[広田神社] ひろたじんじゃ、


広田拝殿 住所:西宮市大社町7番7号。
祭神:天照大御神荒御魂
(撞賢木-巌之御魂-天疎-向津媛-命:つきさかき-いつのみたま-あまさかる-むかつひめ-)
場所:阪急神戸線夙川町駅東北1.6km、pk有。

由緒:式内名神大
創祀:神功皇后摂政元(AD201)、皇子(応神)の御懐妊を告げ安産を守り、軍船の先鋒となり、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照大御神荒御魂の御神誨(おつげ)により御凱旋の帰途、神功皇后により広田の国に御創建されたことが、我国最古の歴史書『日本書紀』に記されている兵庫県第一の古社です。
延喜式官幣名神大社、勅祭22社の1社。源頼朝は(1184)淡路広田荘を寄進、豊臣秀頼は(1604)大規模な改築を末社・戎社を含め行い、徳川吉宗は現今の地に遷し改修。

広田鳥居 広田拝殿
宝物:剣珠(けんじゅ、書紀仲哀14天皇2年条、神功皇后関門海峡の海中より如意珠を得、とあり剣の形の現れることから)、源頼朝寄進状、御柏原天皇御宸筆、御奈良天皇綸旨、正親町天皇綸旨、孝明天皇綸旨、など。

第一脇殿:住吉三前大神(すみのえのみさきの-)(筒之男三神)。 第二脇殿:八幡三所大神(やはたみどころ-)(応神、神功、仲姫命(なかつひめ-)。 第三脇殿:諏訪建御名方富大神(すわたけみなかたとみの-)(大国様の御子神、恵比寿様の弟神)。 第四脇殿:高皇産霊大神(たかみむすひ-)(宮中八神殿の主神)。

兵庫県武庫郡の式内社は、広田神社本社・摂社名次神社・摂社岡田(岡太)神社・伊和志豆神社の4社でいずれも広田神社の所管。

※謝辞:画像、取材、KENJIさん。
 文責:stan、由緒書・境内掲示より抽出しています。


広田
本殿左右に脇殿がある。
第一脇殿:住吉大神、第二脇殿:八幡大神、第三脇殿:諏訪建御名方大神、第四脇殿:高皇産霊大神、

広田
末社:斎殿神社(ときどの-)祭神葉山媛命、神功皇后廣田神社神社創建の際、皇后の命をうけ広田の最初の斎宮で4/8の祭日には歴代の神祗伯白川氏が参拝したことが伯日記に記されている。古く広田神社の東北御手洗川畔に鎮座してたが享保12年の遷座で境内西山に遷座し、明治44年末社松尾神社に合祀、今広田神社本殿復興に際し一宇を設け祭祀を厳修することになった。
式内
伊和志豆神社(いわしず-)祭神伊和志豆大神、創立不詳、清和56貞観1(859)正月27日従5位より従5位上、延喜式で官幣小社。室町時代には白川神祗伯の祓を修した6社の1社として崇敬集める。祭神は一説に彦坐命(開化9皇子日子坐王、神功皇后はその4世孫)という。
もと広田本社より東南1.5kmに在り大正6年7/17に広田神社境内へ移転、戦後は本社に合祀、平成2年御大典に社殿を再建奉斎となる。

#播磨には「イワ・・神社」が多い、『播磨風土記』に大名持大神が国土経営の大業の後、伊和の地で最後の交渉が終って・・、その后といわれる伊和都比売、播磨の祖神とも言われる。
おなじ『播磨国風土記』讃容(さよ)郡筌戸(うえと)の条の、伊和大神が川に筌をおいたが魚が入らず鹿が入ってしまった。大神は鹿を膾なます)にして食べようとしたが口に入らず地に落ちてしまった。 との記事はいつの時代の反映だろう。
広田
末社:松尾神社。
広田
末社:左から「稲荷神社」「地 神社」「春日神社」「子安神社」「八坂神社」。

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