[日枝神社] :ひえ、山王廃寺跡、

日枝神社 住所:群馬県前橋市総社町総社2408
祭神:大山咋命。
本殿:南面
千木: 。 神紋: 。
場所:JR群馬総社駅の南1.5km、pk無。

由緒,伝承:
−−−境内掲示
 当社は天台宗の守護神として近江国日吉神(山王権現)を勧請したものである。往時この地に昌楽寺と称する天台宗寺院があったからであろう。社伝によれば治承4年の兵火に焼かれる以前は、この地に山王21社があり、早尾、王子宮はじめ諸種の社殿が立ち並んでいたという。
社宝には、現在山王曼荼羅掛軸などが保存されている。鎮守産土神の例祭日は4月3日。境内には元禄8年(1695)の庚申塔はじめ18基の石造物(民間信仰遺産)が安置されている。
平成7年3月吉日、総社地区史跡愛好会。
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鴟尾 ・「石製鴟尾」
−−− 国指定旧重要美術品
所在地、前橋市総社町総社2408、日枝神社、
鴟尾は、中国伝来の架空の動物で碑にあうと水を吹き雨を降らすとの伝説から、防火上のまじないとして、屋根の大棟の両端につけられるようになりました。鯱は、中世以降から変化したものです。
 有名な奈良県の唐招提寺のものは陶製で、石製のものは少なく山王廃寺のものと、鳥取県伯耆大寺廃寺のものしかありません。  この鴟尾は角閃石安山岩製で高さ1m、重さ1トンもあり、この鴟尾を大棟の両端に据えた山王廃寺の建物の壮大さが想像されます。
−−− 境内掲示、ママ

塔心礎 ・「塔心礎」
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 史跡、山王塔跡。 大正10年塔心礎が発見され、ここが古い時期の寺院跡であることがわかり、地名にちなんで「山王廃寺跡」と名づけられた。
塔の心礎は一辺14mの方形基壇の中央を掘り凹めた中に置かれ、東西3m、南北2.5m、厚さ1.5mという巨石を加工したものである。
心礎のほぼ中央には径65cm、深さ18cmの孔(柱受けか)とさらにその中央に径27cm、深さ30cmの舎利孔との2段の孔 がうがたれている。孔の周囲には径108cmの環状の溝があり、そこから放射状の溝が東西南北の方向をさして刻まれている。塔の心柱の太さは環状の溝内縁に合致するものであろうか、。寺院建立時期は、出土瓦などから7世紀末の白鳳期の頃と考えられる。」
−−−境内碑ママ。

根巻 ・「上野国山王廃寺塔心柱根巻石一具」
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国指定重要文化財、指定年月日、昭和28年11月14日、所在地、前橋市総社町総社2408日枝神社
 根巻石は、唐風建築の基部に巻きつけ装飾としたもので、我国では大変珍しいものです。この根巻石は現在地から約100m東の地点で井戸枠に使用されていたもので、出土位置は不明です。
7葉の蓮弁は輝石安山岩製で、径96.5cmの穴を有します。石材の加工技術は当時(7世紀後半)では高度なもので、宝塔山古墳、蛇穴山(じゃけつ-)古墳の石室の加工技術との関連性が考えられています。
−−−境内掲示、ママ。

礎石 ・「礎石」。
 北西15km程に榛名山が聳え、榛名山麓を流れる数々の中小河川が利根川に注ぐ沖積台地に位置する。
北の群馬総社駅との間には二子山、宝塔山、蛇穴などの古墳。東1.5kmを北から南に流れる利根川との比高差は20mほど。
南方1.5kmには上野総社、14km先には放光寺の文で著名な山上碑がある。南西1kmには上野国分寺跡があり、その間には古代住居址が発掘されている。

※ 山上碑  <碑文>
辛巳歳集月三日記、佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此、新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児、長利僧母為記定文也    放光寺僧。
( この放光寺という文字がヘラ書きされた瓦が山王廃寺でみつかっている。)