[酒折宮] さかおり、酒折神社


  住所:甲府市酒折3-1-13
祭神: 日本武尊。
本殿:神明。南向。 
千木: 。 神紋:菊。

場所:JR中央酒折駅の北すぐ、pk無

由緒,伝承: 。
日本武尊東征の帰路、相模足柄−御坂道を通りこの酒折の地で休まれたという。連歌の始りと云う武尊の「筑波から何日かかった?」に「9泊10日」と答えた塩海足尼が1国を与えられた、という話。神社栞には是に続き、足尼は火打袋を神体とし社殿を現在の地の4,500m上に建てたという。

 このあたりを古記より抜きだすと

<常陸風土記>倭武天皇、巡狩東夷之国、幸過新治之県、所遣国造{田比}那良珠命、新令堀井・・

<古事記> 即自其国越出甲斐、坐酒折宮之時、歌曰。「迩比婆理 都久波袁須疑弖 伊久用加泥都流(26)」 而其御火燒之老人、続御歌以歌曰。「迦賀那倍弖 用邇波許許能用 比邇波登袁加袁(27)」 是以誉其老人、即給東国造也。 自其国越科野国、乃言向科野之坂神而、還来尾張国、・・

<日本書紀> 蝦夷既平、自日高見国還之、西南歴常陸、至甲斐国、居于酒折宮。時挙燭而進食。 是夜、以歌之問侍者曰。 「珥比麼利 菟玖波塢須擬テ 異玖用伽袮菟流(25)」。諸侍者不能答言。時有秉燭者。続王歌之末、而歌曰、「伽餓奈倍テ 用珥波虚々能用 比珥波苔塢伽塢(26)」。即美秉燭人之聰而敦賞。則居是宮、以靫部賜大伴連之遠祖武日也。・・

漢字1文字をカナ1音を基本に読み比べるとなかなか面白いでしょう? 
「かがなべて」が記では「迦賀那倍弖、」。紀では「伽餓奈倍テ、(テは氏のシタニ一)」弖は国字で{氏シタニ一}は一般ワープロでは表示できません。
酒折の名は「坂降」か「境(クニ)折」かも、ですが。古事記から「折」をみると、須佐之男あたり以降「釀八鹽折之酒・・」と「よく仕込んだ酒」の意でいくつか、タケル前後から「よく鍛えた刀」の意でも使われています。
「酒折」の字は、記では崇神の段に「大毘古命者、隨先命而、罷行高志国。爾自東方所遣建沼河別与其父大毘古共、往遇于相津。故、其地謂相津也。是以各和平所遣之国政而覆奏。爾天下太平、人民富榮。於是初令貢男弓端之調、女手末之調。故、稱其御世、謂所知初国之御眞木天皇也。又是之御世、作依網池。亦作輕之 酒折 池也。」と奈良の高市辺りに比定される「酒折池」が使われています。

 酒折宮の西2km程に江戸時代の甲府城があった小丸山の地にむかし稲積神社があり崇神の時「建沼河別」が立寄ったとの伝承があります。この神社は甲府城建築時に武田氏の菩提寺などと一緒に現在の太田町(遊亀公園)に遷座、「稲積神社」は俗に「正ノ木(しょうのき)」さんと呼ばれ広く信仰を集めている。またこの稲積神社の東、酒折宮の南西に日本武尊が朝餉を食したという「朝気(熊野)神社」がある。