[大兵主神社]:だいひょうず、。
大兵主
住所:桜井市穴師
祭神:
中央:兵主神社・御食津神(神体:鏡)。
 左:大兵主神社・兵主神(剣)。
 右:若御魂神社・奇稲田姫(勾玉・鈴)。
本殿:三つ屋造、南向。 
千木:外削 。神紋:橘。 
場所:JR纏向駅東、169号線を渡り東へ。pk有。

由緒,伝承:「式内社」穴師坐兵主神社、名神大。
 弓月岳の頂上に上社としてあったのが兵主神社、下の現在地にあった社を穴師大兵主神社と呼んでいたが応仁の乱の時に、上社と桧原にあった若御魂神社が焼失し下社に移した。
兵主神社:崇神10皇女・倭姫命が天皇の御膳の守護神として祀り仕えたといい、また景行12が八千矛を尊び兵主大神を祀らせたともいう。
祭神は諸説ある。今は上記が境内掲示にあるが、御食津神−和久産巣日神−天照若御魂神(伊奘冉,伊奘諾)−天鈿女。兵主神−八千矛−大己貴−大国主−素戔嗚。などで和爾下神社の祭神と似たような経過だろうか。兵主の名と近くの地名などから大和岩雄のまとめが要を得ていると思われる。下記抜粋。

 内藤湖南は、三輪山傍の穴師の弓月嶽にある兵主神社は「史記」封禅書に、秦の始皇帝が山東地方で祀っていた「天主・地主・兵主・陰主・陽主・月主・日主・四時主」の八神のうち根本尾神である兵主神を祀る神社だから秦氏の祖の弓月君と、弓月嶽−弓月君−兵主神、と結びつくと述べている。
日野は、ユヅキの意味を、万葉集の人麻呂歌集に「弓月が由槻と書かれていることから「神聖な樹木としての槻の木をめぐる、水と農耕の儀礼と不可分に結びついた観念」とし山城国風土記逸文に載る秦伊侶具の樹木信仰や世界樹の観念などを例証としてあげている。
弓月嶽と弓月君の関係ではその背後に広がる都祁に注目している、古事記の建内宿祢系譜によれば波多臣と同じく波多八代宿祢を祖とする星川臣の本貫だからである。書紀は闘鶏(つげ)と書く。
今は穴師川をさかのぼる道はあまり利用されてないがこの古道を土地の人はテンオウ坂と呼ぶ、穴師兵主神社の裏を通って天皇坂を抜けると上の郷に入るこの笠という部落には穴師塚という古墳がありこの地に最初の穴師兵主神社があったという伝承が有る。都祁波多野には式内の神波多神社 がある。(秦氏の研究・大和岩雄)

*社よりなだらかな下り坂を西へ下りると、相撲神社、垂仁11,纏向珠城(たまき)宮跡がある。

大兵主本殿 境内出雲大神

*蚩尤(しゆう)中国古代神話。
獰猛で銅の頭、鉄の額、獣身、人語を語る。頭には2本の角、牛に似て人身牛頭の炎帝の子孫と言う。食物は、砂,石,鉄塊で矛、巨大な斧、堅い盾、弓矢などを自分の手で造った。中国山東では古く鋳物の神として祀られ、後、山東省で武神として名も兵主と改められ祀られた。
蚩尤は天地を統べる黄帝に仕えていたが常にその王座を狙っていた。黄帝は天界に居たが、崑崙山に荘厳な宮殿を持ち、そこへ降りて来て遊んでいた。蚩尤はまず黄帝の弟、太陽神・炎帝を倒すべく、銅頭鉄額の兄弟たち、勇敢な苗族、魑魅魍魎の妖怪を連れて攻め寄せた。炎帝は黄帝に救いを求めた。
黄帝は鬼神や、熊、虎などの大軍を動員。蚩尤は濃霧をつくりその為霧より出れなくなるが、風后という小男が指南車を発明し死の霧から逃れることができた。魑魅魍魎には妖怪の恐れる竜の鳴声を特製のラッパで竜に似せて吹いて気力を殺いだ。
しかしあまりに蚩尤が強いので黄帝は自分の娘の魃(ばつ・常に胎内に高温を充満)を呼ぶと炎天が続き蚩尤の降らせた嵐も消えるが、蚩尤は空を飛び険しい山を走り回るので参らない。
やがて蚩尤は手ひどくやられ。兮父(こふ)族に応援を頼み、再び勢力伯仲する。 黄帝の所に、人面馬身の玄女という仙女が現れ戦略を授けたので、進軍、布陣に変幻自在に処し蚩尤は遂に破れる。死刑になった蚩尤の血が楓の葉を染めたので今も紅葉。首と死体は山東地方に運ばれ、それぞれ別の地で埋葬されたが、住民たちはたたりを恐れ毎年10月にお祭をした。



[伊射奈岐神社]:いざなぎ。 拝殿 社殿
住所:天理市柳本町字天神山。
祭神:伊奘諾尊。相殿:菅原道真。 本殿:春日造、西向。外削。
場所:JR柳本駅。国道169号に接して(裏からの)鳥居がある、pk可。

由緒:「式内」
 社殿はなかなか趣きあり、境内もよく手入されている。表(西)の鳥居は明神石造りだが、本殿前は銅?神明鳥居。維新前は天満宮と呼ばれ地名は柳本字ノゾキで柳本藩の支配下であった。
崇神10天皇陵(行燈山古墳)南東後円部周濠外に接する。

例祭(10/15)、風鎮祭(8/23頃)。
摂社:厳島、秋葉(火産霊)、大山咋、老松(若宮)、建勲(織田信長)、事代主、太神宮、八坂、稲荷。




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