10日経った日の同じ時刻に再び立って見た。草がかなり伸びていた他は特に変化を感じなかった。目線を草の高さに見てみた。すると全く違った世界に見えた。後方には白木山に向かって広がる山すそがあって、木立の中を爽やかに流れる春の小川に見えた。
コメントは沖家室 鯛の里 松本が感じたままを書きました。作者の思いと違っていたらゴメンナサイ。そのときは訂正します。
司馬牛さんの作品 (NO.1)
笑顔、怒り顔、泣き顔、叫ぶ顔、そんな表情の石百八個が泊清寺境内で遊んでいる。司馬牛住職のもとで,石仏が戯れているようにも見える。しばらくベンチに座って耳をすませてみた。やはり聞こえてきた。
「ぼく,ここが気に入った」
それにしても、似てはいないだろうか・・・。司馬牛さん、また飲もう!
たてまつふみこさんの作品 (NO.33)
開会式の数日前から炎天下で黙々とガムテープをワッカにする作者がいた。ひとつひとつのワッカが,増殖する生命体のように育っていく。開会式のあともその作業を繰り返す彼女が居た。真っ白な粘着テープに次第にほこりが付着していった。彼女は何を考え,何を求めて作りつづけるのだろうか。作品は実は彼女自体で,それは分身なのだろう。
開会式から10日後、ふたたび作品の前に立った。チリやホコリがかなりついていた。そして,小さな虫もいた。人もまた,年を重ねるごとにそうなるのだろう。しかし、裏側は真っ白なままだった。
嶋田日出夫さんの作品 (NO.25)
空き地の真ん中を耕し石灰を蒔き,その上にガラスを敷いている。霧雨の水滴が,強い西日の日差しを受けて宝石のように光っている。どう捉えたらいいのだろう。作者の意図がつかめない。作者も自分の作品がどのように変化していくのか楽しんでいるのだろう。好奇心と冒険、遊びと真剣、様々な言葉が頭をよぎる。ただ、ぼくに羽根があったら,緑の茂るこの場所に真っ先に降り立つだろう。閉会式でまた会おう!
木村友子さんの作品 (NO.27)
石膏で固められたハート型のオブジェが点々と丘に向かって続いていた。どこまで続くんだろう? 途中の井戸端でトグロを巻いて、再び石段を上がり,とうとう一番上の石井宅まで登らされた。そこには何も無かった。ヤラレタ!。これはたぶん女性だ・・・やっぱり! しかし、小さな頃にもこんなことがあった。そうだ! ドングリだ。ドングリの落ちている方向をたどっていくと塚があった。
田中美智甫さんの作品 (NO.30)
長さの違った糸に吊るされた赤いテルテル坊主が風に揺れていた。わずか70センチの隙間の軒下が路地なのだろうか。しかし、作者は見ていた。「この奥にガスの元栓があるんだ」。こんな小さな路地も島の生活にはなくてはならないのだ。煩悩の数と同じテルテル坊主は、一つとして同じように揺れてはいなかった。
松本恭吾さんの作品 (NO.25)
沖家室は主の居なくなった家も澄んだ空気が漂っている。ふと足を踏み入れると,その空気を見ることがある。フ−ッと息を吹きかけてみる。すると静かに漂っていた空気が,ドライアイスのように舞いあがる。そして、何も無かったように再び静かに漂う。レースで作られたこの作品もそうだった。見事だ!
作品紹介