Mose und Aron

(旧約聖書・原作/シェーンベルク台本・作曲)

初演

1951年ダルムシュタット(一部)
1957年6月6日 チューリッヒ市立劇場(国際現代音楽祭) 完全上演

登場人物

モーゼ(語り手)/アロン(その兄、T)/少女(S)/病気の女(A)/若い男(T)/裸の若者(T、Br)/エフライム(Br)/僧(B)/裸の処女(SとA、各2人)/その他、長老、乞食、草むらの声、民衆 他

あらすじ

1幕

自分は年老いているので、静かに羊飼いの仕事をしていたい、というモーゼに神は民衆を解放せよ、という。自分は人を導くほど雄弁ではないというと、兄のアロンに代弁させよという。

モーゼは兄に神に言われた通り、自分の代弁を頼む。アロンは神の存在に疑問を抱いているが、弟に従うことにする。

一方、ヘブライ人の民衆たちは、この兄弟の噂を聞き、新しい神に対する期待を抱く。しかし、兄弟の説教には納得がいかず、殆どの民衆は多神教の偶像崇拝の信仰を捨てることができない。

アロンはモーゼの杖を奪い取り、地面に投げると、その杖は蛇になる。その上、彼はらい病患者を治し、壷にくみ上げたナイル川の水を血に変えて見せるので、民衆はアロンの言う神の力を信じるようになり、兄弟についていくことにする。しかし、いつのまにかモーゼの姿が見えなくなったので、民衆は心配する。

 

2幕

モーゼはアロンが奇跡によって、神の力をアピールしたことを懸念して、神の啓示を待ってシナイの山にこもったまま、40日も下りてこない。民衆たちはモーゼに不信感を抱き、耐えられなくなって、昔の偶像崇拝の信仰に戻ろうとして、金の牛の神像を作る。そして、民衆は信仰の指導者としてアロンを担ぎ上げようとする。モーゼを信じるようにと言っていたアロンもとうとう負けてしまい、自ら神の代弁者を名乗り上げてしまう。

民衆たちは自分たちで作り上げた、神を祝っている。彼らは家畜を生贄にささげたり、乱交したり、殺し合ったりして、狂乱状態に入ってきている。やがて民衆たちは熱狂しすぎて、疲れ果てて眠ってしまう。

山から下りてきたモーゼは、民衆たちの偶像崇拝を見て、激怒する。彼は兄を非難し、哲学的な論争をするが、平行線のままであるので、モーゼはせっかく山から持ってきた十戒の石板を叩き割ってしまう。アロンはこの民を存続させることが、永遠の理想を証明するだろう。それが自分の使命であると言う。火の柱に導かれた民衆たちが一神教に目覚める。モーゼは自分が雄弁でないことにもどかしさを感じる。

       

3幕

捕えられているアロンにモーゼは声をかける。自分自身の精神の自由を主張するアロンに真の精神の自由とは神の心に仕えることであるとモーゼは主張する。モーゼはアロンを解放するが、アロンはこときれてしまう。モーゼは「おまえたちは砂漠では不屈の者ばかりだった。神と一つとなるが良い」と言う。

        

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旧約聖書の出エジプト記に基づいたモーゼの物語は、映画の「十戒」や「プリンス・オブ・エジプト」でも、有名です。特に知られている部分は、大きい河を真っ二つに分けて、その間を民衆が通って逃げる場面です。しかし、私はあの話で好きな部分は、ヘブライ人の乳児を殺せとエジプト王が命令したので、母親は自分の息子を川に流した。その子供をエジプト王女が殺される運命のヘブライ人の子供であるということを知りながら、助けて自分の子として育て、実母を乳母として呼んだという話です。しかし、このオペラでは、そんな派手なシーンはありません。それよりも、人間の内面を深く見ようとしています。しかし、それにもかかわらず、シェーンベルク自身は上演不可能と思って作曲していたようです。登場人物の中には70人の長老もいます。そのうち約25人がバスの合唱、残りがエキストラという設定です。さらに、それ以上の数の民衆もいます。これでどうやって舞台の上に上がることができるのでしょうか?映画の力を借りればなんとかなるのかも知れませんけど。

このオペラのクライマックスは、民衆の狂乱パーティーです。指導者に対する不信から、自分自身で神を作り上げようとし、掟を破って、乱交や殺人をして熱狂します。集団で狂乱状態にはまるということの恐ろしさ。民衆の中には偶像崇拝に反対した者もいましたが、殺されてしまいます。これって、多数派が正しいとされている民主主義の危険な部分を示しているようにも見えます。これがエスカレートすると、集団リンチも正しいことになってしまいます。他のモーゼを扱った映画のように大河をまっぷたつに分けて逃げるようなカッコいいものではありません。

アロンはテノールで、自分の思ったことを自由に言うことが許されないのか?と考えます。モーゼはバリトンのような声ですが、歌わず、せりふのみです。モーゼもまた自分の思ったことを言うだけの雄弁さがないのかと悩みます。モーゼは民衆に充分な説明をしないまま、山にこもってしまいます。アロンは元々モーゼが戻ってくるということを信じていましたが、民衆に期待に負けてしまったのです。民衆というのは、どの時代、どの民族にも関係なく、雄弁さ、指導力(その方向性はあまり重要ではない)、短期的で明快に結果に現れることを求めがちなもののようです。

キリスト教やユダヤ教、イスラム教と関わりの薄い生活をしがちな、大半の日本人にとっては、なぜ、多神教や偶像崇拝がいけないことなのか、理解しにくいかもしれません。この旧約聖書の神は一神教で、その上、嫉妬深いところもあるので、他の宗教の神を認めてはならない、ということです。

モーゼを題材にしたオペラはロッシーニも作っていて、いくつかの版が残っています。イタリアのベルカントオペラとドイツの現代オペラを比較して見ると言うのも面白いかもしれません。

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