[八咫烏神社]  :やたがらす、


住所:榛原町高塚(旧:宇陀郡伊那左村鷹塚)
祭神:建角身命、
本殿:平入、南向
千木:外削
神紋:双葉葵、

場所:近鉄榛原駅南3km。芳野川沿、pk有り。

由緒,伝承:「式内社」
慶雲2(705)年9月9日創建。
古事記には八咫烏、書紀では頭八咫烏、新撰姓氏録では大烏(神魂孫建津身(建角身)命)とある。
書紀には、神武一行が熊野の丹敷戸畔との戦闘後、神の毒気にあたりフツ霊の劔で難を脱し、熊野山中で難渋しているのを宇陀まで先導したのが八咫烏。この後、兄磯城の説得の場面にも載る。

境内から東南をみると鳥居の中に伊那左山637mが見える。近くに粟谷、母里の地名が残る。

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<八咫烏伝承>「書記・神武即位前紀戊午年6月乙未朔丁巳条」
「皇師(みいくさ)、中州に趣かむとす。而るを山の中峻絶(さが)しくして、復(また)行くべき路無し。乃ちしじまひて其の跋み渉かむ所を知らず。時に夜夢みらく、天照大神、天皇に訓(おし)へまつりて曰く「朕今頭八咫烏を遣わす。以って郷導者(くにみちびき)としたまへ」とのたまふ。果して頭八咫烏ありて、空より翔び降る。・・・乃ち烏の向ひの尋(まま)に、仰ぎ視て追ふ。遂に菟田下縣(うだしもつこおり)に達る。」とあり、
同神武2年2月甲辰朔乙巳条に、「天皇、功を定め賞を行ひたまふ。・・・又、頭八咫烏、亦賞の例に入る。その累裔は、即ち葛野主殿(とのもりの)縣主部(あがたぬしべ)是なり。」 (神武天皇御記謹解)