河内郷土料理復活プロジェクト

1.河内鴨 
2.河内ぶな 
3.河内の押し寿司 
4.河内のジャコ豆 


  1.河内鴨の刺身

 豊臣秀吉が大阪城のあるじとなり天下を治めた。秀吉がはじめて城主となった近江・長浜城の琵琶湖の鴨の味の美味しさを大阪でも味わうため河内鴨を育てさせた。
それ以来400年を超える伝統の河内鴨・出世鴨を食するため大阪市中央区の「どら鴨」を訪ねた。 
  河内鴨の鍋

 コリコリした肉の食感が何ともいえない味が口中で醸す。鴨の味をたっぷりとしみ込ませている野菜や豆腐などが、後で鍋に入れる細見のうどんと一緒にのど奥に気持ちよく落ちていく。 
   道頓堀の今井本店
河内鴨のハリハリ鍋
 

 .2.河内ぶな

 沼や河川の多い河内平野には鮒、鯉、鯰、もろこ等多くの魚が人々の食膳に上がっていた歴史がある。なかでも河内鮒は美味で肉部分が多いのが特長であり現在は瓢箪山など井戸から汲みあげた真水による養魚が出荷され特産になっている。もともとは巨椋池や淀川の親鮒を明治時期に研究し改良し中河内の山裾の養魚池で特産品として扱われてきたらしい。従来の鮒に比べて背びれと腹辺りは広がり身の部分が多い。この珍味といえるものが暗越奈良街道に交差する放出街道(ブランド-リ布施)を少し南に歩くと居酒屋「淡路屋」では生け簀の河内鮒の洗いを食べられる。淡水魚のもつ臭みはないので酢味噌で食べると鯉の洗いより美味しいといわれる淡白な味わいに舌づつみを打つだろう。

 
 


3.河内の押し寿司

生ものが手に入りにくかった昔、河内ではカツオの身を蒸した、半乾きの生節を使った押し寿司をつくりをよく楽しみました。“春ごと”や祭りの際の“ハレの食べ物”で当時はたいそうなご馳走でした。生節を甘く煮て、その身をほぐし、すし飯の上にのせ型に入れ押す。村や家によってはその上に片栗粉や葛を生節の煮汁にとろみとつけたものを刷毛で塗り、ばらんをしいたお皿に盛ります。押し型は箱型や松竹梅などを用いる。食材料 生節(トンボ節)米,酢,,日本酒,濃い口醤油,本味りん,砂糖

 ”河内のジャコ豆”に引き続き郷土料理に取り組むため、河内の郷土文化サークルセンターの第20回「城東サロン」において”河内の押し寿司”教室を1月20日、若江岩田駅前リージョンセンターの調理室で開催しました。
 当日は30人の参加者があり、試食交流会も入れて、講師を「河内表装美術クラブ」の岩崎さん(中央の黒の割烹姿)にお願いして、皆様のご協力のもとに進めることができました。
炊き立てのご飯を熱いうちに、寿司飯作りをする。

ご飯に酢、酒、塩、砂糖を適当に混ぜている。
寿司飯の上にのせる生節を煮ているところ。生節に砂糖、味りん、タマリ醤油、濃口醤油、酒、水を入れ焦げ付かないように、とろ火で味が生節にしみこむように時間をかけてよく混ぜる。
ほとんど煮汁もなくなるぐらいとろ火にかけていくと美味しい生節が出来上がる。
 生節を煮詰めるとソフトボールより多きめの玉状態にして、煮汁を適当に切る。残った煮汁に片栗を混ぜて押し寿司の上に塗ると美味しい味にもなるが、村や家によって異なる。
寿司飯を押し形枠に、適当な強さで押し込む。
寿司飯に生節を乗せ、押し型枠に入れて、ぐいと押し込む。
寿司から型枠をはずす
ハランの上に切った押し寿司を並べていくと美味しい昔懐かしい”河内の押し寿司”が出来上がる。昔はどこの家といってもいいほど庭にハランうえていた。ハランは見た目がきれいで殺菌力があるといわれている。
できた押し寿司を好みの皿において、紅しょうがを添えて盛り付けを楽しみむ。これに澄まし汁を加えてもいいだろう
 これは、大阪寿司の老舗「すし萬」の名物”雀鮨”。
「すし萬」は承応二年(1653年)大坂魚の棚(現在の横堀)で開業。鮒の押し寿司が評判となり、後には厳選された小鯛がすし米に載った、この”雀鮨”が全国に広まり、現在に至る。
歴史ある押し寿司が全国的な名物として今に伝えている。(そごう14階にて)




4.河内のジャコ豆料理

まちを歩くことで六万寺”河内ぶな”との出会い、そして岩崎さんとの出会い多くの人たちの協力で、このプロジェクトは進み、「まち・むら文化研究会」が河内の郷土文化サークルセンター「サークルの集い」(11月25,26
日開催)で発表したことをまとめました。
 まち・むら文化研究会は、平成17年6月25日、瓢箪山・六万寺を歩き辻占いで有名な瓢箪山稲荷神社をお参りし、山口養魚場や歴史ある東高野街道をウォークしました。
 瓢箪山・六万寺地区を「まち・むら文化」で歩いた折、六万寺の河内ぶなの山口養魚場を訪れ、見学し山口広武さんからお話しを伺いました。
 河内の国は大和川付替え以前は”左記のように”川の中”でしたが、その後も大小の川が多く残り、ふな、こい、モロコなど雑魚が豊富に獲れました。そして田畑には大豆、畦豆が植えられていました。
(図は大和川付替え300年”川ゆうゆう”から)
河内名所図絵(1801年)に描かれている雑魚獲り
ジャコ豆と河内の人々の生活
*この地方では昭和30年代までは寝屋川や楠根川、池などは、よく雑魚がとれ一般家庭でよくジャコ豆など郷土料理は作られていた。
*昭和30年代に入り、いざなぎ景気が起こり高度成長経済期になり、周辺に工場等が、河川の汚染が深刻になり、次第に魚が消えていき、農業も衰退していった。(写真は楠根川・御厨付近ー”川ゆうゆう”から)
*しかし、東大阪市六万寺・横小路では数は少ないが現在もジャコ豆、ふなの昆布巻き等郷土料理が作られている。*ジャコ豆料理の歴史は、古くて12,3世紀頃に始ったといわれている。
*昔は雨が降ると、”雨(あま)よろこび”といわれて農作業を休み家でゆっくりとジャコ豆などが料理された。




「材料料理大事典」から



河内の押し寿司(「民具歳時記」から)
なぜ、ジャコ豆料理を復活させたのか経緯

*河内には河内の風土に合った郷土料理が環境の変化等により、現在消えていこうとしているので、後世に伝えていきたい。
*郷土料理には、ふなの昆布巻き、押し寿司や河内の茶粥等があるが、ふなを焼いて柔らかくなるまで炊くジャコ豆は豊富なたんぱく質やカルシゥム、アミノ酸等豊富な健康食。*郷土料理には、”もったいない”の精神がこもっており、郷土料理を研究することで昔の歴史や環境が浮かんでくる。
(経緯)
*まちを歩くことにより山口養魚場の山口さんとの出会いで伝統食、風習についてお話が聞くことが出来た。
*河内の郷土文化サークルセンターの理事会で「サークルの集い」において参加者にジャコ豆料理を提供することが決定された。

*実際に作ってこられた「河内の表装美術クラブ」の
会員さんの岩崎さんとの出会い。この出会いも事務局を持っていただいている大阪商業大学での出会いがあった。*食材のふなの入手が難しくなっているが、幸にも六万寺の養魚場があり、ここでは戦前からふな寿司の本場の滋賀県にも出荷されてきておられる。
豆は、地元でなしに尼崎の老舗の豆専門店で入手。
調理方法(写真左上から下の順序)

*今回は200人分を試食形式で用意し、大豆は2升、ふなは5センチ前後を25匹、昆布を入れて黒砂糖、醤油と炊く。
*ふなはあらかじめ焼いてから鍋に入れて5,6時間をかけてふなの骨が柔らかくなるまでことことと。
(以上は岩崎さんからの聞き書きの要約。写真は左上から下へ進む。撮影は同人)

復活まで困難な点
*ジャコ豆を料理できる人が極端に少なくなった。
*ふなの確保。
*200人に提供するので衛生面などで普段以上に注意を払ってきた。
将来に向かって

*郷土の伝統食で、ジャコ豆以外の昆布巻き、押し寿司、茶粥、カシワのすき焼なども見直していこう。
*地元でとれる野菜や魚は、地場物、いいかえれば”地産、地消”。東洋医学でいう”身土不二”で体にいいし、地域経済の活性化にいい。
*今後は、広めていき給食でも取り上げて欲しい。