[敏太神社] :とした、風早大明神、戸木神社


拝殿 住所:津市(久居市)戸木町2436。
祭神:彦火火出見命、豊玉姫命。
本殿:春日造?、南向
千木: 。 神紋:、

場所:近鉄名古屋線久居駅西2.5km。pk有。

由緒,伝承:
 境内に社に関する掲示など殆ど見られない。拝殿前の敏太神社参拝図には、拝殿前額瑞籬内に左から熊野社-湯谷社-敏太-稲荷明神-海立宮、。
離れて、左に八幡宮、更に左に神武天皇遥拝所。右に結之宮、右手前神宮遥拝所、左奥に秋葉社、豊受宮、稲荷明神、右奥に山の神。となっている。
・拝殿後方に本殿があるが変形春日造というか本殿は妻入である。瑞籬内の4社は流れ平入りになっている。
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・敏太は壹志郡13座の一であるが、南の松阪市美濃田町にも敏太神社がある。
こちらは「みぬた」と訓み、祭神は、誉田別尊、神功皇后、住吉神、鹿島神、枚岡神、香取神、比売神、熱田神、加茂神、建速須佐之男命、市杵島姫神、蛭児神。となっている。


   
・宮山城址
 戦国の世に木造具政が敏太神社の裏山に築いた砦である。
木造具政は伊勢の国司8代北畠具教の弟で養子として木造家に入ったがのち戸木(へき)に隠居したので戸木御所と呼ばれていた。
天正12年(1584)織田上総介清生に郷を敵にまわして戸木城で篭城するが宮山城は戸木城の北を要害の位置にあり敵の動勢を見渡す上からも必要な城であった。そのため織田勢は風早池の西に陣をしきこの城を攻めた。木造方の柘植彦次郎、田中道京梅津河原田の諸氏はよく防ぎ戦い西の谷間は激戦となったという、
しかし織田勢の家所帯刀に押され遂に同年五月木造方はこの城を捨てて戸木城に引上げた、その後この城は織田勢の本陣となり同年秋停戦とともに廃止された。
現在城跡に稲荷神社がまつられているがその周囲に土塁や空壕が残り当時の面影を今に伝えている。
−昭和53年3月、久居市教育委員。境内掲示板ママ−

※ (1584)以降の織田勢と文面に不明な点もあるが掲示板のママ載せた。