市町村合併したあとの

   市町村役場職員の

   雑文

2006年4月16日記すの2

昔話・・・最近、風連の昔の話をよく聞く機会がつづきまして、
私も38歳6か月のおっさんとしては、子供のころとか思い出します。
私の小さい頃は、まだ家に馬がいました。
実家は農家をしておりましたので、馬は当時、重要な稼ぎ手だったのです。
ある日、田植えの真っ最中でしたか、馬ちゃんは荷車を引いて、
稲の苗を田んぼに運ぶ仕事をしていました。
馬ちゃんは背中にピクっと違和感を感じて走り出しました。
小さかった私は、親父が苗を取りに行っている間、ひとり荷車に乗っており、
馬ちゃんのたてがみがあんまりふさふさなので、ちょっと抜いてやるべと思い
いたずらしてたのですよ。
馬が走り出して、私はびびりました。砂利道をどんどこ走るのです。
おまけに後ろからはちょうど大型ダンプが走ってくるのでありました。
幼い私は、「馬はこのまま走り続けて、荷車は振動に耐えられなくなり大破、
自分は空中に放り出されて砂利道に叩きつけられ、そこにダンプカーが
突っ込んでどかーん!!」となるのだと走馬灯をめぐらしたのであった。
そこに!お隣のおじさんが仮面ライダーのごとく疾走し、馬に飛び乗り、
「どうどう」と馬を落ち着かせ、おまけにダンプカーまでも
止めてしまった(これはおじさんの力ではないが私はそう思った)のだ。
こうして新田少年は一命をとりとめた。
もしあのとき、おじさんが仮面ライダーになっていなかったら、
今の私はないし、海外研修に行くこともこのHPもなかったのだ。
そのあと親父に問い詰められ
「ぼくなんにもしてないもん!いきなり馬が走ったんだもん!」と逃げるも
「どうせ馬の毛でもひっぱったんだべ」とあっさり見抜かれていたものだった。
あのころの田植えや稲刈りは、すべて人力で、
でめんとり(バイト)のおばさんたちがたくさんいてにぎやかだった。
でめんさんが来る時は特別なおやつが用意され、それをもらって食べるのが
楽しみだった。親父は馬を叩いてこきつかったが、夜になると
干草をたくさん食べさせ、毛をすいてやり、かわいがっていた。
馬がわが家からいなくなるとき、親父の背中はさみしそうだった。
こうしたことは、当時の風連なり名寄なり、どこでも同じだったろう。
ということで、合併にはなんの関係もない話がこれからどしどし続きます。


次の「雑文」へ|トップページに戻る