一番連合町会内 文化施設 ご案内 (一部守口市HPより転載させていただきました。)


佐太天神宮本殿

 佐太天神宮は、市の北寄り、旧京街道(国道1号)の淀川左岸沿いに位置し、境内は、西側の街道に向かって東西に細長い形状を呈しています。建物は、西から表門、拝殿、本殿等の順に配置され、北から東側には「大阪緑の百選」に選ばれた境内林が茂り、『河内名所図絵』にみえる江戸時代の景観を今によく伝えています。創立については、必ずしも明らかではありませんが、「佐太天神宮記」等によると菅原道真が太宰府左遷に際して、暫く舟をつないだ所とされ、その後、道真を慕って祠を建てたのが創建とされています。現在の本殿は棟札によると、寛永17年(1640年)に再興した後、天和3年(1683年)から計9回の屋根替が棟札により確認されています。建物は、一間社春日造、正面に軒唐破風がつけられています。府文化財保護審議会では、「近世における神社の有様やそれが近世の村の中で担っていた役割がよく偲ばれ、建築的には端正な本殿、規模が大きくシコロ葺風に下屋を付加した拝殿などが特徴的で、府指定文化財とするに相応しい価値を有している」として、平成15年(2003年)に大阪府指定有形文化財に指定されました。

佐太天神宮本殿
  • 所有 佐太天神宮(守口市佐太中町7丁目16番25号)
  • 交通 京阪バス佐太天神前下車北西へ徒歩約7分


  来 迎 寺 

絹本著色八幡曼荼羅図

 来迎寺に伝わる文化財の1つで、絹地に彩色で男山八幡宮の七社の神像を巧みに描いた鎌倉時代の優品です。昭和52年(1977年)に国の重要文化財に指定されました。

 来迎寺は、大念仏宗中興法明上人の弟子実尊誠阿上人西願が、正平2年(1347年)に下仁和寺庄守口村に一宇を建立したのが始まりといわれ、今も来迎寺の地名を残しています。住職が代わるたびに本尊を移し、332年間に25回も移転したことでも有名で、延宝6年(1678年)に現在の地に定堂しました。

絹本著色八幡曼荼羅図

石造十三重塔

 来迎寺の庭にある鎌倉時代の石塔で、基礎部に「嘉元2年(1304年)寺講衆四十余人」の銘文があります。昭和45年(1970年)に大阪府指定有形文化財に指定されました。

石造十三重塔

   来迎寺の桜  
撮影 2003/04/06   


 管 相 寺

管相寺は、山号を香林山、院号を玉蔵院といいます。開基はおそらく
平安時代中期の創建と考えられます。寺域は佐太天神宮の地続きに位置し、かつては境内も
広大であったらしく七坊あった内の東坊の後身といい、昔から佐太天神宮の宮寺で奥の院と
いわれていました。管相寺の寺号も佐太天神宮の祭神である菅原道真の別名が、管秀才、
またの名を管丞(じょう)相と尊称されるところから管相の二字をとって寺号とされたと言われて
います。
当初は真言宗の寺でしたが、正保元年(1644)に永井尚政が萬安禅師を招いて曹洞宗に
改宗し、現在は宇治興聖寺の末寺となっています。
本堂は、慶安4年(1651)永井家によって再建されたもので、江戸時代には観音堂と呼ばれ
小規模ながら、市内の仏堂建築として最古のものとして貴重なものであります。
また、境内に残る石製露盤(花崗岩製)も、鎌倉時代の貴品として極めて貴重なものであります。
    ※この項  駒井正三著 「ふるさと守口を訪ねて」より 引用しました。
     ちなみに駒井氏は我が母校 守口第四中学校の校長をされていました。

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