[踞尾八幡神社]  :つくおはちまん、八幡神社

住所:堺市津久野町3。
祭神:誉田別命・こんだわけ、
本殿:西向
千木:外削
神紋:三巴
場所:JR津久野駅北500m。大鳥神社東北1km、府道30号下田信号東へ、pk無し。

由緒,伝承:神功皇后凱旋の時,御輦(れん・手車)を駐めた場所との由緒により、天徳年間(957-961)にこの地に誉田別を祀ったという。
伝承に源義経奉献の馬鞍、義経・弁慶・伊勢義盛の文書があったという。

百済川、石津川の合流点の段丘上にあり、階段上がって鳥居からの展望佳。古く「田を見下ろし茅渟の海一望の中にあり」との文も見える。崖下に宮下の地名残る。
近所のお年寄りのお話では、40年ほど前までは海も今より近く360度展望できたとのこと。(神社、楠老大木の話。幹に趣有り。)

末社:神功皇后神社、高良神社(武内宿禰)。


[方違神社]   :ほうちがえ、ほうたがえ、かたがえ、方違大依羅神。

写真 住所:堺市北三国ヶ丘1
祭神:天神地祇、速素盞嗚尊、三筒男神、息長足日売尊(息長帯比売命)。 
本殿:西面、妻入
千木:、 
神紋:  、三巴
場所:JR堺市駅西1km、南海高野線堺東駅東400m。堺大和高田線に面している、pk有り。

由緒,伝承:「式内社」
崇神10天皇8年、物部大母呂隅足尼を遣わしここに素盞嗚尊を奉祀する。
神功皇后凱旋の折、葦の葉に埴をつつみ「方違」をなし、この地より住吉に入ったと伝わる。貞享1(1684)発刊の「堺鑑」などに”新羅を攻めるに兵が集らないので天神地祇(或は住吉など)に祈ったら国内から3750人の兵(大小の神)が集り、住吉の神を副将にし勝利を得た”とある。
また古くこの地は摂州、河内、泉の三国の堺でどれにも属さないとも見え、四辻、八街のような特別とみられる地であったと思われる。
百舌鳥耳原北陵(反正陵)のほぼ北に位置し、和泉名所図会などをみると反正18陵は三国池とも呼ばれ田畑の中を方違神社まで参道が通じていた様子、境内を含め付近は松が多い。南西には楯井陵があり神功凱旋の折、楯を置いた場所と謂われる。

三国山泉寺(向泉寺)の支配下にもあり、行基、三国山の地に精舎を営み鞍作鳥仏師に千手観音をつくらせ安置する、との伝もある。
方違の訓みはいろいろあるが、近所の方々は(ほうちがへ)と呼んでいる。

例祭:5月晦日


[我堂八幡神社]  :がどうはちまん、厄除宮。

住所:松原市天美我堂4
祭神:誉田別命
本殿:平入
千木:外削、(3)
神紋:三巴
場所:地下鉄御堂筋線北花田駅東1km。府道192が我堂金岡線天美我堂信号西へ府道187に面す。

由緒,伝承:祭神は百舌鳥村の八幡宮からの勧請らしいが詳細不明。
もと「十五社」と称し明治維新後「八幡神社」、大正の頃「産土神社」と称すと(府神社史)にあるが、八幡と産土の合祀によるものと思われる。

末社:琴平神社、天雨神社、稲荷神社。