[磐船神社] :いわふね、

住所:交野市私市(かたのし きさいち)
祭神:天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(饒速日命) (あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
本殿:磐船。
千木:。 神紋:。
場所:168号線(旧)大阪府と奈良県の境界近く。境内を天の川が流れる。

略記,伝承:
「大字私市の南青嶂峨々として一峡を為せる処天の川は星田村より落ち来たりて此の間を通じ清泉有るひは緩く石を摩し或は急に岩を撃ち紆余索囘して巌石亦悉詭譎変幻を極む、謂はゆる磐船の旧跡是なり。その最大なるは高さ六丈、長さ五丈強、船形を為して中流に斗峭し上に磐船神社有りて実に此地の奇観たり。伝え曰、饒速日命の天津御祖の詔を稟け、十種の神宝を奉じて哮ヶ峰に降り給ひしとき乗じ給ひしものなりと。・・。−河内名所図会抜粋(1810頃)」

磐船 岩窟めぐり入口

往古、淀川より天の川を遡り河内よりヤマトへの要道であった。淀川よりの台地には縄文・弥生・古墳と続く遺跡がみられる。古墳群は4C初めから後期にわたり、河内と大和を結ぶ拠点を統括した物部の一族、肩野物部氏が有力とされている。
度々の洪水などから近世以降は星田などに分祀・祭祀された。



[三宮神社]:さんのみや、息筒大明神、屋形大明神。

住所:枚方市穂谷2-6-2。
祭神:素盞雄大神、御食津大神
、大国主大神、天津神
、住吉大神、仁徳天皇(明治期の合祀)。
本殿:南向。平入
千木:外削。
神紋:抱沢瀉(かかえおもだか)。
場所:307号線穂谷口を南下1km程、三宮バス停そば、pk有。

略記、伝承: 神功皇后9年秋新羅国征伐の時当地を行幸の折り山深く谷険しく路難のため天神地祇に祈願す。その時神現あり「難路故各所に物を置き導き奉らんと告げ給う」果たして行軍の先々に白幣を筒竹に挟み所々に置き路案内をした、なを「皇后に軍謀秘策を告げ給う」。皇后凱旋後幣帛を寄進された。
仁徳29年春額田大中彦皇子に社殿建営を命じ創立した。
孝謙46天平勝寶2年、勅して息筒大明神の神号を授け給う。
文徳55仁壽2年、惟喬親王を遣わして正三位勲六等の宣下あり。
慶長年間に大阪城の鬼門除けとして豊臣秀頼により再興され交野三の宮と称した。今の社殿は寛永11年の再建になる。

創建当時は息筒大明神、屋形大明神、住吉大明神と呼ばれたが、鬼門除けの交野三宮と称した後、三宮屋形大明神、三宮住吉大明神など呼ばれていた。

三宮神社は津田郷の総社で、往時は古軒と言われる氏子139軒が祭式に裃帯刀で拝殿に着座して祭祀を行っていた。

例祭(旧9/9・現10/15)、春祭(4/15)、夏祭(7/31)。

(三之宮神社略記)

拝殿 本殿裏の磐座・屋形石

交野三宮:一之宮は穂谷川下流の 交野神社、二之宮は枚方市船橋本町の船橋神社になる。

本殿は南面し裏に屋形石と呼ばれる磐座があり、ご神体とされる。本殿建築前からあって産出地については調べていないが近くでは産出しないという。境内横を流れる穂谷川は北流し牧野で淀川と合流する。
江戸後期の地名は、穂谷村−津田村−氷室村大字穂谷飛地字屋形。昭和初は北河内郡津田村大字津田飛地屋形。



[星田妙見宮]:ほしだ、小松神社、星田妙見、。 撮影KENJIさん

住所:交野市星田2-5-14。
祭神:天御中主尊(あまのみなかぬし)。
本殿:(拝殿:北東向き)。千木: 。
神紋:八卦細輪に北斗七星。
場所:JR星田駅東南1.5km。

略記、伝承:
弘仁年間(810-24)弘法大師が獅子窟に入り仏眼尊の秘法を修行中、天より七曜星が当村の三ヶ所に降臨したので星田村の名をつけた。
その降臨した三ヶ所の一は、当山の星石即ち妙見石である。高野山を開いた後、大師再び当山に登り、先年星の影向ありしこの霊石を拝し北辰妙見大悲菩薩獨秀の霊岳であるので慇懃に勧請して妙見山龍振院と称し、双石を開眼供養した。
他の2つは当妙見宮東北の光林寺(光明寺・星田寺)と西方の星森にある

拝殿,撮影KENJIさん 磐座:妙見石(織女石),撮影KENJIさん

北に織物神社、東南に磐船神社があり磐座信仰と七夕が一緒になったものだろう。石が落ちた3ヶ所は丁度正三角をなし各所に石塔などが残る。
星田妙見のある妙見山は独峯で頂上に巨石が2個あり、妙見石・織女石などとある。江戸後期の資料ではこの石の側に祠があり小松神社と呼ばれていたとあり、その頃(1800)特に賑っていたと記されている。明治39年に星田神社(石清水新宮)の境外末社とされた。

妙見尊は神道で天御中主尊、陰陽家では北辰星、日蓮宗徒では妙見菩薩とされる。

謝辞:写真提供,KENJIさん。