[村屋坐弥富都比売神社]  :むらやにますみふつひめ。


住所:田原本町伊与戸

祭神:弥富都比売神(三穂津姫)。大物主(増祀)。

本殿:2相殿平入、南向
千木:外削。 神紋: 

場所:近鉄田原本駅東3km。広陵ー田原本ー桜井線の味間東(GS信号)を北へ1km、pk可。

由緒,伝承:「式内・名神大、月次、相嘗、新嘗」
村屋−杜屋−守屋。世襲の宮司は物部守屋の後裔と称し守屋を名乗る。
弥富都比売は高皇産霊の子で大物主を監視?する為に妃となったとされる。

壬申の乱のとき、「大伴吹負が寄せ、大友皇子の将犬養連五十君、中道に向かいて村屋に陣をとる」この村屋がこの辺りになる。

祭神はフツミタマの説あり。明治以前の富都霊、大和名所図会もフツノミタマとする。「フツノミタマ」を氏神とする物部氏と秦氏は関係が深くどちらも非農耕的で、特に鍛治、鋳造などの職業で重なっている。楽人秦氏達の寺の新(秦)楽寺が村屋神社の神宮寺になっている。(大和岩雄、境内由緒)

●[式内:村屋神社」、むらや、室屋、2座:経津主神、武甕槌神。
●[式内:久須須美神社]、かって東北の宮山にあったが天正2(1584)9月、初瀬川の洪水で現在の地に移したとある。祭神は天之久之比命あめのくしひ、事代主命。久之比は天津彦根命の御子でアメノマヒトツノミコト天目一箇命の別名であり、天太玉命に金工として従う隷属。(姓氏録)
●[式内:服部神社、吉田東吾の大日本知名辞書に「観世家は杜家の楽戸秦姓服部氏の末なり」。式下郡村屋郷大安寺に在ったが天正乱以降退廃し、この旧社地は波都理神の地名でのこる。
と境内に4つの式内社がひしめきある。

村屋坐参道 村屋坐本殿
境内に式内が4社、北200m程の岐多志太を入れると式内が5社、式外が2社。
この村屋から多神社、西の大安寺あたりは古代の秦氏・多氏の接点である。

参道の家形灯篭 参道手前の道祖神