[ 乎豆神社 ] 、おつ。おず。

  住所:浜松市細江町中川4641-1。(静岡県遠江国引佐郡中川村(明治25頃)
祭神:
 内宮:天照皇大神、天手力男命、栲幡千々姫命。
 外宮:豊受姫大神、瓊々杵命、天児屋根命。天太玉命。
合祀:八幡神社:誉田別命。諏訪神社:建御名方富命。中ノ宮:不詳。
 津島神社:須佐之男命。白羽神社:不詳。山神社:大山祇命。
 天白神社、八幡神社、品陀和気命、菊理姫命、建御名方命。
本殿:  。 千木: 。 神紋:菊、桐。
:pk有 。

由緒、伝承: 。
 延喜式神名帳所載の神社で伊勢神領小高御厨に奉賽せられた神社である。往古社領五町八反部を所有していたと伝えられる。江戸幕府よりは社領として高十五石の朱印地を寄せられ明治に及んだ。
 明治6年3月村社に列せられ11社を合祀。大正11年8月3日郷社に昇格。
 刑部、岡地、八区、九区、湖東、894戸。
 一、社伝来旧式調書(明治25年調)に
 祭日毎年9月16日、その式、古来神田と称する田圃あり、この田を耕す農夫は必ず斎戒して後業に就かしめ触穢の人は一歩も入れず。この田より得る所の米を以て神饌に供す。祭日前、沐浴斎戒しモミ火を以て濁酒の醸造を成す。後十四日に至り、神主を初めその新家二軒の者二名跡川口(呉石)に出でて川折を取りその地砂を取り来り、帰途之を該神社に納め置きて帰り、而して十五日に至りその祭典の準備を為す。(川降の後は決して他人と同火せず)
 先ずモチ米を炒り鏡餅、牛舌餅を製す。(搗きたる餅を切り分くるには、稻のミゴを抜き取りこれを縄として以て用る)行事の内は覆面を掛け謹戒を加え一切談笑せしめずと言う。祭典の当日に至り、以前社頭に納め置きたる砂を散らして社の内外を清め、兼ねて用意の供物を献じ祝詞を申す。
−−村史抜粋

  
・遠江国、引佐郡、6座並小、乎豆神社。
・允恭19皇后忍坂大中津姫の居住した大和国の忍坂宮の領有となった地域で、忍坂姫の御名代の地であった。平安にはいり須倍神社のある都田御厨とともに伊勢神宮の刑部御厨となり、刑部郷神明社と号した。
徳川中期は刑部村は津とよばれ、右岸河口の位置から「オヅ:男津」が定着したらしい。

 境内神社旧参道 神社大例祭冊子ヨリ
・境内神社(小宮)。東(本殿)より、
   津島神社:牛頭天皇、寛文9年9月吉日建立。
   若宮八幡宮:寛文9年9月吉日建立、引佐郡刑部村
   諏訪神社:諏訪大明神社:寛文8年9月吉日建立、八区森鎮座。
   熊野神社:三{幼:カ=土}権現、寛文9年9月吉日建立、刑部村鎮座。
   稲荷神社:。
   春日神社:。

・現在は気賀高校の裏、東から参道が続くが高校建設以前(昭和26まで)は参道は南へ伸びていた。


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