[ 高家神社 ]
 :たかべ。

高家本殿 住所:千葉県安房郡千倉町南朝夷62。
祭神:磐鹿六雁命いわむつかり(高倍神)
天照大神 稲荷大神

本殿:神明、東南東向。 神紋:三巴。
場所:JR外房線千倉駅2km、pk有。

由緒、伝承:式内社(論社)。
「日本書紀」の第十ニ代景行天皇五十三年冬十月の条に祭神・磐鹿六雁命(いわむつかり)について記されているが、延暦八年(七八九)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」にさらに詳細に記述されている。
景行天皇が皇子日本武尊の東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が,弓の弦をとり海に入れた所堅魚を釣りあげ、また砂浜を歩居ている時,足に触れたものを採ると白蛤(はまぐり)がとれた。
磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾にして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部を賜った。
 この功により若狭の国,安房の国の長と定められ,以後代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎの無いときは、天皇の皇子を継がせ,他の氏を交えず、皇室の食事を司るように賜った。 また,大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院で醤油醸造 調味料の神として祀られている。醤には、野菜を発酵させた肉醤があった。今でいう漬物・味噌・醤油・塩辛入の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁である。

高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つである。現在の所に祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼる。
元和六年、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像と二面の御神鏡を発見し、社を建てて祀る。
 ニ百年余りの後、この鏡面に御食津神、磐鹿六雁命と記されていたことがわかり、当時所在があきらかでなかった高家神社の御神体であるとして、文政ニ年に京都吉田御所に証を願い、御幣帛をいただく。神社拝殿内正面の御神号額はこの時のもので、神祇道管領ト部朝臣良長の銘が刻まれている。
 江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太郎氏、料理法大全の石井治兵衛氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅狐軒氏等の労により、祭神の御神徳が発揚され今日に到っている。
(神社パンフの抜粋)

高家 高家

例祭日:五月十七日、春の例大祭。 十月十七日、秋の例大祭。 十一月二十三日、毎年十七日 月次祭・庖丁供養祭。 (境内掲示)



【神社探訪】[古代であそぼ.Top]