[玉前神社]
 :たまさき、

玉前3鳥居拝殿 住所:千葉県長生郡一宮町一宮3048。
祭神:
 玉依姫命

本殿:入母屋唐破風権現造黒漆塗、南向
千木:外削(3)。 
神紋:南面、三つ巴、菊、神輿(社所有)には1巴もある。

場所:JR外房線上総一の宮駅歩5分。pk有。

由緒,伝承: 式内、名神大、上総一ノ宮。
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 槙の巨樹に囲まれた古社玉前神社は昔は玉の浦と称していた九十九里浜の南端釣が崎海岸あたりがご祭神の由緒の地とされています。 温暖な気候と海山の幸に恵まれて早くから人の営みがあり、神話や伝説が数多く受け継がれてきました。
 当社は延喜式内明神大社に列し、古来上総国一ノ宮として関東に於ける名社であり、明治四年には国弊社に列しています。 皇室のご尊祟はもとより武門武将の崇敬も厚く「吾妻鏡」には源頼朝公が妻政子の懐妊に際し安産を祈願奉幣したと伝え、また当地を支配していた上総権介平広常が治承元年(1182)頼朝武運長久を祈って甲冑一領と社殿の造営奉納などの願文を献じましたが この広常が誤解により寿永2年頼朝に殺されため 当社の神官がその願文と甲冑を鎌倉に差出し訴えたところ、頼朝は広常の死を後悔し一族の所領を回復した事も見え、広常の当社への篤い信仰心示した事件といえる。
・戦国の世、永禄5年(1562)一宮城主内藤久長が里見頼義に敗れたとき当社も兵火を被り社殿を始め宝物文書類も焼失、海部郡飯岡に逃れ15年遷座していたが、天正5年(1577)一宮に戻り同15年里見頼義が神地を寄進し、同19年には徳川家康が神田15石を寄進するなど武門を初めとする崇敬あつい。 ・今は一宮町初め近在の町村の氏神として慕われるとともに関東一円から祈願参拝をする人々の姿は絶えません。

御祭神 : 一宮海岸は元旦の初日の出を最も早く拝むことが出来ると多くの奉拝者が訪れますが、このことが当社のご祭神と深い関りを持っています。 玉前の玉は「月」「日」の神靈を表していて、玉の浦遥か海中より出顕する日の神靈・月の神靈の二つの明かる玉をご祭神としてお祀りしています。
 「古事記」には海神豊玉姫命が夫の日子火火出見命の故郷の海浜で御子の鵜葺草葺不合命をご出産の後、妹の玉依姫命にその御子の養育を託して海へ去られたことが記されています。その時、豐玉姫命は 「赤玉は 緒さえ光えど 白玉の 君が装し 貴くありけり」と詠まれました。 −−− 以上、社由緒書。

清和56貞観10年7/27・・上総国従5位上勲5等玉崎神従4位下-、陽成57元慶1年5/17従4位上→正4位下、8年7/15癸酉正4位上。
「昔この地の塩汲の翁が明珠を発見し玉前神社に奉納した・・古事」、北の犬吠岬付近に産する琥珀が流され一宮海岸についた寄石(よりいし)、神社でも「径7寸ほどの玉石」がご神体であったという。安閑27紀に勅使が伊甚国造(いじみ)に珠を求めたこと、皇后の為に伊甚屯倉が献上されたことがみえる。上代の伊甚国には一宮町も含まれていたらしい。明治29年、長柄郡と埴生はぶ郡が合併長生郡となる。

玉前拝殿 旧社地神洗神社

一宮玉前神社南方海岸寄りに元宮(旧社地)がある。
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一宮神社発行「こちかぜ」抜粋
 当社発祥の聖地と伝える当町綱田字神洗の神洗神社鎮座地約百坪を、鵜沢平氏より奉納を受けたのは平成五年で、爾来太陽と月が最も近い時刻差で昇る旧暦元旦をトし、例祭を執り行ってきた。  明治初頭頃迄の神洗神社の例祭には、芝居小屋が掛かるほどの賑いであったとの話も聞くが、今はその面影もなく静かな佇まいを見せている。
 この境内には参道の左側に池があり、神洗いの池と称していて、海からご上陸された神々を洗い清めた処と伝えられる。  千二百年の伝統を誇る「上総裸まつり」のお旅所である旧祭典場のすぐ真裏に位置し、神々がご上陸された所縁も祭せられる。
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 玉前鳥居

 玉前神楽殿

 神洗海岸の鳥居

 神洗社近くの海岸



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