[浅間神社] あさま、(一宮浅間神社)


  住所:山梨県西八代郡市川大門町高田
祭神:木花咲耶姫命。 
 瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、事解男命
本殿:流平入。南西向。
千木: 。 神紋:。

場所:JR身延線市川大門駅南800m、pk有。

由緒,伝承:。
 貞観6(864)年5月富士山噴火の翌年勅命により建てられた。社地は山林16100坪、神領30町歩、と広大であった、現在は2万坪強という。
社叢の赤松の林は県の自然記念物、社宝に赤烏元年の銘がある神獣鏡と内行花文鏡など、

 貞観6年の富士の噴火は青木ヶ原樹海ができたという大噴火、この時3つに分れたという本栖・精進・西の湖水面の標高は同じになっている。この翌年に一宮町、河口湖町とこの市川大門町の社殿がほぼ一緒に造営されたのだろうか、あるいは大小の噴火が続くので”まだ怒りやまず”と追加されたのだろうか。
この噴火以前に甲斐の笛吹川流域の古代水田の条里制が確立されていたと考えられて、社の在る山麓端の扇状地下方に市河条里跡が確認されている。

門 社殿、舞殿

 社宝のひとつ「呉鏡」は、明治26年に北東の大塚村の新地主が鳥居原狐塚を開墾中に青銅の直刀などと発見され、鏡は鉄瓶の蓋として使っていたが目が悪くなり鏡の祟りと占いがでて翌年この浅間社に納められたという。鏡銘は(1967)に九州大学岡崎敬教授が「赤烏元年五月廿五日丙午[造作明竟]百凍[清銅]・[服者]君侯・[宜子孫]・[寿]萬年」([ ]内は推理)と判読している。
呉鏡は日本での出土が希で他には、宝塚市安倉紺桜古墳の「赤烏7年銘鏡」が確認されているのみ。「赤烏元年(せきう)(238)」は、後漢末の混乱期に中国の北東、楽浪・帯方郡を含む地を抑えほぼ独立していた公孫氏を司馬懿が滅ぼした年、卑弥呼に関連深い鏡の銘は景初3(239)とされている。
この鏡が副葬されたのは4世紀らしいが、日本での出土が2例のみという「呉鏡」が遠い東国に運ばれていた事実は非常に興味ふかい。
鳥居原のある曽根丘陵は全国でも屈指の方形周溝(墓)の密集地で160mを越す前方後円墳など大型古墳の密集地でもある。
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