The Rake’s Progress
(ストラヴィンスキー作曲)
あらすじ
1幕
春の午後、トムはアンという恋人がいるが、アンの父親トゥルーラヴは将来のために、きちんとした仕事を見つけるようにと言って紹介しようとする。しかし、トムは断り、浮ついて一攫千金を夢見ている。悪魔ニック・シャドウがトムに伯父の莫大な財産がおくられたことを告げる。その手続きをするためにトムはロンドンへ行くことにする。ニックは彼の使用人となるが、1年と1日後に支払わなくてはならないという条件を要求する。 夏になり、ニック・シャドウはロンドンの娼館マザー・グースの家にトムを連れて行く。しかし、そこでトムは真実の愛は手に入れることはできない。 秋、アンはトムからの便りがしばらく来ていないので、ロンドンへ行くことにする。
2幕
肉欲に飽きたトムはニックに真実の愛と幸福が欲しいというと、ニックは髭面のトルコ女性ババと結婚するようにと言う。 アンはトムを見つけるが、彼は、自分はアンに相応しくないから、帰ってくれと言う。そして、ババを妻として紹介する。 トムはババと生活するが、心が満たされなく、2人はケンカしてしまう。ニックは石をパンにかえる機械をトムの夢の中で紹介する。彼が目覚めるとよく似た機械が目の前にあるので、ニックと2人でこれを売る事業を手がけることにする。
3幕
事業に失敗したトムは破産し、所持品は競売にかけられている。ババはまだトムとアンが愛し合っていることを知って身を引き、アンを祝福する。 ニックは支払いを要求するが、トムは金がないので無理だという。ニックはトランプに勝ったら払わなくても良い、と言うと、アンの真実の愛を知ったトムは勝つ。ニックは当てが外れたことを怒り、トムに呪いをかけて墓穴に飛び込む。トムはその呪いで気が狂い、自分が神話のアドニスになった気分になる。 精神病院にいるトムは、見舞にきたアンをヴィーナスだと言う。アンが子守唄を歌って、トムを眠らせると、トゥルーラヴが娘を連れ戻す。トムは目を覚ますと、アンを求めながら死ぬ。 このオペラの主要登場人物が舞台の前に出てきて、これが、それぞれの思いと放蕩者の成り果てたものだと重唱を歌う。
****************************
ストラヴィンスキーはロシアの作曲家で、バレエ音楽の「ペトルーシュカ」「春の祭典」「火の鳥」が有名です。これらの作品は、ロシアの土着趣味なのですが、このオペラは原語が英語です。「これはブリテンのオペラです」と言っても、ぜんぜん不思議に思われないような気がします。彼は、西側で活躍することになり、このオペラを作ったときは既に、アメリカの市民権を持っていました。登場人物の名前もトムとかアンとかって英語圏みたいでしょ。そして、このオペラは懐古趣味もあります。モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を参考としたと思わせる、一同によりフィナーレの重唱、モーツァルト以前のオペラのようにご丁寧にわざわざチェンバロの伴奏をつけたレチタティーボ。そして、「蝶々夫人」の初演から47年も経った1951年に初演されたにもかかわらず、「後宮からの逃亡」「アルジェのイタリア女」のように、トルコを西洋文化からは異質なものとするとらえ方。 ドン・ジョヴァンニと同じく放蕩者が主役であるにもかかわらず、ドン・ジョヴァンニのように観客が魅力を感じるというわけではありません。それに、レポレロのように笑いを取ってくれる人が登場するわけでもありません。トムは自分の意志で動くドン・ジョヴァンニというよりも、メフィストフェレに誘惑されて動くファウストのようでもあります。ドン・ジョヴァンニはガール・ハントまでの経過を楽しんでいるわけですが、トムは娼館にはまります。自分のものになるまでのプロセスを楽しんでいるのではなく、お金で手っ取り早く手に入れようとするのです。 「髭面のトルコ女」という、オペラの世界だけでなく、現実にもいそうもないキャラクターがはっとさせられる作品です。その名もババ…といっても、メゾソプラノでも、そんなに年をとってわけでもなさそう。そして、その外見だけでなくて、ヒステリックで性格まで変わり者。それでいながら、身を引いて見世物小屋に戻り、アンを祝福するという優しさも持っています。かえって、カルメンよりもデリラよりもアムネリスよりも演じて見たいと思うメゾ・ソプラノの人っていても不思議ではないような気がします。 アンは、どうしてすぐにトムに見切りをつけなかったのでしょう。アンの姓はトゥルーラヴ=真実の愛です。ババに嫉妬するわけでもないし、露骨に悲しんだりするわけでもない。ずっとやさしいままなのです。都合のいい女のようでもあるけど、懐が大きい人のようにも見えます。父親はごく普通の父親ですよね。精神病院を訪れた娘を連れ戻してしまいます。 ニック・シャドーはファウストのメフィストフェレに似たキャラクターです。ファウストはマルガリーテの純愛によって救われるのですが、トムはカードで勝ちます。しかし、ニックはトムに呪いをかけるのです。そして、アンでさえも、彼を救うことができなかったのです。 ストラヴィンスキーはドン・ジョヴァンニを参考にはしたけど、ドン・ジョヴァンニのような魅力ある人物にしなかったのは、あえて、教訓じみた作品にしたかったという意図があるように思えます。この後のアンはどうなったのでしょうか?少なくとも、ドンナ・エルヴィーラのような生活は送らないと思います。