Z mrtveho domu
(原作ドストエフスキー/作曲ヤナーチェク)
あらすじ
1幕
シベリアの監獄に、政治犯アレクサンドル・ペトロヴィッチ・ゴリャンチコフが連れられてくる。彼の文化人風の身なりが気に入らない司令官は彼に鞭を当て、髪をそり、囚人服に着替えさせる。囚人達は羽を怪我した鷲の面倒を見ている。囚人達は作業にとりかかる。その中の一人、スクラトフはモスクワが懐かしくなり、くたびれてしまい、ルカ・クズミッチと偽名を使っているフィルカ・モロゾフは司令官を殺して今ここにいるという身の上話をする。
2幕
1年後。アレクサンドルはタタール人の少年囚アリイエイヤと親しくなり、文字を教えてあげている。アリイエイヤは自分をかわいがってくれた姉や母親に悪いことをしたことを後悔している。スクラトフは自分の恋人を奪った中年のドイツ人の金持ちを殺したことでここにいるという身の上を話す。
祭日なので、その日は囚人たちの作業はない。司祭や売春婦、街の人々も出入りしている。彼らはお祭り気分で、「ドン・ファン」と「粉屋の女房」のパントマイムを上演する。
酔っ払った囚人がアリイエイヤに襲い掛かり、湯沸しを投げつけ、怪我をさせてしまう。
3幕
囚人の病院で、アレクサンドルはアリイエイヤを看病している。同じ病室にはルカと名乗るフィルカやスクラトフもいる。
シシュコフという囚人が、その病室で、身の上話をする。フィルカという男が地主に、娘アクリイナと寝たから、農夫の仕事には未練がない。自分は軍隊へ行くのだ。と言いふらしていた。地主の家族たちはアクリイナをふしだらな娘だと言って厄介者にしていたが、シシュコフのところへ嫁ぐことになった。しかし、彼女は潔白な娘だったことがわかったので、シシュコフは彼女の実家の誤解を解くようにしてあげた。しかし、アクリイナはまだフィルカを愛しているということを知り、逆上して殺してしまったのだった。
それを聞いていたルカはうなされる。そのフィルカとは彼のことだったのだ。彼は苦しみながら死んでしまう。シシュコフは自分の人生を狂わせた男のなれの果てを知る。
場面転換
アレクサンドルは、釈放されることになった。さびしがるアリイエイヤを慰め、他の囚人たちにも別れを告げて去っていく。
囚人達は傷が癒えた鷲も放してあげることにする。囚人たちは普段の作業へ戻り、自由への憧れを歌う。
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原作者ドストエフスキー自身も、またアレクサンドル・ペトロヴィッチのように、政治犯としてシベリアへ流刑となったのでした。原作は、彼のシベリア流刑時代の体験に基づいて作られました。
このオペラは、アレクサンドル・ペトヴィッチのモデルが作者自身であるということはすぐにわかります。しかし、主役は誰なのか、あまりはっきりしていません。囚人達がなぜ、罪を犯したのか、そしてそれを今どのように受け止めているのか、という身の上話で終わることが多いのですが、「ドン・ファン」の物語や、「粉屋の女房の物語(愛人を次々に受け入れては隠すというストーリーです)」の劇中劇がパントマイムで行われるというおまけもついています。
最も、話が長いのはシシュコフの身の上話です。なんだか、話を聞いていると『イエヌーファ』を思い出してしまいます。地主の娘が、本当は潔癖なのに汚名を着せられ、家族から冷たく扱われていた。別の男と結婚した後も、自分に汚名を着せた男と顔を合わせなくてはならない。このオペラには、その自分の人生を狂わせた男がそばにいて、それを聞き、苦しみながら死んでいったという皮肉がありました。最も憎んだ男の無残な死に方。シシュコフはどう思ったのでしょうか?決して、「ざまみろ」とは思えませんでした。
少年囚、アリイエイヤは、主要人物の中で唯一女声で歌われるズボン役です。アレクサンドル・ペトヴィッチが可愛がった素直な少年も、悪いことをしていたのです。彼は、これからの長い人生を償わなくてはなりません。
囚人たちの身の上話の中では、非人間的なことをして罰を受けている人物が、どんなに人間くさかったのかというところがにじみ出ていて、それはドストエフスキーの人間観を深めるのものにつながっているのでしょう。鷲がケガをして飛べないのは、まさに自由がない囚人の象徴で、完治して後を振り向かずに飛びだって行く姿は、囚人の釈放を意味します。しかし、ドストエフスキーは鷲のように後を振り向かないことはせず、このルポ小説を書いたのでした。