[船橋大神宮]
 :ふなばし、(意富比神社おおひ)

船橋 住所:千葉県船橋市宮本5丁目2-。
祭神:天照坐皇大御神
 配 萬幡豊秋津姫命、天手力雄命
本殿:神明、南南西。神紋:不明。
千木:内削(6)。
場所:総武線船橋駅南口歩20分、京成大神宮下駅北歩2分。国道14号大神宮下北へ500m,pk有。

由緒,伝承: 式内、意富比神社。(下総葛飾郡式内2座、意富比、茂侶)
 当船橋大神宮は景行天皇の御代四十年に、皇子日本武尊が御東征の途次、船橋湊郷に到着、東国平定の目的成就を御祈願されたのを以てその御創建とします。当時偶々住民が早天に苦しんで居り、尊は併せて祈雨の由を念じると、一天俄にかき曇り雷雨起り、土地が潤ったと言われて居ります。
其の後、景行天皇東国へ御巡幸の折、その御事績を御遺憾なされて「意富比神社」の御社号を賜り、後には延喜式にも記載されて居ります。
 以来、朝廷・将軍家などより御祟敬極めて篤く、清和天皇貞観十三年三月には、勅願により天下泰平・五穀豊饒を御祈念なされるため奉幣使の下向あり、また後冷泉天皇の御代天喜年間には源頼義・義家の両朝臣当宮を修造し、また仁平年間には船橋六郷の地に御寄附の院宣を賜り、源義朝之を奉じて当宮を再興されましたが、その文書には「船橋伊勢大神宮」とあります。
また鎌倉時代、日蓮上人は篤く当宮を崇敬され、自己の宗旨興隆発展のため断食祈願の上自筆の曼陀羅と剣を御奉納されました。
降って徳川家康公は社領を御寄進、伊奈備前守忠次を奉行として摂末社を御造営せしめました。以後、徳川十五代に宣る間各々に五十石の録高を献納されて居りました。
更に、明治天皇陛下には習志野練兵場、三里塚御料牧場へ行幸の都度、勅使を以て幣帛料を御奉奠なされました。
旧社殿における祭典の様は、江戸名所図鑑にも描かれて居りますが、明治維新の戦火によって焼失し、其後明治六年(本殿)、同二十ニ年(拝殿)と順次御造営せられ、以後大正十ニ年、昭和三十六年、更に昭和五十年と各々に本殿、末社、玉垣、参道、大鳥居などの改修を経て今日に及んで居ります。
(神社パンフ、境内掲示抜粋)

船橋 船橋

● 境内社
#本殿西に
東向き:「水天宮」「稲荷」「秋葉・古峰、金比羅」「八幡・竈・龍」「道祖」「多賀・客人」「住吉・岩島・春日・祓戸」「鹿島・香取、玉前・安房」「天満・天神」。
西向 :「三峰」「{木爰}田比古(石碑)」「水神・産霊」「事代主・大国主」「阿夫利・大山祗」「祈年穀・岩長姫」「粟島・根」。
南向き:「船玉」。

#本殿より東南に、
「大鳥神社(西向)」「天御柱社(南向)」「外宮(西向)」「須佐社(西向)」。

境内に明治初期の木造塔台が原形を留め残っている。
神紋は、2度に亘り三人の神官にお尋ねしたが不明だった。



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