[ 麻賀多神社 ]  台方(稷山)

 ● 印旛、麻賀多神社「天日津久神社」
 

■ 成田名所図会、安政戊午春三月、(江戸名所図会は天保3)。抜書き
 麻賀多、まかだ、公津台方村にあり、両所になれり、
・1は稷山にあり、元は粟山なるべし、後人さかしらに稷字つかいたり、承応3より台方、下方、飯弁須、大袋、飯中(いぢう)、、。
・瀛津宮、槨宮(オキツキ)なるべし、船方手黒にあり(手座)とも
稷山社に摂社5<印旛国造社、幸霊社、馬来田郎女社、猿田社、天日津久社、>
瀛津社に摂社3<賀志波比売社、阿須波社、八代稲荷(祓社)>
昔、祭田7区<油免、薦布免こもしき、穂掛免、団子免、神酒免、御斎免ごさい、巫免など>将門の時上地?も承応3まで免続き後税対象となる。

■ 昭和40?過ぎの由緒で境内社に :印旛国造神社、馬来田神社、天日津久神社、孝霊神社、猿田神社、他2社、

■ 明治42年の神社誌には、境内社として、
: 印旛國造神社 :伊都許利命を祭る由緒不詳建物間口三尺奥行三尺。
: 幸霊神社   :祭神由緒共に不詳建物間口三尺奥行三尺。
: 馬来田郎女神社:祭神由緒不詳建物間口三尺奥行三尺。

※ 明治の神社誌にある祭神不詳の幸霊神社が今の孝霊(天皇)神社か。
 確認できないが摂社であろう他の2社:天日津久、猿田彦の社も明治には間口3尺であった可能性が高い。


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● 大伴家持が寄進したという鳥居の跡地に立つ。
 
印旛沼近くに建つ鳥居。台地(麻賀多神社方面)と鳥居の間にバイパスが通る。

 
鳥居より台地方向。
近所の方のお話だと、昭和30年代まではよく増水があり鳥居より1段低い場所までは水がきたという。昔は近くに船着場があったという。

 
西方向。

 
位置関係、上が北。
鳥居から対岸まで青い部分は現在の印旛沼。
対岸の花島は景行天皇が東方を遠望したという、比定地ひとつ。
図から外れているが少し西が宗像(山田)。
図、左下の宗像は(平賀)。

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麻賀多神社には、正史にみえない、こういった文字と内容も伝わる。







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