Katerina Izmailova
(ニコライ・レスコーフ原作・ショスタコーヴィッチ作曲)
あらすじ
1幕
商人のイズマイロフ家に嫁いだカテリーナは退屈な生活にうんざりしている。舅のボリスがまだ子供がいないことを非難したり、浮気をしたいのだろうなどと嫌味を言いにくる。ボリスの息子でカテリーナの夫ジノーヴィが製粉所の堤防が壊れたという知らせで、現場を見に行く為に留守にすることになる。ジノーヴィは新しく雇ったセルゲイを紹介して、妻に別れを告げる。女中のアクシーニャはカテリーナに彼が前に働いていた家で主人の妻と密通して解雇されたのだという噂をする。
アクシーニャが悪ふざけしている召使たちに輪姦されようとしている。カテリーナはそれを止め、主犯のセルゲイに女性の尊厳を訴えようとするが、力ずくで押し倒されてしまう。それを見たボリスは夫に言いつけると言う。
カテリーナに興味を持ったセルゲイは、彼女の寝室に入り、カテリーナも抵抗しながらも受け入れてしまう。
2幕
ボリスは邪悪な気持ちでカテリーナの部屋を見ていると、セルゲイが出てくるところを見てしまい、彼を捕まえて、鞭を打たせ、倉庫に閉じ込める。カテリーナは毒の入った茸料理をボリスに出して、殺して、倉庫の鍵を奪い取る。
戻ってきたジノーヴィも妻の不貞に気づき、殴ろうとするが、セルゲイに取り押さえられて、殺されてしまう。カテリーナはセルゲイと結婚できることを喜ぶ。
3幕
セルゲイとカテリーナは結婚式をするために教会へ向かう。一方、酒を盗もうとして、倉庫を開けた百姓がジノーヴィの死体を発見し、警察へ通報する。結婚の祝いの最中に警察がやってきて、2人は捕まってしまう。
4幕
シベリアへ流刑となったカテリーナは番兵に賄賂を渡し、同じく流刑となったセルゲイのいる男囚のところへ行く。しかし、セルゲイは、商人の妻と結婚して裕福になろうと思ったのに、逆に流刑になってしまったことを非難する。そして、彼はもはやカテリーナを愛していなく、女囚ソネートカを口説こうとする。彼女は、受け入れて欲しいのなら、靴下を調達して欲しいと頼む。セルゲイはカテリーナをだまして、彼女から靴下をもらい、ソネートカに与える。セルゲイとソネートカは、物陰に姿を隠す。女囚たちや戻ってきたソネートカに嘲笑されたカテリーナは、ソネートカを河へ突き落とし、自分も河へ飛び込む。
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このオペラは最初、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」という題名で、出されて世界の話題になりましたが、国内のソ連での評判は芳しくなく、事実上上演禁止となっていました。スターリン死後の雪解けの時代に改訂し、「カテリーナ・イズマイロヴァ」という題名に変えて、上演したところ、ソ連国内外共に好評となりました。
なぜ、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の評判が、最初は良くなかったのでしょう?抑圧された女性が、古いしきたりにこだわる資本主義的な権力=ボリスに対抗し、戦おうとする、というところを強調すれば、当時のイデオロギーにも反しないものだと思うのですが。労働者=セルゲイを悪役にし、彼に翻弄され、堕落していく金持ちの妻という構造が悪かったのでしょうか?どうも、共産主義が芸術に交渉しようとすると、悪者の権力者や金持ちを弱者の善玉がやっつけてハッピーエンドになりやすいようですが、このオペラは違います。ショスタコーヴィッチは、原作以上に、カテリーナを肯定的な人物にしようとしています。原作では、甥も殺してしまうのですが、事情がどうあれ、子供を殺すのは良くないという理由で伏せましたし、ボリスを横暴な人間というだけでなく、嫁に対して良からぬ思いを持つ好色な老人という側面も出しました。
確かに、このオペラは、18禁にでもしたくなるような露骨な音楽の描写があります。カテリーナがはじめてセルゲイを受け入れたときに流れる間奏曲は、たとえ幕が閉じていたとしても、何回も同じ動作をした後、高潮して爆発するという表現があまりにもリアルすぎます。これなら、確かに政治の干渉を受けても仕方がないのかも。
主人公のカテリーナは、元々は非凡な女性だったのかもしれませんが、そうなった環境に問題があったのでしょう。最初に、カテリーナは昼寝をしても退屈だし…と歌います。自営業の奥さんがそんなに退屈なものでしょうか?普通、家業と家事で大変なんじゃないかと思いますが。しかし、それを見ているボリスは「働きなさい」とは言わず、「退屈していて、若い男と浮気するつもりなんだろう」とか「子供はまだか?お前の原因があるんだろう」などと言っています(今の日本でもいますね。こういうこと言う人。なんだかセクハラっぽいですよね)。どうも、ボリスにとってのカテリーナは跡取を作るための道具以上のことは期待していないようです。そして、彼女はセルゲイと出会うことによって、彼女はどんどん堕落して行きます。最初、アクシーニャの輪姦事件(これは未遂かそうなっていたのかははっきりしませんが)の主犯セルゲイは「女とはおもちゃのようなものだ」と言っているのを、面と向かって女性の尊厳を訴えようとします。しかし、セルゲイはそんな観念的なことよりも、肉体的な力が強いかどうかということしか考えることができません。そして、なぜか、カテリーナは彼のような人物にどんどん惹かれて行きます。そして、セルゲイは「今こうなっているのはお前のせいだ」といっているのを「許して」と言っています。共犯者なのに。カテリーナは肉体的欲望に溺れてしまいましたが、セルゲイが裕福になりたいという願望があったのでそんなはずではなかったと思っているのです。
カテリーナは最後には、セルゲイを受け入れた女囚ソネートカを河に突き落とし、自分も飛び込みます。残されたセルゲイはどのように思ったのでしょうか?カテリーナがセルゲイにあげたお金や靴下で、彼はソネートカを口説くために女囚達のところへ行けたのですが、もう、そんなに都合の良い女はいません。セルゲイとソネートカが一緒に隠れてしまったことを知ったカテリーナは「私の良心は林の湖の水のように黒い」と言います。しかし、最後に河へ飛び込んだカテリーナはどのように思ったのでしょうか?セルゲイを含む流刑囚たちは、また、何事もないようにシベリアの豪雪の中を突き進んで行きます。