岡まさはる記念

長崎平和資料館とは?


●1995年10月1日にオ−プンしました。

●展示は、日本の過去の加害行為と戦後の無責任性を明らかにし、日本政府に真摯な謝罪と補償の実現を求めることを目指しています。具体的には、以下のようなコ−ナ−があります。
朝鮮人被爆者コ−ナ−、「飯場」コ−ナ−(強制連行・強制労働)、日本の侵略・朝鮮編、日本の侵略・中国編、「大東亜共栄圏」の真実コ−ナ−、皇民化・皇国臣民化教育コ−ナ−、中国人強制連行コ−ナ−、端島コ−ナ−、「慰安婦」問題コ−ナ−、南京大虐殺コ−ナ−、戦後補償コ−ナ−、岡まさはるコ−ナ−など。

企画から運営まですべて完全に市民の手だけで行っています。企業や行政からの補助などは一切無く、完全な自主独立を貫いています。

●資料館の理念に賛同して下さる方を中心に、「運営協議会」が作られ、会員には会報「西坂だより」(隔月発行)が届けられます。

詳しくは、下の「設立の趣旨」および「資料館PR用文章」をご覧になって下さい。


【設立の趣旨】


 戦争や原爆の悲惨さはいつまでも深く胸に刻み、これを風化させてはなりません。しかし、悲惨な結果を招いた原因が、残虐の限りをつくした日本のアジア侵略にあったこともしっかりと心に刻む必要があります。受けた苦しみの深さを知ることが、与えた苦しみの深さも知ることにつながらなければ、平和を築くことはできません。
 日本の侵略と戦争の犠牲となった外国の人々は、戦後50年たっても何ら償われることなく見捨てられてきました。加害の歴史は隠されてきたからです。加害者が被害者にお詫びも償いもしないという無責任な態度ほど国際的な信頼を裏切る行為はありません。
 核兵器の使用が正当化されれば再び使用される恐れがあるのと同様に、無責任な態度が許されるのならば、再び戦争が引き起こされる恐れがあります。
 この平和資料館は、日本の無責任な現状の告発に生涯を捧げた故岡正治氏の遺志を継ぎ、史実に基づいて日本の加害責任を訴えようと市民の手で設立されました。政治、社会、文化の担い手は、たとえ小さく見えようとも一人ひとりの市民です。当館を訪れる一人ひとりが、加害の真実を知るとともに被害者の痛みに思いを馳せ、一日も早い戦後補償の実現と非戦の誓いのために献身されることを願ってやみません。


1995年10月1日
岡まさはる記念長崎平和資料館


【資料館PR用文章より】


「涙が出るほど、何か強いものを感じた」(17才・女性)
「他の資料館・博物館などでは大きく取り上げられることの少ない『強制連行』や『韓国・朝鮮人被爆者』の問題を写真などを用いて展示してある所がすばらしい」
(25才・男性)
「写真や証言を見て驚いた。とても苦しく、やるせない気持ちになった。泣きそうにもなったが、私が泣くことよりも、被害を受けた人へ、日本は謝罪・補償したほうが慰められると思う」
(18才・女性)
「すばらしい、全国でもまれな反戦資料館と思いました。なれあうことのない、確たる真実に立脚した視点に、多くのことを学ばせていただきました」
(60才・女性)

 私たちの資料館を訪れられた方々の感想の一部です。

 「岡まさはる記念長崎平和資料館」は、1995年10月、長崎駅近くの西坂の地に設立されました。名称の由来となっている岡正治氏は、牧師であり、長崎市議会議員を3期つとめた平和活動家でした。1960年代、ほとんどの日本人が言及さえしていなかった「日本の戦争責任・加害責任」の問題に早くから取り組み、特に長崎の地において闇に葬られていた「朝鮮人被爆者問題」に関しては、自らが代表をつとめていた「長崎・在日朝鮮人の人権を守る会」による地道な聞き取り調査を積み重ね、被爆した朝鮮人は「およそ2万人、そのうちおよそ1万人が死亡」という結論を引き出しています。(これらの調査結果は『原爆と朝鮮人』第1集〜6集にまとめられています)
 1994年7月、岡氏は急逝。時あたかも「敗戦50年」を前にして、戦後補償問題・「従軍慰安婦」問題などが噴出、日本政府の戦後一貫した無責任を厳しく問う声が国の内外で大きな高まりを見せていた時でした。岡氏の主張の先見性が広く認められるようになって行く中、「戦い途中」にしての無念の死でした。時代の逆戻りを許さず、反戦・反核・平和の実現のための道標となるような民衆の資料館(その構想は岡氏が既に示していました)を作ることは、岡氏の思いを受け継ぐ一番具体的な方法でした。
 私たちの「岡まさはる記念長崎平和資料館」は、国内にあるどのような資料館とも際立って異なっている点が3つ、あります。

【純粋に市民の力だけで作り上げた資料館であること】
 「岡まさはる記念長崎平和資料館」の設立にあたっては、その構想に始まり、土地・建物の確保、資金調達(もちろん借金です)、展示計画、展示物作成‥‥等々、すべて、行政や企業の力を一切借りず、完全に市民の力だけでやりとげました。日本はもとより、世界的に見てもこのような資料館は珍しいと思いますし、このことを私たちは誇りに思っています。また、毎日の受付など、資料館の運営はたくさんのボランティアの方々によって支えられています。「運営協議会」が中心となって様々な企画も行っていますが、この「運営協議会」の実態にしても主婦・教員・サラリ−マン・年金生活者・学生といったごく普通の市民の集まりです。名実ともに「民衆による、民衆のための資料館」といえるでしょう。

【日本の加害責任・補償問題に焦点を絞った資料館であること】
 日本の多くの「平和資料館」は戦争の悲惨さを、被害者の立場から訴えています。太平洋戦争で日本は300万人以上の犠牲者を出しており、もちろんそうした被害者としての「苦しみ」もきちんと継承していくことは大切です。しかし、そもそも太平洋戦争は、明治以降日本が行ってきた近隣アジア諸国への侵略の帰結であり、朝鮮・中国・東南アジア諸国にとって日本はまぎれもなく「加害者」でした。アジア全土で日本による土地や資源の奪取が行なわれ、たくさんの人々が殺されました(一般に日本軍による犠牲者は2000万人と言われています)。私たちの資料館は、この日本の「加害性」にこだわっています。どんなにつらく、醜く、おぞましい歴史でも、それが真実であるならばしっかりと見つめなければなりません。私たちの「現在」は「過去」の上にあり、「未来」もまた「過去」と無縁ではありえないからです。強制連行・強制労働・虐待・酷使・軍隊慰安婦・朝鮮人被爆者‥‥こうした「負」の事実を正しく伝えること、侵略された人々の痛みを知ること、そうした視点から、展示は構成されています。

【「学び」「集い」「行動する」場としての資料館であること】
 生前、岡氏はよく「ここはサロンではない。ただのおしゃべりや、自分はこんなことを知っているというような知識のひけらかしでなく、参加し、行動しなさい」と言われていました。私たちも、この資料館を単なる資料の陳列場ではなく、来館された方が見て、考えて、行動をおこすきっかけとなる場であってほしいと位置づけています。現在いくつかの裁判などを通じて争われている戦後補償問題は、今、まさに私たちが生きているこの時に、日本の無責任性が問われている問題です。しかし、あまりに問題が大きすぎ、何かをしようと思っても「何をどうしたらいいかわからない」「自分一人ではどうすることもできない」と無力感におそわれるのも事実です。そうした「思い」を持つ人々が出会え、集える場として「岡まさはる記念長崎平和資料館」はありたい、と思います。

 もともとは中華料理店だったビルを改修して作った私たちの「岡まさはる記念長崎平和資料館」は、本当に小さな資料館です。しかし建物は小さくとも、この資料館は日本の未来を問い、私たちの生き方そのものを問う、真摯なものでありたい、と私たちは考えています。
 最後に、もう一つ、来館された方の感想を。
 「弱者の側に立つか、権力者の側に立つか、どの位置から社会や歴史、人間の生き方を見ていくかで、その人の『それから』が違ってくると思います」

 あなたも、どうぞ私たちと一緒に「行動」を始めませんか。どんなに小さくても、それがすべてのはじまりです!



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