[下鴨神社]:しもがも、[賀茂御祖神社・かもみおや]、賀茂御祖皇大神宮

住所:京都市左京区下鴨泉川町
祭神:
西殿:賀茂建角命・かもたけつぬみ。
東殿:玉依媛命・たまよりひめ。

本殿:流れ、南向 
千木: 。 神紋:双葉葵。 

場所:pk有。

由緒、伝承:「式内名神大」16社の内。世界文化遺産登録。
式内では2座。書紀、神武2年、賀茂建角身命を奉斎していた一系統「葛野主殿県主部」との氏族の名が見える。 崇神7年には社の瑞垣が造営され(鴨社造営記)、垂仁27年8月には御神宝が奉られている。 欽明5年(544)4月から賀茂祭(葵祭)が行われている。(本朝月令・年中行事抄)

●摂社: ・河合神社(玉依姫命)、式内・鴨河合坐小社(おこそ)神社。延喜1(901)官符に「御祖・別雷神之苗裔之神」とあり祭神は神武母。糺の森はこの河合が縁が深いという。
・出雲井於神社・いずもいのへの(建速須佐乃男命):式内、通称比良木・ひらき社。神武2年条にある「葛野主殿県主部」とある氏族が祖神として奉斎した。「井於」とは川のほとりのことで出雲郷の鴨川のほとりの意。
・三井神社:式内。祭神、中社(賀茂建角身命)、東社(伊賀古夜日売命)、西社(玉依日売命)。
・賀茂波爾神社・かもはに(波爾安日子神,波爾安日売命)、式内。愛宕郡埴河、埴河とは高野川の古名。
・御蔭神社・みかげ(賀茂建角身命、玉依媛命)、御生・みあれ神事がこの御蔭の地で行われていたが山崩れ高野川の氾濫が重なり天保6(1835)より現在の地に。
・日吉神社(大山咋命)、現在は三井神社に合祀。
・貴布祢神社(高オカ神)、河合神社境内。

●言社・ことのやしろ、生まれエトの守護社。
・大国魂神・おおくにたま:己、未年。 ・顕国魂神・うつしくにたま:牛年。  ・大国主神:子年。  ・大物主神:丑、亥年。  大己貴神:寅、戌年。  ・志固男神・しこお:卯、酉年。  ・八千矛神:辰、猿年。

昭和12年の調べで全国の賀茂社は1186社とされる。
(賀茂御祖神社略志)


写真 写真
平安遷都:平安京大内裏は秦河勝の邸宅のあった場所といわれ遷都と秦氏・カモ氏の関連を記す。
文武2年(698)3/21条:賀茂の祭りの日に民衆を集めて騎射を禁ず。大宝1(701)4/3「続日本紀」、賀茂神を祭る日にホコを執り騎射することを禁ず、当国(山背国)の人はその限りにあらず。神亀3(726)3月、賀茂祭の日に人々が集まることを一切禁止。天平10(738)4/22にも同様の令が布告されている。
そして桓武50は延暦12(793)2/2,遷都のことを賀茂大神に告げ、同3/10,伊勢に告げ、同3/25,山稜に告げている。その後旱魃と地震が続く。
延暦13(794)7/1,東西市などを新京に遷すも地震など続き、9/2の地震、蝦夷討伐などを経。延暦13(794)10/22,やっと車駕を新京へ遷している。
桓武は10/28,鴨・松尾神に加階し、12/21,カモ両社に行幸している。
長岡京を造営した藤原種継の母は秦朝元の娘、平安京では藤原継縄。

玉依ひめ伝承は [松尾大社] とつながる。

写真<一ノ鳥居>
写真<御手洗池・楼門>
写真<幣殿(左)とエトの守護社(言社)>
写真<双葉葵>

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