[等乃伎神社]  :とのぎ、

住所:高石市取石2
祭神:天児屋命・あまのこやね。菅原道真。
本殿:西南、平入(旧:妻入)
千木:外削、(5)
神紋:
場所:JR阪和線富木駅東600m。府道30号富木信号近く,西に杜が見える。pk若干。

由緒,伝承:「式内社」
社伝には孝謙46天皇天平勝宝4年5月(752)、殿来連(とのぎ)この宮を営み祖紳の霊を枚岡神社より迎え奉斎する、この年太政大臣藤原武智麿がこの地に住んだので「殿来」という。
続日本紀:中臣殿来連竹田売。藤原武智麻呂、其の子大納言・恵美押勝(仲麻呂)がこの里に居住したと伝わる。
道真は延宝7年の合祀で右殿に座す、天神とも呼称されている。

巨木伝説、兔木(とのぎ)河の西に・・枯野(からの)。。朝は淡路夕は高安山に影がかかる。神社の東南を流れる富木(とのぎ)川(現在小川・暗渠)。 氏地の大園遺跡の発掘物のなかに多数の漁具類がでている。
都祈にも通じる「とのぎ」の言葉は古代の太陽信仰と密接なつながりがあり、古代朝鮮の新羅語では「日の出・朝日」を意味すると云われる。

古来「霞の森」と呼ばれ、楠、樫、榊、くろがねもち、もっこく等、今も種類が多い。境内裏東が旧西高野街道(府道30号)になる。
 *神官と楠、枯野:カヌーの話。

摂社:大年神社、稲荷(保食)、壷(不詳)、菅原。大年神社は「式内社」だが、明治の合祀以前近くに大年を祀る社が多く(6社)断定はできない状況だったらしい。

「巨木伝説」:古事記下巻、仁徳16天皇の段に”兔寸(とのぎ)川の西に一本の高い樹があった。朝日があたればその影は淡路島に、夕日には影は高安山を超えた。ある日この樹を切って枯野(からの)と呼ばれる船を作り、朝な夕なに淡路の清水を汲んで天皇に献上した。この船が壊れて廃材を焼いて塩をつくり、燃えなかった材を琴を作ったら素晴らしい音色で遠くの村里まで響きわたった。”とある。
この巨木伝説の比定地は八尾市の楠本神社とこの等乃伎神社の候補があり、最近は等乃伎の比重が大きいとか。影ができる地理的位置からは等乃伎、比喩であれば物部・楠本神社と思われる。