L’Africaine
(スクリーヴ台本・ジャコモ・マイヤベーア作曲)
あらすじ
1幕
イネスが恋人の海軍士官ヴァスコ・ダ・ガマの帰国と成功を願っているが、評議会に先だって、父親ドン・ディエゴが枢密院議長ドン・ペドロと結婚するようにと言う。ヴァスコは新大陸を発見した証拠に奴隷の男女ネリュスコとセリカを連れてくる。ペドロの計らいでヴァスコは投獄されてしまう。
2幕
獄中のヴァスコに実はアフリカの某国の女王セリカはアフリカの地理を教える。セリカを抱きしめて難問が解明されたと喜ぶヴァスコを見て、心変わりしたと思いこんだイネスはヴァスコのために保釈金を出しながらも、ペドロと結婚する決意をする。ヴァスコは弁解するためにセリカとネリュスコを奴隷としてイネスに差し出すのでセリカは悲しむ。
3幕
ネリュスコはペドロが船長を勤めるポルトガル船の道案内をしているが、実は彼は自分の国を守るためにわざと西洋の船を危険な場所へ連れて行こうとしているのである。別の船で追いかけてきたヴァスコは危険な方向へ向かっていることを忠告しにやってくるが、ペドロは受け付けないで、彼を帆の先に縛り付けてしまう。やがて船は台風に襲われて難破し、ネリュスコが導いたアフリカ人の兵士たちに西洋人は襲われてしまう。
4幕
セリカの女王の戴冠式が行われている。イネスをはじめとする西欧人の女性たちが引きずり出されて、死の森へと追いやられてしまう。一方、ヴァスコは帆の先に縛られていたためにかえって助かってしまい、自分の夢がかなったことを喜ぶ。人々は外国人ヴァスコを殺そうとするが、彼を守ろうとするセリカは自分の夫であると偽り、2人は結婚式を挙げる。
5幕
死の森へ追いやられてイネスだったが、何とか逃げられ命が助かる。彼女がヴァスコと再会するのを見つけたセリカは2人を許し、ヴァスコがやってきた船で追放することにする。
船が去っていくのを見届けたセリカは死を導く花の香りを嗅ぐ。瀕死の女王を見つけたネリュスコもまた、花の香りを嗅いで愛する女性の後を追う。
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「蝶々夫人」「ラクメ」と同じ、ヨーロッパの軍人と現地女性の悲恋のストーリーで、マイヤベーアはこの作品を20年もかけて作り上げたのだそうです。単独で歌われることも多く、有名なのは4幕の自分の夢が実現させたヴァスコが歌うアリア「おおパラダイス」です。とても甘美な旋律ではありますが、歌詞を要約すると「すばらしい景観の夢に見た楽園よ。お前は私のものだ。ヨーロッパは全て豊かにさせられる。新世界よ、私はお前のものだ」となかなか自己中心的な植民地主義の歌であります。でもこのオペラで見逃せないのは2幕で獄中のヴァスコにセリカがなぐさめに歌う歌や戴冠式でのバレエなど、エキゾチックな音楽です。
ヴァスコ・ダ・ガマといえば、世界史の教科書でおなじみの人物です。本当にヴァスコ・ダ・ガマに失恋して、現地の女王が自殺した、ということがあったのかどうかはわかりません。セリカが治める国は実際のヴァスコ・ダ・ガマの経路とオペラの内容からして、マダガスカルかインドが有力ですが、マダガスカルがヒンズー教の国だとは考えずらいですよね。でもどうやら島国らしいです。史実のヴァスコの経路は喜望峰、東アフリカを通って、インドへ行ったらしいです。「蝶々夫人」を見た日本人がよく、プッチーニや台本作家、演出家の日本文化の解釈がめちゃくちゃだ、という指摘をしますけれども、このオペラもまためちゃくちゃのようですね。しかし、作者からすると、設定をアジアやアフリカにしたのは、西欧文化の響を受けていない漠然とした未知の国というコンセプトがあるらしいです。
「ユグノー教徒」とこのオペラで見る限り、マイヤベーアのヒロインは宗教や国家のような戦争の原因になりかねないながらも愛する男性がこだわりつづけるものをいとも簡単に捨てようとします。一見、都合の良い女のようにも見えますけど、むしろなぜ恋愛のためにこのような勇気とパワーが生まれるのだろうか?という気がします。
ヴァスコの主張は他の西洋人と同じように、自己中心的な植民地主義です。彼は鎖国のセリカの国で殺されようとして命乞いをしている時でさえ、自分の国の利益を中心に考え、植民地になることを恐れている現地の人々の気持ちを理解しようとは思いません。
もしもセリカに女王としてのしたたかさと実力があれば、開国によって、国益と恋愛を両立させることは不可能ではなかったのかも知れません。しかし、全てを許してヴァスコとイネスを追放する(「釈放する」の方が妥当でしょうね)し、自殺をするということによって、自分の国がその後どういうことになるのかは彼女は考えていないのです。自分の恋のためだったら、自分の国家がどうなっても良いと考えているのです。これってオペラだから、彼女の恋にかけるパワーに感心しますけど、実際にこういうことになったら、民衆は犠牲を払うことになりますよね。ヴァスコと同様、彼女も自己中心的な人物なのかもしれません。
切ない人物はネリュスコです。彼は愛国心が強く、君主として女性としてセリカを愛しているのです。投獄されているヴァスコを殺そうとしたり、ポルトガル船をわざと危険な方向へ案内している時は悪役バリトンの顔を見せますが、それも国を守るためなのです。セリカが西洋人の奴隷として扱われている時でさえ、女王として扱っているのです。もしも、セリカの国が鎖国のままでありつづけるのだとすれば、セリカが自分の国の貴族ネリュスコを選ぶということは国のためにもなるのです。彼はヴァスコを侵略者として、恋敵として憎みつづけていますが、セリカが民衆の前でヴァスコを助けるために彼を夫だと主張する時、彼女にヴァスコが殺されるなら私も死ぬと言われたネリュスコは証人として、「女王の言うことは本当だ」とウソの証言をしてしまいます。その時、彼はヴァスコも自分自身の呪われて地獄へ落ちてしまえと心の中で叫ぶのです。この叫びは有名なアリアでも何でもありませんけど、なかなかの名句だと思いました。
知らないうちに悪者になってしまったイネスですが、あっさりとケイトを許す蝶々夫人や一度もエレンと顔を合わせないで終わってしまったラクメと違って、女の闘いに直面ことになってしまいます。セリカは鎖国の自分の国で生きていてヴァスコと合っている彼女を見て「ここでは私は女王、あなたは奴隷なのよ」と怒ります。しかし、セリカとイネスの二重唱は他のオペラでみる恋敵同士の二重唱とは違って、お互い彼女さえいなければ自分は幸せでいられるのにとは思うけれども、自分が存在するということが相手を不幸にさせてしまうことで、同情しあっているのです。