどしか参加できなかったが忘年会に加わり納会とした。

12月22日(水)
 
年末の大掃除を体に負担が来ないよう日を分けて行う。今日は南側の窓ガラスを中心に磨いた。明日は庭木を少し切ろうと思う。午後になり年賀状をポストに入れ散歩する。小阪駅前で知人と話をしていて昔、父親が坂田三吉とよく将棋を差して金を巻き上げられたとかの話を聞くと演歌の名曲「王将」が身近なものに感じてきて面白い。

12月21日(火)
 歳末はすぐに新しい年に替わる関所みたいなもので、ここで過ぎ去った一年を振り返り新年を迎える準備をする。嬉しいものであり寂しいものだが、年を重ねるほどに寂しさが勝つようだ。夕方から散歩を兼ねて外出する。雨が降っており買い物した帰りは傘を差している分、手に持つ荷物の重さが腕に加わった。

12月20日(月)
 
今年も年賀状を毎年のように準備したが今回どのような内容にしようかと考えるのも楽しい。今年はパソコンのプリンターを買い替えたので勝手が少し変った。近くの電化店でインクの購入を兼ねて駅前に散歩して喫茶店に入りカウンターの小菊をスケッチする。この二三日は先日読んだ加藤陽子著「それでも日本人は“戦争”を選んだ」の内容が頭から離れない。小林秀雄賞の受賞作品だけあって読み応えがあるように思う。

12月19日(日)
 
買い物のため布施駅前に行ったが街は歳末の雰囲気が漂うていた。今の世の中であるので心がウキウキする感じは薄いが買い物客が増えているようだ。しかし歳末風景にはいつの世であっても何か寂しさが流れるように目の前を行き過ぎている。

12月18日(土)
 
韓国の新聞を読んでいると特集で“失われた日本20年に学ぶ”と称して連続で取り上げている.。日本の不景気は世界でも目立っているが今まで経済は優等生と言われていた日本が、このようなことで手本にされては読むほうとして、複雑な気持ちになるのは私一人ではないだろう。

12月17日(金)
 
先日、くらがり峠に畑と小屋を持っている人にばったりと峠付近で会った。そのとき彼は小屋のストーブで薪を焚き昼寝してたという。山では焚く薪木には困らないが、近頃世の中は薪を燃料にしないので山の木々は使われないで無用の長物になってしまった。大変にもったいなことで山国の日本はもっと真剣に使い道を考えたいものだ。

12月16日(木)
 
寒さは本格的になり底冷えする。年賀状を購入したので年賀状作りにかからねばと思う。デザインをどうしょうかなと具体的に考えてはいないが余り日数は残っていない。時間に追われるよりじっくりと一年を振り返る余裕が必要だろう。そうすれば少しでも深い呼吸ができ体や心に落ち着きが出て良いのだろう。

12月15日(水)
 半年になるので眼の定期検査を受けに近くの眼科医を訪れた。ほぼ正常な状態と告げられて安堵して帰宅する。午後から久し振りにくらがり峠に向かう。秋口から多忙だったのと体調が思わしくなかったので峠への登山は実行できなかった。登りは歩巾を狭くしてできるだけ体に負担を少なくして登頂した。峠ではいつものオッチャンの畠で新鮮な野菜を購入。量が多かったので背中で背負うような形で下山したため大変疲労をした。

12月14日(火)
 
先日に買っておいた工藤美代子著「悪名の棺笹川良一伝」を読む。“悪名”という漢字に実在感がある。人は善悪を備えている面があるので彼の96年の生涯は複雑なものと言えよう。笹川良一という人物は大きいので興味深い。特に子息など家族の辛抱には感銘するものあり。

12月13日(月)
 
外国の知人にクリスマスと新年を控えてカードを送る。すでにアメリカからカードが届いているので早く発送しないとと急ぐ。夕方にある友人たちとの忘年会を前にして小阪駅前の栗林書房にいると高校生時代の同窓生とばったりと会う。忘年会までに時間があるので喫茶店でお茶をする。彼は高齢者の親を抱えて苦労しているが頑張っている。

12月12日(日)
 
文化誌「あしたづ」13号の初稿が届く。初稿に手を入れて校正し来年の2月末に刊行されるだろう。散歩がてらに喫茶店に行き新聞を読む。カウンターに一輪のバラが活けてあり、まさに花が咲かんとしている。紙とボールペンを借りてスケッチをする。帰途に米屋に寄り糠を買いベランダに乾してある大根を樽に漬けた。

12月11日(土)
 
英会話の勉強に参加してから午後には桃谷駅前の喫茶店で、猪飼野の件の本が出ることで関係者と会って調整する。本の出版の期日が迫って来たので大詰めの時期に入った。夕方から学生時代の友人たちと忘年会を持った。

12月10日(金)
 街道クラブの忘年会で鶴橋において会合を持つ。暗越奈良街道サミットを3年かけてしてきただけにそれなりの成果が得られたと思う。本にして出版にしたらどうかという話も起こってきている。内容を点検して声をかけていただくのは有難いがよほど慎重に考えなくてはならないだろう。

12月9日(木)
 
買い物に行った時、帰りに大手の喫茶店に入った。この店から外を眺める景色がいいので好きな店の一つになっている。支払いをしょうとするとカードになっているのでポイントもつくという。カードをつくりそれで支払いをすると店の方も釣銭のやりとりがないので手間が省けるというものだ。合理化の一環だがなるほどこれも時代の流れかとも思う。

12月8日(水)
  
金星に近づいた惑星探査機“あかつき”が予定の軌道に乗れなかったのは、たいへん残念だったが次に活かしてほしいものだ。宇宙のことは夢物語だった昔に比べるとかなり現実の世界になって来たので科学の力は素晴らしいものだ。夕方から友人の写真展示を鑑賞に出かけた。

12月7日(火)
 
定期診察を受けに医院へ行く.。朝食を抜いて行ったので診察後に喫茶店でモーニングサービスを注文する。そのあと稲田へ行き「サークルの集い」で取り組んだことで調べ物をして帰宅する。行事をすることでいい波紋が広がっていくことに心中、感謝。本来の冬に戻り自転車で走っていると寒風が頬を撫でていった。

12月6日(月)
 
今年の大きな催しは昨日で終わったので、心持はゆったりと満たされたようだ。春のような天気の中いつものように散歩して喫茶店に向かう。人気の少ないカウンターに座っていると店の人は今日は客数が特に少ないという。このあと知人が入院しているので見舞いに行く。昨年に体調が悪くて手術されたとのことだが全然知らずにいたので驚く。もう少しで退院するとのことなのでよかった。
 草茂る 児童公園に 年暮れぬ

12月5日(日)
 
昨日に続いて今日も「サークルの集い」の運営に参加する。昨日から会員から提供された大根など野菜は大変おいいしくて大好評なり。サークルの展示を通じてさらに広がりが出てきてネットワークが生まれつつある。講演「大軌が咲かせた街の文化」の宇田正教授は聴衆に好評なり。しっかりと昨日からの実りを味わっていきたいものだ。皆さんのご協力に感謝。

、12月4日(土)
 「サークルの集い」が今日から始まる。会員の方が畑から収穫した大根や白菜を即売してもらい大変人気を得た。明日も即売会がある。正調河内音頭を保存会の人々によりホールで披露してもらった。玉子屋円辰師匠の弟子筋にあたる人たちなので伝統を学び、歴史が伝わってきて本当に良かった。奥田哲郎先生もご高齢にもかかわらず駆けつけていただき楽しまれていたので、そのお姿を見て感動する。宮本順三記念館から展示してもらった大正モダンの写真もとても貴重なり。

12月3日(金)
 
河内の郷土文化サークルセンターの「サークルの集い」の準備のため午前から午後にかけて会場になる大阪商業大学へ出かけた。今回は特別展を併せてするので見ごたえのある資料が集まったといえよう。

12月2日(木)
 
昨日に引き続き小春日和なり。気持ちの方も天気に連れて穏やかに一日を過ごす。久方振りにトランジスターラジオを購入し便利にできているので快適なり。値段は多少値上がりしているがそれ以上に使い勝手がよいので助かる。ささやかな買い物だったが少し幸せになったような気分になる。

12月1日(水)
 
月1回の恒例のモーニングサービスを楽しむ。3人が集まれば話題も尽きず冗談を交して美味しいモーニングサービスを味わう。午後に河内の郷土文化サークルセンターの「サークルの集い」で講演をしていただく宇田教授と事務局で会って打合せをする。今日は小春日和で少し歩いていると汗ばんできた。

11月30日(火)
 
寒くなると鍋料理がおいしくなる。日本には四季の巡りの中、景色の変化を楽しみ食材の移ろいを味わう。今年はいつまでも暖かだったので恒例の大根干しが遅れているがそろそろ始めていきたいものと思う。

11月29日(月)
 
著名な歌舞伎俳優が、未明に酒を飲んでいて知らぬ者に暴行を受けたと全国に大きなニュースとして連日にわたり報道されている。北が38度線近くのヨンピョン島砲撃事件の報道と肩を並べるほどだが日本は本当に平和でやや能天気さを感じるといっては言い過ぎだろうか。

11月28日(日)
 
昨夜は寝床で咳が出て困った。夜に寝られない分を少しでも昼間に休むようにして睡眠をとる。元気な時は当たり前のように毎日を過ごしているが体調が悪くなるといっぺんに大変さが身にしみてくる。こんな中でも今週末に始まる「サークルの集い」準備を着々と進めなければならないので体調管理がとても重要になってくる。

11月27日(土)
 
朝のうちは英会話に参加する。最近は国際情勢でも事が起こっているので会話には事欠かないが、もっといい事で語り合いたいものだ。午後から河内の郷土文化サークルセンター役員会に出席する。「サークルの集い」を前にして最終の打ち合わせを行った。

11月26日(金)
 
自宅で風邪を治そうとゆっくりとしている。咳が出てなかなか過ぎて行ってくれない。12月4,5日にある「サークルの集い」に展示しようと思い資料を探しているが東大阪市史に結構、収録されていた。

11月25日(木)
 
風邪をひいてなかなか治らない。今日も早く寝床に着こうと思う。ニュースを見ていると北朝鮮の砲撃事件には驚いている。たいへん危険なかけに出ているので日本は甘く見ていては取り返しのつかないことにならないか心配だ。

11月24日(水)
 
昨日お会いした知人に『河内文化のおもちゃ箱』を送付する。この本の在庫はどこの本屋さんでも少なくなっている。よく売れているので関係者としてうれしく思っている。布施駅前のコーヒーショップで長老のSさんと韓国の新聞を原語で読む勉強会を持つ。Sさんは90歳のご高齢にもかかわらず学習欲は衰えておられないのでいつも感嘆する。

11月23日(火)
 
四条畷で開かれた「河内キリシタンと飯盛山城」シンポに参加した。ここ四条畷学園のホール会場では250人の参加者で席は埋まった。河内の郷土文化サークルセンターの「河内文化のおもちゃ箱」の本や「あしたづ」が会場の売り場で完売したのでよかった

11月月22日(月)
 
朝刊を読んでいるとアメリカの経済学者が日本人は自国のことを卑下しすぎだとの様なことを書いていた。世界の中では日本はまだまだ素敵な国だと思うが、日本人は外国人に言ってもらわないと自国の正常な評価ができなくなっているのではないだろうか。技術の優秀なことを始め、戦後65年間も軍隊の銃を使用して殺人を起こしていない唯一の平和国家だろう。優れた点を挙げればまだまだたくさんある。

11月21日(日)
 
宮本順三記念館の「街人講座」に参加して魏志倭人伝を学ぶ。この講座を主宰されている宇田正先生に「サークルの集い」の講演の講師として依頼しているので、お目にかかり挨拶をする。風邪をひいてしまったのか喉が痛く咳が出る。

11月20日(土)
 
数日間はパソコンや新聞に接しなかったが、別に不便なことはなかったように思う。反対に過剰に情報機器に依存していたような日常から離れて良かったとさへ考える。初めてグアム旅行をしたが本当に南国ののんびりとした島国に新鮮さを感じて帰ってきた。

11月16日(火)
 
白鵬は、双葉山の連勝記録を破れなかった。彼は前々から角聖と言われる双葉山を尊敬をしていた。その双葉山は東大阪市善根寺で大きくなった陽明学者の安岡正篤師をとっても尊敬していた。これらつながりに心豊かに感じるものがあり。善根寺は生駒山にすっぽりと抱かれるようにある歴史的な集落で自然が豊かなり。

11月15日(月)
 
いつも行く喫茶店のカウンター上にきれいなキキョウの花が活けてあった。その可憐さに魅かれてスケッチに留めたいと思い、その場で店の人に頼んでメモ紙と鉛筆を借りて描く。楽しいひとときなり。廻りの和やかな雰囲気が紙の上の鉛筆をスムースに運ばせてくれている。家に帰った後すぐにこれに色付けをして楽しむ。

11月14日(日)
 「サークルの集い」特別展“大軌と小阪“河内モダニズムのテーマを追って八尾の本町を散策する。ここは歴史ある町であり、長瀬川の水もきれいで心を慰めてくれる。八尾浜にある赤レンガ旧倉庫は明治時代からあり、製氷された氷入れや大阪第一食糧の米倉庫だった時期があった。長瀬川を往来していた剣先船時代から関連があるのだろう。帰途に久宝寺の寺内町にある老舗の饅頭「帯喜太」に入って名物の餡巻きに舌鼓を打つ。

11月13日(土)
 
河内の郷土文化サークルセンターの文化誌「あしたづ」編集委員会に出席する。毎年発刊しており今回で第13号になる。来年の2月には発刊できそうなので予定通りにすすんでいる。12月4,5日に開催される「文化の集い」も特別展として“大軌と小阪〜河内モダニズム〜としてテーマが決まり地域文化振興に役立つだろうと確信している。

11月12日(金)
 
季節のよい今を一日一日大事に送りたいものだ。暑くもなし寒くもない過ごしやすい時期だろう。テレビを見ているとつまらない番組が多いが今日もある番組で自国の首相をアホと呼んでいたが、ここまで自由な国はないだろう。発言しているコメンテーターを馬鹿にしてみている自分がいた。

11月11日(木)
 
元の職場のバスツアーで彦根城や長浜に出かけた。彦根城の天守閣は国宝であるのでここに登ることにした。天守閣から眺める琵琶湖は素晴らしいものだったのでスケッチしてみた。次に長浜に寄り、名物の鮒の洗いや鮒ずしを地酒を飲みながら味わう。程良く酔いもまわってバスに乗って帰路に着いた。佳き一日なり。

11月10日(水)
 
いつものように散歩して、途中で調べ物を思い出して永和図書館へ行った。ここは建って50年は経つという古くて手ざまな図書館だが、なにかほっとする温かさを感じる。本を一冊借りて帰る。尖閣島事件のビデオ流出で問題になっているが漏えいした海上保安職員をヒーローのように扱うのはどうかと思う。

11月9日(火)
 知人から奈良、正倉院展の招待券をもらったので博物館へ出かけた。聖武天皇の遺品の宝物の螺鈿の琵琶は素晴らしいものだった。その他世界に誇る名品を観賞する。奈良公園の木々はしっとりと紅葉していたので楽しんだ。

11月8日(月)
 
暗越奈良街道を多くの参加者と一緒に歩いて、街道沿いの歴史ガイドを引き受けたが、参加者から反対に教えてもらうことが多かったように思う。特に街道沿いに生まれ育った方からは生活の中から味のある知識や経験を積んでいる人がいる。本に書かれていないオーラルヒストリーを聞きまとめていけば面白いだろう。

11月7日(日)
 
尖閣諸島や北方領土で摩擦が起こっているが、このことで政府が弱腰だとか相手になめられているとか強気の発言が目立つが、一発ことが起これば日本国民は一体どれだけ断固としてことに当たる覚悟を決めているかとなれば甚だ心もとないだろう。いつの時代も勇ましい意見は人気を得るが最後は惨めな結果になることが多いのは歴史上にはよくある話だ。

11月6日(土)
 
街道ウオークで難波宮跡から枚岡神社まで50人ほどでガイドしながら参加した。まち・むら文化研究会の3人がガイドを引き受けたので目的地の枚岡神社に無事に13kmを完歩したときにはホッとした。心地よい疲労感が心をいやしてくれた。

11月5日(金)
 静かに1日の大半を家で過ごすが夕方から食事と買い物で外出する。布施まで歩くと商店街では早くもクリスマスの飾りつけをしていた。コーナンでファイルを購入して帰宅後、早速積み上げていた書類を収納すると楽々と片付いたので満足する。整理整頓が苦手なので必要な時に必要な書類が出てこないので困っているが少し益しになった。

11月4日(木)
 
河内の郷土文化サークルセンターの「サークルの集い」の行事を控えて、河内音頭「お伊勢参り」を詠ってもらうため打ち合わせを行った。その後、日本橋に行き買い物を済ます。気候のよい爽やかな一日なり。

11月3日(水)
 
第15回東大阪国際交流フェスティバルが三ノ瀬公園で開催されたので参加する。長い歳月にわたって続けておられる国際交流だが、マンネリにならないよう実行委員会で運営されている。御尽力された故合田牧師の笑顔が晴れた空に浮かんできた。東大阪市も“世界の街”への国際化の一環として支援している。ここで友人と落ち合い帰途を一緒にして小阪まで歩く。

11月2日(火)
 
河内木綿畑へ行き、周辺の清掃後、皆と綿を収穫したあとの、木を引き抜き石灰など播き来年の土づくりをすます。今年も終わりに近づいたなと感じる。昼食後に鴻池新田会所に開催中の秋季特別展を鑑賞する。片町線の前身・浪速鉄道を中心に鴻池周辺の近代の幕開けを見せてくれている。学ぶこと多し。

11月1日(月)
 
友人たちと喫茶店でモーニングサービスを味わいながらの定例会をする。くつろぐ時間が流れる。帰途に大阪商業大学の谷岡家記念館に寄り用事を済ます。帰宅して家でゆっくりと過ごし体と気持ちを休ませる。

10月31日(日)
 
雨が終日降る。いつものように散歩するが傘をさして行くので少し不自由さを感じる。喫茶店のカウンターでコーヒーを飲みながら他愛ない会話でくつろぐ。いつもの常連さんがカウンター席に座るのでいつのまにか会話を交わす人が増えている。アメリカのカリフォニヤに居住の知人にハローウイーンのメッセージに絵を添付してメールで発送する。彼はもう80歳になった人で病気療養中で頑張っておられる。

10月30日(土)
 
知人が八尾でジャズライブをするので歩いて行った。第2寝屋川沿いを歩いているとシラサギがおり鴨が川面を泳いでいる。水もかなりきれいで大きなコイも悠然と泳いでいる。このような景色を眺めているとたいへん心が和んでくる。ライブの会場はこじんまりとしていたが知人の歌や演奏がよくて楽しませてもらった。

10月29日(金)
 
「あしたづ」の原稿をやっと今日届けることができた。この夏からあちこちの場所に足を運び調べて書き上げただけに肩の力が抜けるようにほっとした。夏の疲れが出てきて困っている今、無理をしないようにと自重せねばならない。

10月28日(木)
 
河内の郷土文化サークルセンターの文化誌『あしたづ』に小文を載せるため、締め切りをまじかにして急いでいる。我が家に長年にわたり存在していた石碑だけに大切にして記録を掲載していきたい。夜になって市民会館で「まち・むら文化研究会」において古文書の勉強会をした。

10月27日(水)
 
今日は冬の気候になった。服装も冬衣装を身につける。午後から東大阪市戦没者追悼会に参列した。参列者は高齢者で会場を埋めたが戦後65年なれば当然のことだろう。それだけに何年まで、この会場に足を運べるだろうかと自分自身を含めて考えてしまう。

10月26日(火)
 
来月6日にある暗越奈良街道ウオークで緑公社の担当者と打ち合わせを行う。当日の行程は難波宮跡から枚岡神社まで約13kmになる。まち・むら文化研究会の会員が案内する。打合わせ後の午後から綿花から綿実油等の国内トップメーカーの岡村製油株式会社を訪問し見学をさせてもらった。柏原市において歴史と伝統のある会社から大変誠実に応対していただき感謝する。

10月25日(月)
 
1日中雨が降る。国勢調査の事務をすすめている。この頃飲む機会があると飲みすぎるきらいがあり自重をせねばと反省する。体に障ること多し。

10月23日(土)
 
公民館の歴史講座の講師に招かれて行く。拙い話にも熱心に耳を傾けていただき有難きことと感謝を申し上げる。夜になってフィギヤスケートNHK杯をテレビで見ていたら期待の浅田真央がプレイにどうも調子が出ない。どうしたのかなと思う。

10月22日(金)
 
友人たちと喫茶店でモーニングサービスを楽しむ。時間は静かに流れる。帰途に食堂に寄り昼食用の弁当を買って帰る。午後からいつもの理容室へ行き、頭をさっぱりとしてもらう。頭を刈ってもらいながら雑談するのがたのしい。八尾市文化協会から『河内どんこう』が送られてきた。今回の号に拙文を載せてもらったが、このように刊行されるとうれしいものなり。

10月21日(木)
 
今年は河内木綿の苗を二、三の近所に配ったところ鉢植えをしていただいた。それぞれに綿花がつき喜んでいただいているようだ。土地に伝わる歴史が広まっていけば嬉しいことなり。秋は深まりつつあるようだが、やや蒸し暑き日々なり。

10月20日(水)
 
中国の新聞、新華社をネットで読んでいても反日デモの記事は見当たらない。報道規制をしているのだろう。反日行動がすなわち反政府行動に移行する国だけに複雑な国内事情がうかがわれる。これに比べると日本は言論の自由が保障されているが、時にはマスメディアは言いたい放題にしているように見える。まことに結構な国なり。

10月19日(火)
 
この頃朝に起きると今日は扇風機はいらないだろうと元のスイッチを切ったままにしていると午後に散歩から帰宅すると汗ばんでいるので元スイッチを入れ扇風機を使用してしまう。散歩と言えば今日は小阪駅前では一瞬ひやりとした。商店街を歩いていると小学生が勢いよく横断歩道に飛び込んできた所に車が走って来たが、とっさの運転手の急ブレーキで紙一枚ほどの差で小学生は無傷で助かった。思わず周りの大人たちは顔を見合わせて喜んだ。

10月18日(月)
 
河内木綿畑がある”中環の森”へ行く。たくさんの綿花が枝に実っていたので摘んでは袋に入れていった。今年は異常な暑さのためか綿花の出来がよくなくて小さめだ。天候の影響がこんなところまで及ぼしている。それでも綿摘みをしていると何とも言えない心地よさがある。これは本来の人間の営みに戻っていることから快適さを感じるのだろう。

10月17日(日)

 猪飼野の本制作のため、友人に依頼して現地へ行き写真を撮ってもらった。この日はちょうど神社の祭り開催日だったので12台の地車が集まった。一同に揃うと壮観な風景が現れる。天気も良く撮影にとってよかった。

10月16日(土)

 朝から河内の郷土文化サークルセンターの役員会に出席する。年末に控えているサークルの集いについて新しいことができないか検討する。午後から臨時理事会を開いて審議を重ねた。今までと違ったやり方を試みるので大変な面が出てくるのは仕方がないことだろう。

10月15日(金)

 
一時のことを考えると涼しくなったようだが、まだまだ蒸し暑い。この異常気候のため野菜は高騰しているという。秋口にマスコミが騒いだ秋刀魚の値段は一匹100円ほどに下がっている。マッタケは豊作で例年に比べ値段が安いというが庶民には簡単に買えないだろう。

10月14日(木)
 
先日、奈良で催した暗越奈良街道サミットの資料をまとまった数量でいただいた。これを周辺に配って広めたい。テレビの国会中継で予算委員会の質疑を見ていたが長い間与党であった自民党の与党への追及を見ていたが重箱の隅をつつくような範囲から抜けていない。政権の奪還を焦っているようだ。

10月13日(水)

 
友人が天王寺美術館に出展したので鑑賞に出かけた。見ごたえのある絵画多し。通天閣に回り、そのまま日本橋の電化店でプリンターのインクを購入する。小阪駅前で友人たちと会い、今年末に刊行する猪飼野に関する本の打ち合わせを行う。

10月12日(火)
 
昔からの知人が入院しているので見舞いに行った。今年の夏は異常に暑かったので体調を崩してしまったのだろう。彼を見ていると元気な時を思い出してきて早く回復してほしいと願うばかりだ。このような厳しい気候で周りには体に変調をきたす人多し。見舞いの帰途に自転車で走っていると東大阪市内で有名な「ホワイトハウス」と言われる建物に偶然出くわしたので携帯で写真に収めておいた。

10月11日(月)
 大分以前に買っておいて本棚に眠っていた梅原猛著「観阿弥と正成」を手にし、読みだした。地元の玉串を梅原が訪ねて調べているので余計に興味が増してくる。涼しくなると読書に専念できる好いシーズンなり。夕方に近くに開業した美味しくて安い寿司屋で食事をしていると顔見知りの人とお会いした。


10月10日(日)
 
一つの行事が終わり今日はゆっくりと過ごす。午後にいつものように散歩し喫茶店で新聞を読む。喫茶店主が最近めっきりと廻りの喫茶店が廃業していったと言う。ゆっくりとコーヒーを味わうことでは忙しい社会が回っていかないとか経済的に余裕がないからだろうか。喫茶店が好きな自分としては話を聞いていて少し寂しい気がする

10月9日(土)
 
第3回の街道サミット「万葉集から展望する〜暗越奈良街道」とパネルディスカッションをならまちセンターにて催した。雨天にもかかわらず大勢の参加者があり有難く感謝している。歴史ある文化が広く知られ顕彰していきたいものだ。終ったあと奈良の都で皆とくつろいだ。

10月8日(金)
 
医院で定期診察を受けて帰宅するとき近所の先輩がすれ違いに診察を受けに行かれた。高齢になると医者通いが仕事みたいになってくると互いに顔を見合せて笑う。午後から東生駒へ行き明日の街道サミットの資料を受け取り、ならまちセンターへ届ける。かなりの量と重さなのでキャリーを持っていったので助かった

10月7日(木)

 急死された知人の葬式に参列する。亡くなれる4,5日前に元気に話されていただけに驚いている。人の死に待ったなしなので驚くことはないかも知れないがやはり人生の無常を感じる。
今年の夏は異常な暑さだったので誰でも影響を受けているのだろう。


10月6日(水)

 秋晴れのいい季節になって来た。知人が市民美術センターで開催の美術展に出品されているので花園まで鑑賞に出かけた。いつもながら見ごたえのある作品が多く展示されていた。美術センターの雰囲気は良く落ち着いて鑑賞できるからうれしい。
夜になって2人の日本人に今年のノーベル化学賞の授与が決まったことは最近では数少ないgood news

 萩こぼれ 秋訪れし 古村かな


10月5日(火)
 河内木綿の綿繰や糸繰り作業に親しんでもらうため楠根東小学にでかけた。河内木綿コットンクラブのメンバー達と大勢の生徒に作業を教えた。子どもたちは一生懸命に取り組んでくれたのがうれしかった。先生たちに大変お世話になった。

10月4日(月)

 最近はとみに腹周りが大きくなったので手持ちのズボンが合わなくなっている。ズボン購入のため近くの店舗に足を運ぶ。他の所用のため2,3か所を訪れていった。最後はコリアタウンを訪れヒロゲストハウスに寄る。ここではコリアタウンの店舗でキムチや蒸し豚肉を買って持ち込んで食事ができるので楽しいし割安になる


10月3日(日)
 
親戚の法事に参列し夕方に帰宅する。久し振りに会う親戚の人、自分も歳を取り子ども達は成長している。雨が降り続けたが夜になると上がった。

10月2日(土)

 
午前は英会話サークルに参加するため市民会館へ行く。定例はいつも午後から始まるが用事が生じたので今日は午前になった。午後からDVDの件で大阪市内の友人宅を訪問する。教えてもらい何とか目的を果たしてホッとする。

10月1日(金)
 友人たちと喫茶店で待ち合わせして定例のモーニングサービスを楽しむ。ゆっくりとした時間が流れていく。帰途にお気に入りの弁当を買って昼食とする。DVDのダビングをパソコンで試みるがうまくいかない。パソコンのテクニックは分かりにくくて苦手なり。午後から河内の郷土文化サークルセンターの役員会に出席する。

9月30日(木)
 
「あしたづ」など執筆で筆を進める。文章力に自信はないが何とかまとめていきたい。この際、文章にすることで学ぶことがあればいいだろう。夕方から駅前で知人と会って最近開店した寿司屋に向かう。美味しくて値段もさほど高くないのでお客が多かった。

9月29日(水)
 隣国の中国が日本に無理を言ってくると、朝鮮半島では三代にわたって世襲する国がある。筋が通らないことを押したり主張することは世間でもまかり通っている。とかくこの世は住みにくいと言われるが、筋を通す国や人間に幸いあれと願うばかりだ。
 酷暑にも 立ち枯れせずに 秋迎う


9月28日(火)
 中国はどこまで強気に日本に尖閣諸島について要求してくるのだろうか。韓国の新聞では中国の覇権主義は、日本の右傾化を助長すると心配している。昔に韓国が李承晩ラインを強制的に引き日本漁船を次から次に拿捕をし日本国民の眉をひそめさせたことがある。のちに釜山港を訪れたとき漁民の貧しさと漁船の古さに驚いた。中国の漁民も貧しいことが侵犯する一つの原因なのだろうか。

9月27日(月)
 
河内木綿畑に水やりに行こうと歩いていると雨が降り出した。綿花の摘み取りもしなくてはならないが諦めて頼まれている買い物のためスーパーに行く。買い物を済ませて近くの喫茶店に入り新聞を読む。

9月26日(日)
 自治会の総会を前にしてパソコンで資料作りを始める。夕方になり小阪駅前まで散歩する。ここまで来ると書店や手ごろな食堂もたくさんあって便利な街だなと思う。近くにある理容所の上は手製の“小阪城”が構築されている。御主人に聞くと昨日も横浜から見学に来られたとのことで現在も二、三人の見学者がカメラを手にして興味深く城を眺めていた。

9月25日(土)
 
急に温度が下がり服装も長袖の上着を着る。メディアでは尖閣列島の問題で中国が理不尽なことを言い出したり行動をしだした。力を背景にしているだけに戦前の軍国日本といわれた時代を思い出せる中国の姿勢だ。このまま中国は突き進めばいずれ行き詰まる感じがする。韓国の新聞でも中国の今回のやり方に批判をしている。

9月24日(金)

 昨日は激しい雨のためさ行けなかった彼岸のお墓参りをする。帰宅した後国勢調査で訪問して回る。夕方から奈良町に行って来月の暗越奈良街道の打ち合わせを行った。当日は多くの人に参加をお願いをしたい。

9月23日(木)
 朝の内、激しい雨がおさまるのを待って戦没者の慰霊塔にお参りする。敷地内が雨のため浸かっており即席に敷かれた板の上を伝って慰霊塔にたどり着いた。その後中秋の彼岸に公開される若江の薬師寺へ行き秘仏の薬師如来を拝む。美女丸のお顔に似せられていると伝わっている。お堂内は信者でうまっていた。

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9月22日(水)
 昨日に続いて別のサークルの意見をお聞きするため河内の郷土文化サークルセンターへ出かける。臨時理事会に向けて意見を集約したいと思う。用件も終えて駅前で同行の友人とくつろぐ。国勢調査のため対象区域を下調べした。異常な暑さが今日も続く。

9月21日(火)
 河内の郷土文化サークルセンターへ行きサークルの意見を聞いてみる。臨時理事会に向け意見の集約を図る。家に帰り伸びている庭の木を刈り取る。体を動かすとまだまだ汗が流れてくる暑さあり。

9月20日(月)
 国勢調査の調査員に任命されたので今日は調査対象区域にお知らせを配布した。マンションの階段を上がったり下ったりしたので額から汗が流れ出た。夕方から河内木綿の畑に行き水やりと綿摘みをする。今年の綿花の出来ばえは余りよくないようだ。綿花の大きさは小さめだ。

9月19日(日)
 河内の郷土文化サークルセンターの恒例の行事の一つとして、バス2台で道成寺、湯浅町へ出発する。暑さを色濃く残す中大勢の参加者を得てよかった。高速料金の値下げや三連休の中日の影響があり車数が多く道路は渋滞したが楽しく有意義なものとなったと思う。湯浅町の観光ボランティアの方々にお世話になった。

9月18日(土)
 生駒山の関連の集いに参加し見聞を広め、夕方には久し振りに家族が全員揃い上本町で団らんする。お互いに元気に集まることがうれしいものだ。会場から帰るときには夜風が涼しくなっていた。

9月17日(金)
 河内の郷土文化サークルセンターの行事を控えてサークルの意見をお聞きしている。今日は大阪商業大学へ行きサークルセンター室を訪れた。午後には街道サミットの資料案を十分とは言えないが何とか作成にこぎつけた。関係者のご意見をお聞きしたい。夕方になり家族と食事に出かける。

9月16日(木)
 今朝の気配はまさしく秋だった。この涼しさを待ち焦がれていたようだった。経済の動きはよくないようだが円高傾向はそれに拍車をかけてきた。政府はやっと動いて介入に入り円安になった。中国ではずーと以前から政府が介入し通貨の元安を維持している。多くの他の国も通貨管理している中、日本政府も腹を決めてかからねば国の経済を守れない。


9月15日(水)
 昨日から大峰山へお参りをした。山上は霧状態だったが今朝は晴れて山上から眺める景色は見事なものだった。戸閉めを前にしているので登山者は多かった。今年の異常な暑さのため疲れがあり、大峰山行きは半ばあきらめていたが友人の誘いもあり実行してよかった。

9月13日(月)
 昨日のくらがり峠で茶店の主人から空を見上げてちぎれ雲が出ていると教えてもらった。ちぎれ雲は秋の到来を告げていた。今日は温度が下がってかなり過ごしやすかった。奈良である第3回街道サミットの資料作りを始めた。

9月12日(日)
 暑い中だが久し振りにくらがり峠に登ってみた.。年齢が年齢なので熱中症にならないようにスポーツドリンクをリュックに入れ無理しないようにした。峠の茶屋に到着し店のご夫婦と会って休憩をする。椅子に腰かけていると涼しい風が頬を撫でてていく。いつも野菜を買うおじさんは今年は暑くて作物の出来がよくないとこぼしていた。

9月11日(土)
 午前中に河内の郷土文化サークルセンターの役員会に出席し、午後に英会話サークルに参加するため市民会館へ行く。今日はニューヨークタイムスの記事にエキサイトした。日本は経済不況だといって自虐的になっているが向こうの専門家は米国よりましだと評価している。日本の政治家もマスコミも自虐のスパイルから抜け出て正当な自己評価しないと自信喪失に陥り底なし沼に足をとられるだろう。

9月10日(金)
 河内の郷土文化サークルセンターの会報「郷土文化」の編集会に出席する。10月には発行される予定となった。一方、文化連盟の会報に自分の拙文が掲載され届いた。小文にもかかわらず表紙をめくったところに載ったので晴れがましくて恐縮している。

9月9日(木)
 齢を重ねると体力など衰えてくるとかハンディが何かと出てくるが、今までわからなかったことがわかってくることがある。うれしいことである。最近そのようなことがあり心が豊かに感じることがある。さらにこのようなことを求めていきたいものだ。

9月8日(水)
 涼しい夕方だったので自宅からコリアタウンまで歩いて行った。ヒロゲストハウスに到着し夕食を取る。ヒロと少し話をして鶴橋駅から自宅に戻る。今月は何かと日程が入っているので気持ちが落ち着かない感じをする。できるところから手を付けていこうと思う。

9月7日(火)
 家の用事のため出かける。今年の暑さは“国難”に匹敵するような表現もあるが、今日は少し弛んだようでよかった。夕方から駅前で友人と会い打合せをする。

9月6日(月)
 5年間ほど使っていたパソコンのプリンターが突然使用不能になった。メーカーに問い合わせするとこの形の器械は製造を打ち切ったとのこと。仕方がないので電化器具販売店へ行き、新型を予約しておいた。そのあと中ノ島図書館へ行き調べ物をする。江戸時代の古文書を研究した本を読み、学ぶこと多し。先人の研究に敬意を表する。

9月5日(日)
 中之島図書館へ調べ物をしようと思い行くと休館日だった.
家でよくチェックしてから行けば良かったかとがっかりしながら梅田のヨドバシカメラ前に着くと大変な人だかり。民主党の党首選で管直人と小沢一郎の街頭演説があるとのこと。こういう機会はめったにないものなので人いきれする、暑い中はじまるまで待ってみた。観衆の中、小沢コールの熱ぽっさに驚いた。


9月4日(土)
 
コリアタウンへ行き猪飼野に関する本の編集会議に出席する。鶴橋駅から御幸森神社を過ぎコリアタウンへ入ると観光客で賑わっていた。遠い所からも訪れるような街になった。ここでは若者が在日2、3世のためや地元の発展のため店を開き頑張っている。

9月3日(金)

 自動車運転免許証の更新のため自転車に乗り講習を受けに行く。自転車は乗っているときは暑いことは暑いがサドルから降りると汗がドッとでる。とにかく無事に5年1回の免許更新を終えてほっとした。帰宅して庭から玄関前の道路に打ち水すると気持ち良し。古来からの耐暑方法が好きだ。


9月2日(木)
 
酷暑も段々と秋の気配を濃く感じさせてくるだろう。このかすかな変化を楽しんで味わっていきたい。昔の人はこの変化を歌に詠み絵にしていった。現代人にはその余裕が薄くなっているようだ。知人のジャーナリストの浅野詠子さんが琵琶湖湖畔のN市の委員に就任されるとお聞きし悦ばしい。ご活躍を期待している。

9月1日(水)
 
来月奈良市において開催する街道サミット3に向かってジャーナリストの浅野詠子氏がホームページ(http://www.h7.dion.ne.jp/~eiko/)に東大阪市の「渡し地蔵」など紹介していただくことになり今日は現地案内をした。この付近には帝国キネマの撮影所址もあり市外からも多くの人に訪れてもらったらと思う。

8月31日(火)
 
10月上旬に開催される「万葉集から展望する〜暗越奈良街道の往来」シンポジゥムの資料準備をしていく。基調講演は万葉集の研究家の上野誠先生。9月に入れば他の行事も入ってくるので、できるところから始めていこう。午後から中之島図書館へ行き郷土史料を調べる。

8月30日(月)

 家に居っても蒸し暑くてたまらないので、植木ハサミを持ち出して庭の木をチョキチョキと切り出す。暑さには熱い動作で暑気払いしようと思う。伸び放題の枝を切って気持ちもさっぱりとする。夕方からワッハ上方館へ行って講談・旭堂南青と落語の桂春蝶の芸を楽しむ。この間、浮世の憂さをどッかへ持って行ってくれるので楽しい。

8月29日(日)
夏の昼下がり、ひたすら歩く。炎暑の下だが日影に入ると秋の風が吹いていて何ともいえず心地がよい。汗が流れ流れたあとの冷たいビールが最高に美味しい。夜になって待望の雨が炎熱の街を冷やしてくれた。


8月28日(土)
 
今日は戸外を歩いていても暑さが特別だなと思った。午後2時ごろには大阪で37度になった。外に出ると冷房の効いた建物に入ると、ともかくホッとする。小阪駅前の栗林書房では河内文化のおもちゃ箱の本が入荷され書架に平積みされていた。久し振りに見る店内の風景になってよかった。

8月27日(金)
羽曳野市へ行って河内源氏の源頼信三代ゆかりの地を調べた。炎暑の中訪れた壷井八幡神社の関係者の方には懇切丁寧に教えていただき大変お世話になった。感謝申し上げたい。帰途に河内松原駅で下車し柴がき神社でお参りする。ここでも神官の方にご教示いただいた。

8月26日(木)
 
クーラーを入れて眠っても夜中に眼を覚めてしまう。昼間の暑さが体に残っているいるせいなのか。とにかく今年の夏は例年と異なるので健康に注意しなければならない。夜になって鴻池家についての勉強会に出席した。夜には涼しい風が吹いていた

8月25日(水)

 景気がよくならないとメディアなど毎日のように報道している。連日の猛暑も騒いでも時期が来れば冷えてくる。同じようには論じられないが景気に“気”がつくので気分ひとつ工夫も要るだろう。食用のラー油が話題になっているようなので購入してきたのでフライパンを使って美味しい食事でも作って暑さの疲労に備えてみようと思う。

8月24日(火)
 京都国立博物館で上田秋成特別展が開催されているので訪れた。ここには久しぶりに来たので改めて建物の荘厳さに感銘した。上田秋成の書は立派のことは言うに及ばないが一時期に日下に住まいしていたので身近に感じる。しかし彼の経歴にそのことが載っていないのはなぜだろうかと思う。敷地内に大日如来が置かれていたので本館を背景にしてスケッチした。

8月23日(月)
 文化サークルセンターの用事で谷岡記念館へ行く。この建物は昭和初期石造りのせいか内部へ足を入れるとヒヤッとする冷気を感じた。その後、河内木綿の畑に行き、水やりする。この暑さなので水やりを欠かすことができない。綿の木に黄色い花が咲き、これから実を付けていく。草刈りもすると汗びっしょりになり上着を替えた。タオルで上半身の汗をぬぐうと気持ち良し。

8月22日(日)
 夏生まれなのでこれまでは夏が好きだった。最近の暑さは異常で子供の頃に夏休み期間に蝉取りを楽しんだ夏とは様変わりの暑さだ。このようななかでも午後に散歩したが戸外では結構、秋を感じさせる風が吹いていた。

8月21日(土)
 学生時代の友人たちと会い旧交を温めた。お互いに元気な顔で会うだけで結構なことだと感謝する。久し振りに千日前で楽しく仲間とひとときを過ごした。

8月20日(金)
 JCOMのケーブルテレビの取材があり若江の薬師寺と美女丸、河内源氏の説明をする。午後2時の炎天下なので汗びっしょりとなるが土地の歴史や我が家にかかることからやりがいを感じるとともに周りの協力があったからできたと感謝する。今回の機会を提供してもらったМさんとジョッキを挙げた。

8月19日(木)
 『知られざる戦争』浅田次郎著が話題になっているようだ。65年前の戦争がなぜ起こりどのようなものだったか未だに解明されていない。八尾では八尾飛行場など戦争遺跡研究家の大西進さんが昨夜NHkテレビに出て説明されていたが、まだまだ解明されていないほどそれだけ大きな歴史的な出来事だった。
今日の午後、村の歴史を調べるため暑い中、小一時間ほど歩いた。疲れるけど汗を流すと気持ちがいい。

8月18日(水)
 テレビで高校野球試合を見ていると、この暑さの中良くやっているなぁと感心をしてしまう。自分の高校時代を振り返れば炎熱の中、剣道の防具を身につけ竹刀を振り回していた。しかも当時は練習中は水を飲むことは厳禁だった。よく熱中症で倒れなかったものだが体調は悪くなった。大方は間違った指導方法の下でやっていたのだから恐ろしいことだ。

8月17日(火)
 盆明けに医院を訪れると、この日を待っている如く待合室に人多し。歩いて帰ると炎天下にじりじりと焼ける路上が厳しく、ついつい日影を求めて路上を左右に歩む。午後になり辻井喬著作『茜色の空』を読む。大平正芳の人物についてあらためて知る。この本は中々の労作なり。大平氏と作家に敬意を表したい。
 炎天下 涼求める 日影かな

8月16日(月)
 八尾の文化誌「河内どんこう」の掲載原稿の校正をして郵送する。10月ごろに発行されるだろう。夕方から河内木綿の畑に水やりに行く。雑草も生えていたので鎌で刈ったが中腰で作業して腰が少し痛し。
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8月15日(日)
 若江の忠霊塔に行きお参りをする。戦没遺族会の役員の方がお世話され立派な忠霊塔はきれいに整備されている。小学校の同窓生も来ており、彼の父は中国の中央部で戦死だとのことなので自分の父と同じ戦場だろうか。我らの同窓生の多くは親を失ったりした戦争犠牲者が多い。この現実を風化させてはならない。このあと墓地に行き先祖の墓参りをする。暑き終戦記念の一日なり。

8月14日(土)
 幼馴染が墓参りに行くから会おうと電話をくれた。近くの喫茶店で会い近況報告を兼ねて思い出に花を咲かせた。振り返れば多くのことがあり長時間にわたり話し込む。思いめぐらせれば当時の日々が、絵日記のように脳裏に浮かびあがってくるので、いつかは絵にして記録にしてみたい。静かなよき盆の一日なり。
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8月13日(金)
 お盆の時期に世界大戦で日本が敗戦になったのは、亡くなった戦争の犠牲者がそうさせたのか単なる偶然かは知らない。しかし戦中生まれの自分としては戦後の混乱の中食料が極端に乏しかったのは体感した。近所では庭先に植えたサツマイモ畑から芋が盗まれるということはよく起こった。芋泥棒と後ろ指を指されようが、まず生きていかなければならないことを今どれだけの人が理解できようか。食べ物を得ることが人間の生活の原点になる。

8月12日(木)
 お盆が近づいてきた。亡くなった人々が一層脳裏によみがえってくる。やすらかに戻ってきてほしい。そして戦争がよみがえり痛ましい犠牲者がさらにせつなくなり哀悼したい。盆になれば街も少し静かになってくる。

8月11日(水)
 国と地方は財政難といいながら存在していない100歳以上の人にも年金など支出しているのだから結構な国といえよう。自分の財布からはこのような、でたらめな支出はできないはずだ。
暑いといっても路上には早くも秋の風が吹いているようだ。

8月10日(火)
 ゆったりと送りたいのに用事が重なってきて、忙しい思いがする。すべてはボランティアというよりも手弁当が多くそれ以上に出費の連続なり。これも納得の上でしているので不足は言えない。今日も外出したが台風接近のため蒸し暑い日なり。

8月9日(月)
 小阪駅前で人に会うために出かけようとしたら雨が降り出した。河内木綿の水やりの日だった。この雨が恵みの雨となり行かずに済む。夕街道クラブの会議へ出席するため奈良町へ出かけた。今日は“なら燈花会”が催されていて道路上に蝋燭が灯され幻想的な街になっていた。

8月8日(日)
 トリイホールへ行って「なんせい限界に挑戦」講談師 旭堂南青の講談を楽しむ。ピン芸のインディもゲスト出演していた。とにかく芸の世界はおもしろい。異次元の世界に運んでいってくれる。

8月7日(土)
 午後から英会話の勉強のため市民会館へ出かけた。暑い中のため頭の回転いつもより鈍し。帰途に小阪でスイカなど果物を買って帰る。今日は立秋なので暑さもそう長くはないだろう。
 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかねぬる

8月6日(金)
 縁ある歴史上の人物や歴史を調べるため、川西市を訪れた。足を運ぶのに何十年かかったがそういうものかも知れない。多田源氏ゆかりの満願寺、多田神社などお参りし調べて大変良かった。もう少し勉強してまとめていきたいものだ。暑さ厳しい中を歩いたので疲労は極限までになった。

8月5日(木)
 最近、驚くこと多し。100歳以上の人で生存確認できない人が多いとのこと。自分の生活している近所を見渡して、そのようなことは考えられない。ワンルームマンションを除いて他の所帯であってもおよそは誰が住んでおられるかは判明している。親子関係すら希薄になっているので無縁社会にあるといわれているのが悲しい。しかし現実社会だから仕方がない。

8月4日(水)
 昨日の会議を受けて遷都1300年街道サミットへの出演依頼のため、奈良の知人に電話をして了承をもらった。イベントは2か月先のことだから急いで準備しなければならない。午後には若江遺族会の文書を配布する。その後いつもの喫茶店でコーヒーを飲み、後はスケッチ2枚楽しんだ。

8月3日(火)
 トラブル続きのホームページを新しいソフトで何とか修正できたように思う。思うというのはソフトの世界は完全には到底理解できない面が多すぎる。やはりホームページ作成はビルダーが扱いやすいみたい。夕方から暗越奈良街道サミットの打ち合わせのため奈良町まで出かけた。

8月2日(月)
 友人たちと駅前の喫茶店に集まり、いつものモーニングサービスを楽しむひとときを持つ。他愛ない話もまたよきかな。長くこのようなひと時を持てれば楽しからずや。帰途におかずや果物を買って帰る。昨日、購入したホームページビルダーは使いやすいので安心している
 打ち水に ひと吹きおこる 涼風かな

8月1日(日)

 朝から河内木綿畑へ行き、定期的な手入れをする。綿木は順調に育っており早いものは綺麗な花を咲かせている。支柱に紐で結えていった。午後から大阪歴史博物館内で鴻池家の展示と講演が催されたので参加した。講師は鴻池新田会所の井上氏だった。その後、梅田のヨドバシカメラへいきソフトを購入した。

7月31日(土)
 知人のNさんと連絡を取り駅前で韓国語の勉強をする。朝鮮日報の社説をコピーし教材としてカフェでの学習もまた楽しきものなり。Nさんは90歳に手を届こうとされているのにお元気で学習欲高く、Nさんから学ぶべきこと多し。その後、一緒に日本橋の電化街に出かけ散策する。

7月30日(金)
 お祝いがあり難波に出て食事をする。昔からの芝居茶屋での食事は伝統や歴史を感じさせる雰囲気があり楽しませてくれた。その後、大阪商業大学の蒼天ホールで催された映画「暖簾」主演森繁久弥 監督川島雄三 原作山崎豊子を鑑賞する。素晴らしい映画だったが次の予定の送別会があり中座しなければならなかったのが残念だった。

7月29日(木
 郷土史料について調べ物をする。夕方から駅前で知人と会って打合せをした。これを終えてから市民会館での街道研究会に参加。文献を読んでいると昔の暮らしぶりなどが分って面白い。しかし昔の文章は難しいので、もっと勉強がいるだろう。

7月28日(水)
 今日は温度が少し下がったので河内木綿畑の草刈りに出かけた。鍬で刈るよりも鎌の方が刈りやすい。腰が痛くなるが努力すれば眼に見えて畑が整ってくるのが分るのがうれしい。作業のあと上着を着替えるとさっぱりとして気持ち良し。帰途にスーバーに入り柑橘類を買って帰りのどの渇きに備えた。

7月27日(火)
 いつもの理容所へ行き髪の毛を短めに刈ってもらった。夏はどうしても汗をかくのでさっぱりと短めがいい。自動車運転免許の更新手続きも警察に行って済ます。あとは講習を受けて免許証の更新を待つばかりになってやれやれと思う。

7月26日(月)
 久し振りに河内木綿畑に行き、水やりと草刈りをした。長雨が続いたのと腰を痛めたことがあり遠のいていた河内木綿に接してみて、夏草が背丈ほど伸びている姿に接して驚いた。小学生達も苗植えに参加している木綿の木は順調に育ってはいるので、雑草を刈り取らないといけない。鍬を手に刈っていくと大分見やすくなってきたのがうれしい。シャツを脱いで絞ると汗がしたたり落ちるほどになっていた。汗と涙を流すとストレス解消になるというがその通りだと思うほど爽やかなり。

7月25日(日)
 暑い。大阪は今日36.5度にも気温が上がった。戸外を歩いていると体感は40度近くになる。家に帰ると衣服をすべて着替えるほどに汗に濡れていた。夕方になると庭木に水を遣り玄関前の道路に打ち水をすると一陣の涼風が吹いてくるように感じる。軒先には風鈴を吊りさげた。
 風鈴の音 さわやかに風 運びくる

7月24日(土)
 河内の郷土文化サークルセンターの役員会に出席して、そのご「あしたづ」編集会に出席。どちらも熱心に討議して前に進んでいる。皆さんの努力により順調なので感謝。今日も炎熱の一日で全国的に熱中症で倒れている人が多いらしいので健康に留意がいる。

7月23日(金)
 旅行から戻り大阪に到着すると大変暑さが厳しい。北海道へ初めて行ったが農地や森林の広さに圧倒される思いがした。美しく広々した農地は観光客を呼び地域を活性化している。しかし、ここまで開拓したことや農業への情熱と努力に深く敬意を表したい。

7月19日(月)
 暑さを避けるようにして喫茶店に行き新聞を読む。自分流の避暑方法でアイスコーヒを口にしながら一息ついては置いてある花をスケッチする。このあと猪飼野へ行き本づくりの編集会議に出席。メンバーが多彩なので楽しい本ができそうに思う。

7月18日(日)
 HPに日記を書いてアップロードすると以前に書いた何日間は削除されてしまう。何回も繰り返しこのような状況が起こる。今日は大東の平野新田会所を考える会の講座が開かれたので参加した。テーマは河内や飯盛山城だったので関心を持って拝聴した。

7月17日(土)
 暗越奈良街道と大軌(近鉄の前身)について歴史講座でお話をした。暑い中を熱心に聴いていただいて感謝。ここの公民館では長期にわたり郷土史講座を開かれているので敬意を表したい。その後八戸ノ里小学校で地域交流会が盛大に催されたので自治会から応援に出かけた。サッカー選手として活躍した森島氏が子どもたちにサッカーの指導をしていた。
7月11日(日)
 朝からホームページの修復に時間を費やした。パソコンの前に座っていると体にようないので雨が降っていたが散歩に出かけた。気分が替わり気持が爽やかになる。梅雨らしくじっとりと湿気が体に伝わってくる天候だ。

7月10日(土)
 昨夜涼しくなったので睡眠しやすく助かった感じする。朝の内は河内郷土文化サークルセンターの会報編集委員会へ出席し、午後から市民会館での英会話に参加する。1か月に1回なので話題が多くて時間が過ぎるのが早し。人と交わっていると学ぶこと多くて楽しい時間なり。

7月9日(金)
 家族で司馬遼太郎記念館を訪ねて楽しんだ。敷地はさらに広くなりゆっくりと散策を楽しめる。遠くから修学旅行生らしい中学生達も来館していた。しずかな雰囲気の中ロビーでお茶を楽しむ。その後遷都1300年祭開催中の奈良へ行った。雨の古都もまた佳きかな。

7月8日(木)
 ホームページが調子悪し。もともと原理を分かってないので修復方法がもう一つわかってない。たまたま息子がおったのでアドバイスをしてもらいヘルプしてもらった。寝不足の上このような状況が続くと疲労するが、便利な機器とは時には大変な負担になるのは世の中の道理だからあきらめてコツコツと行こう。

7月7日(水)
 午後いちばんに『河内文化のおもちゃ箱』でお世話になったМ先生にお電話して依頼したところご了承をもらい安堵した。講座の件で、N先生とお会いし打合せを終えた。初めてのことなのでご指導をしていただく。この時村の歴史についてお話をお聞きし、大変ご教示いただいた。人との縁に深く感謝した日だった。

7月6日(火)
 郷土史の資料作成も大方仕上がって来たので、肩の荷が少し軽くなっている。いつも行く喫茶店が休業していたが今日は久し振りに開いていたので珈琲を飲んだ。馴れた店の方が座り心地がいい。その後、北朝鮮の映画の切符が手に入ったので布施のラインシネマに行き鑑賞する。あまり期待をしていなかったが、単調な作りもあって終わるころには座席で寝入ってしまった。

7月5日(月)
 コンピュータは便利だがキーボードのワンタッチで資料が消えてなくなる。ホームページをいらっていて体験をした。写真や絵がHPから今はなくなっている。時期を見て修復していこうと思う。暑くて忙しい時にこんなややこしいことが発生する。

7月4日(日)
 ホームページの書き込みがうまくいかずに今になってしまった。河内木綿コットンクラブの定期清掃日だったので“中環の森”へ行き掃除を草取り、支柱の取り付けを行った。蒸し暑い日だったので汗まみれになった。夏は雑草とのたたかいになる。暑さとの戦いでもある。

7月3日(土)
 大阪商業大学のユニバーシティホール蒼天にて講演会とフォーラム「河内の近代化を生んだ地域力」があったので聴講した。各先生方の発表は資料を交えて大変勉強になったので感謝する。学ぶことは将来は力になり地域に活かしていきたいものだと思う。

7月2日(金)
  友人たちと駅前の喫茶店でミーティングをする。いつもの喫茶店は休みなので他の喫茶店にしたが、いつもと勝手が違う。その後永和図書館に寄り頼んでいた本を借りて帰宅する。郷土について調べれば調べるほど新しい事が分ってくる。それなりに大変だが楽しい。これまで研究されている人達のおかげで学べるので感謝しながら学んでいる。

7月1日(木)
 俳人の与謝野蕪村が暗越奈良街道を歩き、新喜多橋辺りで句を吟じた。“日は日くれよ夜は夜あけよと啼かわず”江戸時代中期のことだから現在と違ってまったくの農村だったのだろう。この句碑と当時の新喜多橋の親柱が保存されている新喜多中学を探し訪れた。校内の句碑ある木陰で休んでいると通りかかった見知らぬ学生や先生達が挨拶をかけてくれる。涼しい所で心地よい時間が過ぎていった。オアシスのひとときなり。

6月30日(水)
 昨夜のサッカーでサムライジャパンはパラグアイ相手によく戦った。PK戦では負けたが観ている方が力をもらった。1時はどーなっているのかと思う時期は確かにあったが心身ともチームは強かった。午後から図書館へ行き調べ物をする。しずかな午後なり。

6月29日(火)
 久し振りにパン焼き器を使ってレイズンパンを作る。干しブドウの味がパンになじんで結構美味しかった。午後から生駒市の図書館に行って暗峠の歴史を調べる。興味を持って調べていくと新しいことが学べる。夕方から友人と小阪駅前で待ち合わせて何カ月振りに一献を傾けた。また楽しからざるや。

6月28日(月)
 蒸し暑い日が続く。河内の郷土文化サークルセンターの会報『河内の郷土文化』の記事を書いていると半日ほどかかってしまった。会報の毎年、発行にあたっては多くの企業や人々の支援を受けて今秋に第38号を発行することになる。腰痛があり動くのはおっくうになっているが家にいると却ってよくないと思い散歩する。
 ラッキョの 塩漬け瓶に 泡立ちぬ 

6月27日(日)
 自治会の清掃活動に参加する。しゃがんで除草して起きあがる時、腰に痛みを感じたと思ったら腰痛状態になった。夜になって自治会の役員会に出席して当面の課題について論議する。夏季を迎え行事が何かと入って来た。
 梅雨入りし 陰鬱なりし 日々かさね 

6月26日(土)
 河内の郷土文化サークルの城東サロンが大阪商業大学の会議室で行われた。今回は「暗越奈良街道と大軌」で“まち・むら文化研究会が発表した。雨天にもかかわらず大勢の人に参加していただき沢山のご意見も賜った。今日の内容は少しでも記録しておきたいものなり。終了後前会長の慰労会を小阪駅前に行った。

6月25日(金)
 サッカーのワールドカップ大会における日本チームの試合が気になり、夜中に目を覚ましたが一時間ほど早すぎたので又寝てしまった。日本がデンマークに勝利したずーと後になって知ったがその時は歓喜した。現在の日本は閉塞感に満ちている中これはグッドニュースになる。夜になってホテルセイリュウで行われた勉強会に出席する。坂田先生を始め、多彩な出席者がおられたので本当によき機会なり。

6月24日(木)
 昨日の曇天から今日は一転して青空の快晴となった。日中に買い物のため外出したが暑くて大変だった。奈良街道沿いの菱江集落で以前に見かけた舟板塀の住宅がなくなり建売住宅に変っていた。懐かしい街道風景の一つがまた消えていった。夕方から市民会館で郷土史の勉強会があったので出席する。

6月23日(水)
 今日の午後からNさんとお会いするため電車に乗ると、久方ぶりにTさんと顔を合わせた。会話していると“灰神楽”という言葉が出て意味が分らなかった。帰宅して調べるとなかなか味わい深いものだ。生活様式が変化している今使用する人がめっきり減ったが消え去るにはさびしい。
 街に文化あり 街に人あり

6月22日(火)
 朝から奈良に居住する友人から電話があり、元の同僚が亡くなったとの訃報あり。手術をして元気になったと安心していたのだが人間のはかなさを感じる。
午後から府立図書館へ行き調べ物をする。夕方から通夜に参列するため奈良へ行く。
 なにもかも行きすぎていき蒸し暑し

6月21日(月)
 眼の定期検査のため医院を訪ねる。ドクターから順調ですよと言われ安堵する。近いうちに自動車の運転免許更新あるため眼の視力は大変気になっていた。午後に頼まれていた用事を済ませてから友人に会いに行った。その後近くのファーストフード店で本を読んでゆっくりと過ごす。
夜になって購入した鳥取砂丘のラッキョの皮をめくり瓶漬にする。出来上がりが楽しみだ。
 さらにまた 老い感じたる 梅雨間かな 
 剥くほどに 細くピカピカな ラッキョかな

6月20日(日)
 宮本順三記念館の「街人講座」に出席して学ぶ。今日のテーマは宇田先生による「水と文化」ライン河を主とするものだった。講座が終わり恒例の美味しいコーヒーをいただいた。こういう機会に参加するたびに自分がいかにものを知らないかを実感するようになる。先日歩いた池島が“どーなってんの東大阪”http://www.do-natteruno.com/に掲載された。身近な集落と人物が紹介されているので機会があれば多くの人に見てもらいたいと思う。

6月19日(土)
 若江の歴史をケーブルテレビで紹介するので案内人になって欲しいとの依頼を受け、下調べのため若江北町へ行く。美女山薬師寺を訪問して住職から薬師堂など説明を受ける。当寺の秘仏は美女丸の御顔に似せられているとのこと。公開は彼岸の時にしかしていないとのことで残念ながら拝むことができなかった。美女堂家遺愛石碑を若江公民館に配置しているので大変ご縁あり一度拝んでみたいと思う。

6月18日(金)
 家の中にいると蒸し風呂の中にいるようで不快指数が上がってくる。夕方から買い物に出かけたが外の方が風が吹いて涼しい。雨がやまないので、どの店に入ってもお客はまばらで至って少ない。梅雨時期は商売人泣かせの季節になるだろう。

6月17日(木)
 日本の政治が何かと問題があり大変だと思うが、近隣国を見れば中国や韓国そして米国にもそれぞれが深刻な問題を抱えている。経済に悩むEU諸国もそうだ。中国では格差問題が日本に比較してもひどい状態だし韓国の格差もひどい。米国はアフガンやイラクでの紛争は命をかけたもので深刻そのものであり、メキシコ湾での海底油田流出が2カ月になるのに止められない。多くの問題を一つ一つ解決していくしか方法がない。

6月16日(水)
 雨が上がってくれたので中之島図書館へ出向いた。ここの2階へ行くと大阪の郷土史料は揃っている。一応調べも終えて御堂筋を歩いていると漫才コンビのかつみ&さゆりが商品の宣伝のため出演している場面に出くわした。さゆりさんは色白でなかなかの美人なり少し見ただけで難波で買い物をして帰宅する。

6月15日(火)
 昨夜はサッカーのワールドカップを深夜までテレビを見ていたので今朝は眠たいまま起床。それにしても日本はよくぞ一勝してくれた。なかば以上諦めていたゲームだけに喜びは大きい。
地元史のことを調べて行きたいが雨が降り続けたので、図書館へ行くことにためらった。まぁボツボツとしていこう。

6月14日(月)
 久々に嬉しいニュースが届いたようだ。宇宙を飛んでいたハヤブサから探査カプセルが地上に到着した。イトカワの物質が回収されることを願っているが、いずれにしても日本の研究陣は高い評価を得るだろう。今夜11時からあるサッカーはカメルーンを相手に勝利してほしいが結果はどうなるだろうか。

6月13日(日)
 友人が生駒の芸術館での日本画展に出品しているので、出かけた。生駒で昼食をしたのち鴻池新田会所で催された河内木綿に関する講座に参加する。近代の大阪経済の発展と木綿の関係がよく理解できた。梅雨入りしたため一日中雨なり。
 スーパーの片隅の喫茶の片隅の小さなやすらぎ

6月12日(土)
 いよいよ梅雨入りになった。蒸し暑い日が続くと思うと気分が重くなる。午後から英会話勉強のため市民会館へ行く。市民会館まで歩いて行き到着すると喉がカラカラなるほどお茶が飲みたくなった。勉強の材料の一つとしてニューヨークタイムスを輪読する。日本の新聞より記事が専門的に踏み込んで書かれているので読んでいると勉強になり好いと思う。

6月11日(金)
 今日は暗奈良街道を歩くため大阪府緑公社の企画で、森の宮から枚岡神社まで歩いた。夏日の暑い日だったので、うだった日になった。これは11月に予定している奈良街道ウオークの下見として行った。下見の中大阪商業大学や東大阪市民美術センターなどにお世話になった。八戸ノ里で今日の打ち合わせをした後、地元自治会の親睦会に出席した。

6月10日(木)
 中央環状道路・久宝寺で河内木綿の苗植えがあり、東大阪の河内木綿コットンクラブからも応援のため参加した。八尾市長の田中誠太さんも参加された。八尾市は河内木綿の育成に市を挙げて力を入れておられる。田中氏は両市の力を合わせて全国に発信していきたいとおしゃていた。大変心強いご意見だと思う。あと楠根東小学校を訪れ4年生の児童達に河内木綿の歴史など説明した後、皆で中環の森へ行き生徒たちが河内木綿の苗を一斉に植えてくれた。

6月9日(水)
 からっとした爽やかな一日だった。風邪も日にち薬のように段々と落ち着いてきた。外国の新聞を読んでいたら中国の労働者の賃金のことを書いていた。中国へ工場を進出している企業が多いが急速に賃金上昇が起こるだろう。そうすると中国からの輸出製品の価格は上昇し世界は段々と物価上昇につながることになると。

6月8日(火)
 風邪のため夜中に何回も目が覚めて寝床の中で悶々としてラジオの深夜便を聴いていると芸能生活50年を迎えた加山雄三が若い時分の事を語っていた。彼は映画の巨匠黒澤明に見出され芸能生活を続けるきっかけとなったと。演技や歌づくりに優れているが一方、船の設計師になりたかったが断念したらしい。そういえば彼の御祖父さんは有名な要塞づくりの陸軍の高級将校だったことを瀬戸内海を旅行した折分かったことを思い起こされた。

6月7日(月)
 風邪をひいたようで喉が痛む。これだけ気温が上がったり下がったりで体にも負担になっているのだろう。暗越奈良街道のことを調べまとめたいのでパソコンを袋に入れて近くの喫茶店でキーボードを打ち込む。自宅では作業が進まないときがあるので気分転換して進めるのにいい。
 泥つきラッキョを買って漬けたいので近所の八百屋さんへ顔を出したがまだ出ていないので待ってほしいとのこと。美味しいラッキョを食べるためにしばらく待つことにしよう。

6月6日(日)
 河内木綿の「中環の森」へ行き定期清掃に参加する。気温は高くなったので体の疲労がつのってくる。午後から市民会館で開かれている文化連盟展に出展している「もんじの会」や拓本クラブの作品を観賞する。センスのある立派な作品に感心をした。その後東住吉区民ホールまで行き水野正好先生の難波大道に関する講演を拝聴した。

6月5日(土)
 暗奈良街道の深江で菅笠資料・人間国宝角谷一圭記念館が完成したので見学に行った。深江は歴史のあるところで地元の篤志家が土地と建物を提供されたのは誠に地域の発展に寄与して
いくことだろう。角谷征一さんに挨拶をして鶴橋まで足を伸ばした。暑い中を延々と歩いた一日だったがいい汗をかいた思いがする。

6月4日(金)
 本格的な梅雨を前にして植木の手入れをした。久し振りに枝葉を刈りこむと中から無数の虫が飛び出してきたので驚く。太陽の日や風が入らないので虫の温床になっていたようだ。暑い中だったので刈り込みを終え、落ちた枝葉を拾い掃除すると汗びっしょりになる。
テレビや新聞は民主党の党首選や首相投票を盛んに報じている。国民もメディアもそろそろ落ち着いて世界の中の日本の状態を冷静に眺めることをしないと恥ずかしい。ころころ変わる首相ととてつもない借金が有名になっても仕方がない。

6月3日(木)
 今日は人を案内して池島を再び訪ねた。この古村を訪ねるたびに人との出会いがあり、発見があるからうれしい。寺の住職からある人物についてお話を伺い新事実を知り考えさせられた。足を運んでこそわかることがあるものだと再認識をする。今日は天気も良く恩智川の堤に座り珍しい野鳥を眺めながら休息しているといい風が吹いてきて気持ち良し。

6月2日(水)
 鳩山首相が辞任した。今回で日本の首相が超短期で交代すること4人目で世界を驚かせている。政治の劣化が目立っているが国民も超短気になっていないだろうか。こんな状態が続けば世界の物笑いになってしまい、厳しい情勢の中で立ちいかなくなってしまうのではと心配する。

6月1日(火)
 今日から新しい月が始まる。昔から言う「朔日」がいい。友人たちとの例会、モーニングサービスを楽しむ集いを駅前喫茶店でする。美味しいコーヒーとトーストを口にしながら会話が弾む。何といっても我々の世代は平和で幸せに巡り合っているだろう。親の世代は悲惨な戦争に遭い大きな犠牲を払って次の時代の私たちに大きな平穏をもたらしてくれている。私たちは次世代にどんなことをもたらせるのだろうか。

5月31日(月)
 以前に買ったズボンが穿くとどうも具合が悪ので困っていた。よく散歩するところに小さな直し屋さんがあるので持っていくと安価な値段でちゃんと直していただいた。このような店はいつまでも街中に残って欲しいものだ。使い捨ての時代だからこそ物は大事に使っていきたい。夜になって講談師、旭堂南青さんの講談を聴きに千日前に行く。太平記を語ってくれた。

5月30日(日)
 枚岡駅まで近鉄に乗り驚いた。今日から奈良方面は高架になって難波方面は地面を走っている。記念すべき日となる。久方振りにくらがり峠に登った。慈光寺付近では名物のホトトギスが佳い鳴き声を聴かせてくれた。いつものように峠の茶店「末広」で休んでいると次から次と自転車で登ってくる。ここは全国でも有名なサイクル愛好家のあこがれの場所になっているとのこと。難所だが一度はトライしてみたいところだそうだ。
 くらがりの蝶たわむれる棚田かな   こぼれひの春陽やさしき神津かな

5月29日(土)
 午前中は東大阪観光協会の催しで永和・小阪方面を歩き、長栄寺で歴史の説明をする。今日の参加者は120名ほどだったが街歩きについては人気が高まっているようだ。午後から河内の郷土文化サークルセンターの会報編集会議と「あしたづ」編集会議に出席する。各編集会ではいいものを刊行したいという情熱で論議を重ねた。夜になって役員会の送別会を鉄板焼きの「よしひろ」で行う。楽しい雰囲気の中で終えた。

5月28日(金)
 自国の安全性について語らずメディアが騒ぐように基地問題だけ大きく騒いでいる感じがする。外国に危険な存在があるなら防衛問題について論議するのが自然と思う。平和が望ましいのは誰でも願うことだが残念ながら現実はそうなっていない。自分ところの府県に基地が来るのは困るが何か困ったことが起こるとすぐに中央政府に援助を求める知事の多いことよ。

5月27日(木)
 肌寒い一日だった。夜になって市民会館へ古文書の勉強に出かけた。300年前の文書に目を通すと難しいが時空を超えた面白さがある。勉強のあと居酒屋でわいわい雑談するのもさらに楽しいものだ。

5月26日(水)
 河内の郷土文化サークルセンターの新しい役員体制も決まったので事務局としてお世話になっている大阪商業大学の谷岡記念館と事務局長さんに役員一同で御挨拶に行った。昨年の創立25周年記念には多大なご支援をいただき記念事業は盛大に行うことができた。挨拶は終わった後、永和図書館へ行き郷土歴史について調べ物をする。

5月25日(火)
 市内にある古村、池島の集落を散策した。環濠集落で何かと歴史と文化のあるところだ。集落全体が歴史的なところであり異色の人物を輩出している。その割にあまり知られていないようだ。今日は蒸し暑い中自宅から歩いて行ったが帰途に激しい雨に見舞われ傘をさしていても衣服に容赦なく雨が掛かるのでひさしを借りて雨宿り。

5月24日(月)
 昨日の枚方への文化見学会は雨の中だったが、京街道筋の保存により感じのいい。身近な大阪に素晴らしい所がある。行ってないところにまだまだこのような佳い場所が見逃されているのだろう。東大阪市内に市外からの訪問者に対して誇りを持って案内できるところを増やせていけばと思う。

5月23日(日)
 今日は河内の郷土文化サークルセンターの第25回文化見学会で枚方市内の百済寺や船宿「鍵屋」などを訪れた。あいにくの雨の中であったが参加者26名は観光ボランティアの皆さんの熱心な説明に聞き入っていた。初めて訪れ学んだことが多くあったので充実した感じを持つ。
関係者の皆さんに心から感謝をしている。

5月22日(土)
 世の中は何が起こるか分からない。ギリシャでは経済危機、タイでの政治騒乱、韓国では軍艦の撃沈事件、アメリカ西海岸の沖の海底油田原油漏れ、国内では口蹄疫など書き並べても切りがないほど多い。個人でどんなに気を付けていても防ぎようがないし渦中にある人たちに心から同情する。日常生活を淡々と送れることは有難くて得難いことなのだ。

5月21日(金)
 用事があったので寝屋川沿いに歩いていると川の中に大きな鯉や亀が泳ぎ川鵜が盛んに潜って魚をあさっていた。のんびりとした風景だ。夜になって小集会が市民会館で催されたので参加した。
 寝屋川の鵜の忙しき夏きたり

5月20日(木)
 心斎橋筋を歩いていると凛々しい姿をした韓国の海軍士官らしい制服を着た一団が歩いて来た。このような若者が北朝鮮の魚雷攻撃で戦死したのかと痛ましく思っていると日本の数人の若者が“帰れ”を口から発した。一瞬ひやっとしたが何ごともなかったように通り過ぎて行った。大分以前に韓国旅行した時、”馬鹿”といわれたことをおもい出した。お互いに礼節に欠くことは見にくいからやめるべきだろう。

5月19日(水)
 先日に金剛山を登り今日になって足のふくらぎなどが痛んできた。しかし山歩きには魅力がある。標高千メートルを超える山も一歩一歩登りつめると必ず頂上に達して素晴らしい眺望を楽しめる。人生とよく似ているので疲労が積っても足をとどめることができない。
 ウグイス鳴き 山高かれば 谷深し

5月18日(火)
 夏近しか少し戸外を歩くと額に汗が噴き出すようだ。河内の郷土文化サークルセンターの文化見学会の行事が迫ってきたが今回は京街道の枚方宿の方面に出かける。恒例の催しなので多くの参加者が見込まれる。準備のため事務局の大阪商業大学へ出かける。
 町中の手すりも温き季節かな


5月17日(月)
 JCOMケーブルテレビの取材で以前に“若江の戦い”木村重成の活躍について説明のため画面に登場した。「かわちHOY情報」という番組で今日はその再放映を鑑賞したが自分が登場する場面は恥ずかしくて面映ゆい思いが先んじる。郷土の歴史を少しでも広く知ってもらったらいいとの希望で引き受けたものであった。

5月16日(日)
 前々から登ってみたかった金剛山へ行く。家から天王寺廻りは嫌なので久宝寺口駅まで歩いて安堂駅から道明寺駅を経由して富田林駅と行く。楠木正成のお城として有名な千早城を見学したのち金剛山頂上を目指した。谷は深く千尋の谷の表現がまさにふさわしいだろう。南北朝の戦いで幕府の5万人軍勢を500人の楠木軍が散々苦しめた様相が登ってみて良くわかるように思う。

5月15日(土)
 垣根が無造作に伸びてきたので植木ばさみで枝葉を刈り取る。若芽が多いので少し惜しい気がしたが風通しを良くしないと害虫がはびこっても困る。垣根も整って綺麗になったので気持ちが好い。その後、心斎橋に行き散策する。外国からの観光客が陽春の中明るい顔して戎橋辺りをひととき楽しんでいた。平和でよき風景なり。

5月14日(金)
 さわやかな季節になり戸外に出たくなる。散歩がてらにスーパーで買い物をしてレジに行こうとしたら後ろから肩を叩く者あり。振り返ってみると高校時代の同窓生だった。彼もこのスーパーへよく買い物するようでお互い笑い合う。男が食品を買いにスーパーに行くのは日常化して定着しているようだ。
 芍薬の咲くカウンターの一杯のコーヒー

5月13日(木)
 昨日は河内の郷土文化サークルセンター恒例の史跡見学会バスツアーの下見のため湯浅へ出かけた。道成寺から湯浅、広川町と土地の案内人に親切にガイドしてもらった。
今日は友人たちと小阪駅前の喫茶店で落ち合いコーヒーと会話を楽しむ。その後商大の図書館へ行く。
 息弾み 風光る中 走りゆく

5月11日(火)
 往生院民具供養館の開館20周年記念展が六万寺の往生院で開かれている。館長の川口哲秀師が長年にわたりー職人の技を写真に収め本にされており、記念展として技写真展が5月15日まで開催。今日訪れたところ目が覚めるような緑の中ウグイスも鳴き、ゆっくりと観賞できた。 その後布施駅前のモモヤ菓子舗に行き銘菓「あじろの里」を買う。ここのあるじとは中学生時代の同窓生なので気安く話を交す。「あじろの里」は、あじろ笠の形をしており土地の歴史を伝えているのがいい。味は勿論天下逸品なのでよく購入している。

5月10日(月)
 昨日と一転して天気が崩れ雨降りの一日となった。ふれあい祭りに近畿大学の留学生たちと屋台を出して盛況のうちに終えてホッとしている。今日の様に雨が降ると屋台の売れ行きが悪くなり買い込んだ材料が残ると準備してきた学生たちに落胆が残ろう。屋台のところには日頃会えない友人や知人が寄ってくれたのでいろいろ話をする機会になってよかった。

5月9日(日)
 東大阪ふれあい祭りに毎年参加している「留学生の屋台」近畿大学留学生校友会をサポートするため出かけた。五月晴れの天気で道路は大勢の人たちで一杯に溢れるようだった。各国の留学生の民族料理は昼過ぎる頃にはほとんど売り切れた。留学生たちの元気な笑顔はアジアの将来の明るさを表わしているようだ。
 若き人 坂の上行く 五月晴れ

5月8日(土)
 午前中は退職者会に出席する。定期総会が終わり懇親会が始まる。先輩方も交え懐かしい方かたとお話をする。『河内文化のおもちゃ箱』の本も何人かの人に購入してもらった。これが終わり市民会館での英会話サークルに参加する。
 OB会 おのれみつめる 五月かな

5月7日(金)
 韓国では天安艦の謎の沈没事件で大揺れに揺れている。乗艦していた46名が亡くなり沈没の原因が北朝鮮の魚雷攻撃の結果ではないかと。本当に痛ましくて悲しい出来事だ。日本のメディアはあまり報道していないが韓国の海軍は北朝鮮への警戒よりも日本に対して警戒の比重を重くしていたのでないだろうか。沈没後の救助活動の遅れの原因も追々明らかになってくるだろう。
 雨上がり街のステージに春陽射す

5月6日(木)
 定期的に会って喫茶店のモーニングサービスを楽しむ友人たちとのひとときあり。このひと月間の時の流れにも色々あった。従って話題も多くて時間がたつのも早い。帰途に家の者に頼まれた食品を途中のスーパーに立ち寄って購入して帰る。レジの人が器械に慣れてなくて数分待たされる。別に多忙の身でもないのでしばしたたずみ過ごす。
 風光る5月の街は揺ら揺らと

5月5日(水)
 所用があり桜之宮にある建物の24階で食事をする機会があった。天気も良く座っている位置から眼下を見下ろすと大川に水上バスなど鮮やかな航跡を残し行き交うていた。大阪にもこのような美しい景色を楽しめるところがある。お陰で楽しい雰囲気の中、食事と会話を楽しむことができたので感謝の一日となる。
  
5月4日(火)
 世の中は何ごとも変化していくという。若い人たちは特に元気にめでたく変わって行ってほしいものだ。私たち高齢者はそれを祝福して温かく見守っていきたいものだ。今日は天気も良くさわやかな一日になった。
 皐月咲き心穏やかに日々過ぎぬ
 
5月3日(月)
 学生時代の友人たちと会うため上本町に向かう。和歌山からも来てくれるので会って話をするのを楽しみにしていた。学校を卒業して40数年経っているので皆が人生で甘いも酸いもそれなりに味わってきた。お互いに話をしても勉強になることが多くあり。食事後は天王寺に向かって上町台地の源聖坂や大江神社など歴史史跡を歩いて巡る。天気も良く、いい汗をかいた一日であった。
 学び舎に過ごせしころをまぼろしのごと浮かべつつ友と歩みぬ

5月2日(日)
 河内木綿の種を植えるため久宝寺公園管理事務所に向かう。今日のこの日は旧暦で言うと八十八夜にあたり昔から種まきに良い日。“中環の森”に八尾のグループも河内木綿のコットンロードを広めていくとのことで協同種まきをした。久宝寺公園では、シャクヤク園がありきれいな花が咲き始めており今月の10日ごろには満開になるらしい。そのころにもう一度訪れてみたい。
 風香り家族にぎわう公園かな

5月1日(土)
 五月晴れの良い日となる。買い物があり夕方から布施に向けて歩いて行く。街中は静かで長閑で気持ちがいい。布施まで来ると店には何でも揃っていて買い物にちょうどいい。
 風光る 街暮れなずみ しずかなり 

4月30日(金)
 長瀬川沿いの歩道を北上し中央線緑橋駅まで歩き、本町駅で降りて心斎橋通りを散策して帰宅する。天気も良く長瀬川にはカルガモ親子が群れをつくって泳いでいた。微笑ましい情景が近所の人たちを和ませていた。コイも亀も泳ぎ散策の人たちの目を楽しませている。
 さかのぼる鯉よちよち泳ぐ親子鴨
 
4月29日(木)
 ギリシャはまさに財政危機に陥って来た。次はスペインだという。アメリカでは財政赤字が来年にGDP(国内総生産額)の65%になると心配している。日本の場合はすでにGDPの1.8倍だから尋常でない状態。政治家は国家のかじ取りをしっかりしてもらいたいものだ。
 連休の 風薫る候 のたりかな
 
4月28日(水)
 春には新芽が出て、人の移動やモノが動く時期だが近所でも家の新築や改築を多くなっている。したがってトラブルも増えている。市役所の所轄に相談したら法にかなっているからどうしょうもないという。投げやりな仕事だけして“月給取り”になってしまって反省がない。市民生活を守るために日夜研鑽していかないと市職員も議員も要らなくなり、いつの日か事業仕分け対象になり消えていくことになる。地域主義だといっても地域を守れない現実がなかろうか。

4月27日(火)
 最近、急速に国際化が進み、英語力を高めアジアの言語を一つマスターすることが日本の若者に求められている。日本の英語教育は学校で8年間習っていてもモノにならない。この教育の欠陥をいつまでもどうしょうもないといっていると日本の会社すら外国の若者を採用する傾向になっているという。ますます世界の動きから取り残されるという一つの身近な問題だろう。
 幕末の ドラマ栄えて 失われし 日本20年 いつ抜けるかも
 
4月26日(月)
 春には草木に芽が吹き大地は緑に覆われるが、人も会社の人事異動なり住居の移転とかで、とかく物事が動き、活動する。政治がまさにそうだが災害など天変地異は起こって欲しくないのは勿論だ。小阪の旧村を散歩していると八重桜の大柄で色鮮やかな花びらが地面のあちこちに座布団を広げたように落花していた。
 八重桜 散り花もまた 八重桜

4月25日(日)
 JR桃谷駅に集まり、まち歩きをする。空襲から逃れた街並みには歴史や文化を感じさせるものがあり赤れんがの倉庫跡などは壊されていくのが惜しい。今も住む民家に青銅張り壁があり重厚なり。玉造駅で解散となった。
 まち歩き うららうららと 春の中

4月24日(金) 
 河内の郷土文化サークルセンターの役員会に参加し、その後今年度第一回理事会に出席する。今年の事業計画や予算が決まり新しいスタートが始まった。夕方になり猪飼野へ行き、本づくりの会議に出席。今年の年末には出版できるよう熱心に会議を進められたが乗り越えなけらばならない問題あり。
 和やかに話す人にはドラマあり

。4月23日(水)
 ふれあい祭りのパンフレットが出来上がっているので実行委員会事務局へ行きもらって近畿大学の留学生センターに届ける。旅行した折のスケッチに手を加えて完成させていると当時の風景と空気がよみがえり楽しみが倍増してくる思いになる。

4月22日(火)
 お手軽な旅行ブランをネットで見つけ申込み北京に向かった。初めて見る万里の長城や紫禁城などのスケールの大きさに想像を超えたものがある。一方首都における庶民の姿を目の前にしたとき、この国の経済発展から取り残されている人々のことについて考えさせれた。
 今昔の 権力者変われど 民草は変わらず
 
4月19日(月)
 少し暖かい日となった。「河内文化のおもちゃ箱」の購入申し込みがあったので永和まで届け帰途にふれあい実行委員会事務局に寄りプログラムをもらって近畿大学留学生センターへ届ける。学生時代の友人から電話があり連休の折でも集まろうと提案あり。
 水温む 恩智川の瀬 白鷺のつばむ 姿映すや

4月18日(日)
 テレビを見ていると政治の世界も大きな変化が起こっているようだ。長年政権党は自民党の指定席だったため日本は他の国に比べて大変マンネリに陥ってしまった。寝ざめて新しい気持ちを持たないと将来に禍根を残すので大いに議論をして行動が必要だと思う。国民にモノやカネを与えるだけでなしに心に響く政治が必要だろう。
 新芽でて諸行無常世の中は

4月17日(土)
 気候の不安定が影響しているのか分からないが腕が痛くて不快になる。これは長年使用した結果の高齢化の症状の一つなのだろうか。知人が南画展を開かれたので日下リージョンセンターまで出かけた。個性的で素晴らしい画を観賞できた。帰途に長谷川青澄画伯の日本画を展示している喫茶「喜里」に寄りコーヒーを飲みながら画伯の絵を楽しむ。
 木の芽摘み手に香残りし夕餉かな

4月16日(金)
 今日は寒くて一日雨降りなり。家にいると気がふさぐように思うので散歩に出かけた。夕方から木曜会の後輩が定年退職するので会場になる布施駅近くの足代まで足を延ばす。久方振りに木曜会のメンバーが一堂に会して賑わう。後輩の二人は元気なので本当に良かった。職場を退職してもこれからの人生は長いので大いに楽しんでもらいたい。ここでも発刊した「河内文化のおもちゃ箱」を宣伝し何人かに購入してもらった。
 春雨の降るなかもよき宴かな
 

4月15日(木)
 新年度に入ると加盟している何サークルや会への会費の振り込みを済ます。振込だけだったらつながりが薄くなるので今日は会事務所を訪ねてみた。会って話をするとつながりが深まるように思い良い機会になった。水車に関する本借りて帰り早急に読んでみたいと考えている。
 一輪の牡丹花 去年より美なり
 
4月14日(水)
 寒暖の差が大きいこの頃は体がついて行くのが大変だ。春は気候が不順なので決して体にはよくないようだ。夕方から元の職場の後輩達の定年退職記念会があるのでミナミに出て心斎橋を歩いて地下鉄に乗り廻って会場へ向かう。元の職場では若手で通っていた者が還暦を迎えたわけだから感慨深いものあり。
 春秋重ね振り返れば春霞

4月13日(火)
 小説家の井上ひさしが亡くなった。偉らばれない偉い人で優しいそうな笑顔が印象的。市井の人の生活に愛情を持っておられ、それを壊す戦争を憎み、いつまでも忘れないよう文章や演劇にされていた。この前の戦争により無数の家庭が奈落の底に落されたことが忘れされようとしている今、大切な人を失ったといえよう。
 春愁や買い物使いの散歩かな
 
4月12日(月)
 雨が満開の桜にとどめさすごとく降り続ける。
 関西の発展のために三空港問題がしきりに話題になっている。関空はこのままでは立ち枯れ状態になって発展は望まれないだろう。伊丹空港が騒音問題で廃止運動が激しく起こり廃港にするという条件で関空が建設された。今では廃港が頬かぶりされ知らぬ存ぜずにうやむやになっている。これでは問題が残るだけだろう。
 桜花 散れば道路の 塵になり

4月11日(日)
 蒸し暑くなってきたなぁと思ったら夕方から雨が降り出す。食事に出かけ買い物をして帰る。“住めば都”というが生活をしている場所が各人にとって一番いいという。八戸ノ里、小阪付近は住みやすい庶民的な町だろう。夜、テレビ番組の中、日本人の年輩の職人が井戸掘りとか左官の技術をアフリカのウガンダで技術指導して喜ばれている様子が紹介されていた。
 アフリカに日本の巧み生き彼の子らのしあわせ紡ぎ夢育てし

4月10日(土)
今日は何かと重なった日となった。朝の内は英会話サークルに参加して午後から自治会の総会に出席する。夜になって千日前のトリイホールで催された旭堂南青がトリをつとめる浪速三座会を聴きに行った。落語、講談と若手のすぐれた芸を前にしてよきひとときを持つ。ありがたき春宵なり。

4月9日(金)
 貰った青春切符があったので安土城と高月へと訪れた。近江は水郷なのでフナやエビなどの川魚を使った郷土食を楽しめて良い。
 桜咲き近江の人と楽しけり

4月8日(木)
 飛騨高山や郡上八幡へのバス旅行は天候にも恵まれよかった。満開の桜見物に堪能しスケッチも重ねたので多忙だった。いい機会を逃したくなかったのでせっせと描き続けたのでいささか反省している。
 幾重のトンネル過ぎて白川郷 昔は秘境今さくら満つ

4月6日(火)
 いつもの診察を受けるため医院へ行く。待合室に高校時代の知人がいる。偶然の出会いだがお互いに年だなぁと慰め合う形となった。夕方から近畿大学の留学生センターを訪れ毎年出店している“留学生の屋台”について留学生学友会の役員たちと話し合う。アジアの若い人たちと話し合うのは元気をいただいたようで気持ち良し。
 いち早く日陰欲したる春陽かな
 春宵の一刻求めて彷徨す

4月5日(月)
 昨夜は夜中に目が覚めて仕方なくラジオの深夜便放送を聴いた。高田という作家が語っていた“鉄鋼王カーネギー”の人生を知り、彼の自伝を一度読んでみたくなった。彼が建てたカーネギーホールは有名だが全米に図書館を建てていることはあまり知られていないようだ。アメリカには多くの財界人が経済活動で利益を得ると寄付したりして社会還元している。そこが日本と違うようだ。
 夜に目覚め頭重き春暁や

4月4日(日)
 中環の森の清掃に向かう。河内木綿の種まきを控え周囲をきれいにすると、しんどいが気持ちがすごくいい。清掃を終えて途中で喫茶店に入り一息をつくとゆったりした気持ちになる。
政治家の辛抱なさが目立つ。発言を控えればいいのと困難な時こそ頑張るという良い見本が見られないのが残念に思うこと多し。
 わが町の川にも流る花筏

4月3日(土)
 河内木綿はたおり工房草香の総会に出席するため石切に向かう。はたおり工房が開かれて1年になり河内木綿の再生が行われている。種を植え綿花を採り糸を作り染めて織って、いい作品が生まれている。機織りの場所を借りて皆で努力してきた結果が生まれつつあるのがうれしいもので今日は参加者と共に喜びを分かち合った。食事を囲んだ後、日下新ヶ池周りの満開の桜を楽しむ。
 今もなお 桜楽しむ 宴盛ん

4月2日(金)
 自治会の新年度の総会を前にして書類に目を通す。自分の役割をできるだけ果たしていきたいものだと思う。午後から友人が市民美術センターのZEAL写真展に作品を出展しているので他の友人たちと鑑賞しに行った。美術センターから眺める生駒山は雄大なり。
 目の前の山笑うてのびやかに

4月1日(木)
 今日は新年度が始まる日。新聞紙上では官庁の人事異動が発表されている。退職をした今はさほど新年度を意識しなくなったが医療制度など新しい制度が始まるので影響を受ける。朝から毎月出会う友人たちと喫茶店でモーニングサービスを楽しみ、よきひとときを持つなり。ホームページ表紙に麦穂の絵を入れたが最近、“麦踏み”のことを知らない人が増えている。先日もあるところで踏まれて強くなる麦を良く人生にたとえられたものだと話をしたが若い人はどれだけ理解してくれたことやらとちょっぴり気になる。
 今日過ぎて歴史のページ重ねゆく

3月31日(水)
 最近、特に変わってきたのはネットの発達で情報を自ら広く集めることができることだろう。テレビや新聞などマスメディアに頼ることに比重が下がり、情報発信もかなり自分でITを使ってできる。午後から駅前で友人と会って談笑する。
 春が来て 会う人ごとに やさしくて

3月30日(火)
 近所にお住みの戦没遺族会の御宅を訪ねて会の連絡をする。初めてお目にかかる方だがいわゆる戦争未亡人に当たられ御高齢の人で貴重なご存在といえよう。用事を済ませて御主人はどこで亡くなれたのですかとお尋ねすると「ビルマです。いつまでたっても忘れられないですね」とおしゃった。お聞きして涙が出そうになった。さぞかしご苦労されたことだろう。関係者にとっては戦争はいつまでも忘れられないのは同じだから。

3月29日(月)
 昨日の疲れのためか昼食をとり後うたたねして起きて外に出ると、空が何とも言えないほど冴えわたってきれい。雹(ひよう)が降っていたとかで今は晴れて歩いていても気持ち良し。小阪駅前に通りかかると向こうから先輩が二人連れで歩いて来られた。悠々自適の生活をされているようでお元気そうだ。
 春空の蒼さ絵の具にない蒼さ

3月28日(日)
 稲田桃の里へウォーキングする。江戸から明治時代に有名だった稲田桃が地区で再生されており今は盛りと咲き誇っている。地区祭りも催されていたので屋台のうどんなど食べ稲田桃のジャムを試食し楽しんだ。その後、石切のホテルセイリュウで開かれた地域活性化の講演や交流会に参加する。誠に勉強になり楽しいひとときなり。
 桃源郷 うるわしきかな 楠根川

3月27日(土)
 小阪歩こう会100回記念に参加して大和高取城へ向かう。今日は高取の街では家々でお雛様を並べて観光客をもてなしていた。本当に久方ぶりに高取城蹟まで登ったが、日本三大山城といわれるだけあって立派な城跡だ。特に国見櫓跡は初めて訪れて見晴らしの良さに驚いた。夜になって自治会の役員会に出席した。
 せせらぎの早蕨さがす大和哉
 
3月26日(金)
 昨日と打って変わって快晴となる。久方振りの青空を仰ぎ見て散歩する。遠くに見える生駒山が美しく目に映る。古代から生駒山には神が宿るといわれ万葉歌にたびたび詠まれ登場するので毎日眺められる大阪人は幸せといえよう。自治会の資料作りにパソコンの前に座ること多し。
 雨上がり 笑うがごとく 生駒山 

3月25日(木)
 買い物の為にJR寺田駅前に出かけた。探していたものがぴったりとは見つけられなかったのでじっくりと腰を落ち着けてさがしたいので次回に持ち越した。帰途に永和の市民会館に寄り歴史勉強会に参加する。文章も旧文体は理解するのに時間がかかりそうだ。
 学ぶには人生短し春暮れる

3月24日(水)
 人は目の前の問題を解決せずに遠くの問題を論ずることが多い。例えば育児問題で保育所に入れない待機児童の問題が永遠のテーマみたいになっている。しかし身近な小学校や幼稚園の空き教室が沢山あるのにこれを一体化して解決しようとしない。また道路上の電柱電線の地下埋設も一向に進まない。人は目の前の問題、そして真剣になれば、たいして難しくない問題を解決しないで遠くの無駄な論議をしたくなるのだろうか。愚かなことだと思うのだがどうだろうか。
雨の日は春愁深く夜更けり

3月23日(火)
 勤務時代の同好会サークルの後輩が定年退職したので、元のメンバーと祝賀会を開いた。元気に退職したので誠に明るい雰囲気であった。場を持ったこちらが元気づけられたようになり終始笑いが絶えなかった。
 定年や退く時に春の雨

3月22日(月)
 おだやかな彼岸になる。好日のためか亡くなった人や様々に縁のある人たちのことを考えてしまう。多くの縁ある人のお陰を考えると有難さに言葉がないほどだ。日頃は傲慢にもかかわらずに。春嵐もおさまり黄砂も消えると気持ちも何となく落ち着いてうれしくなっているので余計にこのように想うのだろうか。
 今の生 多くの支え さくら咲き

3月21日(日)
 お彼岸の墓参りに出かける。天気予報では大変な雨風になるようだったが幸い晴れて良かった。戸外に出ると中国からの黄砂がひどくて視界がぼんやりとしていた。休日の彼岸なのでお墓参りの人が多かった。
 墓参り 参る人も また参られ

3月20日(土)
 河内の郷土文化サークルセンターの役員会に出席する。来月の理事会に向けて打合せをする。役員会を終えて近くの食堂で知人たちと昼食をとり談笑をする。夕方になって布施の鉄板焼き「よしひろ」で友人たちと食事をし、ここのオーナーと談笑。お互いに自己紹介し文化について意見交換をする。風の強い日なり。
 春の宵 値千金 街歩き

3月19日(金)
 中国で戦死した父をお参りするため湖南省零陵の地を訪れた私のホームページを読み、東京に居住する見知らぬ人から突然メールをいただいた。同じように父を戦争で零陵の野戦病院で亡くなっている。享年も同じで同じ通信兵だったし遺家族も同様のこと。66年前の戦争は傷跡と悲しみは未だに癒えないし深まる。これは日本だけでなくさらに深刻な被害を受けた中国のことを思わざるを得ない。

3月18日(木)
 春になると食べ物の中、野菜は苦味のあるものが多くなる。菜の花やタケノコなどがそうだが冬の間体内にため込んだ毒素を苦味が排出してくれるという。適度な苦みは、ほろ苦く口に含むと美味しいものだ。今日も買い物に行って苦味のあるものを購入した。
 買い物で仕分けスバヤク袋入れ 

3月17日(水)
 知人から依頼を受けてケーブルテレビ取材で大坂夏の陣『若江の戦い』を現地へ行き説明をする。短い時間で手短に話をするのは難しいものだ。幸い天気も良くバックに映る生駒山が雄大に現われていた。取材も終わり知人と休憩をとり談笑する。
 つわものを語り見渡す春野かな

3月16日(火)
 駅前を散歩していたら突然声をかけられた。勤めていた時の上司だったが長い間お会いしていなかったので見過ごすところだった。お元気そうで地域の世話をされておりご多忙のようだ。今日は久しぶりに喫茶店のカウンターに活けている花をスクラップ帳に描いてみた。
 人と逢う 街角の路 春日中

3月15日(月)
 八戸ノ里公園にある戦没者慰霊塔周辺の清掃に出かける。”戦争遺児”といわれる人たちは自分も含めて高齢者になっている。腰が曲がった人や高齢のため弱った人たちが遠い所から清掃に参加されている。集めたごみや空き缶はビニール袋にすぐにいっぱいになった。
 老いるほど 異国に死せし 父近し

3月14日(日)
 生駒山系歴文化フォーラムが大阪市内のクレオで開かれたので参加する。テーマは暗奈良街道で興味深いものだった。会場にI教授をお見受けしたので挨拶をする。近いうちに一度ゆっくりとお話を伺いとお願いしたところ良いお返事をいただいた。河内木綿コットンクラブは会場で製品販売や実演をしていたので河内木綿でできたコースターを購入した。
布施高校菜の花ロードにて
 子らが花 咲かし道なか 匂い満つ

3月13日(土)
 知人とJR桃谷駅で落ち合い生野コリアタウンを歩き、猪飼野の本づくりの会議に参加する。在日の人たちも加わっているので多彩なのがいいみたいだ。会議のあとの交流会は話題に事欠かなく楽しめた。
春近く人身事故ます鉄路にて

3月12日(金)
 海外の新聞が日本の国家財政の危なさを報じたかと思うと朝日新聞が一面に財政危機について大きく問題にして掲載した。戦後の切迫した財政を必死に乗り切ってきたことを振り返り肝に銘じて頑張らないと大変なことになる。午後から第33回東大阪市民ふれあい祭りの出店説明会と許可証交付に参加した。朝日新聞夕刊に『河内文化のおもちゃ箱』をカラー入りで取り上げていただいてよかった。
 菜の花の 風下に立ち しばし待ち

3月11日(木)
 胚芽米を買うため少し足を延ばしてスーパー丸中へ行く。途中に喫茶店に入り新聞を読み店内をスケッチする。今日は天気も良く長閑な雰囲気が店内に漂っている。この感じを絵の中に出せればいいが。スーパーでは米以外にも少し野菜を買って近所近くまで来ると路上の脇でいつものおっちゃんが野菜や果物を売っているのを見る。ここで買うとおっちゃんがいつものように、ニコッと喜ぶのになぁと思ったが既に遅きなり。
 お水取り 事くりかえし 1300年

3月10日(水)
 ひどい雨が降ってきたので午後に予定していた所用が延期になった。夕方から雨が収まり医院へて行き診察を受けに駅前まで行く。診察後に駅前の食堂に久し振りに入った。この辺りでは老舗のひとつだがオヤジさんは歳をとっておられた。こちらも老けてきたので当然だが年月の積み重ねをいやおうなく感じさせられる瞬間だ。
 暮らしいく歳月かさね春寒し

3月9日(火)
 春がそこまで来ているのに今日は一転して厳しい風雨の日になった。寒暖をはげしく繰り返す天候で体調を崩す人が多いだろう。それでも散歩に出たくなって傘をさして戸外に出る。海外の新聞を呼んでいるとギリシャの経済危機の次は英国と日本だという指摘もある。これだけ国家の負債が増えると安穏としておられない。日本は公的医療保険が整い、いい国だと思うがあまり自覚しない人が多すぎるように思うがどうなんだろう。
 春まじか 風雨きびしく 道行くや
 
3月8日(月)
 所用があり布施から天満橋まで歩く。天気も良くて歩いていると気持ちがいい。途中には商店街や歴史的な文化財がある。そのたびに立ち止まって店に入ったり文化財に見入ってみるのもいい。
 街歩き 汗ばんでくる 余寒かな

3月7日(日)
 四条リージョンセンターで開催中の“健康祭り”に行ったあと、まち・むら文化研で追分の梅林を観賞するため富雄駅に降りる。あいにくの雨だったが初めて見る追分の梅林は雨にけぶり幻想的だった。それから暗がり峠付近の小屋で炉に薪をくべながら昼食とする。都会では味わえない趣があり面白いものなり。帰途に永和で開催中の文化芸術祭に寄り作品を観賞する。
 追分の梅谷間に雨けぶり
 腰かがみ菜の花嗅ぎて雨しきり
 
3月6日(土)
 英会話の日なので永和に向かう。今日は市民会館が空いてないので会場はいつもと違う総合福祉会館へ行く。トピックスにはオリンピックとか口にすることが多くあった。英語の進歩は遅く英語の単語は忘れてばかりだが学ぶ気持ちは持ち続けたいと思う。
 しらむ街 春はまだかと 駆け抜ける

3月5日(金)
 昨日は天王寺の大江神社に差し掛かったとき、脇道を避けて神社内の石段をわざわざ降りて行った。歴史ある石段の情緒を味わいながら降りていると雨に濡れた石のため滑ってこけてしまった。とっさに手をついたので左手を石面にしたたか打ち付け骨折したかと心配したが腫れただけで済んだようだ。思わぬところに災難があるものだと思う。
 
3月4日(木)
 歩数計を購入したので今日は歩いてみることにした。駅の数にしたら6駅ぐらいは歩いただろう。歩数計には21000歩がカウントされ距離にすると10qを超えていた。上本町の細工谷を歩いていると空襲を免れた戦前からの下町が残って風情があっていい。
 石垣や家を支えて幾春秋 

3月3日(水)
 郷土の歴史を調べていると新しいことが分かってくる。いかに知らないことが多いのかを気付かされる思いがする。夕方に小阪駅前で知人と落ち合って近々にケーブルテレビで説明する事項について打ち合わせをする。夜になって冬に戻ったような寒さになる。
 寒温を繰り返しては春迎う

3月2日(火)
 昨日に引き続いて講談の旭堂南青さんについて書いてみたい。27日の講談のあと文化サークルセンターの交流会に参加してくれた。その会場へトランクを引っ張ってきたので持ってみるとずっしりと重い。何がはいってるんですかと聞くと「本です」と。講談の新作を生み出すのに勉強している。 彼は30歳なったばかりの新進気鋭の講談師なので将来が楽しみだ。
 若さとは他に替えがたし早桜
 
3月1日(月)
 友人たちと定例のミーティングを喫茶店でする。たわいないことで談笑するひとときは為にならないようで為になる。一昨日熱演してくれた講談の旭堂南青さんは大学卒業と同時にプロになることを思い立ち父に相談すると父は「もうからないことをせよ」と言ったという。ひとつのことに集中することで末は必ず大成すると。この言葉まことによし。
 人生は 短し芸は 那智の滝

2月28日(日)
 親戚の法事に参列するため奈良の八木まで行った。奈良は山並みから吹き下ろす風のためか大阪より少し寒いようだ。韓国の新聞を読んでいると冬季オリンピックのフィギアスケートで安藤美姫が3位に入らなかったのはアジア人にメダルを占められたくなかったからだとネットでは多くの意見があったという。このことはにわかには信じがたいようだが・・・。

2月27日(土)
 河内の郷土文化サークルセンターの第29回文化講演会を大阪商業大学の蒼天ホールが行った。講談と文化講演だったが沢山の人に来ていただいたので良かった。旭堂南青さんの芸の力で「若江の戦い」を演じていただいてよかった。御来場の皆様に感謝を申し上げたい。
 いにしえに起こりしことに思いはせ今もなおまたくりかえすかな

2月26日(金)
 昨日はやけに暖かいと思ったら今日は雨が降り出した。テレビでフィギヤスケートを見ていたが残念ながら真央チャンは銀メダルに終わった。キム・ヨナ嬢の演技は群を抜いていた。文句なしの金メダルだ。午後から河内の郷土文化サークルセンターへ行き明日の講演会の準備をする。
 沢庵の いまだ美味しき 二月かな

2月25日(木)
 税金の申告をパソコンを使ってE−Taxでする。去年にパソコンを買い替えたので手間がかかった。夜になって歴史の勉強会に参加するため市民会館へ行く。4月か5月のような陽気で歩いていると体は汗に覆われるようだった。
 春愁い 何となくして 日を送り


2月24日(水)
 天気も良いので小阪まで歩いたら、もっと歩きたくなり長瀬川沿いに放出まで行く。古堤街道や中高野街道を歩く。風情ある民家が残り見物しながら歩くと気持ちがいい。旧大和川時代には寝屋川や河川の悪水をここで溜めこんだので放水した。これで放出といわれるようになったのが歩いていると実感する。
 いにしえに渡し船あり春日和

2月23日(火)
 歩数計を購入すると歩きたくなる。買い物兼ねて街を歩いたがやっと一万歩を超える数字が出て納得する。小阪駅前の栗林書房で雑誌を買って帰る道、少し広くなった道路の一部が公園になっておりそこに近所の人が熱心に菜の花に水やりをされていたので声をかけた。戦時中に爆撃による類焼を防ぐため住宅を強制撤去された疎開道路の跡だといわれた。やはりあちこちに戦争遺跡が残っているようだ。
 近頃興ざめするものあり 冬の風鈴の音と昼に聞こえてくるカラオケの歌 

2月22日(月)
 日本橋へ向いて歩く。天気もさほど寒くなかったので歩いているうちに汗ばんできた。天王寺の西側から通天閣の方面を通り日本橋の電化店で万歩計を購入。カロリー消費量とか多機能になっているが使いこなせるかはわからない。
 労働者の 街もさびしき 早春かな 

2月21日(日)
 小阪駅まで散歩に出かけいつもの喫茶店に入る。2,3紙の新聞に目を通す。新聞により主張する所が違うから面白いが偏っているところも多いにあるようだ。店内は日曜日のせいか常よりガラーンとした感じだ。帰途に布施高校横を通ると司馬遼太郎さんの「菜の花忌」を偲び菜の花がずら―と並んでいる。
 菜花道 袖に染まりし 黄色かな

2月20日(土)
 夕方から小阪駅前に食事に出かけた。ここには昭和初期に帝国キネマ映画の小阪撮影所があり名画『籠の鳥』が生まれた。主題歌も全国にヒットした。このような文化の香気をかぎながら食事をすると味がさらに増す気がしてきた。
 土地魂 名画生まれし 春近き

2月19日(金)
 市職員と市民の協働講座があるというので久し振りに市役所に行く。講師は杉並区地域大学学長の松田輝雄氏だった。市職員の研修に市民が参加する形式はユニークだ。帰途に御厨を通っているとガレージ工場で油にまみれて働いている人が見えた。
 わが街は ガレージ工場多し 春の宵 

2月18日(木)
 文化誌『あしたづ』刊行を控えて業者と調整する。期日があるだけにゆっくりとしておられない。今日は外出しても穏やかな天候で気持ちがよい。小阪駅前の栗林書房で沖縄関係の本を購入したがその際書店の方に『河内文化のおもちゃ箱』の売れ行き状況を尋ねるとよく売れているらしい。店頭に置いていたのは売り切れたので今取り寄せているとのことだった。
 粕汁にひと息ついて梅の花  

2月17日(水)
 月末に控えている大坂夏ノ陣講演の資料を充実させるため写真を撮りに出かけたところ携帯に電話がかかってきた。急いで写真を撮り文化サークルセンターへ行き打合せを行った。ことを運ぶのにすんなりと進んでくれないものだ。
 つわものの墓に合掌す春野かな

2月16日(火)
 税金の申告時期が来たのでパソコンでできるよう準備にかかろうと思う。昨年は何とかE−TAXで申告できたのにその後パソコンの調子が悪くなり買い替えた。面倒にもカードリーダのインストールを再度しなくてはならないらしい。永和の税務署に寄り教えてもらってから買い物のため心斎橋へ出かける。東アジアは旧正月時期なので休暇を利用した中国や韓国からの観光客多し。
 アジアから お客多し 春祝う

2月15日(月)
 昨夜の東アジア戦のサッカー日韓試合をテレビで見てて、ふがいない日本チームのプレイぶりにがっくりする。今後は岡田監督の責任問題が出てこよう。あまり大口をたたかないでほしいものだ。政治家の口も軽くなっているがここでも国民への影響を充分に考慮してから発言すべきだろう。
 幼きの 寒鮒の味 懐かしく

2月14日(日)
 アフガニスタン家庭料理教室が若江岩田の希来里であったので出かけた。政情不安定で身に危険が迫った国から逃れてきたアフガニスタン人一家が作る家庭料理を参加者が学びながら出来上がったカレー料理やデザートが食卓に並べられた。この間にアフガンの子どもたちと会話してアフガンのことを教えてもらう。楽しい雰囲気のうちに料理を味わった。
 アフガンの米やさしくて冬おわり

2月13日(土)
 打合せのため河内の郷土文化サークルセンターへ出かける。午後から市民会館へ行き英会話サークルに参加する。終って小阪を歩いていると評判のケーキ屋さんが時間遅くなっているのに営業しているので寄って買って帰る。明日はバレンタイデ―なので営業時間を延ばしていたのだと後で気が付く。
 ケーキ店 春宵の街に 灯をともし

2月12日(金)
 医院へ行き定期診察を受ける。日頃から不摂生しているためかあまり健康的でない体型になっている。昨日に続き米国の新聞を読んでいると中国人の食生活に関する記事があった。中国では健康のために犬の肉を食べる人が多いとのことだが米国人は食に対して偏見を持ってはいけないと諭していた。米国人は牛肉を好んで食べる。私も日本橋の中国専門店で犬の冷凍肉や缶詰が売られているのを見て驚いたが、この肉は人間の体を温めるといわれ古来から食べられている、。日本の捕鯨漁船への外国人の非難も偏見でなければよいがと思う・


2月11日(木)
 雨も降りだすとよく降るものだ。昨日と違って冷たい雨だ。これといったこともせずに時間を過ごし午後になって散歩するが寒くて雨が降っているとなると道行く人も少なく寂しい思いがする。米国の新聞を読んでいると貧しくて十分な食料を買えない若者が急に増えているとのこと。救援のボランティアが支えているが、そのボランティアも貧困化している。
 夜明け前 一番暗し 春待ちて

2月10日(水)
 文化関係の理事会や講演会に向けて調べ物をしたり資料を作成する。サークルセンター加盟している宮本順三記念館について朝日新聞が大きく取り上げたので関係者に新聞記事を送付する。午後になり駅前まで散歩をして帰途に買い物をする。
 サラリーマン 川柳つくっては ホッとして 

2月9日(火)
 寒さが急に緩み3月の温度になる。月末に開催される講談会のチラシを持って近くの公共施設や若江公民館を訪れる。若江を歩いていると知人と路上で会ったので村の歴史などお聞きする。話していると次から次と尋ねたいことがわき起こり長い立ち話となった。
 千年の 歴史大河の 春しずく

2月8日(月)
 味噌作りのため煮出た豆をすり鉢に入れて擦りこぎでごしごしとつぶす。袋に仕込み醸されるのを待つことにする。手づくりは日数をかけて自然の懐に包まれて仕上がるのを楽しめるからいい。東大阪市が募集している『郷土の人々百人』に応募するため調べ物をして資料を作成する。
 春の日も 特養施設は  静かなり

2月7日(日)
 今年の味噌造りは少し仕込みが遅くなったが昨日石切参道で買った麹でしようと思う。去年はこれが手に入らなかったので近くのスーパーで買った乾燥麹を使用したが、今年の出来上がりが楽しみなり。午後になり散歩を兼ねて近くのスーパーへ行き買い物をする。ウォーキングシューズを購入しょうと思って売場へ行くと売場は縮少され気に入った靴がない。改めて大阪市内へ行った折にでもさがそう。
 厳寒は 漬物味噌に よか季節

2月6日(土)
 厳しい寒さが続くが家のぬか漬けは極めて美味しい沢庵を提供してくれている。今日は午後から暗峠にのぼる。冷たい風が吹いていたが登って行くうちに体内から汗が出てくるのでシャツ一枚の薄着にした。峠に到着すると久し振りに茶店が開いていたのでここで珈琲を飲みながら一服する。帰途は来た道をそのまま下り石切参道に寄りアンテナショップ“まいど東大阪”で土産を買い、そして味噌造りの麹を購入する。
 街中の 春陽まぶしき 散歩かな

2月5日(金)
 朝、起床してパソコンにスイッチを入れると画面が現れない。今日の午後には会議があり資料作成があるのにパソコンを使えなくては大変。メーカーに問い合わせして回復してホッとする。午後から「あしたづ」12号の編集委員会へ出席する。これで予定の今月末には発行できそうだ。
 雪降るか ごとくの寒さ 春前に

2月4日(木)
 講談『若江の戦い』開催のチラシを持って若江に居住する知人宅へ行き配布する。地元の歴史にかかわることなので多くの人が講談を聴きに来られることを望んでいる。
理容室に行き頭を刈ってもらっているとき店の人から朝青龍が引退することを知らされた。これまで何回も彼は不祥事を起こしているが、今回の暴力事件は許されないと思っていた。
夜になって街道クラブの新年会に出席するため鶴橋に向かうが布施駅で下車し2駅歩く。
 街歩き 喫茶店にしたい 美容サロン 多し洒落た 店あちこちに

2月3日(水)
 大相撲の朝青龍の乱暴ぶりには、ほとほと嫌気さしている。また対応すべき相撲協会もいつものように緩みきっているので嫌気がさらに増してくる。次の場所は大阪場所らしいがテレビ中継を見るのを止そうかと思うほどだ。日本人力士の中で強いのが出てきて乱暴者を土俵の上でぶち投げてほしいと願望する。
 豆まいて  寒夜に走り 鬼逃げる 

2月2日(火)
 東大阪市民ふれあい祭りへ近畿大学留学生とまち・むら文化が屋台を出すための申請手続きをすすめている。今年で屋台を始めて30年になるだろう。何事も振り返ればあっという間に歳月は過ぎ去っていくものだ。夕方から高校時代の友人たちと会って談笑する。1年ぶりに会うので話題が多くて時間が過ぎるのが早く感じる。
 梅咲きて 今日も生かされ 暮れゆきし

2月1日(月)
 朝は定期的に会っている友人たちと駅前の喫茶店でモーニングサービスを楽しむ。互いに健康談議に花咲かすが年を経るほど真剣味が増してくる。東大阪市役所ホームページの掲示板に河内の郷土文化サークルセンターの催し、講談「若江の戦い」を掲載する。できるだけ多くの人に当日はお越しいただければ有難い。
 春近し 寒さは増して 緩むかな

1月31日(日)
 朝から雨が降る。止みそうもない雨が終日続く。結局散歩もできなくて家でゆっくりと過ごす。
夜間での睡眠がよく取れないので昼間にテレビを見てはうつらうつらする。昨夜の戦没者遺族会の会議でのことが頭によぎる。東大阪市の中でも一番立派だといわれている”若江忠霊塔”が建立以来60数年経て傷んできている。戦没者遺児数が減り人々の関心も薄くなっているという。いまや戦争遺跡になっているのに公のかかわりも少なすぎるように思う。国のため郷土のため家族のために亡くなった戦死者に対して歴史事実を忘却の中に葬っては余りにも悲しいことになる。
 国のため 亡き人の塔を 若き人 意味知らずして 過ぎ往く世なり

1月30日(土)
 小阪歩こう会に参加して大山崎の天王山に登り、サントリー見学に行きウイスキーの試飲を楽しんだ。明智光秀が織田信長を襲い、光秀も天王山の戦いで秀吉に負けた。三日天下に終わることになる。頂上から見下ろすと山城国、摂津国、河内国が見えまさしく要所だったのがよくわかった。夜になって若江の戦没者遺族会に出席するが参加者まことに少なし。
  天王山 つわものどもの 声きこゆ 風音葉ずれの  騒ぎたるかな

1月29日(金)
 第33回ふれあい祭りの参加申請書を受け取りに出かけた。もうこのふれあい祭りにかかわって30年になると思うと感慨深いものあり。『河内文化のおもちゃ箱』の本を石切参道にあるアンテナショップに置いてもらうため担当の方と調整する。街の活性化につながっていけばよい。午後から府立中央図書館で開かれている角谷征一さんの工芸展に出かけ角谷さんと挨拶を交わす。
  春近し 喫茶店から まちうらら

1月28日(木)
 友人に誘われて“ミステリーツアー”に参加した。バスで行くのだが行き先が分らないままカニ料理が出ることしか知らされてない企画ツアー。参加費は結構安かったのでバスは定員いっぱいだった。結局着いた所は越前の芦原温泉で越前カニが食前に出された。
バス中で見た伊吹山や白山の山頂に雪をすっぽりかぶり美しい姿にうっとりとした。
 
1月26日(火)
 前回歩いた古堤街道を遅ればせながらホームページに掲載した。写真など資料を掲載していると昨年末歩いた記憶がよみがえり楽しいものがある。午後から買い物で最寄りのスーパーマーケットへ病院前を通って行く。木枯らしの中でも街中は一日一日春めくなり。
 木枯らしに 病院前の人 タバコ吸い 点滴しつつ 欲たちがたし

1月25日(月)
 昨日大坂夏の陣「若江堤」の資料を若江の知人にお渡ししたところ、知人は拙宅を訪れ村の歴史を何かと教えていただいた。お聞きした歴史を何とか何処かに書き留めておきたいものだと考えている。こうして先輩の方から御教示いただけるのは有難いことだ。
 探梅や 地の昔知る うれしさよ 

1月24日(日)
 地元自治会の役員新年会に出席する。いつものことながら女性の参加のほうが多い。高齢にもかかわらずお元気で愉快な方が多く楽しい雰囲気を醸していただいている。帰途に喫茶店に寄りコーヒーを飲んで一服する。この辺りに二子部屋が稽古部屋を持っていたので当時の貴乃花がよく自転車を乗っていたのを見かけたなという話が客の間に出ていた。
 おだやかに たおやかにして 春兆し

1月23日(土)
 朝から文化サークルセンターの役員会に出席し、午後から城東サロンに参加する。その間に
『河内文化のおもちゃ箱』の取材を役員で受けた。後日に活字になって多くの方の目に留まるよう期待をしている。地域の文化を多くの人たちに知ってもらい広まることを願っている。
 街の暮れ 少しづつかは 日長かな

1月22日(金)
 久方振りに行ったら喫茶店の人がプールで運動中に何回か倒れそうになったという。日頃の疲れ過ぎが響いているのだろうと客から心配されている。いい年になってくると大方の人はギリギリのところで生きているのかもしれない。傍から見ていると余裕がありそうに見えても内実は違い分からないものかも知れない。自分も多分そうだろう。
 寒風に 清みそびえるや 生駒山

1月21日(木)
 先日ふと入った古書店で買った司馬遼太郎著『アメリカ素描』に読み入っている。6年ほど前に行ったカリフォニアを思い出しては著者の分析にしきりに感心する。やはり司馬遼太郎の博学と深い洞察力に感銘する。夕方になり友人たちと会って新年会を催す。
 手術経て 友元気なり 寒の入り

1月20日(水)
 心斎橋をぶらつくため難波に出かけた。少し厚着して行ったが春のような天候で歩いていると汗ばんでくる。戎橋の上で物売りなどパーフォーマンスをしていたが1か月前に見たカップルがからくりの人形をトリックで売るため客を相手に巧妙に品物を売っていた。いつもはいる千日前のうどん屋さんに入って食事していると一団の中国人が入ってきて日本語がわからないので他の客が食べているものを指して注文した。上海へ行った時を思い出したが言葉がわからないまま注文するときはこうなるなと思う。楽しい当時の記憶がよみがえった。

1月19日(火)
 テレビやメディアを通じてみるハイチ大地震の被害状況には凄まじいものがある。アメリカはさすがに航空母艦を派遣したり支援人数、金額は飛びぬけて多い。中国も負けまいと力強い援助に乗り出している。日本政府はどうかなと思っているがハイチの人たちのために個人でもできることで少しでも支援したいと思い、郵便局の窓口に行った。小額でも多数の人が援助に乗り出したら大きな力になるだろう。
 ハイチの児 真っ赤に血染まる 顔伏せず

1月18日(月)
 寒さはやや緩む。午前中は友人と会ってモーニングサービスを楽しむ。
午後になって来月の講演会に向けて近江堂に居住の知人と会い、出演等依頼し了承を得る。近江堂の旧村を歩き江戸時代の雰囲気を残す古村に魅力を感じた。長瀬駅周辺は大学生が多くて街に活気あり。
 神社に 力石あり 寒緩む

1月17日(日)
 風邪気味で体調がよくないので今日一日中、家の中にこもるように過ごした。来月末に予定される文化講演会に向け資料作りを進める。部屋の中にいても寒さがこたえる。しかし、この厳寒は大根など漬物にするのにはもってこいだ。ベランダに干している大根はいい具合に干せたので糠漬けした。数日して漬かると店頭に並んでいるものに、味は決してひけ取らないと“手前味噌”
ならぬ“おらが漬物”だろう。
 厳冬も 自然の恵み 味が増し

1月16日(土)
 河内の郷土文化サークルセンターの役員会出席のため小阪へ向かう。今日は大学入試の共通一次試験のため大学の会議室は使用できないので駅前の喫茶店で行った。会議後は猪飼野の人と会って本の出版のことを打合せをする。自分としてどう協力できるかを考えていきたいものだ。50年前近い自分を振り返ると、受験生が元気に実力が十分に発揮できたことを願っている。

1月15日(金)
 ノートパソコンを持って近くの喫茶店で先日歩いた古堤街道の記録整理をしていたのに一瞬のキーボードの操作で消えてしまった。本当に悔しい思いがした。紙と鉛筆で書くほうがいいのかなと思わなくもないが、一度手にした利便性は放しがたいものがある。
帰路に以前近所だった人とばたっとお会いし、村の歴史を尋ねるため喫茶店に入りお話を伺った。
 古里を もっと知りたし 春近し

1月14日(木)
 ハイチに大地震が襲い、被害者数や被害状況も正確に把握できない混乱状態だ。何しろ司令塔の大統領官邸が崩壊してしまった。CNNを見ていると街に死体が転がっている状態だ。気の毒で見てられないので何回か画面を消した。
 小寒は 内臓まで届き 冷え冷えと

1月13日(水)
 テレビや新聞を見ても経済問題であろうが他のことでも本当のことを余り指摘しない苛立ちを感じるときがある。久し振りにニューヨークタイムズをインターネットで少し無理して読んでみた。やはり日頃考えていたことをズバリ指摘していた。中国は自国の通貨の元を低く抑えて貿易しやすくして他国の経済に悪影響を与えていると。このように極端でなくても通貨操作をして保護貿易政
策をとっている国もあり、暗い過去をよみがえらせている。
 強き者 先逝し世の 蓑虫や

1月12日(火)
 昨夜は何度も夜中に目が覚め、その都度ラジオの深夜放送を聴いた。五木寛之の語る戦後の歌謡曲について心地よく頭の中に流れていた。当時は経済的には貧しい社会だったので歌謡曲を聴いたり口ずさんで心は癒された。今、流行っている歌に後世で語り継がれていくものは何曲残るだろうか。
 木枯らしの 雨中の道に 人まばら

1月11日(月)
 友人たちと駅前の喫茶店のモーニングコーヒーを楽しむ。1か月に一回ほど会う訳だが話題は多くて楽しいものだ。昨日は薄着で外出したためか風邪をひいたようだ。午後は家でゆっくりと過ごす。財務大臣の通貨価値への言及が問題になっているようだ。近隣国では実質的に通貨操作をしている様相がなくはない。この辺りに微妙なものがあるのだろう。
 鏡餅 下ろして寒し 日は新た


1月10日(日)
 学校時代の友人たちの新年会に出席する。セーターにマフラーだけの軽装で外出したので少し寒かった。今日のメンバーでは自治会の行事や高齢の親の介護のために時間が十分に取れない中やりくりして参加するものもあり。会場の上本町は難波から歌舞伎座が移転するが完成したら街はもっと賑やかになるだろう。
 
1月9日(土)
 午後になって英会話サークルに出席するため市民会館へ向かう。英会話を終えて新年会を持つことになりサークルの人たちと今宮戎っさんにお参りして食事を囲む。新世界と天王寺を廻り結構歩いて疲れる。
 宵戎 福娘らは 輝きて

1月8日(金)
 住んでいる東部には生駒山がいつもそびえている。当たり前の風景になっているが守っても
らっているようで有難い存在だと言える。私たちの先祖もそうであったようにこれからもずーと続
いていくものだろう。 万葉集には“難波門を 漕ぎ出でみれば 神すさぶ 生駒の峰に 雲棚引きぬ”と詠い、芭蕉は“麦刈れば 三尺高し 生駒山”と吟じている。

1月7日(木)
 今日は七草がゆの朝食を取る。ほどよい塩味があり美味しくいただいた。近くの司馬遼太郎記念館へ大阪府橋下知事が開催中の「坂の上の雲」特別展を見学に訪問する。小阪周辺はマスコミの取材が何かにつけて増えているようだが関心を持たれることはいいことだ。国政では何かと大揺れの様だが世の中が変わるときは波風が立ってしかりべきだろう。変化があって落ち着いていくのだろう。
 冬空に くらがり何処かと 眼で探り

1月6日(木)
 天気もいいし長瀬川沿いにJR京橋駅まで歩く。途中の新喜多では農業をされている人をつか
まえて土地の歴史を尋ねた。子どもの頃は長瀬川に舟が行き来し、青物も朝4時に出発しリヤカーに乗せて天満の市場まで運んでいたとか興味深い話が次から次と出てくる。時間を取ってお聞きしたいがこれでは目的地の京橋に行けないので切り上げた。目的地に着いたころには日が暮れ出していた。

1月5日(水)
 カナダに行っている知人が一時帰国したので会って話をする。向こうではいろんな国からさまざまな人種が生活しているとのことで大変多様性があり、勉強にもなるし苦労もあるとのこと。知人は思い切った行動家だと思う。カナダも不況で高い失業率が問題になっているようだ。
 燗酒や からだほんわか 寒の入り

1月4日(火)
 河内の郷土文化サークルの人から電話があり、午後に駅前で会うことにした。控えている行事の件だったので少し話しあう。今日からは街もほぼ平常通りの様相を見せていた。
 正月明け テレビの人も 丸顔に

1月3日(月)
 昨日、京都へ初もうでした折、四条河原通りを歩いているとジュンク堂書店の前に通りかかった。つい中に入り書棚を見て関係した『河内文化のおもちゃ箱』を置いているか気になったが置いてない。店員に聞いてみると売れてしまい他の支店も売れて今はないと言われた。京都の本屋でも売れているようなのでうれしくなった。新聞の新年の社説は毎年気になるが韓国の新聞の社説にも目を通すと今後の東アジアの協調を説いていた。昨夜はテレビ「日本と朝鮮半島2000年史」を見て深夜になった。今夜も続きを見なくてはと思う。
 食べ過ぎて けれど飽きない 雑煮かな
 
1月2日(日)
 「あしたづ」の原稿、漫才の祖玉子屋円辰について校正して事務局へ郵送した。朝は氏神の若江鏡神社に初詣をして京都に向かう。出かけに見たNHKの東山の別宅群に関する番組を思い出して実際に東山を見たとき甦るものがある。東山別宅群の中でもとりわけ有名な碧雲荘の持ち主、野村金融財閥の創立者野村徳七氏が八尾久宝寺の出身だったと知ったとき、より身近に感じるものがある。
 急ぐでも ゆっくりでもなし 初参り

1月1日元旦
 昨夜は新年の祝いをしたのでいつもより遅い起床となった。早速届いている年賀状を読む。出していない方からの年賀状にはすぐに年賀状を用意し投函した。テレビ番組はお笑いが多いので見ていてもすぐ厭きて散歩に出かけた。元旦の街は店も閉まっており閑かなり。
 誰にせよ 初の正月 やってくる






2011年1月1日