[神社探訪] ・和歌山・


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熊野本宮そばの古道  奈良県を南に下り、山並みが迫る十津川村を抜けると視界がひらけてくる。熊野川沿いに走るとおおきく河原が広がるあたりに熊野本宮大社がある。
海から熊野三山をみると、航海の絶好の目印が那智の滝、熊野川の入口を押さえるのが熊野速玉、奈良への基地が熊野本宮となるのだろう。熊野速玉近くに徐福の墓がある。

 熊野縁起によると熊野権現は、北九州彦山から−石鎚山(伊予)−遊鶴羽岳(ゆづるは・淡路)−切部(切目)山(紀伊)−神蔵山(熊野新宮)と移ってきたことになっている。
 平安期に蟻の熊野詣とよばれる熊野詣のハシリは、道真を重用し藤原摂関政治を改めようとした宇多59上皇である。宇多59は昌泰2(899)出家し法皇となり、道真が亡くなった4年後延喜7(907)に熊野詣を行った、その2年後藤原時平が急死している。
次ぎは花山65法皇、正暦3(992)で那智の滝で千日間の山篭りをしている。本格化するのは、白河上皇からで、白河9回、源義家が清原清衡を助けた後3年の役から数年後の寛治4年(1090)上皇の熊野詣の先達を勤めたのは「園城寺おんじょうじ、の僧・贈誉」。
ほか、鳥羽上皇21回、後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回。



九度山近くの厳島神社  和歌山、紀ノ川の水系沿いは、境内もよく手が入り朱を塗った華麗な社殿が多い、丹生津姫神社に限らず小さな村落の厳島、八幡社にもよくみられる。