L’enfant et les sortileges

(コレット台本・ラヴェル作曲)

初演

1925年・モンテ・カルロ劇場

登場人物

坊や(MS)/ママ(その母、A)/椅子(S)/中国茶碗(MS)/火(S)/絵本のお姫様(S)/白猫(MS)/黒猫(Br)/とんぼ(MS)/うぐいす(S)/こうもり(S)/ふくろう(S)/りす(MS) 部屋の壁紙の羊飼いの女の子(S)/同じく羊飼いの男の子(A)/安楽椅子(B)/大時計(Br)/ティーポット(T)/小人の老人(T)/木(B)/雨蛙(T)/算数の教科書(T)/算数の教科書の数字達(児童合唱)/その他椅子・動物・壁紙の羊飼いたち(合唱)

あらすじ

1幕

少年が自分の部屋で宿題をしようとしているが、なかなかはかどらない。
母親がおやつの差入れに入ってくるが、勉強していないことに怒って、砂糖なし紅茶とジャムなしパンを置いて子供を閉じ込めて去って行く。
母親に怒られたことで、一人になった子供は苛立って、大暴れして部屋の家具やペット、自分の持ち物などに八つ当たりする。
気が住むほど暴れて、疲れ果てた子供が椅子に腰掛けようとすると、いきなり2つの椅子が喋り出して、少年を挟む。続いて、振り子時計が「お前のせいでこの家の平和が乱れてしまった」といって、振り子で少年の腹を打つ。さらに子供に投げつけられた中国茶碗やポットがカンフーで少年を蹴る。少年はお気に入りの茶碗を壊してしまったことを後悔している。
日が暮れると、少年は暖炉の火で暖まろうとする。すると火が「良い子には暖めてあげるが、悪い子は燃やし尽くしてやる」と少年を脅す。さらに、子供に破かれた壁紙の羊飼いの柄も出てきて、元の壁紙と離れ離れになったことを悲しむ。さらに、少年が読みかけていた絵本のお姫様が「あなたのせいで呪いをかけられてしまった」と訴える。絵本の中の王子様に感情移入していた少年は王子様のつもりで助けようとするが、呪いをかけられたお姫様は連れ去られてしまう。残された本は面白くない教科書ばっかり。踏みつけられた算数の教科書がいきなり少年に、文章問題を連発し、数字が7×9=33とか3×3=400だの、めちゃくちゃな歌を歌い出す。

いじめていたペットの猫が人間くらいの大きさになっている。発情した黒猫と白猫がじゃれていてうるさく泣き始めるが、彼らが外へ出て行くので、少年もついていく。(あれ?部屋に閉じ込められていたんじゃなかったけ?それに怖がっていたんじゃないの?)

家の広い庭で、少年が木によしかかると、木が子供に切りつけられた傷が痛むと文句を言う。虫やこうもりが少年のせいで家族を失ってしまった、と責める。蛙や鳥、その他の野生の動物も少年にいじめられたと合唱する。野生の動物は仲良しであることに気付いた少年は寂しくなって母親を呼ぶ。すると、野生の動物たちは少年に復讐をしようとして大騒ぎになる。その中に巻き込まれたリスがケガをする。改心した少年は自分の襟についているリボンで手当てをしてあげる。その様子を見て、野生の動物達は本当は少年は優しい子なんだ、ということに気付いて、気を失っている少年の代わりに「ママ」と呼んで、元の部屋まで運んであげる。

気が付いた少年はそばにいる母親に抱きつく。

 

        

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まるで、小学生の道徳の教科書みたいなオペラです。猫の発情シーンはちょっとエッチっぽいけどね。どんな人でも子供の頃、虫を捕まえたりしませんでしたか?その虫の気持ちを考えないで。・・・というより動物や物は人間と会話ができないから、どう思っているのかなんて分かりませんでしたよね。はい。私も悪い子でした。動物をいじめたり、物を大事にしない子はいつか復讐されてしまう、という内容です。今時の子が、このオペラを見て「じゃあ、物を大切にして動物をいじめないようにしよう」と思うのかどうかわかりませんが。大人でも物体や動物をどうやって擬人化しているのか?という所を楽しむことができます。

で、この子は、本当は怖かっただけでなく、ちょっと楽しんでいたのではないか?と思います。絵本のお姫様が現れたときはうれしそうだったし、猫が人間の大きさになった時も、人間の言葉をしゃべれるのか?ペットと会話ができるのか?なんて期待していました。
人間が物や動物を表現するには、作曲家と演出家の力量が問われると思います。
作曲の立場からだと、声域の割り当て方が重要です。火はコロラトゥーラ・ソプラノ、振り子時計はバリトン、算数の教科書は鞭で地面をたたきながら文章問題を連発する変な先生がテノールでおかしな計算式を歌う数字が児童合唱など。メゾとバリトンによる猫の発情の二重唱も見逃せません。
演出の立場だと、歌手にそれらしい服装をさせて歌わせるのか(お姫様、猫、とんぼなど)、舞台に出るのはバレエで舞台裏で歌手に歌わせるのか(中国茶碗など)、または、照明で表現して舞台裏で歌手に歌わせるのかなど(火、算数の教科書の数字など)、工夫しなくてはなりません。
観客が面白いと思うのは、人間が演じる物体にそれぞれ感じる個性です。このオペラの原語はフランス語なんですが、紅茶の道具である中国茶碗とポットだけは英語で歌います。中国茶碗の怒りの歌が英語→中国語に変ったと思ったらいきなり「ハラキリ、セッシュー、ハヤカワ」と歌うんです。何?これ。びっくりしました。なんだかコレット女史とラヴェルさんは勘違いしていないでしょうか?

 

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