スペイン短訪 その1
| スペイン短訪 新田博之 短期間でスペインを訪れる機会を得た。まだ雪深い北海道の早春、朝早くに札幌を目指して町を発つ。気温マイナス五度、スペイン・マドリッドはプラス二十度、バレンシアは二十五度の気候だ。防寒用のジャンバーも明日には不要になるだろう。 おれの住む町、風連町から札幌までは列車で約三時間。三月十三日水曜、まずは札幌まで出て前泊し、事務所めぐり、明朝早い便で新千歳から関空に飛ぶ。この旅は仕事上の研修だ。行程は二週間、スペインのほかにイタリア、チェコを回る予定である。添乗員、なし。同行者、なし。単身の旅なのだ。そのために半年間、スペイン語とイタリア語を独学した。「一・二・三」「おはよう」から始まる勉強だ。三十四歳高卒の頭に、単語は遅々として入らなかった。そもそも公私を問わずに旅は苦手な方だ。できればどこにも出かけたくない、田舎町でひっそり過ごしたい。極度の方向音痴で、ススキノの碁盤の目で道に迷う自分、言葉もロクに話せない奴が単身でヨーロッパを歩くことができるのか? 十五日間の滞在中、通訳を伴うチャンスもある。スペイン半日、イタリア半日、計一日。現地の役所を訪ねるのだ。残り十四日間、通訳はいない。不安ばかりがつのっていたが、旭川まで向う列車に乗ってしまったらあとはもうハラをくくるしかない。連日、訪問先のアポイント確保や日程調整、宿の予約などに追われ、慢性寝不足の体に、安全祈願の缶チューハイを流し込み、車内で居眠りをはじめた。 旭川から特急列車に乗り換える。十五日間で三つの国をまわる。宿泊地は六か所。公式的な訪問は五か所だ。相当ハードな旅になるだろう。パックの旅行はこの旅において認められていない。無事帰ることができるやら。 特急列車では、張り込んで指定席に座った。自由席はほぼ満員だが、指定席車両はまばらだ。重たいスーツケースを通路隣の席に置いて、ふんぞり返ってみる。いい気分だ。ハードだろうが何だろうが、二週間日本を離れて、おそらく二度とできない一人旅をする。楽しむ気持ちだけは忘れないようにしたいものだ。 旅の目標のひとつは「必ず太って帰ること」である。周囲は皆心配している、あるいは冷やかして見ている。ロクにメシも食えないんじゃないか? ちゃんと移動できるのか? 強盗に襲われないか? もともとが負けず嫌いの性格だ。日本食店にもマクドナルドにも絶対行かないで、すべて現地のものをおいしくいただいて、「ちょっと太りましたね」などと余裕を見せて帰国する、そんな状況を目標に据えた。 そもそもなぜ単身なのか? どこでどのような研修をするのか? などなど疑問はあるだろうが、ここではおおむね省くことにする。異国の地で一人行動し、宿の手配から公式訪問の設定まで関係機関の助力を得ながら自力で行うことで、根性を養うとでも書けば読者になんとなく理解してもらえるか。仕事の話は別の書類に譲り、ここでは旅の記録を連ねることにしよう。これはスペイン短訪の紀行文なのだから。 しばらく見納めの北海道、札幌市、大通り公園、ススキノを歩く。夜はコンビニの酒も仕入れて宿でのんびりと過ごした。 ああ。幸せだ。 このままいつまでも今日という日が続けばよいのに・・・。 三月十四日、午前八時の便で関西空港へ。関西空港正午発の日航でロンドンのヒースロー空港に渡り、乗り換えてマドリッドを目指す。ロンドンまでは十二時間半の搭乗だ。マドリッド到着は現地十四日の夜九時二十分の予定だ。時差は八時間なので、到着時、日本は十五日の早朝五時二十分となる。 機内ではほとんどまともに眠ることはできなかった。欧米人の家族連れが通路をはさんだ至近距離にいて、そのうち一人は一歳くらいだった。機嫌よく愛想を振り撒き、周囲の人気者になっている。しかしおやすみタイムになっても非常によく騒ぐ、そして徐々に疲れてきたのかぐずり出す。少し寝たかとホッとしたら、すぐ起きてまたその繰り返しだった。大人でもエコノミーの十二時間はひと仕事だ、赤ん坊がわめくのも無理はない。 ラッキーなことに、三人がけの左窓側席、おれの横は美しい女子大生二人連れだった。紳士的に接しなくては。彼女たちは、この春大学を卒業して、大学院に進むとのことだった。親のスネかじりつつ優雅な買い物卒業旅行か・・・と思ったが、予算、日程、セキュリティなど、なかなかしっかりした計画であることが話すうちに分かってきた。彼女たちはロンドンからイタリアに飛ぶ。袖ふれあうも多少の縁、おかげで眠い目をこすりつつ、ウトウトしながらも、楽しかった。話し相手がいてよかった。 ヒースローは巨大だった。この旅では、ヒースロー、マドリッドのバラハス、パリのシャルル・ド・ゴール、アムステルダム、ローマのフィウミチーノと、大きな国際空港から発着することができる。なかでも大きかったのはヒースローとシャルル・ド・ゴールだ。大きく、かつわかりにくい。二人連れもイタリアまでの乗り換えに少し時間があるので、搭乗場所を確認して茶を飲むことにする。しかしその搭乗場所を見つけるのに時間がかかる。一人はおれ同様の方向音痴、一人はてきぱき動けるタイプだ。テキパキタイプが先導し残り二人で付いて歩く。三人ともに英語に堪能ではない。表示を見ながら進んだ。途中、署名用紙のようなものを持ったイギリス女性に呼び止められる、どう対処してよいか戸惑う二人をひっぱり、イギリス女性に「ウィハヴノータイム!」と言い切って突き進む。 「なんて言ってたんですか?」 「イギリス労働党の軍事政策に反対して行動しよう!とかなんとか言ってたんじゃないか?」 「ヒヤリング力ありますね〜」・・・適当だよ。 旅の目標はまだある。毅然と行動すること。言葉はわからなくとも、自分の主張をしっかりすることだ。メガネにカメラにウェストバックといった日本人旅行者イメージを、少なくともおれの出会う欧米人には払拭させる。つまんない意地のようなものだ。きっぱりと「ノータイム!」ちょっと自分がカッコいいかもと思った。この調子でいこう。 「免税店だ!」早足になる二人。やっぱり女性だね。 お目当てのものもなく、小さな規模の免税店にがっかりする二人。 イタリア行きとスペイン行きの搭乗場所を確認してから、カフェで茶を飲んだ。二人はコーヒー、おれはバドワイザー。 「ここってポンドですよね」と方向音痴。おれたちは目的地の新通貨ユーロしか持っていない。 「大丈夫、カードがあるよ」とおれ。 生まれて初めて、この旅のためにゴールドカードを作った。その使用第一号がロンドンだ。当然カードを切ったことなどなく、緊張しつつチェックした。 茶を飲みながら、大学の勉強のこと、おれの仕事のことなど話した。 「きみらのような人材がウチの会社にいてくれたらな」北海道風連町役場。就職先の候補に入れておいてくれと頼み、別れた。 とたんに孤独な状況になった。おれの乗り換えまではもう少し時間がある。めぼしをつけていた乗り場では係官にあっさり拒否される。 ・・・うそ。 搭乗機はイベリアだ。すべての貴重品を身につけて歩く緊張感。どちらを見てもアタマ二つは違う長身の欧米人たち。イベリアのマークと案内テレビの表示を頼りに進むうち、イベリアのラウンジにたどり着いた。入室拒否。「ここはあなたのようにエコノミーの客がくつろぐところじゃないのよ」と窓口の女性。ビジネスクラスのラウンジだった。 とぼとぼとヒースローの中を歩く。 どこをどう歩いたか、やっとの思いで搭乗口に着いた。この先はすべてスペイン語だ。テレビ講座の成果として、自分の希望はある程度伝える自信がある。しかしチェックインのときハッキリとわかった。 相手が何を言っているのか分からない。 前途多難だ。 機内で新聞が配られる。遠慮して取らないなどということはしない。きちんと「ABC」と指定して新聞を受け取る。堂々とすべし。なんてことはない、近くの男性が言った言葉を真似ただけだ。それにしてもやはり気後れしており、言葉はつかえて出てこない。気合をいれなくては。 周囲に唯一、日本人らしき女性を発見した。スペイン男性とのアベックだ。どちらもさえない感じ。もてない同士の外国人アベックか、と下司なことを考えてしまった。少なくとも彼らはおれより孤独じゃない。二人がハッピーならほかのやつには関係ない。やっぱりしゃべれないのは寂しいな〜。 夜九時すぎにマドリッドに到着する機内では、食事が出た。冷たくてまずいが、食った。日航機のなかでもロクに眠れなかったし、時差ボケも加わって、疲労している。食っておかなくては体がもたない。 胸ポケットにパスポート、クレジットカード、トラベラースチェック、航空チケット、そして現金。注意しなくてはならないのに、いつのまにか眠ってしまった。 バラハス国際空港に降りる。ひどい寝汗だ。宿に着いたら荷物をほどいて、病院の医者に頼み込んで調薬してもらったカゼ薬を飲むことにしよう。 マドリッドは雨だった。 NHホテルスルバノ。マドリッドの宿だ。宿はすべてファックスと国際電話で予約したが、ここだけは例外だ。当初おれが予約したホテルは、旧市街のど真中にある。近年急激に増えつつある日本人旅行者を狙ったひったくり、強盗、それらの多くは空港到着時や旧市街で多発している。現地の関係者があまりに危険だからとアドバイスしてくれ、おれの予約したホテルをキャンセル、新たにスルバノを予約してくれた。 日本で海外旅行グッズのカタログを見ると、必ず例のチョッキが出ている、ファスナーがたくさんついていて、パスポートなどの貴重品を保管し、その上から衣類を身につける。これが現地ではとんでもない間違いを引き起こす。最近増えている手口。背後から殴りつける、あるいは首をしめて気絶させる、そして身ぐるみはがして貴重品を根こそぎかっさらう。よくて軽傷、悪くて重症、あるいは死亡。 「手っ取り早く殴りつけて裏道に引きずり込めばいいのさ。服を脱がせれば金目のものが出てくるぜ」 強盗たちの日本人感が聞こえてくるようだ。 スルバノはすばらしかった。設備も整っており、申し分ない。カゼ薬を飲み、薬を取り出すためにひっくり返してごちゃごちゃに散乱した荷物を前に一服つき、ボウッとする。 とうとうスペインに着いた。 滞在は十四日から三泊マドリッド、十七日には地中海沿岸のバレンシアに移動して三泊、二十日にイタリアへ渡る。スペインには一週間の滞在だ。フラメンコに闘牛、シェスタ、情熱とラテンの国スペイン。日程的にはフラメンコも闘牛もアルハンブラ宮殿も、ドンキホーテの風車の村も見ることはかなわないが、おおらかで社交的な国民とたくさんふれあいたいと考えている。 マドリッドに三泊、ここは洗濯ポイントだ。札幌一泊、機内で一泊の洗濯物は、バスタブでシャワーを浴びながら洗う。バスルームは洗濯物でいっぱいになった。 時差のせいで夜中二時ころ目がさめた。 三月十五日。予備日、つまり時差ぼけ解消日だ。この日の目標は二つ、ピカソのゲルニカを見ることと、事務所に絵葉書を送ること。こんなことをする余裕は今日しかない。 ピカソのゲルニカは旧市街の中心、ソフィア王妃国立芸術センターにある。独裁政権が長く続いたスペイン、フランコ政権が爆撃したゲルニカでは多数の民間人が犠牲になった。怒りに燃えたピカソは大作ゲルニカを描いた。 ホテルで朝食を取れる状態にはなかった。疲労の極地。外で食事することにしよう。 タクシーをつかまえて美術館まで行く。 「ミュゼオソフィア ポルファボール」とおれ。 「・・・・ミュセオ!」と聞きなおす運転手。 「スイ、ミュセオ」発音が違ったらしい。 スペインの交通事情はすさまじかった。皆総じて運転が荒い。 館内では、案内用のレコーダーを貸し出している。英語なのだろう。借りても無駄だ。入館に五ユーロ。六百円といったところか。朝九時、すでに多くの見物客が集まっている。 ひたすら「ゲルニカ」を探して歩く。ほかのものは眺めて歩くのみ。どうせ見てもたいした分からぬ。しかし絵を見て歩くのは嫌いじゃない。時間があれば、ゆっくり歩きたいところだ。 マドリッドには、ソフィア芸術センターをはるかにしのぐ大きさのプラド美術館がある。ベラスケス、ゴヤなどスペインが世界に誇る芸術家の作品がゴマンと収蔵されている。日本で出版されている旅の案内書では、ソフィアの扱いはプラドに隠れて小さなものだが、なかなかどうしてソフィアもでかい。館内カフェの表示にアルコールの誘惑を感じながらも、まずはゲルニカだ。 地元の小学校児童とおぼしき軍団が、スケッチブック片手に模写の最中、イタリア語らしき説明のガイドを従えたグループはミロの抽象画に真剣だ。ウィークデイ、金曜日の午前、サングラスをかけて一人ぶらぶらしているジャケット姿の東洋人も、けっこう浮いているらしくジロジロ見られる。 ひときわにぎわっているポイントを発見、きっとあれだ。近づいてみると、本でしか見たことのない「ゲルニカ」がガードマンに守られて展示されていた。 独裁政権のとある軍幹部がピカソに会った際、こんなやりとりをしたというエピソードがある。 「おまえが(あのゲルニカとやらいう怪しからぬ)絵を描いたのか!」 「描いたのはおれだが(爆撃を)やったのはおまえらだ」 当時、フランコの圧政に苦しむ人々は、この逸話におおいに励まされたらしい。 なるほど力強い圧倒的な迫力を感じる。 展望エレベータの四階部分からは、当初おれが泊まるはずだったホテルが見えた。 美術館からホテル周辺にタクシーで戻る。運転手はさっきよりも気の荒そうなおじさんで、窓を開けてしきりに怒鳴っている。中央分離帯の向こうから緊急車両がサイレンを鳴らして走ってくる。その緊急車両を一般車両が追い抜いていく。歩行者も交通ルールなんてあったもんじゃない。車がこないときに赤信号を守って待っている歩行者なんてだれひとりいない。車が走ってきていても平気で渡る。 昼過ぎ、ホテル近くに戻った。通りの角にあるカフェでゲルニカの絵葉書を書こう。実質的には初めての食事だ。まだ一時ころと早い時間のせいか店内はすいている。カウンターに腰掛けて壁のメニューを見る。唯一、思い出せた単語を言う。言葉は思い出せたがどのようなものかは思い出せない。何が出てくるやら。出てきたものを見ると、ソーセージ状のものが入ったチリ味のスープだった。ビールとともにいただく。腹が膨れてから、ハガキを書いて、郵便局で投函した。 郵便局からの帰り道、人に訪ね歩いて探した郵便局であるから、当然自分がどちらから来たのか分からなくなっている。まだ当分暗くはならない、のんびり歩くか。貴重品はすべて預けてきたから。はたしてどこを歩いているのやら。 ふと足が止まる。 鉄板焼きだ。 カフェの窓から海産物を威勢良く焼いている主人の姿が見える。満腹だったが、ついムードにつられてふらっと入る。店内は立ち飲みのみで、けっこう混んでいる。午後四時ころだったから、もうランチの時間は終わっているし、今日は平日金曜日だ。いったい何をしている人たちなのだろう、こんな時間にグイグイ飲んでいる。 おれもビールを注文し、まずは一息。次々と運ばれる皿、貝類、イカ、魚の開き、忙しく鉄板で魚介類を焼いている主人の様子を見ながら、冷たいビールを味わった。 平日の昼間から酒を飲むという感覚は、日本では「飲んだくれ」だ。サラリーマンの昼飯たるや、あわてて掻きこむ三百円の牛丼、マクドナルドである。スペインでは昼休みはおおむね二時間、午後二時から四時ころまで、アルコールつきで昼食を楽しむ。シエスタ=昼寝の習慣も広く残っているとのことだ。鉄板焼きをつつきながら男も女も杯を傾け、しゃべりに夢中になっているスペイン人たち。彼らを横目に自分もビールを飲んだ。スペインは経済的には決して豊かな国ではない。失業率も二ケタ台だ。それなのにこの楽天的なムードは何なのだろう。彼らをうらやましく感じた。人生観の違い、文化の違いといえばそれまでだが。 店を出る。道に迷っている途中だったことを思い出す。人に道をたずねながら、しばらくかかって宿に着いた。 夜七時ころ、ホテルのレストランで食事をとることにする。ディナーの準備万端の食事会場。まだほかの客は来ていない。赤ワインにスープ、肉料理を注文する。こういう場所で一人の食事というのも、なんとも味気がないし、これからほかの客が家族連れなどで来たら間違いなく浮いてしまう。早めに済ませて部屋に戻ろうと思ったが、最後まで客は来なかった。スペインの夕食は九時ころから始まるらしいので、ことによると早すぎたのかもしれない。 |