Knyz Igor
(ボロディン作曲)
あらすじ
プロローグ
イーゴリー公は悪い前兆にも関わらず、妻ヤロスラブナを彼女の兄のガリツキー公に託し、息子ウラジミール達と共にコンチャック汗の率いるポロヴェッツとの戦いに赴く。
1幕
ガリツキー公はイーゴリーの留守をいいことに、手下たちと一緒に酒を飲み、娘達を無理やり連れこんで暴行したりしている。
夫の帰りを待つヤロスラブナの元に、娘達がガリツキーの苦情を伝えに来るので、彼女は兄を咎める。イーゴリー公の使者が、ポロヴェッツ軍が城門まで攻めてきて、イーゴリー公とウラジミール達は捕虜になったことを伝える。
2幕
父と共にポロヴェッツの捕虜になったウラジミールだが、汗の娘コンチャコヴナと恋仲になっていた。キリスト教徒のポロヴェッツ人オヴルールはイーゴリーに逃げるようにすすめる。敵でありながら、イーゴリーの人柄に惚れこんだ汗はこの親子を丁重にもてなし、女奴隷たちの踊りを見せる。
3幕
オヴルールの導きで逃げようとするイーゴリーとウラジミールだが、コンチャコヴナが引きとめようとするので、ウラジミールは捕まってしまう。気に入っていたイーゴリーの逃亡を知った汗は明日また戦えば良いと黙認し、快くウラジミールを婿に迎えて祝福する。
4幕
ヤロスラヴナは夫との再会を喜ぶ。また、民衆もイーゴリー公の帰還を喜び、彼の愛国心を称えるのだった。
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タタールとは、ロシアが東方の遊牧民族のことを総称して呼んだ言葉ですので、ポロヴェッツも含まれます。12世紀の時代ですので、日本でいうと鎌倉時代です。おそらく、元なども含まれていたのではないでしょうか?今で言えば、中国のウイグルあたりからモンゴル・中央アジアなどが近いのでしょうか?皇帝の名前も汗(ハン)ですから、チンギス・ハンなどとも関わりがあるのかもしれませんし。
「バレエにのっとられたオペラ」というべきでしょうか?民族色の強い、「ダッタン人の踊り」は単独でも上演される有名なバレエです。このバレエの冒頭は女声合唱の官能的な旋律で始まります。そして、クライマックスは東洋的でありながら、好戦的でもある激しい音楽です。
ボロディンはロシアの土着的な音楽を重視し、ロシアのナショナリズムを意識した作品を作りました。しかし、主人公は愛国心の塊の「イーゴリー公」でありながら、そんな親を尻目に敵の娘と愛し合うウラジミールは一体なんなのでしょう?自分の国や民族よりも自分の身近な人の方が大切なのは当然です。もしもその身近な人が自分の国や民族の人でなかったら、国とか民族というようなしがらみは捨てても惜しくはないもののようです。コンチャコヴナは逃げようとするイーゴリー父子を見て、すぐにポロヴェッツ軍を呼ばず、「どうしてもロシアに帰るのなら、奴隷にしてもいいから私を連れて行って」と言います。ウラジミールは恋かそれとも父や国なのかと迷います。イーゴリーもウラジミールに「愛国心を捨てたのか」と責めます。コンチャコヴナはウラジミールを引きとめるために、眠っているポロヴェッツ軍を起してしまい、彼女に未練のあるウラジミールだけが捕まってしまいます。彼が捕まると、彼女は彼を守ろうとし、汗はウラジミールを婿に迎えます。どうも、汗はユーラシア大陸から世界中を武力で征服するという野望と同時に、その余裕から来る寛大さを持っていたと思います。もしかすると、ボロディンは敵にも好意を持たれてしまうようなイーゴリーの人柄のすばらしさを出したかったのかもしれませんが、汗の寛大さにも感心させられます。
このオペラに疑問を感じるのはその後です。健気に夫の帰りを待つヤロスラヴナですが、夫が戻ってくるとすぐに喜ぶのは当然としても、息子の消息をイーゴリーに尋ねようとはしません。イーゴリーもヤロスラヴナも息子が敵の婿になったことは知らないのに、父親と一緒に戻れなかったことが気にならないのでしょうか?それともウラジミールは先妻の子だからどうでも良いと思っていたのでしょうか?イーゴリーが戻ってきたことを民衆は心から喜びます。しかし、イーゴリーはまた軍勢を集めて、ポロヴェッツと戦う予定です。汗も、ロシアを攻める意志に代わりはありません。このオペラの主旨でもある愛国心を乗越えて結ばれたウラジミールとコンチャコヴナはこれからどうなっていくのでしょうか?