Yuzuru
(木下順二台本・團伊玖磨作曲)
初演
1952年1月30日大阪朝日会館
登場人物
つう(鶴の化身、S)/与ひょう(農夫、T)/運ず(Br)/惣ど(Bs)/子供達
あらすじ
1幕
村の子供達が、村の青年与ひょうの家にやってきて最近この村にやってきた彼の妻つうに歌を歌って遊んで欲しいとせがみにくるが、彼女は出かけていない。与ひょうが代わりに相手にしようとするが、つうが戻ってきたときのために食事を暖めておこうと思いつく。つうが戻ってくると、食事もそこそこに二人は出かけてしまう。
運ずと惣どがつうの噂話をしている。彼女は鶴の羽を使った「鶴の千羽織」と呼ばれる高価な織物を織ることができるが、彼女は誰にも織っているところを見せようとしないし、鶴の羽をどこから持ってくるのかもわからない。また、鶴や蛇が人間の妻になるという話もあることから、つうが本物の鶴ではないかと考える。。
2
人は与ひょうを説得し、一儲けしようと考えるが、機を織る度に、やつれていっているつうはもう鶴の千羽織は織らないと言っていたのを理由に断る。2人はつうがどのようにして与ひょうの妻になったのかを聞くと、以前、鶴を助けたことがあること、数日後、つうが妻にして欲しいと頼みにやってきたことを話す。つうは与ひょうが物欲にかられて自分から離れていくのではないかと不安がりながら、家に戻ると、再び2人は与ひょうを説得しようとする。布が手に入れば金儲けができ、都見物までできるという言葉に彼はつうに織らせることを承知してしまう。
与ひょうは、「私の他に何がほしいの」というつうを説得し、織らなければ出て行くとまで言い出す。つうは運ずと惣どに抗議するために外へ出るが、見つからず雪の中に倒れてしまう。与ひょうはつうを家へ連れて帰ってくるが、相変わらず都ゆきを望みながら眠ってしまう。
もしも布を織れば死んでしまうかもしれないという不安があるにもかかわらず、与ひょうに戻ってきて欲しいと願うつうは与ひょうを起こし、織ることと機屋を見てはいけないという約束をして織る。運ずと惣どがやってきて機屋を覗くと、鶴が織機の上を動き回っていてつうがいないことを与ひょうに言う。不安になった与ひょうもついに覗いてしまう。つうがいないことを知った与ひょうは雪を彷徨ってしまう。
機屋から戻ってきたつうは2枚織ったが、機屋を覗かれたために与ひょうのところにいられなくなった彼女はそのうちの1枚を大切にして元気で過ごすようにと言い残して去っていく。
子供達がつうに遊んで欲しいと頼みにやってくるが、与ひょうは呆然としている。子供達の「鶴が飛んでいる」という声に彼は、鶴が姿を消すまで見上げていた。
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「お金を儲ける」ということを私はそれほど悪だとは思いません。もっとも詐欺や悪徳商法まがいのものは別ですが。勤勉に働き節約し有意義なお金を使うということはむしろ美徳だとさえ思います。しかし、なぜか金銭欲は童話などでは悪徳にされがちです。でも、現実の人間の話としては結婚に相手の収入を考えない人がいるでしょうか?金銭的な理由で夫婦関係が破綻するケースだってあります。しかも、人間の欲望はキリがありません。好きな人と一緒にいたい。好きなことをしたい。苦痛な思いをせずにおいしいものを食べたい。お金も地位や名誉も愛情も健康だって欲しい。もちろん聖職者のようにストイックな生活を自ら望む人だっていますが、彼らだってより質の高い欲求を満たされることを望んでいるからあえてそうしているのです。大事なのはキリがない欲望の中でどれに優先順位をつけるか見極めることなのです。
つうはなぜ最初「鶴の千羽織」を織ったのでしょうか?なぜまじめな農夫の与ひょうに都の話をしたのでしょうか?つうが最初からそんなことをしなければ与ひょうが必要以上の物欲にかられることはありませんでした。もともと人間ではなかったつうは人間は情報によって限りない欲望を抱くものだということは知らなかったのかも知れません。
この作品は日本を代表するオペラとされていますが、西洋のオペラばかり聞いてきた人にとっては、少し抵抗を感じるでしょう。西洋の文化を背景に育ってきたオペラを日本人が作曲して本当に大丈夫なの?と。でも、「かごめかごめ」のような誰でも知っている童謡が挿入されていたりします。素朴な雪国の子供達の存在も見逃せません。与ひょうはその中で、留守のつうに代わって子供の相手をしたり、昔の農村の男性らしくなく妻のために食事の用意をしてあげたりして、和める部分があります。しかし、人間の欲望を知らないつうが持ってくる都の情報や大金に換えられる織物、そしてそれを利用しようとする運ずと惣どによって、素朴な青年がわがままな子供のようになってきます。後悔した時は既に遅かったのですが、彼はその後、どうしたのでしょうか?相当落ち込んだかもしれませんが、おそらく新しく人間の女性と結婚したでしょう。つうだって雄の鶴とつがいになったかもしれません。「知ってはいけない」と言われつつも夫の秘密を知った「ローエングリン」のエルザのように死んだわけではありません(あれはご都合主義的にも思えますが)。他のオペラではあまり見られない終わり方で、観客の心に残していくものがあるように思えます。