Thaïs
(原作アナトール・フランス/作曲マスネ)
初演
1894年3月16日 パリ・オペラ座
登場人物
タイス(アレクサンドリアの遊女、S)/アタナエル(修道士、Br)/ニシアス(アタナエルの旧友、T)/パレモン(修道士の長老、B)/クロビール(奴隷女、S)/ミルタール(奴隷女、MS)/アルビーヌ(尼僧院長、MS)/ニシアスの召使(Br)/舞姫(S)
あらすじ
1幕
アレクサンドリアからナイル河畔の修道院に戻ってきたアタナエルは、アレクサンドリアが、娼婦タイスの影響で市民が堕落しきっている状況を見てきたのを嘆く。彼は彼女を改心させて、アレクサンドリアを頽廃から救おうと決意する。
アタナエルは旧友で遊び人の金持ちであるニシアスに自分の計画を話し、協力を頼む。ニシアスはその夜の饗宴にタイスを呼んでいるので、参加させる。彼女がやってくると、彼は彼女の家に行くことを約束する。
2幕
タイスは自宅でアタナエルを待ちながら、自分の享楽的な人生に虚しさを感じている。そのうち、自分の容貌も衰えていくのではないかと不安がる。アタナエルがやってきて、彼女に享楽を捨てて信仰に生きることを説くが、彼女は彼を誘惑しようとする。アタナエルは自分についてくるようにと命じ、朝まで戸口で待っているという。
夜明け前、アタナエルにタイスは付いて行く決意を話し、それまでのものを壊して灰にするといって2人で家に戻る。ニシアスたちがやってきてバカ騒ぎをしている最中に火をつけた2人が出てくる。ニシアスの取り巻きはアタナエルを捕まえようとするが、ニシアスは金貨を撒いて拾い集めているうちに、2人は砂漠へ向かう。
3幕
砂漠にやってきた2人は、疲れ果てているが、遠くに尼僧院が見えて、尼僧たちを率いた尼僧院長アルビーヌが近づいてくる。アタナエルはアルビーヌにタイスを託し、別れを告げる。タイスは心のよりどころを見出せたが、アタナエルはタイスと永遠に別れなくてはならないということにためらいを感じる。
最初のナイル川沿いの修道院で、アタナエルは老僧パレモンにタイスに対する煩悩の虜になってしまったことを告白する。夢の中でタイスの妖艶な姿が見えたかと思うと、瀕死のタイスを取り囲む尼僧たちの歌声が聞こえる。耐えられなくなった彼は砂漠へ飛び出していく。
尼僧たちに囲まれた瀕死のタイスの所にアタナエルがやってくる。彼女は彼に改心のきっかけをくれたことに感謝する。アタナエルは愛を訴えるが、瀕死の彼女には聞こえず、信仰の喜びのうちに息が途絶えてしまう。アタナエルは絶望の叫びを上げる。
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娼婦が聖女になり、厳格な僧が煩悩に悩まされるという移り変わりが楽しめるオペラです。2幕の間奏曲として演奏されるヴァイオンリンの「瞑想曲」は単独でも上演されることが多くて有名です。この旋律はタイスの改心のモチーフで、瀕死の彼女が祈りながらこの旋律を歌います。
また、このオペラは場所がエジプトということもあり、中東風の音楽が時々流れます。異国情緒を豊かに感じることもできます。
マスネのソプラノのヒロインは魅力的ながらも軽薄な魔性の女というキャラクターが多いです。このオペラのヒロインも同様です。しかし、彼女はもてはやされている全盛期の時に、「本当にこんな人生でいいのか?」と問題意識をもちます。同じ娼婦でも椿姫のヴィオレッタでさえ自分の絶頂にいるときはそんなこと考えてはいませんでした。一般的な娼婦の人生というのは、たとえ美貌で優雅な生活を送れたとしても、それは一時的なもので、美貌が衰えていくと、みじめなものなのでしょう。表面的な美貌だけしか生きていく糧には使えないものなのでしょうか?彼女は自分が最ももてはやされているときにそれを考えることができていたのです。
それとは対照的なのがアタナエルです、彼は修道士なので、色恋とは無縁の生活を送る義務があります。修道士が娼婦を改心させるために自ら会いに行くというのは、彼は自覚していないのかも知れませんが、どう見ても不自然です。彼はタイスのような女性を怪しからんと思いつつも、潜在的には気になって仕方がないのです。
そんな2人が聖世界と俗世界の間をすれ違うというストーリーですが、最後には瞑想曲の旋律で二重唱を歌います。欲望に悩まされ熱烈に愛を訴えようとするアタナエルですが、タイスにとっては神への道を指南してくれた人で、欲望へ未練を断ち切るきっかけを与えてくれた人のままだったのです。もしかすると、タイスが死んだことによって、アタナエルがこれ以上堕落しなくても済むようになったのかもしれません。