【 杜の風景 】[古代であそぼ] 


甲府盆地、南辺

[曽根丘陵] 山梨県東八代郡から西八代郡(やつしろ)にかかる丘陵。
 中央高速道の甲府南ICのある中道町から南西の市川大門町にかかる丘陵上には各時代の遺跡がみられるが、特に弥生時代後期から古墳時代にかけて興味深いものが多い。ひと山こえた北の扇状地には膨大な土器・土偶などが出た釈迦堂遺跡がある。
 
・弥生の軍事基地?
中道町の上ノ平遺跡は、120余の方形周溝(墓)群がみつかり30m*24mの規模のものもある、遺体埋葬痕は発見されていないが、連続した遺跡の住居跡、w4.2-5m、深さ2mのV字断面の大規模な溝、大量出土の石鏃の他に鉄鏃、銅鏃。最大の1号周溝(墓)から古式の土師器、などが発掘されている。弥生後期から古墳初期の武器工場・軍基地と思える。

・古墳時代の大国家?
 古墳初期からの大型古墳が密集している、長160mを越す前方後円墳は東国には、山梨1、茨城1、群馬2、宮城1、で山梨の1がこの曽根丘陵にある。
・銚子塚古墳:東西長167m、後円部径85m、周濠は幅21m余、竪穴式石室。出土品は鏡5のほか勾玉、管玉、車輪石、石釧路、鉄斧、鉄鏃、貝輪、円筒埴輪など。特に貝輪は水字貝製貝輪とみられていて興味を引く、静岡磐田市松林山古墳・長野須坂市鎧塚古墳(断片)などからも出土している。
 この他、鉄製品石釧など出土の径67mの「丸山塚」。短甲・石枕・鏡、鉄製品の豊富な出土があった、全長97m、後円部径47mの「大丸山(おおまるやま)古墳」。馬具を副葬の初期例として、長42mの「かんかん塚古墳(茶塚)」。玉造工房と考えられる「京原遺跡(きょうばら)」などがある。
・主な古墳は古い順に、1小平沢(前方後方(円)、2大丸山、3銚子塚、4丸山塚、5天神山(前方後円)6八代銚子塚、7かんかん塚、8大塚&八乙女2号(前方後円)9八乙女3号(円)10八乙女1号、11王塚(前方後円)&八代狐塚(前方後円)、と考えられている。

・呉鏡出土の鳥居原
 赤烏元年の呉鏡出土の西八代郡三珠町鳥居原、鳥居原古墳は大半消失しているが、径20m未満、高さ3m程度で、小口積竪穴石室で朱を使用していた。赤烏元年銘対置式神獣鏡、内行花文鏡、刀剣身3、土師器数点、陶磁器破片、など、が確認されている。
 「呉鏡」は、白銅の優品で径12.55cm、鈕の巾2.2cm,h1.0cm,縁反り0.3cm、素材の分析比較からも魏の鏡とは違う呉の鏡と確認されている。また陶磁片を鑑定(1982)、中国江南浙江省上虞(じょうぐ)窯出土の胎土と類似していて、これに類似の陶片の出土は国内に無い、とのことである。
(日本の古代遺跡,山梨,保育社など)

これら曽根丘陵の遺跡群と笛吹川を挟んで北の山麓の遺跡は対峙しているという感が強い。対岸の山麓には、ヤマトタケルの伝承を持つ「酒折宮」、古く甲斐国一宮だった「物部神社」それに続く「山梨岡神社」が在る。タケルが通ったという御坂峠の甲府側は縄文と平安の遺跡が目立つところ、実に「あそぶ」につきない素材です。



[表門神社]、山梨県西八代郡三珠町
 <表門神社から、東・夏至>
 夏至
 朝日の昇る方向に曾根の大塚など古墳群がある。笛吹川左岸で「日」と「曽根古墳群」を重ねて見れるのは、低湿地を除くと、この表門あたりしかない。

 <表門神社から、西・冬至>
 冬至
 冬至の日没方向、この方向は各地で古墳・墓が多く見られる。御殿山の下にみえる「*」の場所には祠があり、その山蔭に市川大門の浅間神社が在る。
関連: ・表門神社、



[弓削神社]、西八代郡市川大門町
 <弓削神社から、東・夏至>
 夏至
 弓削の場所は扇状地のちょっとした窪地で住むには最適の立地、下方に広がる水田と対岸山麓方向に展望が広がる。弓削と言うと道鏡で大阪河内にある矢作の地名もあるが類似地名などが少ないので薄いのか或は短期なのかも知れない、とすると蘇我氏か天武の流れの弓削に由来なのだろうか、武具に関連する部の弓削と矢作のセットだろうか。
関連: ・市川大門二宮弓削神社、



[浅間神社]、西八代郡市川大門町
 <浅間神社から、西・夏至>
 夏至
 甲府盆地の川が一つに集る場所、富士川を通じて太平洋岸からの道を一望できる場所。北東から曽根の大塚古墳、表戸神社、とこの浅間神社が冬至の日没線上にきっちりおさまる。曾根丘陵の古墳群の最盛期には重要な物見砦で祭祀の対象のひとつもこの場所にあったのではと考えられる、富士の噴火をおさめる為に以前からの祭祀場所を復活・祀りあげたのだろう。
関連:  ・市川大門一宮浅間神社、





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