[飽富神社]
 :あきとみ。式内飫富神社(おお)

飽富拝殿 住所:袖ヶ浦市飯富2863(いいとみ)
祭神:倉稻魂命。
市杵嶋姫命、少彦名命、大己貴命、事代主命、猿田彦命、天児屋根命。
本殿:流造、南向。神紋:五七桐、菊。
場所:JR袖ヶ浦駅東南3km、pk可能。

由緒,伝承: 式内・飫富神社。
 社伝によると創建は綏靖2元年で天皇の兄・神八井耳命が創建したと伝えている。祭神の主神は「倉稻魂命」という稲の神、農業神で古くから農民の信仰を集めてきました。例祭は7月24日に行われいます。
現存の社伝は、元禄4(1691)に再建されたもので全体として権現造りになっている。本殿は流れ造りで、拝殿は入母屋造りです。(境内掲示要約)
・末社は、古来より75末社と称し神域内に斉き祀る。市正伝記(1680頃)より
本殿後:東之方御末社5社、本殿後:西之方御末社5社。 本殿:東之方御末社20社。 本殿:西之方御末社13社。 亥之方(北北西)御末社9社。 南方御末社3社。 寅之方(東北東)御末社4社。 卯之方(東)御末社2社。 北方御末社10社。 丑之方(北北東)御末社2社。 申之方(西南西)御末社2社。合わせて75社75座。

当社は国家の鎮護、殊に福神五穀成就の神霊故に、社中に源家の大将、鎌倉の右大臣、頼朝公を、白幡権現として勧請し奉つり、又、新田義貞公を新田八幡として勧請し奉つる。(二座共に勧請年月明白ならず)
降りて、元禄年間、飯富村の領主、天野地頭所より、古例に准じ、勧化の儀、お尋ね有り、其節二座の後ろに、ご領主、天野佐京雄良(かつよし)御鎮座木として、父之木(ちちのき)を御植になり、父之木の如く千々に御栄え永く変らぬようにと祈誓し、祝ひ寿ぎ御勧請したる由、申し伝えあり。
御鎮座の父之木、年々相栄え数十本競ひ生し、寛政八年正月には、本株は逞しく成長して三抱程になり、以来、子、孫と成長を続けて、現在の御神木は三代目を数えるなり。
但し、当社にて父之木と申すは、銀杏の木の事で、御神木を植えてより、年暦久しくして、今を遡ること三百年前のことに属す。(神社掲示板)

例祭:7/24。 筒粥1/15. 末社:淡島、天神、琴平、東照宮。
江戸末期の地名:上総国望陀(もうだ)郡中川邨(むら)

本殿東の末社群 飽富




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