[古室八幡神社]  :こむろ、

住所:藤井寺市古室2丁目1
祭神:品陀別応神天皇
本殿:西南向、平入
千木:外削、(5)
神紋:三巴
場所:仲津媛皇后陵と近鉄南大阪線の間、陵の濠に接す。沢田極楽寺の南300m程。pk難。

由緒,伝承:伝わらず。
仲津姫陵の周りに古室、沢田、沢田(現在:土師ノ里)と3つの八幡社があるがいずれも品陀和気応神を祀るが創建など詳細は伝わっていない。例祭は3社とも10月9日で伴林氏神社と同じである。

本殿は西南向きで1km程先に恵我長野西陵(仲哀)がある。
狛犬の口が赤く塗られている、その顔を撫でた手で自分の顔を撫でる参詣のご老人の姿が印象的だった。

小さな八幡社は誉田応神陵近くにも有るが、陵造成工事の殉職者を祀っているような気がしている。
この仲姫(仲津姫)陵の東はその後裔に菅原道真などをだす土師氏の本拠地で道明寺天満宮があり、今も土師、土師ノ里の名が残る。


[誉田八幡宮]  :こんだ、八幡宮、長野山誉田八幡宮、

写真 住所:羽曳野市誉田3丁目1 
祭神:応神15、仲哀14、住吉3神、神功皇后、八皇后。 
本殿:東向、平入
千木:外削、(4) 
神紋:剣巴、菊
場所:近鉄南大阪線古市駅北600m。車、新旧170号どちらからも入れpkもあるが道は細い。

由緒,伝承:応神が大和軽島宮で崩御し遺詔により、ここ誉田の恵賀藻伏岡に葬る。欽明29のとき初めて南向きの殿を造営とあり、後冷泉70のとき現在の地に東向きの本殿を造営と伝わる。その後、源頼朝、豊臣秀頼などの造営記録がある。
本殿より右、北へ歩くと応神陵の遥拝所がある。現在不明だが河内名所図会によると陵の頂きに6角の宝堂があった。

書記雄略21紀では、餌香長野邑。古く志紀郡→古市郡。誉田(こむだ)は(ほむだ)が正しい読みで(こむだ)は訛りという。記には、品陀の名はこの地の品陀真若王(景行12皇子)の娘を娶ったのが品陀和気命の由来という。
陪塚の馬塚は「田辺史伯孫」の伯馬駿馬の故事の場所と伝わる。


[当宗神社]  : まさむね、

住所:誉田八幡宮境内社 
祭神:宇多天皇外祖母と伝わる
本殿:東向、平入
千木:外削、(3)。 神紋:。
場所:

由緒,伝承:「式内社」
式内に祭神3座とあるが詳細伝わらず。宇多59天皇外祖母当宗氏の祖神といわれる事が多い、実母との伝も有る。

「桓武50の子仲野親王の室、贈正一位当宗氏の祖神」、左京諸藩、河内諸藩に「当宗忌寸、後漢獻帝4世孫山陽公之後也」とある。

記録には近飛鳥(ちかつあすか)の発祥地に近い「杜本神社」と同時での勅使などが多い。


[白鳥神社]  :しらとり,はくちょう、伊岐宮(いき)

写真 住所:羽曳野市古市1−1。
祭神:日本武尊、素盞嗚命、稲田姫命。
 合祀:饒速日、広国押武金日命、 本殿:東向、妻入
千木: 
神紋:五葉木瓜、
場所:近鉄古市駅の東、ホームと境内は接している。

由緒,伝承: 景行12の皇子といわれる日本武尊白鳥3陵のひとつ、古く東の伊岐谷の白鳥陵の頂にあったが慶安1(1648)震災にあい、天明4(1784)古市に遷座、明治41年「式内高屋神社」を合祀し祭神が残る。

陵の明定については近くの軽里の地名に残る允恭19子軽皇子の墓とされたり移動している。