住所 :富山県南砺市高瀬291
祭神 :大己貴命(大国主命)。
配祀 :天活玉命、五十猛命 。
本殿 :南向流、。 千木: 。 神紋: 。
鎮座地:福野駅南東3km。pk有。
由緒、伝承:
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当神社の鎮座は古く農耕文化の芽生える弥生時代の頃とされています。延喜式神名帳に登載された砺波7座の筆頭にあり、奉幣使の派遣もあり越中一宮と称されております。
宝亀11年(780)従5位下の神階、治承4年(1180)には正1位に列せられ、、明治6年(1873)県社に、大正12年(1923)には国幣小社、。
相殿: 神明宮(天照皇大神)。風宮(級長戸辺命)。学神(大宰府天満天神)。
末社: 稲荷社(伏見稲荷大神)。 −−−境内碑より抜粋。
高瀬は「かって高麗権現を祀り、」とか「かうらい(高来)」と呼ばれていて「此神は往古高麗より御渡り、此地へ御着の日は7月14日なり」といった伝承があるらしい。
この伝承と現在のご祭神大己貴命が直接結びつくかどうかは不明だが、羽咋の気多大社と同体であるとされている。
とすると鎮座の順は、まず七尾市の生国玉比古神社 →羽咋市の気多大社 →高瀬神社 →高岡市気多神社、とするのが妥当だろうか。
高瀬を高岡市の気多神社より早いだろうとするのは、高岡市気多からの遷座の類の話はなく、神名帳での記載は高瀬は砺波郡7座の筆頭、高岡市の気多は射水郡13座の末尾、など。
・能登生国玉比古神社(七尾市):大己貴神(配素戔嗚尊-奇稲田姫命 崇神が羽咋郡竹津浦に分霊ゆえ気多本宮とも。
・気多大社(羽咋市):名神大(大己貴命)社前につながる砂州は弥生、古墳、中世と祭祀の跡が残る寺家遺跡。
・気多神社(高岡市):名神大(大己貴命、奴奈河比売)(能登分国(718?)羽咋より分霊。越中国府傍。
● 高麗・越中の主な出来事
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(666)・天智5年10/26 高句麗から使者飛鳥へ二位玄武若光等。
(668)・天智7年7/ 越国献燃土與燃水(越国の載る最後の記事)
(668)・ 9/ 高句麗滅亡。
(7c末) この頃、越(高志)を越前、越中、越後に分国
(692)・越前国司献白蛾
(702)・大宝2年、分越中国四郡属越後国(頸城、魚沼など4郡)
(718)・養老2年5/ 割越前国之羽咋、能登、鳳至、珠洲四郡、始置能登国。
(741)・天平13年、能登4郡(羽咋、鹿島、鳳至ふげし)珠洲すず)越中国に属す。
※(746.6〜751) 大伴家持が6月に越中国守に赴任。
(757)天平宝字1年、越中国から能登国分国。
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高瀬 <N 36 34 09.00 E 136 57 05.40 (tokyo)>
近郷の水路はほとんどが南東5kmにある八乙女山(標高756)に水源を持つ。
高瀬神社の南西10km程に位置する立野ヶ原台地は旧石器時代からの遺跡で鉄石英メノウ(玉髄蛇紋岩)などの産地でもある。 配祀の天活玉命はこの時代からの記憶が残っているのかも知れない。
(富山県の最北東、宮崎に古墳時代の浜山玉作遺跡があるが高瀬でのソレは見つかっていない。)
北九州に限らず日本海側は半島高麗からの往来・使節などみられる。能登半島にも半島高句麗様式とされる三角持送り式天井の構築法をもつ古墳がある。また能登半島北辺の輪島市の北50km程の舳倉島には輪島海士町から季節移住潜水漁法が続き、縄文晩期-弥生末-古墳初にわたる祭祀跡(土器、牛骨など)があり、式内鳳至比古神社また辺津比梼ミともされる輪島市の重蔵神社には羽咋寺家遺跡出土と同じ海獣葡萄鏡が伝世されている。