2002年ウィーン・スロヴァキア・ポーランド旅行日記

<9月20日>

成田からコペンハーゲン・ミュンヒェン経由でウィーンに到着する。到着時刻は21時30分頃。本当はバスとか地下鉄などでも市街地へ出られるようだが、もう暗くなっているので、タクシーに乗ることにする。タクシーの運転手さんはドイツ語しかしゃべれない。「何日くらいウィーンにいるのか」など、自分も少しはわかる部分もあるが、大学時代にあれだけ勉強したドイツ語を忘れてしまっている自分に情けなさも感じる。信号待ちの時にそのタクシーのオヤジに足を撫でられ、ホテルで降りるときには「Mit mir」と言われ、後ろのトランクに積んだ荷物を取り出すときには、口にぶちゅーとされてしまった。そのオヤジは「チュス(ドイツ語で「チャオ」みたいなものだがスペルは忘れた)」なんて言って去っていった。ウィーンの上品なイメージが崩れてしまった。それにしてもドイツ語で口説かれる経験をするとは思ってもいなかった。

<9月21日>

朝、地下鉄に乗り、ドナウ河の乗船場へ行く。ブラチスラヴァへ向かうためである。前の日の夜、偏頭痛に襲われたのだが、なんとか行けた。船は遊覧船のような感じで、土曜日ということもありオーストリア人の中高年の夫婦みたいな客が多かった。せっかくの風光明媚な場所だが、その頭痛が後を引いているせいか、船の中では殆ど寝ていた。水域が高くなった跡のようなものが見えた。おそらく洪水の跡だったのだろう。今回は洪水が原因で不自由するということはなかった。
ブラチスラヴァへ到着すると、歌劇場へ向かった。土曜日ということもあり、料外できる場所がない。だが、クレジットカードを持っていると銀行のATMでキャッシングすることができた。その近くにボックス・オフィスがあり、その日の「オルレアンの少女」のチケットを購入した。
キエフ・ホテルにつくと、頭痛のせいで、オペラの上演時間が近づくまで休んでいた。上演時間が近づくと、歌劇場へ行き、近くのマクドナルドでチーズバーガーセットを頼んだ。店員は殆ど英語が通じないので、大変だった。

<9月22日>

昨日の頭痛のため、殆どブラチスラヴァで観光ができなかったので、午前中はブラチスラヴァ城へ行った。中では「中欧ヨーロッパの歴史」みたいな博物館があって見学した。説明はスロヴァキア語とドイツ語のみ。どうしてドイツ語があって英語がないんだろうなんて思ったら、きっとウィーンからの客が多いんだろうな。土産物を覗いたら、殆どプラハのものと似たようなものばかりだった。あえていえば、民族衣装を着た人形とか地名の入ったTシャツとかマグカップぐらいだけど、そんなお土産欲しがる人は誰もいないだろう。あ、とうもろこしの皮で作った人形というのはプラハでは見なかったけど、そういうのを材料にしたものが日本の検疫でひかかったという話は聞いたことがある。
なかなかタクシーがつかまらなくて困ったけど、大きなホテルの前だったらタクシーがあるかもと思って行ってみた。そこでタクシーをつかまえ、バスターミナルまで行ったのである。
ブラチスラヴァのバスターミナルは日曜日ということもあって、暗く、売店も休みになっていた。本当はショッピングセンターみたいなところもくっついているんだけど、そういう店も日曜日は休みなんだな。
出発になると10分くらいで入管についた。首都から車で10分で外国なんて信じられない感覚。しかもブラチスラヴァからウィーンのバス料金は10.5ユーロ。こんな金額で外国へ行けちゃうなんてヨーロッパの人って羨ましい。
オーストリアの国境に入った。あぁ、あのセクハラオヤジのいるところに戻るのか…なんて考えてみたりしたけど、まぁ、日本でも夜遅くにほんの少ししか日本語が喋れないアジア系の女の子が人通りの少ないところにいたりしたら同じような目にあってもおかしくないかも…などと気をとりなおしてみたりする。
ウィーンへ着いたら地下鉄でホテルまで行く。名前は「ハイドン・ホテル」というペンション。なんでペンションなのかというと、ビルのテナントの一部がホテルになっているからみたい。まぁ、三ツ星が私には手頃なようだし、音楽の街らしく作曲家の名前のついたホテルに泊まってみたかったのだ。

Culturallの領収書を印刷して持ってきたはずなんだけど、どこかで紛失したみたい。でも、劇場へついたら何とかなるかも、と思って着替えて歌劇場へ行ってみた。そしたら自分の名前を言ったらあっさりチケットをくれたのだった。

<9月23日>

ウィーンの観光といえば、シェーンブルン宮殿じゃない?と思い、実際に行ってみた。シェーンブルン宮殿といえば、私はマリア・テレジアなんだけど、皇后エリザベトに関するものが多かった。携帯電話みたいなオーディオガイドを頼むと、日本語の解説を聞くことができる。あれは便利。
シェーブルン宮殿の後は、シュテファン寺院を見ることに。壮大な寺院に感動。その近くにペーター寺院という寺院もあるので行ってみた。これらの寺院は両方とも外側が工事中であるのが残念だった。
この日はフォルクス・オーパーの「カンダウレス王」。フォルクス・オーパーは中心部からはややはずれたところにある。隣の席にも日本人の女の子2人がいた。う〜ん、日本語でもそばで感想言うのやめて欲しいな。確かにエグいオペラなんだけど。この劇場の隣にカフェがあったので入ってみた。わりと落ち着いた雰囲気だった。

<9月24日>

前の日がシェーンブルンだったので、今回は王宮を見ることに。ここでも、オーディオガイドが日本語で説明してくれる。皇后エリザベトが美容体操に使ったという道具を一度見てみたかったのだが、見られなかった。彼女はすごいダイエットもしたらしい。「絶世の美女」と呼ばれる人でさえ、美貌のための努力はしているのだ。いろいろなところから集まってきた食器や宮廷の生活を見られるというところはシェーンブルンと同じ。
王宮を見た後は、プラーターの観覧車に乗る。大人分の料金を払ったのに、チケットには
”Kind”と書いてある。子供に見えるのか?でも、咎められることなく乗ることができた。
一旦、ホテルに戻って着替えた後、歌劇場へ。迎えのホテル・ザッハーへ行き、ザッハートルテを食べてみる。まぁ、よくくどいなどと言われているけど、甘党の私はなんとかいける。だが、夕食を取る気はしなくなった。

<9月25日>

ウィーンともとうとうお別れ。セクハラを受けた観光地なのに(まだ言ってる)、離れるとなるとさびしい気持ちになる。セクハラされたウィーンには、もう行きたくないかと聞かれればそれはちがう。次に行ったときもあんな目には遭いたくないけど。地下鉄でウィーン南駅にいく。
ウィーンからポーランドへ向かう列車は8人ぐらいが向かい合わせに座れる個室のようになっている。私が座ったのはチェコからの出稼ぎっぽい男性2人とポーランド語とドイツ語が話せるおばさんとその娘さんが同室になった。
オシフィエンチムの駅で降りると、暗く冷たい雰囲気があった。私は華やかなウィーンを離れて、ポーランドに来たのだと実感した。建物も旧ソ連っぽい。ついたのは15時30分くらい。アウシュヴィッツとビルケナウを見るには時間を節約しなくてはならないからタクシーは必須だ。だけど、駅に両替できるところがない。駅から200mくらいのところにホテルがあるので行ってみたら、その中に銀行が入っていて両替することができた。
アウシュヴィッツは博物館のようになっている。地下に荷物を預けると、倉庫のような建物が並んでいて、その中にテーマ別に当時の様子が生々しい様子がわかるのだ。一番、衝撃的だったのは20くらいの囚人服をきた首のないかかしのようなものがずら〜と並んでいるのを見たのだ。あと、絞首刑を受けた人たちの写真なんかも展示してあった。囚人達の靴の山、戻ってくるようにと思ったのか白い字で大きく名前や住所が書かれた鞄、なぜか整然と置かれた義足。ガス室の中にはコンクリートを引っかいたような跡がいくつも残っている。それは時間が経ったからなのか、中で苦しむ人のあえぎだったのかわかりずらいけど、叫び声が聞こえてくるようだった。何度ももうたくさんだと思ったことか。でも、せっかく来たんだし、不謹慎ながらも怖いもの見たさというのも少しはあったので一通り見て周る。何人かで行けば「怖いよね」と言い合える人がいるのに、一人で行ったばかりにそういうことを言える人もいなく自分の心に納めておくしかないのだ。
アウシュヴィッツ博物館から3kmくらいのところにビルケナウと呼ばれるところがある。ここには荷物預かり所がないので、広大な敷地をバックパックを引きずって歩かなくてはいけないのだ。とうてい最後まで歩くことができなかった。でも、手前の方にある小さな建物の中には当時の囚人が使ったいうトイレの跡を見た。
ビルケナウを出ると、タクシーの運転手さんが営業してきた。駅についてクラクフに到着するには21時を過ぎることになる。ちょっとお金は張るかもしれないけど、クラクフまでタクシーで行くことにした。オシフィエンチムからクラクフまでは田舎道を通っていくことになる。民家の前には聖母像が飾ってあったりして、カトリック信仰の篤さを感じさせる。タクシーの運転手さんは本当にホテルの場所がわからなくて、困っていたようだった。でも、なんとかホテルに到着できた。
クラクフのフロリアン・ホテルの受け付けの人はとっても美青年で、物腰もソフトだった。屋根裏部屋を改装したような部屋だったが、きれいで設備も新しく居心地はよかった。

<9月26日>

ホテルのチェックアウトの時間が正午までなので、荷物をホテルに置いたまま、フロリアン門やチャルトルスキー美術館を見た。チャルトルスキー美術館は有名なレオナルド・ダ・ビンチの「白テンを抱く貴婦人」という絵があるのだが、貸し出しされていて見ることはできなかった。
この街の中心部には広場があり、織物会館という建物の1階に土産物屋がずらっと並んでいるので見てみる。ポーランドのお土産で有名なのは琥珀。でもちょっとそれは高価だなと思うと、木工品や工芸品とか。でも、もらって喜ぶ人はあまりいないだろうな。私は木工品のバレッタを自分のために買った。
チェックアウトの時間になったので、荷物を一旦、駅の荷物置き場に預けるとタクシーでヴァヴェル城へ行った。そこで宝物館を見た。その城は川の近くにあるため、時々火を吹き出す竜の像が見所だと聞いて行って見たけど、行くのに洞窟みたいなところを通ったりしなくてはならないのに、こんな感じ?と思った。
15時代のクラクフからワルシャワへ行く列車に乗り、ワルシャワに着いたのは18時頃。タクシーでホテルに着くと、その中にあるレストランで夕食を取った。

<9月27日>

自分の足でワルシャワの様子を楽しんでみようと思い、ひたすら歩く日だった。マクドナルドに入ってみたけど、ブラチスラヴァ以上に英語は通じない。でも欲しいものを注文することはできた。大歌劇場に博物館があると聞いたので、ポーランドオペラに関する資料を見ることができるかもと思い、歌劇場のボックスオフィスのスタッフに聞いて案内してもらった。だけど、そこに展示してあったのはオペラの資料なんかではなくて、ピカソの作品。一応、ピカソ展も見たけど、本当に見たいものがなくて残念。ホテルに戻ったら、ショパンのコンサートには行けないかと聞いてみた。そのような現地の観光ツアーがあるらしい。だが、次の日になるということだった。私は翌日のためにそのツアーと昼間の市内観光ツアーを申し込んだ。

<9月28日>

前の日に申し込んだツアーに参加した。午前中のツアーはワルシャワ市内観光。一通り主要な場所を英語のガイド付きで周り、昼食前に終わる。使い捨てカメラがなくなったので新しいものを買おうとしたけど、日本なみに高い。でも、外食費は安い。ワルシャワに地下鉄はあるのだが、観光客はあまり使わないようだ。まぁ、そんなに広い街でもないから自分の足で歩きまわるのもいいだろう。
ホテルに戻り、スーツに着替えてから、ショパンのコンサートのツアーに行った。郊外の宮殿でのコンサートで、バスで降りてから暗い公園を歩くことになる。しかも寒い。だけど、休憩時間にはシャンパンのサービスもあって、気分は良かった。

<9月29日>

この旅行もいよいよ最後の日。午前中に空港へ向かった。スカンジナヴィア航空を使ったので、コペンハーゲン経由となる。ポーランドとデンマークは意外に近くて飛行機に乗っる時間が1時間程度なのだが、サンドイッチと飲み物はちゃんと着いた。
コペンハーゲンから成田へはツアー客っぽい日本人が沢山帰るようだった。でも、私の隣に座った人は英語圏のオジさんだった。彼は私が3枚めくりのソリティアで苦戦しているのを隣で見ながら、「できたよ」と得意がっていた。往時の時にも見て感動したディズニー映画の「ターザン」をもう一度見る。やはり2回目でも感動する。

<9月30日>

とうとう成田に到着した。新宿行きのバスに乗ると、職場へ向かい、午後出勤する。久しぶりに日本語を使う感覚がとても不思議な感じだった。

recommendhome