[ 許袮神社 ]木原権現社 、こね、こや。許彌神社。

許袮参道 住所:静岡県袋井市木原282。
祭神:伊弉諾命、速玉男命、事解男命。
本殿:流 。 千木:内削 。 神紋:丸に稲。
:pk有 。

由緒、伝承: 。
−−境内掲示板
許禰(こね)神社、祭神:伊奘冊命、速玉男命、事解男命。

由緒沿革:
木原権現由来記によれば文武天皇大宝2年紀伊国熊野権現を勧請して社を建て徳川家康慶長5年旧社領70石を再興し同10年神殿を造営せらる明治6郷社に列す。

木原権現由来(原文のまま)
木原権現勧請之事
木原の社は熊野権現なり、人皇四十二代文武天皇の御宇木原郷に一河の長流あり強雨のをり、ことに水たかくして田畠をひたす、邑民悲しひ大宝二年(約1300年前)春三月里人各集り長堤を築く堤置きたる芝のうへに白幣あらはれ、いつともなく 烏余多くむらがり来て其のよそほひ常ならざれは皆人あやしき心地し侍る、
その折から傍に在りける童児忽にはしりて曰く我ハ是熊野権現なり、此所わが霊地にして鎮座する事久しといへとも世人知事なし今此地を犯事なく我を祭ハ、水亡の難を除きいよいよ五穀栄へ国民穏かなるべしと宣ひ畢而あからせ給へ皆人寄異の思ひをなして有難事かきりなし、
即木原のなにかしあるし託宣にまかせ其の地をあらため御社を建て件の白幣を納木原権現と称し、各うやまひあがめまつる、
夫より五穀ゆたかに国民饒に日々に神徳をまし給ふ誠にありかたかりし事ともなり。

 御神体之事 昔天神七代にあたらせ給ふを伊奘諾尊、伊奘冉尊と申奉る、此の二神の尊国土を開き、万の物をうみ給ふ、其至極広大の功徳すてに成て後、伊奘冉尊神退ましけれハ紀州熊野有馬の村に納めまつる熊野大神是なり、此神の御子を速玉男其の弟を泉津事解男と申奉り是熊野三所阿権現と云、
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許袮社殿 許袮境内
 袋井市役所の西2km程、北500mに1号線袋井バイパスが通る。旧東海道の面影を残す街道沿いに鳥居が南面する。
標高8mほどの地で西1kmを流れる太田川は天井川となりその堤は1〜2m高い。太田川の右岸は磐田市になる。



腰掛岩
・境内へ入ると、
 :家康が腰を掛けたという「腰掛石」


厳島神社
・池の中に、厳島神社(市杵嶋命)。


合祀境内社   境内社:
・八面神社(やつおもて):天之忍穂耳命、天之菩ヒノ命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須比命、多紀理比売命、市寸嶋比売命、多岐都比売命。(旧地100m程東北字大明神から明治6現在地に移転)。
・菩比神社:天菩比命。 
・天白神社:天穂日命。(旧地は北200m程の字堀之内、明治6現在地に移転)。
・社森神社(社荒神社):須佐之男命。(旧地は南東字三ノ坪、明治6現在地に移転)。
・白山神社:猿田彦命。(旧来より許弥神社境内に奉斎す)。
・天満宮(天神社):菅原道真公、中将姫、吉祥女。(旧来より許弥神社境内に奉斎す)。
・神明宮:大日霎貴命(天照大御神)。(旧地北西字神明にあり、明治6現在地へ移転奉斎)。
・熱田神社:草薙ツルギか?(日本武尊)。(旧地東南100m字内海道、明治6現在地へ移転)。
・居森神社(亥ノ森神社):住吉三神、神功皇后、神武天皇。( 南東300m字内海道にあり、明治6現在地へ移転)。
・住吉神社:表筒男命、中筒男命、底筒男命。(旧地は字大明神より鎮座せり)。
・稲荷神社:倉稲魂帋、稲荷大明神。(稲荷神社は文化3(1806)当地方疫病多く為に近村34ヶ村相謀り伏見より勧請する伏見神社は旧来より境内末社に座すを大正12年6月合祀し稲荷神社と崇敬する)。
・国守神社:大国主命、事代主命。(旧来より許袮神社内に鎮座する)。


境内社
・拝殿右に一宇二殿、
右:須賀神社(天王社):素盞嗚 命(祗園牛頭天王宮)。
左:八幡宮:


厳島神社
・鳥居前の旧街道の東に、
 木原一里塚がある。(本来の位置とはずれている)


木原畷古戦場跡 ・一里塚の北400mに、
ーー境内版(木原権現境内)
古戦場 木原畷
元亀3(1572)、兵3万5千を率いて甲府を出発した武田信玄は犬居城飯田城を落して久野城へ向った。しかし久野宗能(くのむねよし)の激しい抵抗にあったため東海道を西に向かい、ここ木原・西島に陣をはった。
是を知った徳川家康の兵とこの付近でこぜり合いをくり返した信玄はやがて二俣城を攻略し、東三河へ向うべく三方原を通過しようとした。
これに対し家康は兵1万で迎え撃ったが信玄の大軍の前に一蹴され浜松城へ逃げ帰った。 これが世にいう三方ヶ原の合戦で、木原での戦いはこの前哨戦ともいうべきものであった。
 袋井市教育委員会。
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