[ 大山祗神社 ]大三島。 大山祇神社、おおやまずみ・おおやまつみ。

大山祗 住所:愛媛県今治市大三島町宮浦3327
祭神:大山積大神。
本殿:流、。 千木: 。 神紋:<隅切り角に揺り三> 
:pk有。

由緒、伝承:
 パンフ抜粋−−−
芸予海峡の中央、国立公園大三島の原始林社叢楠群に覆われた境内に鎮座している。
ご祭神は大山積大神。亦名吾田国主事勝長狭命(大山積神の擬神体)と称す。妹君は天照大神、女木花咲耶姫尊を瓊瓊杵尊の后妃とし、我国建国の大神である。和多志大神とも称せられ地神・海神兼備の霊神である。
神武天皇東征にさきがけ、祭神の子孫・小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司っていた時、芸予海峡の要衝である御島(大三島)を神地と定め鎮座したことに始まると伝られる。 御社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称し歴代朝廷の尊崇、国民一般の崇敬篤く奈良時代までに全国津々浦々に御分社が奉斎せられた。伊予国一の宮に定められ、官制時代には国幣大社に列せられた四国唯一の大社である。
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神門 左:本殿、右:上津社

本殿は宝殿ともいわれ三間社流造桧皮葺、元亨2(1322)兵火にかかり大授4(1378)に再建されたというが、昭和28の解体修理の際、向拝斗組や内陣に安置されているお素床板から「応永34(1427)六郎三郎これを造る・・」という墨書を発見、、。
蟇股は菊唐草、桐唐草、牡丹唐草の透彫、その他手狭、脇障子、欄間、懸魚等にも変化に富んだ装飾技法を駆使し剛健な軸部の手法によく対比調和させた出色のものである。
全国の国宝文化財の指定を受けた武具類の8割が保存されている。
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※ KENJIさん取材。

大山祗 大三島は西の関門から東の大阪へ約500kmの瀬戸内海の中央に位置し、愛媛県の北端から広島まで約20kmの間に大小の島が密集している。
四国と本土(中国地方)の一番狭い所は坂出市辺りで約10kmだが、島々が重なる大三島辺は海峡の幅が狭く海流も複雑になり水先人なしには通航が困難だっただろう。
地の利を持つ者には進退安易、通行税を取る側からは最高の立地である。

大山祗本殿 旧住所は愛媛県越智郡大三島町三浦(宮浦)。
式内・名神大、旧国幣大社、大山祗(大山積)神、鎮座不詳。
大山積神社、三島大明神、大三島神社、とも。

創建についていろいろ説がある
・神武天皇のとき祭神の孫・小千命(おち)が祀る。
・仁徳16のとき伊予の国造の祖、吾田乎致命(あだおち)が祀る。
・文武42のとき越智玉澄(おちたまずみ)が勅裁を得て神殿を造った。等。
  祭神については、伊豆の三島大社から移した。逆に伊豆が当社から移した。安藝の厳島から遷座。
この神は百済国から渡ってきた神。さらに物部の祖先が百済に往来したことと結びついて仁徳16の時に百済から帰ってきた。などの説がある。
神像が22体あるという、神名が判然としないものもあるらしいが大山祇一族がまつられているのだろう。 弟の中山祗・麓山祗・シギ山祗園命など。
三島水軍は、天智38のとき、白村江(663)に参加、平純友乱(941)、源平壇ノ浦(1185)、元寇役(1281)など日本の主要な海戦の主役となっている。

神紋は「三」の字の横棒がそれぞれ「山」型になっている「隅切り角に揺り三」といわれる形だが山型にならない「隅切り角に三」も見られる。
大山祇の訓みは「おおやまつみ」「おおやまづみ」「おおやまずみ」などみられる。

大山祗楠
小千命(おちのみこと)が神武東遷前に植えたという楠、神木として境内中央に聳える。
大山積神を大三島へ勧請された小千命により植えたと伝えるもので、神武東征前と云われる。

本殿前方の境内中央に位置する大楠は物部氏に縁深い四国西条市の「伊曾乃神社」などにも見られる。


● 大三島の系図では大きく2つの流れがみえる。

a:饒速日・・・伊香色雄ー物部大新川(物部連)−大小市−小致(小市国造)−若伊香加−栗鹿−三並
  ・・・安元(大三嶋大祝初代)
b:               孝霊天皇−伊予皇子−小千御子−天狭貫−天狭介−栗鹿−三並
  ・・・安国(三島大祝祖)

 小致命は姓氏録に応神の時、小市国造と載る。
 小市・越智・河野氏系図・三島大祝、各々ずれが見える。
  多氏・紀氏・景行−佐伯氏の流れが各系図に入り影響をあたえているのだろう。
  


※ 謝辞:この頁の画像はKENJIさん取材のものです。
 ※ 注:画像ファイルに出典情報等埋込済です。

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