[大杉神社] :おおすぎ、


本殿・拝殿,修理中97.1 住所:茨城県桜川村阿波。
祭神:
本殿:平入、南面
千木: 。 神紋:三杉、巴

場所:国道125号線沿い、霞ヶ丘CCなどゴルフ場の多い南、pk有。

由緒,伝承:
 古く大杉神社の鎮座する地は「アンバ」と呼ばれ、後に安婆、阿波、安渡、安波、安場、安葉などと表記された。この「アンバ」の地は銚子と波崎を湾口とし,現在の霞ヶ浦(西浦・北浦)利根川、印旛沼、手賀沼を内包して余りある広大な内海に、西から東にかけて突き出した半島上に在りました。
この半島は常陸風土記に安婆島(あんばじま)と記載される半島で、そのほぼ先端にあたる地に一本の巨杉が立っておりました。

 風土記がこの辺りの地名を、海苔干しの盛んであったことから「のりはま郷」と名付けたことを伝えるように、この近隣では漁労を中心とした生活をしていたことが知られ、この住人達を守護していたのが大杉神社の当初の形でありアンバの地に鎮座することから「あんばさま」と呼ばれるようになりました。
また内海の至るところから見える巨杉は航海の目印ともなり周辺住民の守護神の鎮まります神籬でもありました。
こうした原初の信仰に加え,神護慶雲元年(767)大和国大神神社(三輪明神)から下野国の日光山・二荒神社を開山に向かう勝道上人はこの巨杉を神籬として三輪の神々を招臨し人々を数々の奇跡で救済するに至り厄難守護への信仰へと発展し「悪魔ばらえのあんばさま」と呼称されるようになりました。
(境内由緒)

  安隠寺
 延暦15年(796)僧快賢は別当寺龍華山慈尊院安隠寺を開基、ここに神仏習合による祭祀がはじまりました。

 文治年間になると源義経の眷属であり弁慶と共に活躍した常陸坊海存が社僧として仕え数々の奇跡をおこしました。文治5年(1189)九月二九日海存は忽然としてあんばの地から姿を消し人々は海存坊が大神さまの眷属であることを知るに至りました。巨体・紫髭・碧眼・鼻高であった海存坊を祀るために似姿を像に刻んだのが天狗信仰へと発展しました。これが現存の、ねがい天狗・かなえ天狗のおこりと伝えられています。

 江戸初期、江戸崎不動院にあった僧天海は東條の浦に船を浮かべ裏の東に鎮座する大杉大明神を勧請、みごと雨を降らせるという修法を行い奇跡を示しました。また江戸城の鬼門守護に当社をあて自らも別当安隠寺の住職となる。こうした縁で日光山輪王寺の直兼帯寺院となる。

家康入府以来進められていた河川工事は利根川の流れを江戸前から銚子河口に変え、それまで霞ヶ浦周辺の守護神であった大杉神社は利根川水系を守護するようになり。享保10年(1725)に始まる「悪魔払え囃子」(後のアンバ囃子・大杉囃子・佐原囃子・潮来囃子など)などの流布にともない分祀や信仰が広がりを見せ、「あんば信仰」は北は北海道から東北、佐渡、栃木、群馬に至るまで広範囲に広がりを見せます。
(由緒書)